第176回
PCの企画・設計は買い物ゲーム



 ThinkPad 10周年記念ということで各誌に関連記事が掲載されている。かつて自分も所有し、取材時に毎日携帯していた日本IBMのThinkPad 701C、通称バタフライが取り上げられることも多い。

 「バタフライなんて最近の機種だよなぁ。噂だけで半年以上も引っ張られたし」と思う僕は、知らず知らずのうちにずいぶん歳を取ったのかもしれない。なにしろあれからもう7年以上も経過しているのだから。486時代はもうノスタルジーの世界だ。

 ユニークな製品が数多く登場したあの時代を懐かしく思うばかりでは話が進まない。昔と今。何がPCハードウェアの業界で変化したのだろうか。

●PCの企画・設計は買い物ゲーム

 バイオノートもN505シリーズが登場した直後ぐらいだから、ずいぶん前の話だ。ソニーの製品企画を担当していたある人が、ポツリと「PCの企画・設計は買い物ゲームだから……」と漏らしたのを今でもよく憶えている。

 “買い物ゲーム”という言葉をそのまま使うと誤解を招きやすいと思うが、PCのコアコンポーネントを自社で持たないベンダーにとっては、ある意味、真理であろう。他社よりも優れたデバイスをいかに安価に調達してくるか。そのために、コンポーネントをラインナップ全体で共通化し、可能な限り発注ボリュームを多くするなど、あらゆる面で腐心しながら各製品の企画・設計担当とコンポーネントの調達担当者がディスカッションを繰り返す。

 単に買い物ゲームと言っても、なかなかその中身はたいへんなことのようだが、言い換えてしまえば他社よりも上手に調達(買い物)すれば、他社よりも良いスペックの製品を同程度、もしくはそれ以下で販売できる。たとえば目立ったところでは、ノートPC向けのDVD-ROM/CD-RWコンボドライブの調達を先駆けて契約できたため、売り上げを伸ばしたメーカーがあったし、ラインナップ全体で計画的に発注ボリュームをコントロールできなければ調達コストが跳ね上がることになる。

 ところが、近年はその選択肢の幅も狭まり、“買い物ゲーム”ですら差別化が行ないにくい状況になっている。1つには先行して1社だけが特定のキーコンポーネントを入手できる状況ではなくなったことがあるが、もうひとつ買い物を行なった先に本来あるはずの“積み木ゲーム”で差別化されることがなくなってしまったからだ。

●Dellが新規市場を開拓しない理由

 言うまでもなくDell Computer(Dell)は世界でもっとも多くのシェアを持つPCベンダーだ。しかしDellはPC市場のリーディングカンパニーでありながら、PC技術を積極的に拡大し、応用範囲を広げる立場を取っていない。彼らの狙いは新しい市場の開拓ではなく、すでに存在する市場でいかに高いコスト競争力を発揮し、最大公約数の製品をいかに簡易提供するか。そして購入後、顧客に対してどれだけ高い満足度を提供し、デルの継続的な顧客になってもらうか。この2点に集中している。

 新しい市場の開拓には開発費だけでなく、大きなマーケティング予算が必要で、その上、リスクも大きい。これまで何度もDellの取材は行なってきたが、その中で何度も“Dellは新規市場開拓に興味がない”との話が出てきた。

 いかに他社と技術的な差を付けて顧客によりアピールするか、を考えるよりも合理的だが、Dellは市場のコモディタイズをもたらすことはあっても、イノベーションをもたらすことはない。それでいながら、世界のトップベンダーへと成長したのはなぜだろうか? それはDell自身が研究開発で新しいテクノロジを開発し、それを元にしたイノベーティブな製品を開発しなくとも、効率を追求した価格競争力がイノベーションによる進化を上回る商品性を実現できるからだ。

 その背景にはプラットフォームホルダー(PC市場ではIntel)が、積極的に標準化とプラットフォーム技術の開発を行ない、それをハードウェアベンダーに対して積極的に提供しているPC業界の事情があると思う。

 自社で研究開発を行なわなくとも、Intelがプロセッサはもとより、チップセットを中心としたメモリ技術、I/O技術、冷却技術から果てはミニチュアライズ(小型化)に関してまで技術供与や手厚いサポートを提供してくれる。その上、次世代製品に向けた研究開発に関しても、Intelが率先して共通プラットフォームとそれにまつわる技術開発を進めてくれるのだ。こうしたプラットフォーム戦略は、Intelプラットフォームのアドバンテージをより強固なものにしている。

