インターネット映像中継を実現したストリーミング放送用特殊SIMカード



 すでにカレンダーは9月になってしまったが、今回は8月13日に富士スピードウェイで行なわれたエコランイベント「K4-GP FUJI 1000km」に関するレポートを書きたい。実はこのイベントは、個人的な趣味で出場しているものなので、本来ならばPCともモバイルコンピューティングとも、ワイヤレス通信とも関係がなく、連載で取り上げる理由はまったくない。

 しかし毎回、イベントに参加する度にさまざまな形で挑戦していた“テクノロジを使った遊び”が、今回は特に面白い成果を挙げた。

 撮影機材の不調で中断するまで、7時間もの間、平均時速100km以上でサーキットを走る車の車載映像を3Gネットワークを通じ、USTREAMで切れ目無く配信できたのだ。非常に多くの人が集まるイベントでは、携帯電話のネットワークは不安定になりやすいものだが、実際に放送を見ていた人たちはもちろん、放送をやっている我々も、ここまでの成果は期待していなかった。

 これは通信サービスを提供している側も同じだったようで、この実験的な取り組みについて、実際にどのような状況になるのかをリアルタイムにモニタしていたという。通信事業者とは、前回のコラムの主人公でもあった日本通信だ。さらに言及すると、富士スピードウェイでの実験結果を踏まえて、iPhone向けのプラチナサービスに対する自信を深めたのだという(筆者自身は、そのような調査をしているとは知らなかった)。

●K4-GPと各種面白実験

 前述したようにK4-GPというのは、友人から誘われたのをきっかけに、全くの趣味で参加し始めたイベントである。ルールは簡単で、軽自動車(あるいはサニー1000用エンジンなどの古い小排気量エンジン)用エンジンをチューニングし、決められた燃料で、決められた時間内に、決められた距離以上を走破する事を目指すエコランイベントだ。

 エンジンの種類や燃料量は制限されているが、車体設計にはほとんど制限がないので、ほぼ軽自動車そのままの車から、コンパクトな軽量レーシングカーのシャシーを流用したものまで、ありとあらゆるタイプの車が混走している。今年からはハイブリッド車も混走することが可能になった。

 筆者が参加するチームはネットワーク・情報処理系の大学研究室やIT系、ネットワーク系エンジニアが多く、毎回、さまざまな実験を取り入れている。例えば2009年2月にマレーシア・セパンサーキットで行なわれた「セパン24時間耐久」では、ピット側のスタッフとドライバーの間のコミュニケーションをサポートするため、パナソニックのタフブックを車載し、ピットレーン前で無線LANをP2P接続。メッセージ交換や車の方法をピットに向けてプッシュするという実験をしてみた。その時の様子が下の動画だ。

 ピットサインと無線があれば用は足りるのだが、真冬とは言え赤道近いマレーシアのサーキットで、日中、サインボードでやり取りするのは辛い(それにアマチュアなので、そんなにスタッフは充実していない)。また無線の場合は免許の問題もある。

 一方、いにしえの富士1,000kmをオマージュした夏の大会では、無線機器を利用できるので、あまり大げさなコミュニケーションのシステムは必要ない。そこで今回は車載カメラからの映像をUSTREAMを使って放送しよう、ということになったのだ。

今回のレース用に製作した車。エンジンはスバルの4気筒DOHCスーパーチャージャー付き660ccエンジンを使用。燃費対策のため各種センサーを追加した上でエンジン制御用コンピュータを変更、調整している

 しかし、我々のチームは、チームオーナーが車を新調し、既製の車を改造して参戦するのではなく、東京R&Dが製作するレーシングカー“Cadwell”に軽四輪のエンジンを載せ、日産R382という古い名レーシングカーに似せたボディを組み合わせたレーシングカーで参戦することになっていたので、供給できる電力は限られてしまう。

