第264回
近くて遠いブロードバンドコンテンツ


Intel CTO パット・ゲルシンガー氏

 金曜日、WPC EXPO基調講演を務めるIntel CTOのパット・ゲルシンガー氏が、早くも来日した。氏の目的は基調講演に加え、日本法人、日本の顧客、さらにはさまざまな公的、私的機関とのミーティングのようだが、その合間を縫って報道陣とのグループインタビューにも応じた。

 ゲルシンガー氏によると、現在電波による放送が一般的な映像コンテンツの配信が、世界に先駆けてブロードバンドネットワークに切り替わる可能性が高い地域は韓国と日本だという。ご存じのように、日本はブロードバンドアクセスのコストが世界でもっとも安価な地域である。

 氏は以前、ブロードバンドアクセス環境の整備が遅々として進まない米国の状況を、自宅からのネットワークアクセス速度(512Kbps)を引き合いに憂いつつ、日本がうらやましいと語っていた事がある。これだけのインフラがあれば、さまざまな新しいサービスが開始できる可能性があるからだ。

 では本当に日本はブロードバンド天国なのだろうか? ゲルシンガー氏へのグループインタビューを下敷きに考えてみた。


●“The Next Net”がもたらすリアリティのあるブロードバンド放送

 今年9月に開催されたIntel Developers Forum Fall 2004(IDF Fall 2004)において、ゲルシンガー氏はPlanet Lab.への参加を聴衆に呼びかけた。Planet Lab.は既存のインターネットの上に構築する、ネットワークサービスを効率化するための新しいネットワークレイヤと呼べるものだ。

 ゲルシンガー氏が“The Next Net”と表現したPlanet Lab.の仕組みを活用すれば、Adaptiveな(適応型の)ネットワークサービスを容易に構築できる。Planet Lab.にはさまざまな活用の手段があるが、その中のひとつには効率的なストリーム配信技術がある。

 Planet Lab.で実験されている仕組みを用いると、あるストリーム配信サービスにアクセスが集中すると、それをPlanet Lab.を構成するサーバーがトラフィック状況を検知。自動的に局所的なネットワークの輻輳を軽減するため、プロキシが自動構成される。

 詳細は当時のレポートを参照して頂きたいが、Planet Lab.のような取り組みが進めば、インターネットを用いた映像放送の可能性がグッと現実味を増してくる。TCP/IPプロトコルの開発者自身が語っていたように、インターネットのプロトコルは現在のように広帯域で非常に多くのノードが同時に多くの通信を行なうように設計されておらず、多数のユーザーがリッチコンテンツをストリーム受信し始めると、いくら帯域やネットワーク機器のパフォーマンスを上げても効率が悪く、すぐに限界が訪れてしまう。

 グループインタビューは、まず「将来、電波を使った放送は崩壊し、インターネットが取って代わるだろうと考えている。Planet Labs.がそれに対して果たす役割は何か?」との問いで始まった。

 「インターネットは巨大化し、帯域もどんどん拡大している。しかし帯域が増加するだけでは用途は広がっていかない。応用分野を拡大するためには、ネットワークがより効率よく稼働する仕組みが必要だ。そのためにPlanet Lab.はうまく機能するだろう。以前、私は(IDFで)将来、放送事業は電波を使ったものからインターネットに置き換えられるだろうと話したが、この考えは今でも変わっていない」とゲルシンガー氏。

 さらに「コンテンツ保護や著作権管理など、インターネット上でコンテンツを扱う上でのさまざまな問題が存在したが、今ではその大半が解決しつつある。コンテンツ保護はDTCP/IPによって行なえるようになる。DRM(デジタル著作権管理)の進歩も、問題の解決につながっていくだろう」と付け加えた。

 しかも、日本のユーザーは、同じく安価なブロードバンドアクセスが普及している韓国と同様に、放送クオリティに近い、あるいはそれ以上のリッチコンテンツサービスを、世界でもっとも受けやすい環境にある。日本のブロードバンドユーザーの多くは、いかに自分たちが恵まれた広帯域アクセスラインを持っているかを意識していないだろう。

