第160回:色眼鏡を外して眺めてみたTablet PC



 久々のニューヨークは、ほぼ完全私費の取材旅行だったため、ゆっくりと楽しみながら余裕を持って仕事をしよう。そう心に決めていたのだが、どうやら僕の貧乏性は一生治らないものらしい。結局、仕事漬けで念願の美術館巡りもミュージカル観劇も果たすことなく、いつもと同じように忙しく過ごして1週間を終えた。

 展示会としてのTECHXNYは斜陽の様相を呈し、来年は米国進出を果たすCeBITに押し出される形で9月に開催時期がずれるとか。おそらくは今年が最後のTECHXNYとなるだろう。展示会そのものの“熱”も、終わりを感じさせるに十分な冷え具合だったが、それでも出かけて良かったと思えたのは、否定的な意見しか持てなかったTablet PCに、ある程度希望を持てたからだ。

 おかげで、このところTablet PCについてばかり考えを巡らせている。そんなものはいらないと意見するのは簡単だ。しかし、誰もがいらないと思うものに、なぜあれほどビル・ゲイツ氏は固執するのか、昨年のCOMDEX/Fall以降、ずっと引っかかっていた。「Microsoftとゲイツも、もう限界なんじゃない?」と話す人もいたが、その執心ぶりも多少は理解できたように思う。

 もっとも市場に受け入れられ、商業的に成功するものかどうかは、今だ未知数の部分が大きい。成功するにしても、まだまだ長い時間がかかるように思う。


●手書き認識が重要ではない

富士通のTablet PC

 TECHXNYでTablet PCの詳細についてディスカッションをするまで、この製品に関して僕はある誤解をしていた。それは「米国ではベンダーにも顧客にも歓迎されていると言うが、同時に疑問の声が大きいのは日本と同じ。そもそもマス目ではなく、自由筆記の日本語を正確に分解して認識できるとはとうてい思えない」という誤解だ。

 ここでの間違いは、Tablet PCに関して文字入力における文字認識技術が重要だと考えていることだ。洋の東西を問わず、Tablet PCをケチョンケチョンに貶す人たち(自分もそうだったかもしれない)の多くは、現行のキーボードとマウスを使ってコンピュータを利用するスタイルに長年慣れ親しみ、毎日の仕事のほとんどのPCと共に過ごしている。

 PCのヘビーユーザーであればあるほど、Tablet PCはキーボードとマウスの代わりにペンを用いるパソコンなのだと固定概念で考えやすい。Microsoftの担当者によると、Windows XP Tablet PC Editionの営業活動のためPCベンダーを訪問すると、90%以上のPCベンダー担当者から「手書きじゃ入力の効率が悪すぎる。キーボードの生産性を考えると手書きというアプローチは……」といった話が返ってくるとか。

 ところが、Tablet PCは手書きで文字入力を行なえるようにするためのパソコンではないようなのだ。実物のTablet PCと対応アプリケーションに触れ、じっくりとその使い勝手を確認するまではなかなか想像できず、恥ずかしながら今までその本質を捉えきることができていなかった。

 米国ではTECHXNYでの基調講演がTablet PC β版レビュー記事の機密保持契約解禁となり、各所で様々な評価が行なわれているが、どうやらMicrosoftはレビュー担当者に、手書き認識機能が重要なのではないと繰り返し説明していたという。

 1つには自由筆記形式の手書き文字認識は、英語でも日本語でもまだ難しい技術であることが挙げられる。英語の場合、文字がシンプルなだけに書き順などを参考にできず、また筆記体の場合は癖字があまりにも千差万別なのがネックとか。マス目に書き込む文字認識であれば「日本語は英語よりも認識させやすいと聞いている(米富士通PC諸星社長兼CEO)」そうだが、自由筆記ではいずれの場合も快適な入力環境ではない。

 Microsoftもこうした点は十分認識していて、手書き入力がキーボードよりも楽だなどとは最初から考えていないようだ。あまり手書き認識にこだわりすぎると、これまでのペン対応パソコンと同じ道を歩むことになる。

 そこでTablet PCは従来のパソコンと同じ機能や性能を持ちつつ、アドオンで手書きを扱うための機能セットを用意して、キーボードとマウスではできなかった分野をカバーしようというアプローチで作られている。無論、手書き認識の精度が高いにこしたことはないが、それがTablet PCを評価する上でのメインテーマではないのだ。


●手書き文字入力が目的ではないなら、何が目的?

