●あいまい音をノンネイティブスピーカーが聞き書きか?
コードネームはスペルや発音が最初に伝わる時に間違っている場合が結構ある。先週は、Intelの2003年の次世代モバイルチップセットのコードネームが、後藤弘茂の書いていたOdumではなく、Odemだと判明した。後藤弘茂が「IntelのモバイルCPU「Banias」用チップセット「Odem」はなぜ「Odum」にばけたのか」( http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2002/0304/kaigai01.htm )で、コードネームの間違いが起こる背景を説明している。ここでは、英語的な面から、どうしてそうなるのかを分析しよう。
OdemとOdum。
これは正解がOdemで、間違えた綴りがOdumだったということだが、違ってしまった理由はおそらく、Odemの最初のオウに強いストレス(強勢)があるからだ。字面どおり読むとOdemは「オウデム」であって、Odumの「オウダム」とは区別がつきそうに見えるが、最初の音節が強調されるため、後ろの音節のeはストレスが来るときのeの音よりあいまいになりやすい。そのため、耳で聞いた音を書き取ると、eともuとも綴れてしまうわけだ。ポピュラーな単語ならこんなことは起きないのだが、Odemはそうではないので、聞いた人は耳で聞いた音を何とか書き表すしかない。それで違う綴りがまかり通ってしまうのだろう。
次はIntelの2003年のモバイル用チップセットのコードネームMontaraとMonteraとMonterra。これも、モンタラともモンテラとも聞こえる音を、聞いた人が自分流に書き表したための混乱だと思う。
まずMonteraがMonterraになるのは至極わかりやすい。terra(大地)、terracotta(テラコッタ)などの単語があるから、それに引きずられたのだ。
それからMontaraかMonteraかだが、これはひょっとして口頭で伝えていった間に英語ネイティブでない人が入っていたのではないかと思う。というのもこの単語の場合、モンタナ州のMontanaと同様、おそらくストレスは後ろの音節にあって、aならappleのaのような音、eならendのeのような音とけっこう違いが出るのではないかという気がするからだ。しかし、もし話す人が唾を飛ばすほど強く後ろの音節を発音せず、聞く人も英語ネイティブ耳のできていない人だったら、a、eどちらとも綴られてしまうだろう。
さらにIntel 830MチップセットのコードネームAlmador。これにAmador、Almado、Armadoのミススペルがあったというのも上と同様の理由だろう。
このコードネームの発音はおそらく初めのAにストレスを置いて「アーマドー(ァ)」という感じ。つまり、Alma-のlは、アーモンド(almond)のlと同様、普通は無音で、ただし人によってlを発音するのではないかと思う。そのため、「アーマ…」というl音無しの発音だけ聞いた人がlを落として綴ってしまってAmadorが誕生。またArmadorは、英語ネイティブでない人がl音入りの「アルマ…」またはl音無しの「アーマ…」という音を聞いて、「arma-」というr入りの音ととらえ、聞こえたとおりに綴ってしまった、というところではないか。
また後ろの-dorにdor、doの2種類の綴りができたのも、「or」の綴りの発音は普通、rはごく弱いし、人によってはrを発音しない。だからrの音を聞き取れなかった人がr無しのスペルをしたと考えられる。
まあ、私は英語発音の専門家ではないし、実際にこれらのコードネームの発音を聞いたこともないからあくまで想像だが……。
●国際語の英語だから起こる混乱
それにしても、コードネームみたいに重要なものの発音やスペルが、何だっていくつも、場合によっては同時に並列して、存在するのだろうか。これは、(1)英語のせいなのか、(2)米国のせいなのか、(3)IT産業のせいなのか。 答えはその全部だと思う。
1. HOWSEと書けてしまう英語のスペル
英語の発音と綴りの関係は、もともとネイティブにとっても難しい。
『くまのプーさん』の絵では、ウサギの家の表札にRABBIT'S HOWSEと書いてある。ネイティブの子供が「ハウス」という音を素直に聞いたとおりに書くと、たぶんhowとかowlの連想からだろう、houseではなくこう書いてしまうのだ。
英語はアルファベットという文字数は少ないが、音となると日本語より種類が多く、それを少ないアルファベットで表すので、同じ「a」でもcatのとcakeのでは発音が違ってくる。
もちろんそこには法則性があるし、英語圏の子供はフォニックスという、この綴りと発音間の法則性を学ぶ。だが、そのフォニックスでも実際の綴りと音の関係の75%しかカバーできないといわれている。
このように複雑なのは、たぶん古くから英語がゲルマンとかラテンとかいろいろなルーツの言葉を吸収しながら育ってきたからだと思う。英語は今のように国際語になる以前から外来語や新語に寛容だったのだ。
2. 言葉のルツボ米国でさらに複雑に
しかもこれが米国に渡って、さらに様々なルーツの人々に話されながら広い大陸を西進していったのだから、もー大変。米国は人種のルツボという言葉があるが、アメリカンイングリッシュもほんとルツボ状態だ。
そこでアメリカンイングリッシュにはある傾向が生まれた。ひとつは、耳で聞いた音優先というか、“あるべき”綴りより音を字に反映させようとする傾向。例えば英国ではprogramme(プログラム)、colour(カラー)と書くが米国ではprogram、colorと書く。もうひとつは、個人的感想だが、あるひとつの発音や綴りだけが正しいと思う気持ちが日本人ほど強くない(ストレートに言ってしまえばいい加減な、とも言えるが……)傾向があるようだ。
