山田祥平のRe:config.sys

だからいつまでたっても新車を買えない

 「Yahoo!カーナビ」アプリの提供が始まった。国内で無料アプリとしては初めてVICSに対応したもので、その期待も大きい。市場規模1,800万人ともいわれるこのカテゴリにかける同社のチャレンジについて考えてみよう。

今買い替えたら負け

 今、クルマを買い替えたら負けだと言いながら、12年間乗り続けた愛車だが、またこの夏には車検を受けなければならない。今、使っているカーナビは前のクルマに載せていたものを、そのまま持って来たので、世代としては相当古いものになる。

 なぜ、買い替えたら負けなのか。5〜10年は乗るであろうクルマのライフサイクルと、ITや車載用エンタテイメントシステムのライフサイクルが違いすぎているからだ。例え、今、最新のシステムを載せた新車に乗り換えたとしても、きっと3年後には陳腐化しているだろう。

 特に、この10年のITデバイスや、それらを取り巻く環境の変化は著しかった。うちのクルマは連奏式のCDプレーヤーやカセットデッキなどが最初から実装されていたのだが、今や、それらを使うことはありえない。もっとも、カセットタイプのアダプタを装着し、そこにiPodのイヤフォン出力を入力しているので、カセットデッキは付いていてよかったとは思っている。アンプに独立したライン入力が装備されていないので、それ以外の方法で外部からの音声を入力するには、FMトランスミッタを使うしかない。だが、それではあまりにも音が悪く、ちょっと聴いていられない。昔の技術ではあるが、カセット式のアダプタは、それなりにガマンができる。

 でも、考えてみたら、AUXライン入力さえ用意されていないカーステレオシステムって、例え12年前であったとしても、いったい何だったのだろうと今にして思う。

 カーナビはどうかというと、10年以上前の製品とは言え、こちらはTV放送も受信できるし、DVDの鑑賞くらいはできるのだが、TVチューナはアナログのみの対応で今やあっても役に立たないし、DVDとカーナビの切り替えが面倒で、ついぞ使ったことがない。地図は地図でとっくの昔に更新が終了し、近年開通した新しい道路などがあると、畑の真ん中など、道なき道を進む様子に苦笑いするしかない。

 クルマに最初からに搭載された純正カーナビは使いやすいし、見栄えもいい。新しいタクシーや、知人友人のクルマに同乗するたびに思うのだが、また、同じようにテクノロジから取り残されたデバイスを使い続けなければならないかと思うと、これらの状況が一段落するのを待とうという気持ちが強く、ついに、14年目に突入してしまおうとしているわけだ。それでも、今、クルマを買い替えたら負け、と保証してもいい。そのくらい今、車載のシステムは揺れ動いている。

10年超えの専用カーナビとスマートデバイスを併用

 カーナビゲーションについては、古びたナビを動かしつつ、それをタブレットやスマートフォンで補完してごまかしている。併用するのは、交差点名や沿線の店舗など目印となるポイントが分かりにくいからだ。これまで、いろいろとアプリを使ってきたが、現状では、Googleマップに落ち着いている。自宅のPCで大きな画面で地図を見ながら行き先にスターを付けておき、クルマに乗り込んだところで、そのスターを目的地にセットすればいいからだ。過去に行ったことのある多くの場所にはスターが付いたままになっているので、記憶の補完にもなる。

 だが、決して使いやすくはない。それに分かりやすくもない。10年前の専用カーナビは操作はしにくいし、文字入力などを含めて、今となっては原始的とも言えるものだが、いったんナビゲーションが始まればあまり不便を感じない。道路情報の古さは別にしてだが……。

 そもそもタブレットやスマートフォンのナビアプリは、表示が小さすぎて、運転位置からルートを確認するには、ちょっと遠すぎる。当然、フロントガラスの向こう側には常に注意を払っていなければならないので、凝視するわけにもいかない。だから、ドライバーが知りたいであろう情報を厳選し、分かりやすく、大きな文字で表示してほしい。ただそれだけのことがうまく機能していない。

 もちろん、ぼくの場合は、年齢による視力の衰えもあるだろう。それにしたって、専用カーナビに比べるとその差は歴然としている。今にして思うとリモコンというのは偉大で、ボタンを見なくても、ボタンの位置関係を記憶していれば、ブラインドで使える点で便利だ。だが、スマートフォンやタブレットでは、画面をタッチで操作するため、必ず画面に注意深く注目する必要がある。

 画面のタッチはタッチで便利なのだ。でも、シチュエーションによる。生まれて初めて購入したカーナビはタッチスクリーンだったが、リモコンも付属していて状況に応じて使い分けることができたので、そのことは身体で理解しているつもりだ。

