●リビングを制するテクノロジーの予想が崩れた
「アップグレードを終わったプラントを早く利用するために、ビッグボックスを待つよりシンボックスを今欲しい」
こういった内容のことを言ったのは米国CATVの大手Comcastのスティーブ・バーク社長。ビッグボックス、つまり先端的機能満載のアドバンスドSTBより、機能限定だが価格の安いシンクライアントSTBが欲しいと言っている。じつはこれ、2001年6月の発言だ(「Cable operators wary of advanced set-tops」 Electronic Engineering Times, 2001/6/11)。
ということは、ケーブル業者自身、オールインワンサービスのデジタルCATVで米国のリビングルームを制するという筋書き(前回参照)がなくなる、または大幅に遅れるのを認めているといえるかもしれない。
リビングを制する……。もう少し正確に言うと、それは、ユーザインターフェイスであるTVの裏側に来るデバイスと通信インフラとサービスのスタンダードは何になるのかということだ。
かつて、地上波TV放送が独占していた米国のTVの多くに、アナログCATV(とビデオ)が接続されたとき、消費者の娯楽の形と娯楽費の流れはガラリと変わった。別のデバイスと通信インフラとサービスがTVにつながれば、同様の、というよりもっと大きなチェンジが来る。それは誰の目にも明らかだ。
にもかかわらず、いつどんなチェンジが起きるのかが未だに混沌としている。4~5年前まではデジタルCATV、つまりデジタルケーブルSTBをデバイスに、デジタル双方向ケーブルを通信インフラにして、VOD(ビデオオンデマンド)やtコマース(TVでのeコマース)、インターネット接続、電話などを統合した、インタラクティブなサービスが本命と思われていた。だが、以前は2002年の今頃には実現していると予想されていたデジタルCATVのフルサービスは、まだ小規模な実験でさえ遅延している有様だ。
デジタルCATVの計画はなぜ遅れたのか、本命はやはり変わるのか、変わるとすれば何が来るのだろうか。
●バブル崩壊で狂った、デジタルCATVのコスト調達計画
デジタルCATV構想失速の理由は、大雑把に言うと、(1)バブル崩壊で、インフラのアップグレードや、デバイスとサービスの研究開発などにかけるコストの調達見通しが狂ったこと、(2)その間にデバイス、インフラともにライバルが現れたこと、に集約されると思う。
まず、コストの調達計画が狂ったとはどういうことか。
もともとデジタルCATVに膨大なコストがかかることは、誰もが知っていた。アナログ放送を流すことしかできない古いシステムを全部アップグレードし、新しいSTBを配る必要がある上に、そのアドバンスドデジタルSTBとサービスの研究開発もしなければならないからだ。
特にtコマースなどはまだビジネスモデルができておらず、それには放送畑のケーブル業者だけでなく、アプリを開発するIT企業やコンテンツプロバイダなど他の産業の協力が不可欠だ。ケーブル業者は、このサービスでイニシアチブをとりたいなら、小さな独立IT企業を資金援助したり、または自社にIT系の才能を取り込むなどして、技術やサービスの研究開発をする必要があった。
だが、デジタルCATVの話が盛り上がっていたときには、じつはそれは比較的簡単にできそうに見えていた。熱意もお金も才能も、自分のほうからケーブル業界に流れ込んできたからだ。
ケーブル業界に寄ってきたAT&T、ポール・アレン、AOL、MicrosoftなどIT産業の超大物の企業・投資家は、コンピュータとTVをコンバージェンスする技術力も、コンテンツを含めたサービスの開発力も、十分に備えていた。
しかも資金に関しては、もともと豊富な上に、デジタルCATVに取り組むこと自体が彼らにとっても好材料となった。アナログ世界の大物であるTVをIT化させる計画は、デジタルの世界を広げることなら何にでもゴーサインを出していたインターネットバブルのムードにマッチしていたからだ。リビングルームを制するという大きな計画を示せば、株式市場から必要なお金を引き出し続けられ(るように見え)た。というより逆に、バブル時は、こっちの方向に進む計画を示さなければ、どんな会社でも墜落してしまう状況だったと言ってもいいだろう。
例えば一番積極的だったAT&Tを見ると、どんなに金がかかってもどんどんデジタルCATVの準備を進めたのは無謀だったようにも見える。しかしAT&Tにはその必要があったし、実際、バブル中は参入は成功だったのだ。
●うまく回っていたAT&Tの積極路線
前回書いたように、AT&Tは'98年に買ったTCIに480億ドル、'99年に買ったMedia Oneに580億ドルかけている。そのほかにもTime Warnerや@Homeなど多くの企業に投資をしたが、当時、多くのアナリストや投資家は、それを正しいと判断した。
なぜなら、AT&Tの本業である長距離電話サービスは、ドル箱ではあったものの、規制緩和による競争激化で赤字に転落するのは時間の問題と見られていた。そのため、株価が落ち、ほかの企業に買収をしかけられるなど、さらに悪い悪循環に落ちていく可能性があった。AT&Tはいわば追い込まれていた。そのステータスを逆転させ、先行きのない企業から将来性一番の企業に変身させたのが、ケーブルへの進出だ。
'98年6月、AT&Tのアームストロング会長兼CEOは、当時米国第2位のケーブル業者だったTCIの買収合併を発表。「我々がTCIと合併するのは今ある姿のためだけではない。一緒になることで実現できる姿のためだ。……米国家庭に、通信、Eコマース、ビデオエンターテイメントサービスの完全統合パッケージを初めてもたらすことになる」と大風呂敷を広げた。
