山田祥平のRe:config.sys

虚像と実像が入り交じった今年のCES





 今年のCESは3D-TVと電子ブックなどのデバイスが話題に上がることが多かった。それに対して基調講演はMicrosoft、Ford、Intel、Nokia、Qualcomm……と、その顔ぶれは展示会場の盛り上がりとは傾向が異なっていた。そこで、一見不在に見えるコンテンツベンダーの思惑と、最前線にしゃしゃり出るハードウェアベンダーの思惑。それらが入り交じったムードは、実に混沌とした雰囲気を醸し出している。

●電子ブックは書物の何を変えるか

 今、電子ブックで何が読みたいかと聞かれれば、真っ先にコミックだと答えるだろう。週刊誌などでコミックを読まなくなって久しいが、それはコミックが嫌いになったわけではなく、他のコンテンツを楽しむのに割く時間が長くなったからにすぎない。

 いわゆるマルチメディアは、その時間軸が受け手を束縛する点で、書籍のような旧来のメディアと区別される。送り手が60分の作品として作ったものを鑑賞するには、基本的に60分を要する。TVのような放送メディアは、レコーダーの普及によって時間帯をシフトしたり、CMを飛ばしてトータルの鑑賞時間を短縮するような方法もとれるようになったし、早送り再生などの機能を持つデバイスもあるが、まともに鑑賞しようと思ったら、正味の鑑賞時間が大きく変わるわけではない。

 ところが、書籍のようなメディアは違う。1冊の本を読むのに1時間で済む人もいれば、3時間掛かる人もいる。あるいは、通常なら2時間掛かるところを、飛ばし読みで1時間で済ませる読み方もある。送り手、すなわち、著者はその作品の時間軸を規定することができないのだ。これは、絵画や写真のようなメディアでも同様だ。100ページ近い写真集に数分で目を通して、作品を知ったつもりになる、それどころか、作品の本質を深く理解する人もいれば、1枚の写真に釘付けになり、ページをめくれなくなってしまう人もいるだろう。例え、コンテンツそのものがデジタル化されたとしても、その性質は変わらない。

 デジタル化によって、何が変わるかといえば、それは、コンテンツを受け取る空間の束縛からの解放だ。

 書店に赴けば、読んでみたい本がたくさん並んでいる。出版不況といわれていても、良書はまだまだたくさんあると個人的には思っている。もちろん、話題の小説だって読みたい。

 ところが、書物は重い。これはもうどうしようもない。文庫本になるのを待つという手もある。でも、それでは新刊の旬を逃してしまう。やはり、単行本が出た時点で読みたいし、雑誌のような定期刊行物ならなおさらだ。

 個人的には、電子ブックのコンテンツとしては、やはり、コミックに大きな期待をしている。かつては、週に数冊のコミック誌を購入して目を通していたが、あまり購入しなくなったからといって単行本を揃えるようになったわけではない。というのも、単行本は定期刊行誌に掲載されたときよりも、極端に版面が縮小されているため、読んでいて楽しくないからだ。それに、カラーのものが少ないという点でも、電子ブックに向いているコンテンツだと思う。すでに各ディストリビュータがコミックの電子化に取り組んでいるが、読みたいコンテンツがなかなか見つからないのがつらいところだ。

 電子ブックとしてコミックを読んでも、わくわくしながらページを指でめくる、あのザラザラした感じの体験は得られないかもしれないが、電子ブックリーダーなら、ある程度、大きなサイズでコンテンツを楽しめる。その気になればデスクトップに鎮座する20型の大画面でコミックを読むこともできる。そういう意味ではiPodなどの小さい画面から50~60型クラスの大画面、100型強のプロジェクター投影、そして映画館のスクリーンまで、受け手が好きなサイズを選べる映像コンテンツに並んだともいえる。文字コンテンツなら、AmazonのKindleなどのように、受け手が自分の読みやすい文字サイズにリフォーマットできるようなものもある。

 コミックは、文字コンテンツと映像コンテンツの中間的存在かもしれない。ページという概念がコミックからなくなってしまうと魅力は半減するだろうからだ。もし、コミックが1コマ1コマに分割されて、電子ブックリーダーに表示されるのでは、コミック作家はきっとあまりいい気持ちはしないだろう。やはり、そのコマ割りも、創意工夫の結果だろうからだ。

●環境の退化は回避できるのか

 iPodのようなデバイスによって、映像コンテンツや音楽コンテンツを携帯できるようになった。これらのデバイスは重くても百数十gで、普段の荷物に加えて持っても、それほどの負担にはならない。電子ブックはどうかというと、たとえば、やっぱり大型がいいとKindle DXを選んだとしたら、500gを超えてしまう。

 この重量は、普段の荷物に追加される重量としてはちょっと重過ぎる。たまたま手元にあった「のだめカンタービレ」の第22巻を量ってみたら約150gだったので、その3倍以上の重量だ。

 たぶん、普段からPCを持ち歩かないユーザーであれば、500gちょっとの重量は許せると思う。1つのデバイスには複数のコンテンツを記録できる。だから通勤電車で「のだめ」を1巻から最終巻まで一気読みなんてことも簡単だ。全部単行本で持ち運んだら3kgを超えてしまう。それが500gちょっとなら、重いというより便利という感覚の方が強いだろう。

 でも、普段から、1g単位で荷物を削り1kg弱のモバイルPCを持ち歩いているユーザーにしてみれば、500g強の電子ブックリーダーは重い。できることなら専用デバイスではなくPCで読みたいと思うところだ。

 大事なことは、デバイスを限定せずに、コンテンツを楽しめることだ。コミック本を携帯電話の小さなディスプレイで読むのは無理があるとしても、新書や小説などの文字コンテンツなら、満員電車の中では携帯電話で読み、自宅に戻ったら電子ブックリーダーで続きを読むといったことができそうだ。それこそコミックなら、リビングルームの大画面TVで読み進めたっていい。コミックはパーソナルなコンテンツで10フィート離れての鑑賞には向かないという論調もあるだろうけれど、一人暮らしのワンルームならそういう読み方もありだと思う。こうしたデバイス間連携がシームレスにできるのならおもしろい世界ができあがりそうだ。

 ただ、ここでも、コンテンツベンダーとハードウェアベンダーの思惑の違いが浮き彫りになる。さらにはコンテンツディストリビューターの存在も考えなければならない。利益の分配方法が未完成だからだ。そして、そのことによって、本当なら受け手が得られるはずのさまざまな体験が得られなくなってしまう可能性もある。

 個人的にはTVが地デジになったことによって、普段持ち歩いているPCで録画済み番組を見れなくなってしまったし、愛用していた東芝のGigabeatもホコリをかぶっている。これは個人的な感想としては環境退化以外の何者でもない。アナログの時代には、ジムに出かけて1時間のウォーキングマシンの上で前夜の1時間ドラマを消化できたことを思うと、なんて不便な時代になったのかと思う。

 電子ブックリーダー、そして、TVの3D化など、デバイスの対応は着々と進んではいるが、これからのコンテンツがどうなっていくのか、まだ、先が見えない。この真っ暗闇のトンネルを出たところに光があるのかどうか、日本の地デジ事情を知っている立場としては、そう簡単には明るい未来を信じることはできない。