 手書きでWindowsを操作することが主たる目的でないなら、何が目的なのか。それはこれまでのWindowsでは扱いにくかったアプリケーションをサポートすることである。

 たとえば僕はテキストエディタで原稿を書いているが、プレーンなテキストには本文が書き込まれていくものの、原稿を書いていく上で思いついたアイディアや思考ロジックなど、原稿が生まれてくる背景情報までは表現できない。

 それら背景情報は自分の頭の中にあったり、別途、メモ用アプリケーション(Mac OSのスティッキーズのような)に書き込んでいく。ある執筆者はDTPソフトのPageMakerに原稿を書きながら、アイディアを思いつくと思い思いの場所にテキストボックスを作成してメモを貼り付けていくのだとか。特定の本文位置と関連する場合は、その場所から引き出し線を引いてテキストボックスにメモを書く。こうすることで、原稿作成中に思いついたり発見したりした様々な背景情報を記録しながら原稿完成に向かうことができる。

 これは一般的な会社の営業担当者といった立場を考えた場合も同じで、過去の実績データや周辺情報、類似プロジェクトの情報など、様々な情報をとりまとめ、紙などにその相関を整理しながら、マーケティングプランを練るといった具合だ。上の事例はPC上でメモアプリケーションやDTPソフトのレイアウト機能を用いて、紙で行なっていることを仮想的に行なっているに過ぎない。

 もっとも、実際にキーボードとマウス、それに既存のワープロやテキストエディタなどを用いて、紙と同じようにアイディアをまとめる作業を効率的に行なえるか? と問われると、僕なら難しいと答えると思う。僕はPCを使った方が入力や検索の面で効率がいいから使っているだけであって、純粋にアイディアを練る作業だけなら紙と鉛筆の方が遙かに楽だろう。そもそも、自由な表現や図を用いてまとめる作業は、現在のパソコン向きではない。

 また文書を回覧し、校正を加えていくといったグループワークでも、いちいち指摘するポイントに電子的なメモを貼り付けて説明するよりも、手書きでやった方がずっと高い意思疎通や作業効率を得られる。出版業界の電子化が進んだ現在でも、未だに校正作業のほとんどは紙ベースで行なわれる。遠隔地にいる場合などはPDFのやりとりで済ませる場合もあるが、あくまで基本は紙への書き込みだ。

 TECHXNYではAdobe Acrobatにプラグインを追加し、Tablet PCでPDFに手書きデータを加えられるようにしたり、Internet Explorer上でWebページにメモを書き込んだり、手書きイメージやPDF、Webページなどを綴じ込んでいく電子手帳ソフトが紹介されていた。

 それら対応アプリケーションの多くは手書き文字認識を重視しておらず、手書きを加えることでアプリケーションの応用範囲を広げている。文字認識が重視されるのは、純粋に文字入力や手書きデータを後から検索する場合のみである(簡単な文字ならソフトキーボードを使う方が効率的かも知れない)。

TECHXNYの基調講演時のデモ
Microsoft Reader 2.5を使ったデモ Acrobat上で手書き入力も可能に


●はじめの一歩がやっと踏み出されたに過ぎない

 Tablet PCは便利。それは使いさえすればわかってくるのだが、それでは商品として売れるものになるか? というと、その点に関してはあまり良い展望を持っていない。なぜならTablet PCは通常のPCよりも高価なものになるからだ。

Tablet PCは11月7日発売

 業界関係者によると、10.4型液晶パネル用の電磁式デジタイザと対応ペンユニットのコストは100ドル以上になるという。つまり原価レベルでTablet PCは100ドル以上のハンディを負うことになる。11月に発売となるTablet PCはすべて2,000ドル以上だとか。コレが本当で、僕が導入担当者なら購入に二の足を踏むかもしれない。少なくとも個人的に購入してみようとは思わないだろう。

 またAcerが発売を予定しているTravelMate 100のようにノートPCにTablet PC機能を追加したものの場合、小型軽量ノートPCとしての機能を損なう可能性がある。ディスプレイを回転させるヒンジ部分の剛性も心配だが、そうした機構に信頼性を持たせようとするとどうしても重量がかさむものだ。またデジタイザを取り付けたスクリーンは、光を反射しやすく視認性が悪い。その上で通常のノートPCよりも高価なのだから、好んでTablet PCを個人ユースで購入するシナリオは考えにくい。

 ただTablet PCを近視眼的に評価するのは間違っているとは思う。Tablet PCのコンセプトが公になってから、まだ8カ月ほどしか経過していない。ハードウェアにしろ、ソフトウェアにしろ、これから徐々に構築されて行かねばならないものだ。そもそも、まだエンドユーザーからのフィードバックを一度も受けていない。

 おぼろげながらだが、ゲイツ氏が「デジタルディケイド」と言ったこれからの10年に向け、Tablet PCをアピールした理由が理解できたように感じている。今すぐにではなく、これからの10年、これまでとは異なる分野でパソコンのパワーを活用するため、共に努力をしていこうというメッセージだったのだろう。10年もすれば、既存のパソコンと手書き技術が見事に融合し、それが当たり前の世界になっているかもしれない。

 10数年前、GUIが現在ほど洗練され便利なものになるとは想像できなかったように、今からTablet PCの未来像を描くのは難しい。また10年後、手書き技術が洗練された頃にも、MicrosoftがPCソフトウェアの技術基盤を支配しているかどうかもわからない(えてして、新しい潮流を作った企業は目的を達成することなく、他企業に主役の座を奪われているものだ)。ただ今は、手書きというアプローチに対する偏見を捨て去って、その可能性のみを評価したいものだ。

 Microsoft関係者によると、あと少しで日本語版のTablet PCも評価準備が整うという。そのときにはまた、この連載で取り上げてみたい。


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【6月26日】【TECHXNY】Tablet PCの発売日は11月7日に決定
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2002/0626/tech05.htm

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(2002年7月3日)

[Text by 本田雅一]


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