たとえばジャガイモ(potato)がいい例だ。
かつてブッシュ父政権のクエール副大統領が小学校を訪問して、このスペルを正しく書いた子供に「eが抜けてるよ、potatoeだろう」と自信たっぷりに言ったという話はあまりに有名だ。さすがにこれは米国でもトークショウに数カ月は笑えるネタを提供したらしいが、副大統領でさえも綴りがいい加減というか、こんな綴りもできない人間が副大統領になれるくらいというか、とにかく米国人にとってスペルとはその程度のものなのだという感じがする。
まあクエール氏の名誉のために言うと、間違うのもわかる。potatoのtoは「ト」でなく「トウ」と発音するからtoe(つま先)などの例から考えればeが付くのは自然だし、複数形ではpotatoesになるからだ。howseと書く子供やprogramと書くようになった米国人の気持ちに沿って考えれば、potatoeはもっともなスペルなのだ。
Odem/Odumなどが出てくる理由もこれと同じだろう。文字は音を表せばいいと考えて書くから複数のスペルのコードネームが平気で存在するのだと思う。
しかしじゃあ音のほうは絶対かというと、これも人や地域によって違うことがある。
potatoの発音も、米国東部では「ポタートウ」、西部では「ポテイトウ」と2つあって、歌になっているくらい(映画『恋人たちの予感』で使われている)。このように、生まれながらの米国人であっても、同じ文字の単語を見て違うように発音する場合がある。まして移民が話す英語や移民ルーツの単語だったらもっと話は混乱するのは当然だろう。(ちなみに南米原産のpotatoも、もとはといえば外来語だ)
つまり、米国から伝わってくるコードネームが音も綴りも混乱する理由は、英語、特にアメリカンイングリッシュのもともとの性質から来る部分が大きいというわけだ。
3. 混乱を増幅させるIT産業のネーミング
だが、普通の単語でさえもそうなのに、IT産業が悪いのはコードネームによく地名や人名(神様なども含めて)を使ったりすることだ。外国の地名や人名を字で見た場合、英語風に読む人と現地語風に読む人が出てくるのは当然だが、もっとまずいことには米国の場合、国内の地名でさえ、ネイティブアメリカンや、スペイン人、フランス人などによって付けられたものが多いため、現地では米国人も原語に比較的忠実に呼んでいる場合がある。だが知らない人は英語風に読む。こうなってくると混乱しないほうが不思議というものだ。
例えばシリコンバレーの中心地San Jose。サンノゼと読む人が多いと思うが、現地では「サンホゼ」(サンホゼィという感じでゼが強い)という発音をよく聞く。もともと「聖ホセ」というスペイン人名から付けた地名を、米国人もスペイン語風に言い習わしているのだ。だが、もしこれがもっと知名度の低い地名だったら、字面で自分流に解釈して、サンジョゼとかサンジョウズなどという米国人だっているかもしれない。
後藤弘茂のコラムで、本当は「タラク」のTullochが「トゥルッシュ」と発音されていたというのも、同様の例だろう。(カタカナで書く場合さらに難しい。実際に聞いたことがないのでわからないが、「タロック」と書いてもいいような音なのではないかと想像する)
これと同様の例はほかにもある。後藤弘茂によればVIA Technologiesの次のCPUのコードネームNehemiahは米国ではおもに「ニアマイア」と発音されている。ところが、これはもともとヘブライ語で、現地語発音では「ネヘミア」。だから、ネヘミアと発音する人もいるという。
コードネームを混乱させたくなかったら、もっと普通の単語にすればいいのに!
●混乱の決定打はIT産業の移民の多さ?
そしてこれに追い打ちをかけるのが、PC/半導体産業にはインド系や中国系など外国生まれの人が多いという事情。Odem、Montara/Montera、Almadorで解明を試みたように、スペルのバージョン違いが次々と生まれるのにノンネイティブのエンジニアが関係している確率はかなり高いと思う。
でも、それでいいのだという気もする。
後藤弘茂のインタビュー録音を起こすことがよくある。大半は台湾人とか、米国人でも外国からの一世が多い。そうすると、発音にはほぼ必ずクセがあるし(例えばインド系米国人だとrが強く響く)、人によっては文法もけっこうメチャクチャだ。
例えば台湾人の英語を聞いていると、過去形とかなしで、みんな現在形で話していく人がいる。「Intelは昨年XXXを出す、そのあと今年XXXを出す、来年にはXXXを出す」みたいな。中国語では過去形などの時制で動詞が変化しないと聞いたことがある。それがそのまま英語になっている感じだ。
でも、「昨年XXXを出す」で誤解が生じたりはしない。「昨年」でまずはわかるし、特にインタビューするほうもされるほうも大体の内容を理解し合っている同士だから、前後関係から通じてしまう。たぶんあの台湾人はシリコンバレーの米国人と話すときもああなのだろう。インターネットタイムじゃないが、文法の正確さよりスピードによる話の濃さで勝負というわけだ。
日本人は、正確に話そうとするからゆっくりになる。スペルにもこだわる。台湾人や移民一世の米国人は、すごい発音で唾を飛ばしながらどんどん話すし、自分が聞いたと思うスペルをぐいぐい書く。きっと、このバイタリティが米国のPC/半導体産業に食い込んだりするカギなんだろう。
(2002年3月4日)
[Text by 後藤貴子]