 ゲルシンガー氏は(日本ではユーザーがコンテンツを受けやすい環境にあると思うか? との問いに)「それはもう、絶対的にイエスだ。日本と韓国はコンテンツデリバリーのインターネット化で、世界に対して先行する可能性が非常に大きい。米国の状況は決して芳しいものではない。米国のCATVやDSLによるネットワークサービスでは、(接続サービスからの利益を上げるため)コンテンツや各種サービスのアンバンドル化が難しかったり、特定人気コンテンツの独占をCATV会社が行なうなど、複雑で難しいビジネスになっている。そうしたことも米国でのブロードバンドの普及速度に影響を与えている」。

 「しかし今後、WiMAXによって解決に向かう可能性がある。CATV会社とは切り離されたWiMAXによるブロードバンドサービスが普及すれば、米国でも放送が電波からブロードバンドネットワークへと置き換わる下地になると期待している」と話した。

●コンテンツ保護技術とDRMの進化はコンテンツ所有者の心を溶かす?

 もっとも、データ送受信のインフラとしてのインターネットが巨大化、広帯域化し、さらには(日本では)家庭からのアクセスラインも低価格化。そしてPlanet Lab.によりインターネット上のサービスに関しても、効率の大幅な改善が期待されるようになったとはいえ、そうしたインフラを用いて人々を惹き付けるコンテンツがなければ、現在のインターネットがさらに快適になる程度の違いしか生まない。

 放送業界を巻き込むインフラにインターネットが発展するには、映画会社、放送局といった大手のコンテンツホルダーが、インターネットやPCプラットフォームに対して現在よりも寛容な姿勢へと変わる必要があるだろう。もちろん、PCプラットフォームの変革も不可欠だ。

 たとえば、ハリウッドの映画スタジオを例に取ってみると、彼らの姿勢はこの1年ほどで大きく変化した。かつて各スタジオは「パッケージコンテンツ用次世代光ディスクは(SACDのように)PC向けドライブとは異なるものである事が望ましい」と話していた。DVDのコピーに悩まされ始めていたからだ。実際、Blu-ray DiscがPC向けドライブは考えていないと当初言われていたのも、そうしたコンテンツ所有者側の意図を汲んだものと説明されたことがある。ところが、今ではPCを含むさまざまなプラットフォームで扱えるメディアが望ましいと要求が変化した。

 同様に映画のインターネット配信に関しても、今年初めの状況では「市場の10%を占めるレンタルビジネスの置き換えのみで、割合も10%から増えることはない」と話していたのが、インターネットを通じた新しいビジネスモデルの構築に対して積極的な姿勢を取るようになってきた。

 放送業界に目を向けると、米国のデジタル放送は日本のように一律コピーワンス信号を入れる事を止め、コピーワンスの仕組みそのものは入っているものの、一部コンテンツ以外は比較的自由度の高いコピーポリシーとなった。

 PCでのデジタル放送録画にも寛容で、米国で使われているATSC方式のデジタルチューナはPC向けにも提供されている。先日発表されたMicrosoftのWindows XP Media Center Edition 2005は、ATSCチューナカードからの録画やDVDへのダビングをサポートしているという。

 ところが日本では、一律すべてのコンテンツがコピーワンスでカット編集さえままならず、PCへの録画は暗号化が必須。PCの内部バスに暗号化されていないコンテンツがHD品質のまま通過することさえ許可されていない。さらには事実上、国内ベンダーだけにしか発行されていないB-CASカードによる機器参入障壁など、頭の痛い問題は多い。

 今のままでは、PCはデジタル放送の枠組みからはじき飛ばされそうな勢いだ。コンテンツホルダーによる、コンテンツ運用の極端な制限は家電業界も悩んでいるが、汎用コンピュータであるPCにとって、その苦しみはより大きい。

 PC業界のリーダーとして、コンテンツ保護とビジネスモデルに関して、新しい提案、取り組みなどは行なっていないのだろうか? 日本市場における問題点について質問してみた。

 「私は日本の状況を正確に把握していないかもしれない。しかし、自分の認識としては、日米は似たような状況にあると考えている。帯域幅の違い、コンテンツサイズの違いこそあれ、過去において音楽業界であったことが、映像業界でも起こり始めている。映像コンテンツ業界は、おそらくインターネット時代にきちんと対応していかなければ、音楽業界で起こった、たとえばNapsterによって発生した市場の変化と同じ道を辿ることになると警戒しているのだろう」とゲルシンガー氏は言う。

