■山田祥平のRe:config.sys■バグを見なかったことにする眼 |
ソフトウェアにはバグがつきものだ。ハードウェアのファームウェアも同様だ。いつのまにか、それを当たり前のこととして受け止めるようになってきている。けれどもソフトウェアは書き換えられる。ぼくらは、そのことに、あまりにも寛容になりすぎてはいないだろうか。
●フィルムが日付を記録する
ニコンのF6という銀塩一眼レフカメラを買った。デジタル全盛のこの時代にフィルムを使うカメラの最高峰機を出す心意気には、よい意味でも悪い意味でも脱帽する。
さて、このカメラは本体の基本機能として、撮影時にコマとコマの間に各種のデータを写し込むことができる。F5以前にはカメラの裏蓋をオプションのデータバックと交換しなければできなかったことなので大きな進化だ。
ぼくは、この機能を利用してコマ間に撮影年月日を写し込んでいる。ミドルレンジのF80sも、撮影データをコマ間に写し込むことができるが、年月日は写し込めなかった。
でも、ぼく自身は、デジタルカメラのEXIFデータのように、フィルムでも写真に影響を与えることなく日付データを記録できることを実に重宝している。
本当は、撮影年月日に加えて時分秒もいっしょに写し込めるのが理想だが、なぜかそれは仕様上できないようになっている。しかも、このカメラには秒の概念がない。撮影年月日時分秒をフルに写し込めたF5のデータバックに比べると、この点は退化しているのが残念だ。
どうも、ニコンにとっては、撮影年月日時分秒というのは写真にとってさほど重要なことではないらしい。0コマ目にフィルム装填時の年月日を写し込めるので、コマ間は日時分で十分という判断なのだろう。確かに現像済みのフィルムをスリーブで保存するなら、それで十分だという考え方もわからないではない。
そこでぼくは、「+撮影年月日」というモードで、撮影年月日に加えて、撮影時の絞りとシャッター速度を記録するように設定している。このモードではコマ間に、
250 F16 0.0 '04 12 24
といったデータが写し込まれる。これで、シャッター速度1/250秒、絞り16、補正量ゼロで2004年12月24日に撮影したコマだということがわかる。
さらにこのカメラは、これらの情報を含む各種データをフィルム数十本分記憶し、オプションのデータリーダを接続すれば、そのデータをCSVファイルとしてCFカードに書き出すことができる。Excelなどを使ってそのファイルを見れば、フィルムには写し込まれなかった情報も取り出せる。写し込めなかった時刻情報は、このデータを見ればわかるし、撮影時の焦点距離、ズームレンズならズームレンジなどもわかるようになっている。
●バグとの遭遇
ある日、現像のできたフィルムをチェックしていて気がついた。「F1.0」という絞り値が写し込まれているのだ。ぼくの手持ちのレンズにはF1.0のものはないし、ニコンの製品ラインナップにもない。
データをチェックしてみると、実際には、そのコマが撮影されたときの絞り値はF10だった。念のために、ほかのフィルムをチェックしてみたら、同様のコマが散見されたので、レンズ側に起因するカメラとの通信の不具合でもなさそうだ。
ただ、きちんとF10となっているコマもあるので話はややこしい。絞りをF10に固定して、いろいろな条件を試せば、もう少し再現性を高めることができるだろうが、フィルムを無駄にしてまで、こっち側でそこまでやることもなかろう。
致命的な不具合ではないにしろ、これでは気分が悪い。サービスセンターに持ち込むと、明らかに不具合であることを認め、工場送りにするということだった。歳末がからむため、受け取りは1月15日を過ぎるというので、ちょっと様子見をしようと、年が明けてから改めて持ち込むことにしてカメラを持ち帰ってきた。
ぼくの予想では、これは、おそらくソフトウェアのバグだ。だから、ファームウェアを書き換えれば治るだろうし、現象がはっきりしていれば、実機がなくても再現は確認できる。さらに、ファームウェアの書き換えなら、工場に送らなくてもサービスセンターで、ものの数分でできるかもしれない。もし、ニコンのサービス体制が、きちんとしているのなら、こうしたクレームが開発側に報告され、対策が整うだろうことを期待し、ちょっと様子見をすることにしたわけだ。
●コンテンツのバグ
広義のソフトウェアには、マスメディアに掲載される記事、いわゆるコンテンツも含まれる。たとえば、この連載の場合、ぼくは、テキストエディタを使って原稿を書き、書き終わったものを推敲し、必要に応じて修正を加えた上で添付図版のデータといっしょにまとめたZIPファイルをサーバーに置いたところで、編集者に完成したこととファイルのURLを知らせるメールを出す。
そのメールを読んだ編集者は、ファイルをダウンロードして、ZIPを展開し、そこから出てきた原稿のファイルを読む。PC Watch編集部では、掲載までに何人の人が原稿に目を通してくれているのか、ぼく自身はよくわかっていないのだが、少なくとも、直接の担当者以外にも相当数の編集者が目を通す。編集が終わった時点で、ページに組み上がったものが置かれたURLがメールで送られてきて、ぼくは、それに目を通し、問題がなければ、そのまま実際の掲載になるわけだ。