 そこでCerevo CAM Liveという、無線LAN接続でUSTREAM放送を行なう機能を持ったカメラを車載し、3G無線LANルーターでインターネットへと流す事にしたのだが、事前の実験ではスムーズな映像にはならなかった。イー・モバイルのネットワークでは、人がほとんどいない平日の練習日でも、コマ落ちや映像の途切れといった問題が起きた。

 そんなわけで、決勝日はドコモのSIMカードをSIMフリーの3G無線LANルーターに入れて使おうと言っていたのだが、ちょっとしたきっかけで特殊なSIMカードを使った実験をやろうという話になったのである。

●アップストリームの帯域を優先制御する特殊SIMカード

 3Gネットワークが強化されて3.5Gに……といっても、ほとんどのエリアはHSDPA対応であり、HSUPAには対応していない。すなわちダウンロード速度が高速化されたエリアは広いが、アップロード速度は駅周辺や大規模な競技場の近くに限られている。データトラフィックのほとんどはダウンロードなので、それでもまず問題になることはない。

 HSUPA非対応エリアの場合、W-CDMAはアップストリームの速度は上限で384kbps。混雑していなければUSTREAMもできるかもしれないが、多数の人が携帯電話を持って集まるイベント当日には、どんなにFOMAネットワークが優れていても難しいだろう。

 K4-GP Fuji 1000kmの場合、リッター10kmの燃費を出しながら、平均時速100km以上で走らなければならない。ストレートエンドの速度は速い車は時速190kmぐらいは出る。我々の車はギア比がまだ合っていなかったため遅かったのだが、それでも時速160kmちょっとの速度には達する。4コーナー目の通称コカコーラ・コーナーは時速100kmを越える速度で抜け、ヘアピンまでアクセルはベタ踏みになる。

 軽自動車のエンジンと言ってもそれなりに速く、我々チームのベストラップは140台以上が参加した超混雑したサーキットで(シケインをショートカットするコース)2分12秒台だった。要はストレートは遅いがコーナーリング速度は速い(コーナーの進入はサーキット仕様のS2000より時速19~15km以上、他の軽自動車ベースのK4-GPマシンに比べると時速20~40kmぐらい速い)。

Cerevo CAM Liveはこの位置に取り付け。外部USB電源を付けて長時間駆動させた。なおアンテナは3G用ではなくピットとの無線通信用。3Gでの通信はコックピット内に貼り付けた3Gルーターを経由し、無線LANでCerevo CAM Liveとつながる

 前述したように、3Gでの実験は上手く行かなかったこともあり、多少、品質が低くともやってみることに意義があるか……と半分諦めていた。しかし、ここでふと頭に思い浮かぶ事があった。日本通信の代表取締役・専務COOの福田尚久氏に取材していた時に「ウチのシステムだと極端にアップロード速度に振ったサービスもメニューとして簡単に提供できる。例えば放送用カメラで使うために、数Mbpsのアップストリーム速度をFOMAネットワークを通じて提供する特殊SIMも業務用に提供しています」と言っていたのを思い出したのだ。

 富士スピードウェイはHSUPA非対応のエリアの可能性が高かったが、それでも優先制御がうまく働けば安定して放送を行なえるかもしれない。そんなわけで福田氏に相談してみたところ、高速で走る移動体から、どこまで安定した放送が行なえるのか。日本通信側としても興味深いので実験に参加させてもらいたい、との返答をもらったのだ。

 実際に受け取ったSIMカードは、HSUPA対応エリアであれば最大2Mbpsが出るように設定されたものだった。その代わりダウンストリームは遅く、100kbpsぐらいしか保証されない(実際には200kbpsを越える事もあったが)。業務用途での実績もある。しかし、384kbpsのHSUPA非対応エリアではどうなるだろうか?

