横倒しにしたディスプレイ。高精細の画面内では動画が動いている。指先はiPodを思わせるホイール型のインターフェイス。指をホイールにおくと画面上に「チャプター再生」、「チャンネルセレクト」といった文字があらわれる。クリックすると各操作画面に移行し、指をすべらせると画面が流れるように切り変わっていく。早送りや巻き戻しも自由自在。手の中で動画を自在にブラウズするような感覚だ。ネットサーフィンするように、動画をくるくると回して切り替えていく。 昔のガチャガチャチャンネルの感覚だ、というが、それとも少し違う。もっとなにか、積極的に切り替えたくなるような感覚がある。つい指を動かしてしまう。くるくるとチャンネルを切り替え、興味があるものが映し出されると指を止めて一瞬眺める。必要であれば字幕情報を提示させて、一瞬で番組内容を閲覧することもできる。 コンテンツは、現在オンエアされているものであることもあれば、端末内に蓄積されたものである場合もある。ユーザーはオンエアか蓄積かはほとんど意識しない。 ブラウズしながら、友人に「こんな番組があった」とふらっとメールすることもできる。実際に送られるのは番組データそのものではなく、番組に付加されたメタデータだ。 据え置きのテレビで番組をじっくり閲覧するのとは違い、ちょっとした隙間の時間にケータイを開く。その時間のなかで、テレビをちょっと視聴する。必要なければどんどんザッピング、早送りしていく。チャンネルを変えられると困るテレビ局主導では絶対に生まれない発想での視聴スタイルの提案だ。 ケータイが人と人とのコミュニケーション・スタイルを変えたように、放送メディアとの付き合い方も変わろうとしている。そんなことを予感させるデバイスである。 NTTドコモが「ビジネスシヨウ TOKYO 2004」で展示した実験試作機「OnQ」。サーバー型放送や地上デジタル時代を見据えた、未来のケータイのコンセプトモデルだ。工業デザイナーの山中俊治氏率いるLeading Edge Design(L.E.D.)が共同で開発した。 これまでメーカーが端末デザインを外の事務所に外注することはあっっても、ドコモ自身が外注したことはなかったという。だが、まったく新しい使い方やスタイルそのものを模索・提案するためには、実際に形になっているものがないと何も言えない。そこで複数のデザイン事務所を回り、検討を重ねたのだという。そういう意味でも異例のプロジェクトと言える。 OnQとは「ON QUE」。「きっかけを与える」というコンセプトだ。テレビ(放送)をきっかけにケータイ(通信)へ、ケータイをきっかけにテレビへ。そんな使い方はもちろんだが、テレビをケータイに単に実装するのではなく、テレビ番組の周辺に存在する経験や文脈を、複数のユーザー間で共有することを目的としたコンセプト名だ。 また、そこで生まれたつながりを「きっかけ」として「メディアと人の関係」そのものを変えていきたい、という意味もこめられている。つまり人と人との新しいコミュニケーションの「きっかけ」、そして人とメディアとの新しい付き合い方のきっかけとなれば、という二重の意味あいがこめられた言葉が「OnQ」だ。 ●試作品を作りながらサービスを考える
もちろんドコモ側も最初からそこまで考えていたわけではなかったという。どんなサービスを提供するか。そのためにはどんなインターフェイス、どんなシステムが必要なのか。そこを考えるためには実物を手の中に握って、どういう体験なのか感じる必要がある、と山中俊治氏らが強く主張したのだという。 「モックアップを作れって言われたら作りますけど、将来は動くモノを作ることを念頭にしてくれ、とお願いしました。本当に動くモノを作りながらでないと、メリット、デメリット、あるいは、どうしてこれができないのか、できるのかといったことは考えられませんから。こういう感覚でこういうふうに反応するモノだから、このサービスが嬉しいってところあるでしょう?」と山中氏は語る。 たしかにOnQを実際に手に持っていじっていると、今までのテレビ視聴とはぜんぜん違う体験であることが一発で分かる。だが実物なしで、概念的に空想していると、そのような実感はまずわかなかっただろう。「統合的にサービスを考える」ために、インターフェイスデザインの企画を進めるためには実物が必須だった。まず仕様書を書いて、そこからサービスを考えていく既存のビジネス企画とは全く違う流れだ。 では、仕様書がない中で、どのようにデザインを進めていったのか。まず考えたのは「ユーザーはテレビを見ながらいろんなことをするんじゃないか」ということだった。