専用カーナビに似せることから始める純国産アプリのチャレンジ

 さて、Yahoo!カーナビは、まだ、最初のバージョンということで、カーナビとして足りない機能はたくさんあるが、これまで使ってきたアプリの中では、情報提供の点だけでは、工夫されていると感じる。交差点名がきちんと表示されたり、コンビニやファミレスといった目印になる店情報が分かりやすいし、高速道路走行中の表示も満足できるものだ。

 7月31日の昼間、記者会見の直前にリリースされたばかりなので、まだ、これを使ってドライブをしてはいないのだが、いろいろと試してみる限りは悪くないと思う。個人的には、文字のサイズとして大/中/小くらいは用意しておいてほしかったとは思う。

 5型、7型、10型液晶のAndroidタブレット、スマートフォン、そしてiPad Airの4端末で試してみたが、それぞれ端末ごとにスケーリングが違い、同じ200mスケールにしても表示される地図範囲は異なり、また、文字の大きさもまちまちだ。また、ユニバーサルアプリではないためiPadで使うとiPhone用のものが大きく表示されるが、視認性という点ではこれがもっとも分かりやすいかもしれない。Android端末のスケーリングがまちまちで、なかなか決め打ちできないという事情もあるのだろう。

 使い勝手はどうかというと、まず、地図をスクロールさせたり、検索で文字や音声で目的地を見つけ、「ここへ行く」ボタンをタップすればナビが始まる。基本的に今いる位置、つまりGPSで検出された現在地から指定地点までのルーティングだけを請け負う。

 また、自宅の位置を登録しておくことで、現在地から自宅までもワンタップで登録することができる。旅行中などは、宿泊するホテルを自宅としてセットしておいても便利かもしれない。

 経路は、おすすめ以外に、一般道路優先、高速道路優先を選択できるが、例えその経路が気に入らない場合も、手動での再設定はできない。もちろん、立ち寄り地などを含めて、その日の移動ルートを最初に決めておくようなこともできないシンプルなものだ。専用カーナビになれていると、こうした点に不満を感じることが多いかもしれない。

 また、Googleマップのナビでは、例え端末をロックしても、ナビだけはロックを解除しなくても使い続けることができるようになっている。iOSではそうなるが、Androidではロックを解除する必要がある。逆に、iOSでは縦画面のみの対応だが、Androidは横ワイド画面にも対応している。

 どうも、iPhoneに最適化してまずは作ってみた気配を感じる。ヤフーでは、純国産のカーナビアプリとしての優位性をアピールし、今後は、タブレット版もスマートフォン版より強化したものを提供する予定で準備を進めているとのことだ。ここは1つ、ユニバーサルアプリにはしないで、別々のアプリとして提供して、好きな方を選べるようにしてほしいと思う。画面から得られる情報量は少なくても、大きなiPhoneとしてiPadを使った方が分かりやすい場面も多いからだ。とは言え、オフライン運用には対応していない。山間地などで圏外になったらもう終わりだ。そもそもGPSを内蔵しないWi-Fi iPadでは実用にならないと考えた方がいいだろう。

 真打ち登場というわけでもないが、超大手の無償サービスということで、ビジネスモデルを含めて今後の展開が気になるところだ。第一印象としては好感がもてる仕上がりではある。ヤフーとしては、極力、カーナビ専用機と似せることで、特殊なことを何も覚えなくてもよくすることを目指したという。

人とクルマとスマートデバイス

 今は、人々が1人1人、超高性能なスマートデバイスを持ち歩いている時代である。そんな時代に、クルマの中にまで、高性能なコンピュータを装備する必要があるのかどうか。それよりも画面とタッチ操作のためのHID(ヒューマンインターフェイスデバイス)だけを確保すればいいんじゃないか、というのが今のところのトレンドだ。Android Autoも、Apple CarPlayもそうしたコンセプトで今年の秋以降のデビューが予定されている。

 果たしてそのトレンドがそのまま進むのか、あるいは、すげ替え可能なスマートデバイスがクルマの中にアタッチされるようになるのか。いずれにしても、新車を買った時に付いてきたものを、そのまま10年使い続けるという時代ではなくなるだろう。通信のためのコストなどを考えても、充電の絶好の機会ということを考えても、クルマの中とポケットの中をどう繋ぐかということは重要なテーマとなるに違いない。

 当然、このアプリも、これから登場する新しい環境に対応していくことになるはずだ。今回の車検が終わり、次の車検がくる2年後くらいには、なんらかの回答が出ているのだろうか。

(山田 祥平)