 事前にPCからアクセスし、アップストリーム速度を計測してみたのだが、なんと100kbpsぐらいしか出なかった。不安になって日本通信の広報にも連絡してみると「アプリケーションごとにチューンしているので、ベンチマークは遅くなる」のだという。この時は、このサービスの詳細なメカニズムを聞かされていなかったので、やや心配しながら本番を迎えることになった。

●340kbpsのストリームでほぼ欠落なし

スタートの模様

 残念ながら事前にテストを行なう時間はなく、前日の練習日には肝心のSIMカードを自宅に忘れてくるというミスを犯してしまい、結局、何の試験を行なうこともなく本番を迎えた。朝6時半にはCerevo CAM Liveをアクティブにしてグリッドに並び、8時からのスタートを待つ。

 カメラの設定はビデオストリームを300kbps、オーディオストリームを40kbpsとしたので合計340kbpsである(ただしビデオストリームは可変ビットレートのようで、ほぼ静止した状態では200kbpsぐらいになる場合もあった)。

 上り帯域は最大で384kbpsなので、まさにギリギリである。Cerevo CAM LiveはWebページから設定をリモートで変更する機能があるため、ダメなら画質を下げれば良かろう、ぐらいの気持ちでスタートさせた。

ピット内にプロジェクタとスクリーンを持ち込んで、車載カメラをピットで見ることができるようにした

 スタート後の混乱から落ち着いて、ピット内に仮設したプロジェクタスクリーンのUSTREAM映像を見ると、なかなか放送の具合が良さそうな事に気付いた。実のところ、サーキット内での混雑の影響で、自分たちの放送がどの程度の品質なのかが、まったく分からなかったのだ。

 しかし、事前宣伝はあまりしていなかったのに徐々に視聴者が増え(最終的には同時150人以上、のべ約950人が訪問したそうだ)、ソーシャルストリームに呟かれるコメントが増えてきたことで、放送の質が相当高いことがやっと現場の我々にも分かってきた。

 朝から昼過ぎまで、ずっと視聴してくれていた方によると、たまにコマ落ちもあるものの、著しい不具合はなく、コンスタントに映像が流れていたそうだ。後になってストリームデータをダウンロードしたのが、下の映像である。

 遅い車と我々の車の間には、ラップタイムで20秒以上、コーナリング速度で時速20~40kmぐらいの差があるため、まるでレースゲームのように多数の車を追い抜いていく様子が面白かったようだが(走っている本人は安全に抜くために気が抜けず、実はそれどころではないのだけど)、何より評判だったのは放送の安定性だ。

 残念ながら午後2時半ぐらいから降り始めた雨の影響か、放送が途中から継続できない状態になったが、それまでの7時間以上の間、一度も放送が途切れたり、著しい問題は起きなかったという。

 後から聞いたのだが、日本通信側ではこの様子をリモートでモニタしていたそうだ。安定して300kbpsを越える帯域が確保され、放送に問題が無いことを確認すると、徐々に通信速度を絞って200kbps程度まで落としてみた時もあったようだ。しかし、コマ落ちを確認してからすぐに300kbpsに戻すと、何事もなかったように立ち直ったそうだ。

 この話が、前回のコラムで扱った日本通信のプラチナサービスのメカニズムに近いと気付いた人もいるはずだ。まったくその通りで、こうしたストリーム放送用特殊アプリケーションのメカニズムを知っていた上で、プラチナサービスがアナウンスされたため、あの特徴的なサービスモデルに気付くことができた。

 福田氏によると、この時点では未発表だったプラチナサービスの実証試験という意味で、とても重要だったと振り返っていた。どのようなプロトコルで通信しているのか、アプリケーションを認識した上で優先制御と帯域制限を行なう技術が、厳しい条件下で安定して動作し、非HSDPAエリアでもストリーミングメディアにも対応できることが確認できたからだ。

 もっとも、我々のチーム側は、そのような思惑があるなどとは知る由もなく、優先処理のパラメータがリアルタイムに上下されていることなど想像もしていなかった。ただただ、ひたすら安定して放送できていることに驚いていた。