「テレビ見ながらメールを送ったり、指先を動かすと。ケータイ握ってると、指を動かしたくなるじゃないですか。僕らはこれを『指さみしい』と言っていたんですけどね(笑)」とL.E.D.の田川欣哉氏は語る。田川氏は両手入力機器「tagtype」の開発で知る人ぞ知る人だ。 現在のテレビ搭載ケータイでは色々な問題もあり、放送と通信の融合は考えられていない。単にテレビを積んだだけだ。だが将来、テレビとケータイがいっしょになったときに、小型のテレビのようなものにケータイがなることは実際問題として考えにくい。 「もうちょっとアクティブに映像コンテンツと触れていくようになると思うんです。そうなると、映画がはまるとは思えない」(田川氏) いまのケータイはちょっとお茶を飲むときや電車に乗っているときなど、隙間時間に見ることが多い。そのケータイの小さい画面を手で握って、テレビだけをジーッと見るようなことはあり得ないだろう、というわけだ。 そのため、テレビを見ているときもケータイが死なないように、インターフェイスとしてケータイを残すことを考えた。 たとえばテレビコンテンツをきっかけに通信を引き出すような、あるいはテレビを見ながら気楽にメールできるようなインターフェイスが必要なのではないか。これはもちろん、ドコモのビジネスモデルとも合致した。メディアとしての電話をテレビ局に取られるのでは意味がないのである。むしろ新しいメディアを作るつもりでインターフェイス・デザイン作業は行なわれたという。
●チャンネル・ブラウズ……モバイルでテレビを見るためのインターフェイス 以上のような考えを踏まえてデザインされたOnQ。大きな特徴はやはりホイールだ。「チャンネル・ブラウザ・リング」と呼ばれている。イメージとしてはきわめて単純だ。現在のケータイが採用している四方向キーの上に、時間軸を表現する回転軸をのせたものである。 AV系のインターフェイスではジョグダイヤルなど、時間軸操作に回転を使うのは普通だ。ケータイ+AVインターフェイスを融合させた形が、チャンネル・ブラウザ・リングなのだ。操作する上でとまどわないのは、馴れたものだからだろう。 もっとも、単にホイールを回したいだけなのに、誤ってスイッチを押してしまうなど技術的には難しい点もあり、試行錯誤が必要だったという。 現在では物理的スイッチではなくタッチセンサーになっているが、それもケータイでは実装しにくい、電圧をかけっぱなしにしておく必要のある静電容量型のセンサーではなく、極小メンブレンが並んだセンサーが使われている。 指をのせるだけで画面にはそれが何の操作を意味するかが表示されるので、なんとなくいじっているだけで、マニュアルを読まなくても操作方法は分かるようになっている。動的に変わっていくメニューを、田川氏は「うながし系」と呼んでいる。このブラウズソフトだけで40回以上作り直したという。 OnQはオンエアよりもむしろ蓄積型のサービスを基本として考えている。充電台にもなっているクレードルのなかには、ソニーのコクーンのようなHDDレコーダーがあり、ユーザーの好みに応じて自動的にコンテンツを蓄積していく。同時にこれはサーバーにもなっていて、OnQのなかに必要なコンテンツをダウンロードしていく。これを「チャンネルチャージ」と呼んでいる。 OnQのリングを指でくるくる回すと、チャージされたチャンネルがくるくる変わっていく。大きな円環のなかにチャンネル(実際には各コンテンツ、番組)が収録されているイメージだ。あるコンテンツの隣にはそれと似たような種類のコンテンツが存在している。指で適当にくるくるしているだけで、ユーザーは自分の求めるイメージを探すことができる。 ではコンテンツが増えてきたらどうするのか。普通の発想だと、階層化していくことになるが、田川氏は、むしろより大きな円環の中にチャンネルが格納されていくほうが「コンテンツが埋もれない」だろうという。もちろん、必要に応じて、円環のなかでのコンテンツの並び方が動的に変わっていくことが前提だ。