それだけのまなざしを通り抜けてもバグは残る。誤変換もあれば、“てにをは”がおかしいこともある。現代においては、文字原稿は最初からデータでやりとりされるので、バグが入り込むチャンスは減った。てにをはの間違いや誤変換は、見つけられなかった編集者にも責任はあるが、ほぼ間違いなく著者に起因するミスだ。
書き上がった手書き原稿を写植オペレータが再入力して印刷物ができあがっていた時代には、再入力時の誤変換や入力ミスが起こりえた。だから、著者は、自分の責任ではないバグを初校時にチェックする必要があったのだ。
まだ、電子メールが一般的ではない1980年代には、パソコンで書いた原稿を、プリントアウトして届けたり、FAXしたりということを余儀なくされたこともあった。こちらが対応していても、それに呼応できない編集部が少なくなかったのだ。だから、誤植探しは、ある意味で当たり前の仕事だった。
かつて、主婦と生活社は「アングル」という月刊誌を発行していた。今は休刊されてしまっているが、いわゆるタウン誌の先駆けで、うまいもののお店情報や、地域特集などが満載されていた。1980年代初頭、ぼくは、この雑誌のために、街を取材し、原稿を書いていた。
この雑誌では、店の営業時間や電話番号、おすすめメニューの値段など、気が遠くなるほどの数値データを掲載していた。てにをはの間違いや誤植は類推ができるが、数値データはそうはいかない。しかも、これらのデータは、原稿通りに植字されていたとしても、本当にそれが正しいのかどうかはわからない。
だから、編集部では、写植が上がり、ページとしての体裁が整った時点で、大量のアルバイトを使って、全掲載店に電話をかけ、内容を確認して校正をしていた。それでもやっぱりバグは出て、翌月号に訂正記事が掲載されたりするのだ。書籍などでは出版後にバグが見つかった場合、正誤表をはさみこんで対処する場合もある。
●バグ
アプリケーションソフトや機器のファームウェアなど、プログラムのバグは、出版物のバグと違い、痕跡を残さずに書き換えることができる。ウェブのコンテンツも同様だが、PC Watchなどでは、記事公開時以降に見つかった重要なバグを訂正するときには、その旨を明示して修正する。つまり、わざと痕跡を残す。これは、常に書き換えが可能なウェブというメディアにおけるある種の良識といえるものだろう。
一方、工業製品においては、発売後に見つかったバグは、よほど致命的なものでない限り、こっそりと治し、次回出荷分以降は、そのバグに関する不具合が起こらないようにする、ということも行なわれていた。初回出荷分を入手した消費者は泣きを見なければならなかったのだ。
今は、消費者の意識も高くなったし、インターネットなどで口コミ情報もアッという間に広がるので、さすがにそこまで露骨なことをするメーカーは見かけなくなったが、知らないところではそういうこともあるのかもしれない。
それでも、インターネットでそうした情報を見ないユーザーは、置いてけぼりだ。まあ、自分が不便していないのだから、不具合に遭遇していないということにもなるのだろう。見えないバグは不具合ではないということだ。
バグのない工業製品は理想だ。けれども、そんなことをいっていたら、いつまでたっても出荷ができない。完全を期したつもりでも見つけられなかったバグもある。職業がら、パッケージソフトウェアなどに関しては、評価用にベータ版を提供されることがあるが、ぼくは、できるだけ普段の環境にインストールすることにしている。
評価用に特別に用意したピュアな環境では問題も起こりにくいし、結局、使い込む時間が短くなってしまい、きちんとした評価ができないように思うからだ。
たいていの場合、使い始めて数分でバグが見つかる。再現もする。中には、本当にテストしているのかと、あきれるほどに単純なバグにも遭遇する。ベンダーにそれを伝えると、もう治らない、それは仕様で、次期バージョンにご期待くださいとなる。きっと、バグを治して、ほかの不具合が発生することを怖れるのだろう。
バグをゼロにするのは難しい。たとえ、限りなくゼロに近づけることはできても、それにはかなりのコストがかかり、それが製品の価格に反映される。OSのセキュリティホールへの対処を含め、この業界の人間はメーカーに甘いと言われることもあるが、今、ぼくらは、その損益分岐点のようなところでバランスよく消費者の立場にいるわけだ。
だからこそ、不具合を見つけたら、声を大にしてメーカー側にそれを伝えることは重要だ。メーカーには、その声に耳を傾ける態度を求めたい。マルチベンダ環境が当たり前のパソコンでは、購入後、1週間も使っていれば、ひとつとして同じ環境ではなくなる。きっとバグがなくても不具合は起こるし、その原因も特定しにくい。だからといって、寛容になる必要はないのだ。メーカーと消費者は、共生するしかないし、それができる時代だと思う。
(2004年12月24日)
[Reported by 山田祥平]