昨年の仕事を持ち越しながら、ずっとPCの前に座っていたためもあって、あまり新年を迎えた実感がわいてこない。と書いてるこの場所も、2003 International CES(CES)のためにラスベガスへと出かける途中、乗り換え地のミネアポリスだったりするから、余計にそう感じるのかもしれない。 今年はPC業界にとって、昨年以上に厳しい年となるのかもしれないが、一方で2004年に向けては現状を打開するための技術が着々と実用化に向けて開発が進められているようだ。それらについても、少しづつ連載の中で紹介していきたいと思うが、今回はもう少し感覚的な話題について取り上げてみたい。 それは製品の“所有感”についてだ。これまでのPC業界は、所有感やデザインといった要素よりも、機能や性能、操作性といった面が重視されていた。それらに加えて今後、考えていいかなければならない要素は、製品を購入する人に対していかに「プラスα」の満足感を与えるか、だと思うからだ。 ●安さは慣れる こんな事を考え始めたのは、僕がオーディオ趣味に片足をつっこみかけ始めてからのことである。キットから自分で組み上げた真空管アンプが、少しづつ改造しながら良い音へ変化していく様子が心地よく、組み上がったアンプがとても大切なものに思えてくるから不思議だ。 自分で作ったアンプは、不格好で、洗練という言葉の全く逆のところにあるものだが、自分で作ったという満足感があるからこそ、所有し、積極的に使おうという気にさせる。実際の音質はというと、さすがに限界があるため、現在はリビングから押しやられているが、仕事をしながら聴く音楽は、今でも自作のものを使っている。多少出来が悪い子どもでも、自分の子どもだと思えばかわいい。 ではリビングのオーディオシステムはどうなったかというと、イタリア製の天然木を使ったUnison Research S8という真空管アンプを導入。音質が良くなるだけならば、他にも選択肢はあったが、末永く所有する満足感を持ちながら使い続けられる製品として、デザインや質感にもこだわって選んでみた。 いや、今まで合理的なモノ選びしかしてこなかった僕が、なぜこうも変わるのかと自分でも驚くほどである。以前ならば、デザインや筐体の質に関して、合理的な理由なしにコストばかりをかけた製品は「中身にコストがかかっていない」と切り捨てていたかもしれない。 1月7日の日経新聞にセブンイレブンジャパンのヒット商品「こだわりおにぎり」の記事が掲載されていた。ご存知の方も多いと思うが、コストダウンの方向にばかり力が注がれていたコンビニおにぎりに、高級素材を使った「ちょっと豪華な」という新しい要素を持ち込んだものだ。 コンビニおにぎりの価格相場は100~120円だが、こだわりおにぎりは160~200円。しかし、贅沢感と手間をかけた調理法で1年で1億個を売ったそうだ。僕は滅多にコンビニおにぎりを買わないが、こだわりおにぎりは買ったことがある。ちょっとした満足感の高さが、こだわりおにぎりの良さだろうか。 コストダウンによる安売り競争の中からは、こうした製品は出てこない。“安さ”は、顧客満足を高める1つの要素ではあるが、他にも満足感を与えるための手法はあるということを、こだわりおにぎりは示している。 これはもちろん、ノートPCをはじめとするPC業界の製品にも言えることだ。近年のノートPCはコストダウンの影響が、様々なところに現れてきている。カタログスペックとして現れない部分は、徹底的にケチる。もちろん、メーカーもケチっている部分はあまり見せたくはないから、ユーザーからは見えにくい部分をケチる。うまくコストダウンできているのであれば、それはそれで良いことだ。しかし、残念ながらコストダウン競争で疲弊しすぎたベンダーの中には、コストダウンの影響を隠しきれなくなってきているところもある。 そうしたベンダーは、これからいったいどのようにして、他社よりも高い満足度、価値を提供していくというのだろうか? 先の記事の中では、こだわりおにぎりの商品企画段階での逸話として「コストダウンして価格で競争しても、すぐに顧客は安さに慣れてしまう」という話があった。 そう、安い価格設定も、それが当たり前になればすぐに慣れてしまう。慣れてしまえば「安い」などとは、誰も思ってくれなくなるのだ。 ●ユーザー側の意識改革も必要 思い起こしてみるとWindows 98が登場した年に購入したLet's NOTE S21は約30万円だったが、このころのLet's NOTEシリーズは新製品を買うと、いつもほとんど同じ実売価格だったのだ。