 一方であらかじめ冷却や小型化などのノウハウを持ち、自ら最終製品を完成させる技術を持つ企業にとっては、やりにくい状況であるとは言えるだろう。いずれにしろ、Dellが新しい市場を自ら開拓する必要はない。その方向性についてディスカッションすることはあるだろうが、将来性のある方向にはIntelが投資を行なってくれるからだ。

●共通プラットフォームの功罪

 PCベンダーの関係者は異口同音に「PC業界の水平分業はバランスが著しく崩れている」と話す。PCのコア技術に関わる部分は、プラットフォームホルダーのコントロール下に置かれ、将来に向けての技術開発も同じようにプラットフォームホルダーによって進められる。コア技術から少し離れた部分やIntelが不得手とする分野は(3Dグラフィックなどごく一部を除き)水平分業化が行なわれているものの、マルチベンダー化と技術の平準化が進み、それ1つで製品の差を付けることは難しい。

 現在はまだ、ワールドワイドで大きな市場になっていない超薄型や小型のノートPC、あるいはTablet PCなどのフォームファクタでメーカーの独自性を出せる状況にはあるし、熱処理など快適性に関する処理でも、ベンダー間の差は出ている。しかし、それはまだワールドワイドで大きな市場になっていない分野だからであって、これから先に本格的に市場が立ち上がったときにアドバンテージを保てるかには疑問も残る。

 それでもなお、セキュリティ技術やネットワーク接続性を向上させるユーティリティ、コンシューマ向けならばデスクトップPCと協力連携するソフトウェアの添付やサービスなど、アプリケーションやミドルウェアで差別化を図ろう、あるいは、ワイヤレスソリューションで差別化を図ろう、といった意図も(まだ十分に顧客に浸透しているかどうかは疑問な部分もあるが)企業努力の跡として見える。

 ところがそれさえも、近い将来にはプラットフォーム技術提供の名のもとに、あらゆるベンダーが同水準にまで平準化される可能性が高い。たとえばBaniasプラットフォーム戦略には、プロセッサ、チップセット(サードベンダー製チップセットも登場の可能性はあるが、今のところはBaniasのプロセッサバスを他社にライセンスする計画はない)はもちろん、デュアルバンドの低消費電力無線LANチップ、無線LAN向け設定ユーティリティなどが含まれる。さらにIntelはVPNアクセス時のセキュリティソフトウェアも提供する見込みで、さらに先にはあらゆる場所でシームレスなネットワーク接続性を実現するためのソフトウェアやインフラ技術に関して積極的に取り組む姿勢を示している。

 もちろん、それによってエンドユーザーは、どのPCを購入しても同様のソリューションを得られるメリットがあり、選択の自由度が上がるという意味では歓迎すべき事なのかもしれない。しかし、もう一方ではベンダーが個々に持つ技術と、それによる個性が失われる可能性は否定できない。新しい技術に投資をしても、同じ分野でプラットフォームホルダーが、それに近い技術を他社に供与してしまえば、その時点で相対的な競争力を維持できなくなるからである。

 PC業界が発展してきた背景には、標準化と技術の共有によりプラットフォームのレベルを急速に引き上げ、市場規模を驚くほど早く拡大してきたことが挙げられる。しかしながら、現在のPC市場はその状態が行き過ぎ、プラットフォームホルダーがパラダイムを制御下に置いている。

●“Intelの戦略はPCベンダーを代理店にすること”と、AMD首脳

 もっとも、僕個人としてIntelのプラットフォーム戦略に異を唱えるわけではない。彼らの立場からしてみれば、当然の行動だと思うからだ。x86プロセッサ以外にいくつもの事業を持つとはいえ、PC市場に強く依存した体質にあるIntelにとって、PC市場を常に刺激しワールドワイドでの出荷数を増やしていく努力は必要なことだからだ。

 しかし、Intelのライバルは来年出荷予定のHammerシリーズ、そしてHammerベースのモバイルプロセッサで前述した部分を突いてくるようだ。AMD副社長のヘンリー・リチャード氏はIntelのプラットフォーム戦略について「彼らはすべてのPCベンダーを、自らの製品の代理店にしようとしている」と批判する。

 昨年末から今年にかけて、Intelの低消費電力プロセッサの戦略が製品に本格的に反映され始めたことや無線LAN技術の普及、高開口率液晶パネルや小型あるいは低電圧のハードディスクなどのインハウス技術を元に奮起したベンダーがあったことなど、モバイルPC市場にはいくつかのニュースがあったが、今後も同じような展開が期待できるかどうか?

 業界全体が自らの行動で市場環境を変えていかなければ、モバイルPC進化のペースは鈍化し、突然変異種も登場しにくくなってしまうだろう。そうならないことを個人的には強く望んでいる。


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(2002年10月15日)

[Text by 本田雅一]


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