●来年こそは“PC”を活用したい

 今回、我々が使ったサービスは、業務用に提供しているサービスの1メニューで、価格も個人向けに設計されたものではない。とはいえ、ストリーミング放送用プランの金額は50時間で8万円、1時間あたりに直すと1,600円。遊びで使うには高価だが、3G以外では映像ストリームを流せない環境を考えれば、特殊な用途においてなかなか魅力的な設定ではある。

 一般向けのデータ通信サービスでは、長時間の放送は望めないからだ。たとえばNTTドコモの場合、3日間の通信量が300万パケットを越えると帯域制限が発生する。およそ370MBに相当するパケット量だ。

 下り方向のパケットを無視して計算したとしても、1Mbpsの放送では約50分、今回の事例のように340kbpsで放送したとしても147分で帯域制限へと入る。いったん帯域制限に入ってしまえば、それ以降はまともな動画配信は行なえない。対して上りのみ限定とは言うものの、最大2Mbpsの放送を何時間でも続けられるのだから、1時間1,600円はやはり安いと言える。

 日本通信の福田氏は、Cerevo CAM Liveとアップストリームの優先制御を施したSIMカードを組み合わせるための、個人向けUSTREAM配信用SIMカードの検討し始めたと聞いている。最大512Kbps程度(あるいは非HSDPAエリアに合わせて384kbpsでもいい)のアップストリーム速度で、しかし送信量による帯域制限をなくした契約が時間あたり500円以下で行なえれば、かなり話題になるのでは。

 USTREAMでの放送に限らず、プロトコルを限定た用途限定のサービスは、さまざまなタイプのものが考えられそうだ。

 さて、ともかくCerevo CAM Liveを使っただけで、ここまでまともな放送ができたのだから、我々のチームは来年はさらに前へと進みたい、と話し合っている。何しろ来年の事なので、共通の目標を完全に目標を見出しているわけではないが、電源の問題を解決してノートPCを活用することで、専用機では実現できない画質や機能を実現できれば面白いだろう。Cerevo CAM Liveはお手軽だが、他のビデオ映像をオーバーレイできず、画質の面でも今回の放送がギリギリだ。

 たとえばこの映像は、今年、全く同じ車に搭載したデータロガー(走行データを記録する装置)が出力するテレメトリデータと、車載カメラ(後部向きのサブカメラもオーバーレイしてある)の映像を重ね合わせたビデオだ。

 あいにく、どこかの接続コネクタの接触が悪かったようで、映像が乱れたりテレメトリデータが不安定に表示されたりしているが、この映像をPCにキャプチャし、さらに別の高画質にエンコードしながら放送し、さらにTwitterなどのソーシャルストリームをコックピットに表示すれば、見ている側もかなり楽しめるようになるだろう。

 ピットからの指示や方法伝達などもTwitterを通じてドライバーの端末に伝え、ドライバー側は並べられたボタンを押すと、対応するメッセージがTwitter経由で返信される、なんて遊びを取り入れるのもいいか? と、個人的には考えている。走っているドライバー以外の様子を含め、さまざまな動きをネット上で可視化すれば、単なる垂れ流し放送よりはマシになるかもしれない。

 おそらく来年までには、もっと面白いアイディアが出てくるかもしれない。問題は激しい振動と高温に長時間晒されながら、USTREAMエンコードの高負荷状態で長時間持ちこたえられるPCがあるかどうか、ぐらいだろうか。

 また、モバイルWiMAXがサーキット内で使えるようになれば、やれることの幅は大きく拡がるだろう。果たして来年、富士スピードウェイにモバイルWiMAXは来ているだろうか。

 ワイヤレスネットワークの帯域が拡がり、コンピューティングパワーが増えれば、それだけでできることも増え、アイディアを実現しやすくなるのは、どんな場面でも同じなのだと改めて実感している。

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(2010年 9月 9日)

[Text by本田 雅一]