 「ブロードバンド化によって、これまでとは異なる何か新しい事をやらなければならない、新しいビジネスモデルを生み出さなければならない、という意識を映像コンテンツ業界の各社は持つようになってきた。もうひとつ、デジタルホームの普及もある。デジタルホームの分野では、IT業界と家電業界が、互いのデバイスをきちんとネットワークで繋いでいく構想が大きなトレンドになってきた。さらに、DRMやコンテンツ保護といった技術は大きく進歩し、コンテンツホルダーは安全かつ意図したようにコンテンツの利用範囲を制御できるようになっている(ゲルシンガー氏)」

 ではコンテンツ業界の各社は、進化したDRMやコンテンツ保護技術に対して理解を示し、心を溶かしてきていると考えて良いのだろうか?

 「DRMに関しては、まだ十分に満足はしていないかもしれない。しかし、彼らの要求するレベルに近付いていることは間違いない(ゲルシンガー氏)」

●コンテンツ業界の硬直化が生む最悪のシナリオ

 インタビューはその後、別の話題へと移り変わっていったが、Intelは少々、日本の状況を楽観視しすぎているように感じる。米国では、PCが人々の生活に入り込み、インフラの一部になっているとの認知が比較的広がっているが、日本ではデジタル家電がその位置に鎮座している。このことは、家庭内のインフラとしてのPCに対する扱いを軽視しても良いという風潮につながっている、と感じるのは被害妄想に過ぎるだろうか?

 やや極端な例だが、先日はテレビパソコンをインターネットに繋がった環境でホスティングするサービスに違法性があるとの判断が下されたことがニュースになった。しかし、ここで説明するまでもなく、ホスティングを行なっている会社はインターネットを通じてコンテンツを再販していない。単に顧客が購入した(つまり顧客が保有している)テレビパソコンを、インターネットから接続できる環境で動かしていただけだ。最終的な判決までには時間がかかるだろうが、このサービスが現行法の中でどのような違法性を含んでいるのか、僕には全く理解できない。

 新しい技術、新しいアイディアによって市場環境が変化し、ビジネスモデルを変えて行かなければならなくなった分野は数多くある。放送事業だけが特別というわけにも行かないはずだが、テレビパソコンのホスティング事業を早々に排除させた放送業界の対応からは、インターネット時代に自らが率先して変わっていこうという姿勢は見られない。

 もちろん、単に閉鎖的な姿勢を貫くだけでは、将来、テレビ業界が萎んでいく可能性もある。携帯電話のコンテンツ充実や、インターネットの利便性や娯楽性が上がっていけば、必然的にテレビ視聴に使える時間は短くなってくるからだ。その上、コピーワンスによってタイムシフト録画以外の使い方、つまりコンテンツをライブラリとして溜め込んで楽しみたいという視聴者に大きな不便を強いている。

 このところ、放送業界でダウンロード型コンテンツについての研究や議論が盛んなのも、PCが端末として大きな割合を占めるインターネットの世界で、視聴者がテレビ放送に食い付いているうちに、なんとか独自の世界を作り上げておきたい、という意図があるからなのかもしれない。これはビジネス面から考えれば正論である。

 しかし、コンテンツホルダー側だけの論理で作り上げられた仕組みが、ユーザーの利益を生むことはないと個人的には信じている。音楽出版社主導で行なわれている音楽配信サービスは、果たして1曲いくらで提供されているだろうか? B-CASカードが必須のデジタルチューナは1台いくらで販売されているだろう? デジタル放送の一律コピーワンスは、不便を強いる代わりにユーザーに何らかのメリットをもたらしただろうか?

 そうした自問自答を繰り返すにつれ、ブロードバンド天国、もっともブロードバンドネットワークサービスの可能性が大きな国と言われる日本は、このままではアドバンテージを生かし切れず、そのうち彼の国に追い抜かれる気がしてならない。もちろん、最悪のシナリオなど誰も望んではいないはずなのだが。

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【9月11日】【IDF】パット・ゲルシンガー氏基調講演レポート
超小型Windows XP搭載機を披露
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2004/0911/idf06.htm

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(2004年10月20日)

[Text by 本田雅一]


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