早送りや巻き戻しは飛行機のアイコンで表示される。早く送りたいときは指をぐるぐる回せばいい。そうすると飛行機のアイコンからジェットが吹き出て、ガーッと早送りされる。もちろん頭出しもできる。タイムコードに対してブックマークを打つこともできる。 面白いのは、ブックマークを評価できるところだ。「興奮度」と呼んでいるが、5段階で面白さ評価ができるのである。アイコン上では飛行機の「高度」で表現される。これを線で繋げば、どこが番組の面白いところだったか一目瞭然である。もちろん、このデータを数万人分集めれば、一種の人気調査みたいなことも可能になる。 実際に触っていると、どういった姿勢や距離で画面を見るかが分かる実物がないと新しいサービスを考えられない、という言葉が実感されてくる。画面が変わっていくことそのものが気持ちいいし、確かに単に「ケータイでテレビを見る」ということだけでは思いつけないことがいろいろあることが分かる。 たとえば、いまの普通のテレビ(あるいはHDDレコーダー)のリモコンにも、リングが欲しくなってくるのだ。むしろ、なぜリングがないんだろう、という気持ちさえしてくるから不思議だ。それくらい、なじむインターフェイスである。現在のケータイで主流の、ツリー型とも全く違う。 おそらくユーザーは、現状の想定をはるかに超えた使い方をしてくるだろう。「僕らの直感って、なんてあてになんないんだろうって思うんですよ」と田川氏も笑う。 現在の据え置きテレビの世界でも、かつてリモコンができたときにユーザーの視聴スタイルが大きくかわり、その結果コンテンツが変わらざるを得なくなった、という時代があった。山場がないとすぐにチャンネルを変えてしまう人が増えたために、番組の作り方が変わってしまったのだ。そういったことが、OnQのようなモバイル視聴が本格的に始まると、また起きるかもしれない。 山中氏はOnQのデザインにおいて、いわゆる見た目ではないデザインを考えたという。 「これだけの機能が盛り込まれたモノですから。心がけたことは、ファンクションがより引き立つように、強化していくことだけです。余計なことを語る必要はない。機能を整理して分かりやすく、より質感の高いものにして示すだけでデザインテーマになります」 これは山中氏のデザインに共通した哲学でもある。 山中氏は本誌でもレポートずみの「ハルキゲニア」やロボット「morph」のほか、身近なところではJR東日本のSuica改札機のデザインに携わったことで知られる。 '96年当時、まだ見慣れない非接触ICカードを使った改札に、馴れない人はどこにどのようにカードを近づければいいか分からず、デザインは難航していた。 そこで山中氏は「スムーズに通ることを何かで妨げつつ、どこにカードをかざせばいいか示せばいい」として、実験計画書を作って提案したのだという。その結果生まれたのが、現在のでっぱりと、手がかりとして光るリングを持ったSuica改札機なのだ。 デザインで機能を整理し、インターフェイス上の問題を解決することが山中氏のデザインの特徴だと言える。なお松屋銀座7Fでは8月16日までの日程で「デザインによる解決 Suica改札機のわずかな傾き」と題したデザイン展が開催されている。会場では開発過程での実験ビデオも上映されているので、興味がある方はご覧になると良いと思う。 ●放送と通信が融合した時代のサービスとは 放送と通信がどのように融合していくかはまだ分からない。だが多分間違いないことは、コンテンツそのものをクリップしてメールする、といった形は取れない、ということだ。 そこでOnQでは、メタデータを流通させることを考えている。タイムコードに対してどういうシーンであるかといった注釈をつけたものだ。オフィシャルなものだけではなく、ユーザーが独自にタグ付けした「勝手メタデータ」みたいなものが流通すると、面白いことになるかもしれない。 たとえば、ある女優のファンがつけたメタデータだと、ドラマだろうがクイズ番組だろうが、その女優の立ち居振る舞いにしか注釈がついてない、といったようなものだ。「笑顔」で検索すると、その女優さんが笑ったところだけが引っかかる、といったようなことが、勝手メタデータが多数立ち上がればできるようになるかもしれない。ただし、そんなことができるかどうか、法整備はまだ進んでいない。 現在でもNHKは字幕を付けて番組を放送している。OnQでは字幕を中心に表示しながら動画を再生することもできる。字幕に合わせて動画をスキップできるので、ニュースなどでは大いに活用されるだろう。