山田祥平のRe:config.sys

テレビの中のIntelはトロイの木馬なのか




●TVの終焉はありえない

 多くの識者がTVと新聞に対してメディアとしてのそのライフタイムの終焉を指摘している。ほぼ半世紀前のTVの登場によって、新聞は週刊誌化したといわれている。速報という点では新聞はTVにかなわない。だから、新聞は編集に時間をかけて解説を徹底し、トピックスを深く掘り下げることで、TVとともに生き残ることができた。ところが、インターネットが浸透し、速報の面でも、解説の点でも、そして、これまで新聞やTVがやろうとしてもできなかったオンデマンドという点でも優位性を持った情報のパスが一般的になった。そのパスを使ったメディアの台頭は、TVや新聞の存在、そして共存をを脅かすようになりつつある。

 ところが、IDFの3日目、Intel副社長兼デジタルホーム事業部 事業部長のエリック・キム氏の基調講演は、耳を疑ってしまうくらいに美麗なTV讃歌だった。キム氏に続く、CTO(最高技術責任者)のジャスティン・ラトナー氏の基調講演も、「TVはわれわれの生活の中心に残る」と骨子は似たようなものだった。

 キム氏は、シンプルであって使いやすくなければTVを誰も見ないという。そして、TVはPCのようであってはならない。それが消費者の声だと断言する。人々は相互にインタラションしながらTVを見たいと思っている。その際に連帯感を持たせる社会的な意味を持つのがTVだという。本当にそうなのだろうか。

 そこで、インターネットの持っているパワーをTVに与えて、それでTVを複雑にしない方法が必要になるとキム氏。インターネットのアプリケーションフレームワークを使ってTVを楽しくしてはどうかという提案だ。

 そこで持ち出されたのがTVの中で稼働するAdobeのFlashテクノロジーだ。これからは、Flashが重要な役割を果たすのだそうだ。TVがFlashに対応すれば、そのアプリがネイティブにCEデバイスで走ることで、多くのインターネットコンテンツがそのまま使える。それができるのは、IAだからと。

 続いてキム氏はTVを支える経営基盤に言及する。TVは広告の売り上げで成り立っているのは周知の事実だ。これは、雑誌だって新聞だって、そしてインターネット上のメディアサイトだって同様だ。今日、1番の広告収入を得ているのはインターネットの広告で、TV局の広告収入が急降下しているのは周知の事実だが、キム氏はなぜか、そのことにはふれず、TVがこれまでにいかに巨額の広告収入を加速度的な伸びで得てきたかを強調する。そして、TV局は、人々をどう魅了しているのかと問いかけ、無限にプログラムの選択肢があることを、褒め称えるように指摘するのだ。そして、TVは無限のチョイスに対する橋渡しであり、Intelのツールを使えばWebのようなインタラクティブなサービスをTVに提供できると。

 つまり、キム氏は、IAをTVに入れることで、TVの業界がメディアの巨人として生き残るために、Intelがいかに貢献できるかを説いている。Intelは、ずっと放送と通信の融合を説いてきた。TVは基本的に流しっぱなしのものであり、そこにインタラクティブ性を与え、関連情報などの付加価値を与えるのが通信であるといってきた。そして、ひょっとすれば、放送と通信の立場は逆転の可能性があるとも。

 でも、今年は違う。あくまでもTV放送が主役で、それをさらにTV局が自身が楽しくして、メディアの雄として君臨するTVに、この先の未来も、その座を不動のものにしていきたいし、そのために、高性能なIntelのSoCがきっと役に立つはずだとしている。

●IntelはTVに引導を渡すつもりではなかったのか

 TVはすでにレガシーなメディアだ。だから、多くの人々はレガシーさを打ち消すためにレコーダーに予約録画し、CMをスキップしたり、タイムシフトをして番組を楽しむ。そのレガシーなメディアに、再び息吹を吹き込むためにIntelが貢献できるというのは、ある意味で正しい。でも、方法論として、TV受信機やセットボックスをIA化し、それでTVコンテンツそのものにレガシーからの脱皮を期待するのは、ちょっと無理があるんじゃないだろうか。

 個人的には、TVとIAの関係は、競合から強調への時代を過ごし、今、ようやく、その具体的な姿が見え始めているタイミングなのではないかと思っている。今、TVに必要なのは、TV自身が変わることではなく、TVを魅力的なものにするためのコンパニオンとしてのPC、またはPCのようなものでないだろうか。

 Intelの言っていることに疑問を感じるのは、彼らは、人々がTVを見ているときに目にしているスクリーンが、TVそのものだけであると考えている節がある点だ。だから、TVのスクリーン上に割り込む形で付加価値コンテンツを融合させようとしてきたし、これからもそのつもりでいるようだ。

 でも、自分自身のことを振り返ってもわかるように、人々は、TVを見ているときにも、傍らにはノートPCやネットブックが置かれているかもしれないし、テーブルの上には携帯電話がなにげに転がっている。

 このように、リビングルームには、常に、3つのスクリーンが存在するのが普通だと考えるべきだろう。そこが、1つの大スクリーンのみに集中することを強いられる映画館と大きく異なる点だ。

 それを前提にすれば、TV放送のスクリーンに、いろいろな付加価値情報が割り込むような発想は決して出てこないはずだ。それよりも、手元のネットブックのスクリーンを使い、インターネットで今オンエアされている番組をチェックし、おもしろそうなものを見つけたら、そのネットブックをリモコン代わりにTVに電源を入れ、チャンネルを変更するような使い方。あるいは、TVを見ていて、気になる商品やタレント、楽曲などを見つけたときに、なんらかの方法で、その詳細をネットブックで調べる方法、さらには、その調べたネタを携帯電話に送り、リアルショップへのナビゲートに使ったりするような使い方。すなわち、3つのスクリーンを競合させるのではなく、協調して豊かな暮らしに貢献するような展開を考えるべきではないだろうか。

 TVのスクリーンに閉じた発想にこだわり続けていては未来はないと思う。それとも、これは、今度こそ、TVの息の根を止め、チューナやセットボックスに残ったIAに貢献してもらおうというIntelの陰謀、あるいは、トロイの木馬なのか。そうだとすれば、それはそれですごいことだ。