するとAT&Tの株価はぐんぐん上がった。それにより、AT&Tは株式市場などから有利にお金を引き出すことができるようになった。
それだけではない。'99年春には、すでにTCIとSTBソフトウェア供給合意を結んでいたMicrosoftとSTB契約を結び直し、50億ドルもの出資を引き出した。言ってみればAT&Tは、まだ実際の配布のめどもたたないSTBの口約束だけで、これだけの金額を手に入れたのだ。
この50億ドルがどれだけ大きいかというと、前回書いたようにケーブルアップグレードの費用が顧客1口当たり1,000ドルと仮定すると、500万世帯をアップグレードできる金額だ。AT&TのCATVユーザ総数が1,400万世帯だから、その30%以上をMicrosoftからの金でデジタルCATV化できる計算になる。
もともとのAT&Tの資金力に株価上昇のテコ、それにこうした他の企業からの資金援助を加えれば、デジタルCATV実現のコストの問題は、比較的簡単にクリアできる可能性があったわけだ。
デジタルCATVに投資する必要があり、投資しやすい状況にあったのは、他のIT企業も同じだ。AOLは高速インターネット接続サービスのためにも、ノンPCユーザを獲得して規模を拡大するためにも、ケーブルが欲しかったと言われる。そして、インターネットバブルで高くなった株価を利用して、2000年1月、音楽・映画などの豊富なコンテンツと当時米国最大のケーブル網を持っていたTime Warnerの買収を発表した。
むろん、野心的なケーブル業者もIT企業のニーズと市場のフィーバーを歓迎した。例えばTCIのマローン会長兼CEOはAT&Tとの合併に際し、「TCIのブロードバンドケーブルの敷設・運営にとって、AT&Tの並はずれたブランド力とリソースは、理想的な補完だ」と述べた。つまり、ウチにはブランド力もカネや人材もないが、IT企業と結婚すれば大船に乗ったようなものだと言っているわけだ。
●バブル後は一転、消極的に
このように、バブルが続いていれば、ケーブル業界はデジタルCATVサービス開始のコストを調達できたかもしれない。だがそうはいかなかった。ケーブルを含めてIT各社の株価が下がり、資金流入がぐっと絞られると状況は一変した。
端的なのが性急路線が破綻したAT&Tだ。2000年に入り、ケーブル投資の借金に長距離電話の収益悪化が重なって、同社が予想を下回る業績を発表するようになると、バブルの間はケーブルの将来性を買っていた市場が、急に離れ始めたのだ。2000年5、6月からAT&Tの株価は急落。こうなると、投資の回収が何年もあとになるデジタルCATV計画では、気が短い米国の投資家は我慢できない。
そこでAT&Tはまず計画を方向修正して、限定的でも早くデジタルサービスを始めるとアピールし始めた。2000年9月には、配布まで時間がかかるMicrosoftのアドバンスドSTBではなく、機能限定だがもっと早くできそうなLiberateの製品を使い、デジタルCATVのテストを同年中に始めると発表した。
だが効果はなく、2000年10月には重役会が、AT&T本体からブロードバンド部門を分離する計画、つまり、180度の方向転換を発表するに至った。そして2001年にはずっと、別会社化か売却か、売るならどこへかの議論が続き、ついに年末、おもな買収だけで1,000億ドル以上かけて作り上げたケーブル部門の主導権を、720億ドルでComcastに手放すはめになったのだ(新会社の社名はAT&T Comcastとなり、AT&T株主らが新会社の議決権の3分の2を持つ予定だが、Comcastの実質的オーナーであるロバーツ氏の一族が残りの議決権をまとめて握り、CEOにもロバーツ氏が就任の予定と、主導権は移る)。
ざっと300億ドルと4年近い歳月を捨ててもデジタルCATVから離脱したAT&T。逆に言えば、デジタルCATV計画はそこまで人気が落ちたと言えるかもしれない。例えば発表当日、AT&T株の終値は約6%上がったのに対し、Comcastは6%下げた。市場はComcastの買い物を評価しなかった。AT&TがTCIを買った頃とは正反対なわけだ。
●ライバル登場で資金や才能集めがさらに難しく
こんな状況の中では、デジタルCATVのオールインワンサービスの夢実現のための資金や才能を集めるのは難しく、ケーブル業者自身が現実的になってしまうのは無理もないかもしれない。
例えば2,200万加入者を抱えることになるAT&T Comcastも、冒頭に引用したトップの考えが変わっていなければ、アドバンスドSTBの配布を急ぐことはなさそうだ。Comcastだけでなく産業全体が同様の考えのようで、同じ報道は、MotorolaのデジタルSTBのうち2000~2001年に北米で売れたのは、よりアドバンスドな「DCT5000モデル」でなく、パワーでも機能でも劣る「DCT2000」だったと伝えている。DCT2000でもVODはできるが、5000のようにモデムは内蔵せず、テレフォニやEコマースにも対応していない。
それでも、ライバルが出てこなければ、Microsoftのような“ビッグボックス”志向のIT企業がもっと強力にケーブル業者をプッシュしたかもしれない。だが、インフラとしてはDSLや衛星、デバイスとしてはゲーム機など、ライバルが登場してきている。そのため、デジタルCATV構想にはますます逆風が強まっている。このままいくと、リビングルームの将来は、デジタルCATVで描かれたものとはだいぶ変わるかもしれない。
(2002年3月4日)
[Text by 後藤貴子]