ドラマの内容を1分少々で把握することも可能だ。だがそうなると、現状のようなCMに依存したコンテンツ製作はできなくなる。もちろん、新しい時代に適応したCMが登場してくる可能性のほうが高いとは思う。 あるいは将来は、最近になって再び注目されつつある「超流通」のような仕組みが導入される形態もあり得る。最初からコンテンツをユーザーの手元に置いておくのだが、事前に暗号化しておき、それを鍵で複号するときに課金する仕組みである。筑波大名誉教授の森亮一氏らが'80年代に提案したものだ。サーバー型放送時代の仕組みとして注目されている。 何らかの仕組みで、動画をOnQのコンセプトのように自在に見られるようになったとしよう。動画だけではなく、様々なメタデータが流通する時代だ。そのときは、自分が見たい時間に見たいコンテンツを閲覧できるようになる。 L.E.D.と議論を重ねてきたOnQ開発メンバーであるNTTドコモ・マルチメディアサービス部 複合メディア 放送メタ流通担当課長の上原宏氏、同・副島義貴氏、同・橋本英明氏らは、基本的にすべてオンデマンドのケータイからすれば、「テレビになると急にオンデマンドできなくなる」点が不満だという。細切れ時間でケータイを使う実際のユーザーも、おそらく似たような不満を感じることになるだろう。
それでもテレビを見てもらいたいとなれば、仕組みの上でもコンテンツの内容面でも、新たな工夫が必要になる。どんな仕組みがいいかはまだまだ模索中だ。ただ、「コンテンツが次のコンテンツへのポインターになる」ような形がいいのではないかと3氏は言う。 検索エンジンを使っていて、検索結果をベースに次の言葉を検索したことがあるだろう。あれと同じような感覚で、次々にコンテンツを芋づる式にたどっていくように、テレビ番組を見ていくような感覚。そんな使い方になるのかもしれない。また、コンテンツをシステム側から推薦するというやり方もあるかもしれない。現在、amazon.comなどが行なっているようなことを番組に対して行なうわけだ。 もちろん、モバイルであるという点を生かした活用法もあり得る。GPSなどで位置が取れるのであれば、位置依存のコンテンツをプッシュしてやることもできるだろう。観光情報のようなオーソドックスな使い方もあれば、交番の近くで警官もののコントを見る、という使い方もあるかもしれない。一番単純なところでは動き回る子供にテレビを見せておとなしくさせる、といった用途もあるだろう。 副島氏は「機能を削り混むことで分かってきた」という。ケータイでは短い時間しか閲覧しない、と考えたところから、逆に新しい使い方が見えてきたという。また橋本氏は「自分の時間なんだからテレビ番組だって自分が見たいところから見ればいいじゃないですか。お茶の間の帝王を都落ちさせたい」という。 つまり彼らが考えているのは、昔ながらの家族団らんの中心にあるテレビではなく、その置き換えでもない。まったく新しいテレビ視聴スタイルなのだ。課題は「ユーザーにいかに無意識に映像を持ち出させるのか。わざわざ感をなくすこと」だという。 気軽に、どこででても。そして、人とやりとりするきっかけになること。そのためには、リアルタイムと蓄積の組み合わせや、相互の行き来が重要になってくる。OnQではブログ等との連携も考えられている。 また、最近はソーシャルネットワークにも興味を持っているという。テレビを見ている人たちは、意識せずに一つのコミュニティ化している面がある。また、OnQのような仕組みであれば、それぞれのユーザーのOnQの中には、各人の好みを反映した番組の円環ができることになる。 iPodではプレイリストをお互いに公開し合ったコミュニケーションが成立しているが、それと同じように、自分好みの番組リストを使った新しいコミュニケーションが生まれる可能性もある。たとえば電話帳の名前をクリックすると、その人の好みの番組円環が現れる。それはけっこう面白いんじゃないだろうか。 映像を使って、あるいは映像をきっかけにどんなふうにコミュニケーションするか。具体的にどのようなコミュニケーションが生まれるかは分からない。だが、OnQがもたらす「変化」を見てみたいと思った。 □リーディング・エッジ・デザイン
(2004年8月5日)
[Reported by 森山和道]
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