●LPIA CPUがPC市場を侵食するシナリオ IntelのPC向けCPU事業にとって最大の敵は「ムーアの法則」だ。なぜなら、PC CPUは、ムーアの法則に逆襲されつつあり、もしかすると、ムーアの法則によってビジネスがひっくり返されるかもしれないからだ。具体的には、高性能かつ高価格のPC向けCPU系列の出荷量が減り、低性能だが低価格のローパワーCPU系列(現在のブランドはAtom)がPC市場に浸透して行く可能性がある。これは、IntelだけでなくAMDも含めた、PC向けCPU全体が直面している分岐点だ。 Intelは、新設計のLPIA(Low Power Intel Architecture)CPUである「Atomプロセッサ」を、携帯機器だけでなく、ローコストPCセグメント向けにも投入した。携帯機器向けのコードネームが「Silverthorne(シルバーソーン)」で、ローコストPC向けが「Diamondville(ダイヤモンドヴィル)」だ。Intelは、Diamondvilleを使うローコストデスクトップPCを「Nettop」、ノートPCを「Netbook」と呼んで、上位のPCとは区別している。決してローコスト“PC”とは呼ばない。Intelがわざわざカテゴリの区分を強調するのは、従来のPCとの境界線をはっきりつけておかないとならないからだ。 Intelにとって望ましいシナリオは、従来のCPUが握るPC&サーバー市場に加えて、LPIA系CPUが新しい市場を開拓すること。携帯機器、家電、各種組み込み機器の市場で、高コストかつオーバーキルのパフォーマンスのPC向けCPUでは浸透できなかった分野だ。そして、199ドルや299ドルといった価格帯のローコストPCも、そのターゲットに含まれる。
この戦略は、AMDのローパワーx86 CPUである「Bobcat(ボブキャット)」にも共通しており、メジャーx86ベンダーの共通戦略となっている。低消費電力&低コストの新設計のx86 CPUで、非PC市場の拡張を狙うという戦略だ。両者が足並みを揃えて組み込み市場に向かったのは、何もしないでいると勃興しつつある市場を組み込みRISC(Reduced Instruction Set Computer)系CPU、特にARM系列にごっそり獲られてしまう可能性があるためだ。もっと正確に言えば、現在、RISC系CPUが占めている市場が、そのまま、より高性能になった組み込みRISC系CPUへと引き継がれて拡大することを防ぐ目的がある。IntelとAMDは、PC&サーバー市場に加えて、勃興しつつある新しい情報機器の市場も、x86のソフトウェア資産を強味に握ろうと考えている。
そうした両者にとって、望ましくないシナリオは、ローパワー&ローコストの新x86 CPUが市場を広げることができず、逆に、既存のPC向けCPUの市場を食ってしまうことだ。ローパワーCPUが、現在のバリューPCや、さらにメインストリームPC市場まで広がってしまうと、両者にとってまずいことになる。PC向けCPUの出荷個数が減少し、その減少分だけLPIAの出荷個数が伸びるようになってしまう。もし、こうなると、両x86ベンダーは、販売するCPUの平均価格が下がり、Fabの製造キャパシティも埋めることができなくなり、CPU戦略を根本から見直しせざるを得なくなってしまう。
●既存のPC向けCPUのダイサイズから外れたAtom こうしたバッドシナリオが現実化する可能性があるのは、ムーアの法則、つまり、CMOSのスケーリングが効いているからだ。 現在のムーアの法則では、2年毎にCMOSプロセス技術は1世代シュリンクし、その度に、同じダイサイズ(半導体本体の面積)に搭載できるトランジスタ数は2倍に増える。CPUベンダーは、幾何級数的に増大するトランジスタ数を使って、世代毎によりパワフルなCPUを開発してきた。 また、ムーアの法則によって、同じトランジスタ数のCPUは、1世代でダイサイズを約半分に減らすことができる。そこで、PC向けCPUベンダーは、ハイエンドPC向けに大きなダイサイズで投入したCPUを、次のプロセス世代ではメインストリームPC向けダイサイズに、その次のプロセス世代ではバリューPC向けダイサイズに縮小してきた。 Intelを例に取ると、伝統的に300平方mmクラスがハイエンド、200平方mm前後がパフォーマンスPC、140平方mm前後がメインストリームPC、100平方mm前後がバリューPCというダイサイズの階層になっていた。現在は、パフォーマンスPC向けのダイが約270平方mm前後にまで増大している。しかし、ラフに言えば、PC向けCPUの平均のダイサイズは、ほぼ一定で、また、縮小する下限も約80平方mmに留まっていた。簡単に言えば、CPUベンダーは、PC向けCPUのダイサイズを一定に保ちながら、トランジスタ数を倍々に増やして、パフォーマンスをアップさせて来た。ダイサイズは製造コストに大きく影響するため、これはコストを一定に保ってきたと言い換えてもいい。
