■山田祥平のRe:config.sys■
先日のCEATECでは、各社からスマートフォンやタブレットなどのスマートデバイスがたくさん発表された。こうしたデバイスを見るたびにいつも思うのは、どうして既存デバイスとの競合ばかりが取り上げられ、協調が軽んじられるのだろうということだ。これらのデバイスは、複数のものを適材適所で併用してこそ、その力を存分に発揮するはずだ。そこに今のPCの弱さが見え隠れしているように思えてならない。
●クラウドさえもPCでは不便このところ、Catchというクラウドサービスを気に入って使っている。このあいだまで、Snapticと称していたサービスだが、サービス名の変更とともにドメイン名も変更された。
このサービスでできることは実にシンプルで、テキストメモをクラウドで預かってくれるというだけだ。でも、そのシンプルさがいい。これだけシンプルならTwitterでもよさそうなもんだが、文字数の制限らしきものがあると困ることもある。
このメモは、Webで更新できるのはもちろん、iPhone、iPad、Androidといった各種のスマートデバイス用に、専用のアプリケーションが提供され、どのデバイスからでも簡単に新規メモの登録や参照ができる。クライアントには数種類かあって、前は3bananaと呼ばれるアプリを使っていたが、今は、純正アプリに統合されたようだ。
当然、クラウドサービスと連携しているので、各デバイスでデータを同期することができ、すべてのデバイスで、オンラインでもオフラインでも同じ内容を参照できる。だから、電車の中でふと思いついたメモはiPod touchで書き込み、自宅でPCを操作しているときに出先で参照したい情報があれば、その場で書き込んでおく。
サービスのWebページデザインもシンプルで好感が持てる。当然、海外のサービスなので、いわゆるガラケー用のアプリケーションが用意されていないし、iモードなどでの表示も難しいのが実に残念だ。
実は、このサービスを使うのはPCがもっとも不便だ。というのも、PCではオフラインでの使用ができず、参照書き換えには、必ず、インターネットへの接続が必要になる。だが、スマートフォンならオフラインで使うことができる。インターネットに接続しなくても使えるかどうかは、その便利さに大きく影響するのはいうまでもない。
せっかく汎用性を持った便利なデバイスなのに、ソフトウェアが対応していないというだけで、PCがもっとも不便なデバイスになってしまう状況に少なからず出会う。たとえば、普段、便利に使っているGoogle Mapなども、例えPCにGPSを接続したとしても、それを使った現在地の確認ができない。せっかく大きな画面を持ったPCが手元にあるのに、小さなガラケーの画面で地図を見なければならないというのは実にむなしい。
PCは、インターネットにつながっていなければ、ただの箱、そして、ソフトがなければ周辺デバイスさえ有効に生かすことができない。これは深刻な問題だ。
●やりたいことをかなえるソフトが見つかるかどうかPCにしても、各種のスマートデバイスにしても、自分がやりたいことをかなえてくれるソフトウェア探しがポイントとなる。世の中に存在したとしても、それを発見することができなければ、それは、その人にとってないも同然だ。
日々、おもしろそうなソフトはないか、便利そうなサービスはないかと、どん欲に探し続ける努力をするのは、それはそれでたいへんだ。でも、それをやめてしまうと、手元のデバイスは、PCであっても、スマートデバイスであっても、とたんに陳腐な存在になってしまう。けれども、継続的な努力は苦労を伴う。ともすれば、使うことではなく、探すことが目的にすりかわってしまう。
ぼく自身は、使うことも仕事なら、探すことも仕事なので、その努力を惜しむつもりはないが、一般的なユーザー層は、そんな努力をするのは勘弁だと思うにちがいない。かくして、そういうユーザー層は各種のデバイスをデフォルト設定のまま使い、デフォルトでついてきたソフトさえ、すべてを見ようとはせず、まして、毎日、目を皿のようにしてWebを巡って、ソフトを探すようなことは絶対にしない。せめて、ウォッチの各チャンネルの見出しだけでも目を通していれば、そういう層のスマートさはずいぶん変わってくるのにと思う。
今、iPadのTV CMを見ると、あのデバイスが、アプリの追加で機能を拡張するのだということが、とてもわかりやすくアピールされている。そんなことは当たり前のこととして、わかっているはずだし、ゲーム機などでも同様で、ゲームソフトを入手してロードしなければ、ゲームを楽しめないことは頭ではわかっている。でも、それがなかなかできない。ただ、あのCMを見ると、いろんなソフトがあるんだなあということが実感としてわかり、それらのアプリがiPadの機能をどんどん拡張し、買ったままより、ずっと便利なデバイスにしていくのだということを理解させられる。
PCは、いつのまにか、そうして、アプリの追加で機能を拡張できることを、人に対してアピールしなくなってしまっているのではないか。インターネットとメール、そしてオフィスアプリで、ほとんどすべてのことができてしまうと、人々に大きな勘違いをさせてしまっているのではないだろうか。見えているものは、氷山の一角にすぎないのにだ。
●袋小路で立ち止まるPCシーズンが変わるごとに、PCの新製品が発表される。ぼくらは職業柄、新製品の発表会などに出席し、新しい製品が、どれだけ進化したかの説明を受ける。前はできなかったこんなことができるようになった、こんなソフトがプリインストールされることになった……と。以前に対して何が変わったかの説明を受けるので、理解しなければならないことは最小限ですむ。たとえば夏から秋の半年間では、そんなに大きな変化があるわけではないので、理解するのもたやすい。
でも、一般のユーザーが、数年ぶりにPCを買い換えようとしたときは、その数年分の進化を理解しなければならないのでたいへんだ。これからのデバイスは、できることの発見のしやすさを優先的に考えるべきではないだろうか。最近の各種デバイスには、詳細なマニュアルがついてこないから、あれこれさわりながら、その器量を理解していかなければならない。スマートなデバイスなら、それを使う人間に過度のスマートさを求めないようにあるべきだ。
ちなみにWindowsは、1つのことをやるために、実に多くのアプローチの方法が用意されている。例えば、ファイルをコピーするには、フォルダウィンドウからフォルダウィンドウへファイルをドラッグしてもいいし、切り取って貼り付けてもいい。また、右ドラッグでコピーか移動を選択することもできる。また、エクスプローラのナビゲーションウィンドウにフォルダツリーを展開し、そちらにドラッグしてもいい。単にファイルをコピーするだけでも、考えられるであろうさまざまな方法でそれが可能になっている。だから、人は、機能を発見しようと努力しなくても、ちょっと考えれば、どれかの方法にたどりつく。
アプローチの方法をたくさん用意しておくよりも、誰もが想像できる単一の方法を発見しやすい状態でおいておくのが王道であるのはわかっている。でも、そのことでシステムが饒舌になってしまい、かえってわずらわしくなってしまうこともあるだろう。どちらがいいのかは、議論の分かれるところでもあるだろうが、とにかくできることを発見してもらって、さらに、その機能を拡張する気になってもらわなければ、デバイスそのものが進化していかない。進化しなければ、買い換えさえ考えてもらえないだろう。そして、そこで袋小路だ。今のPCが抱えている問題は、実は、そういうところなんじゃないかと思う。