中には例外もあるだろうが、'95年から'96、'97年ぐらいまでは、モデルチェンジすると同じ価格でより付加価値の高いものが買える時代だったように思う。 それが今、10.4型クラスのモバイルノートPCは16万円、12.1型クラスでも20万円を切らなければ“高い”と言われてしまう。ノートPCが安くなった要因には、もちろん部材調達コストの低下や生産革新による製造コストの削減などもある。安くなった分、安っぽくなったという評価は間違っているだろうが、余裕が無くなっていることも確かだ。 たとえばあるPCの組み立て工場は、生産革新によって2年少々で4倍以上の生産性を実現したという。以前は何をやっていたんだろう? という気がしないでもないが、生産革新でのコストダウンは臨界点に近づいているように思うのは僕だけだろうか? もちろん、我々消費者側の意識も変化していかなければならない。“安くなければ売れない”製品しか作れなくなってきているベンダー、“安いものしか売ろうとしない”(安ければ売れるのは当たり前)営業や流通にも問題はあるが、“価格ばかりにしか目が行かない”消費者にも問題がある。PCの場合、スペックさえ良ければ価格勝負という部分があるのは否定できないが、PCの買い換えサイクルが長くなっている中で、使い捨てではない道具の品質を評価しようとしない消費者が増えているのは残念でならない。 実は昨年も暮れる間際のこと。あるPCベンダーに、まだ未発表のモバイルノートPCを見せてもらった。その製品は機能、性能、フォームファクタが三拍子揃ったもので、大きな期待を胸にブリーフィングに向かったのだが、残念なことに非常に所有感に乏しい製品だったのだ。 製品を企画している担当者は、話をしていても納得のいく情報交換ができる、強いフィロソフィーを持った優れた人物で、製品の問題点も自分自身でよく把握している方だった。そうした人が作る製品が、なぜ所有感の高い製品を作れないのかは、やはりコストダウンにあるのだと推測される。 もちろん価格をある程度下げることは、商品として成立させるために必要なこと(誰もがフェラーリを買えるわけじゃない)だが、製品化の過程で企画時のコンセプトを失うほどに締め付けを行なうと、せっかくの力が入った製品がライバル製品の海の中で存在感のないものになってしまうものだ。同時にベンダー自身のブランドロイヤリティを低下させる遠因にもなる。 ●ワイヤレスモバイルの時代を捉えて もっとも、全カテゴリで所有感の高い製品ばかりにするのは不可能だ。適材適所で、選択できるのが正しいに違いない。僕はモバイルPCこそ、今年一番コストをかけてユーザーに価格だけではない付加価値をアピールする場だと思う。 今年はIntelのBaniasやTransmetaのTM8000など、新世代のモバイルプロセッサがデビューする年ということもあるが、ワイヤレス環境の整備が市場環境に大きな変化をもたらす年でもあるからだ。 PHSによる高速(当時)なワイヤレスネット接続インフラがある日本は特殊な市場と言われたこともあるが、今、ワイヤレスLANは世界中で広がりを見せようとしている。米国ではiPassやGRICのワイヤレスLANアクセスと、他ISPアカウントからのローミングアクセスが始まっている。そうした中で、ワールドワイドでもっとも伸びそうなモバイルPCのフォームファクタは12.1型液晶パネルを採用した1スピンドル/2スピンドル機である。 日本ではすでにビジネスモバイル機の中心機種となっている12.1型クラスだが、欧米でも12.1型クラスがいよいよ受け入れられる様になってきた、という話を複数の関係者から聞く様になってきた。 僕の場合、取材先はほとんど米国だが、米国のエグゼクティブの多くは、これまで14.1型クラスの2スピンドル機を航空機内やラウンジで使っていた。しかし、最近は12.1型を使う人を見かける機会が明らかに増えている(と、こうして書いている飛行機の中、隣の米国人が12.1型、後ろの席には10.4型を使っている人も)。 ワイヤレス環境の整備がノートPCを持ち歩く価値を高め、それが市場に変化をもたらしているというのは考えすぎだろうか? 毎日持ち歩き、道具として使う製品にこだわりたいという気持ちは、だれもが少しは持っている。 僕にはPCベンダーに対して、こうすべきだといったことを語るつもりはない。これは“願い”である。ワイヤレスモバイルの時代を捉えずして、安売りスパイラルからの脱却はあり得ない。今年は、これは欲しい! と大きな声で言える製品が増えてくれることを、年頭に願うことにしよう。 (2003年1月8日) [Text by 本田雅一]
【PC Watchホームページ】
|
|