それに対して、LPIAやBobcatは、伝統的なPC向けCPUのシュリンクの法則から外れたCPUだ。Bobcatはまだわからないが、LPIAのSilverthorne/Diamondvilleは、ダイサイズが24.2平方mm。メインストリームPC向けのデュアルコアPenryn(ペンリン) 6Mが107平方mmなので、約1/4ということになる。トランジスタ数はPenryn 6Mの410M(4億1,000万)に対して、Silverthorneは47M(4,700万)と約1/9。その分、製造コストは低く、IntelはPC向けデュアルコアに対して、約1/4の製造コストになると発表している。つまり、LPIAは実際には「LCIA(Low Cost Intel Architecture)」であり、既存のPC向けCPUでは届かない価格セグメントを狙うことができるコスト構造となっている。
●初代Pentium 4をシュリンクすればSilverthorneに Silverthorne/Diamondvilleの47Mというトランジスタ数は、180nm(0.18μm)で製造された初代Pentium 4(Willamette:ウイラメット)の42M(4,200万)とほぼ同じレベル。つまり、180nm→130nm→90nm→65nm→45nmという4世代のプロセス移行が、217平方mmのパフォーマンスPC向けダイサイズだったCPUを、組み込みCPUレベルにまでシュリンクさせたことになる。これは、ムーアの法則を考えれば当然の話だ。むしろ、Silverthorne/Diamondvilleのダイは、まだ大きいくらいだ。
下がWillametteをムーアの法則に沿ってシュリンクさせた場合の、理論上のダイサイズだ。ラフに約50%づつ縮小するとしたら、第2世代の130nmで100平方mmちょっと、第3世代の90nmで50平方mmクラス、第4世代の65nmで25平方mmクラスと、Silverthorneのダイサイズに1世代前に到達することになる。実際には、Silverthorneのダイを見るとわかる通り、パッドを確保する必要があるI/O回りは縮小に限界があるため、小型化するとシュリンク率は鈍化すると見られる。 Silverthorneでは、ダイの中のCPUコアの比率は30%以下で、FSB(Front Side Bus)の方がより多くのダイ面積を占めている。L2やI/Oを除いたCPUコアの面積だけを見るなら、SilverthorneのコアはWillametteコアの約20分の1以下のサイズしかない。これは、SilverthorneコアがWillametteコアより簡略化されており、より小さくなっているためで、もし同じ規模のCPUコアだったら1/16の第5世代に相当していただろう。
いずれにせよ、明確なことは、初代Willametteも、そのままストレートにシュリンクしていれば、5世代後の今頃はSilverthorneのダイサイズになっていたということだ。WillametteとSilverthorneでは、高周波数対中周波数、Out-of-Order対In-Order、RISCライクuOPs対x86ライクuOPs、SSE2対SSE3と、マイクロアーキテクチャ上のさまざまな違いがある。しかし、ラフにトランジスタ数だけをWillametteと比較するなら、Silverthorneがそこそこのパフォーマンスを達成していることは、驚くには当たらない。 PC CPUベンダーにとって本質的な問題はここにある。もし、エンドユーザーのパフォーマンス要求が止まり、「もう、この程度のCPU性能で充分」となると、今のPC向けCPUの開発戦略は通用しなくなってしまう。つまり、ダイサイズ(=コスト&価格)を一定レベルに保ちながら、CPUパフォーマンスを増して行くという戦略が成り立たなくなる。 ●新規市場の開拓と既存市場への侵食のジレンマ すでに、現状でも、多くのPCのエンドユーザーは、PCをWeb端末としてしか使っていない。もし、一般的なPCユーザーが、4~5世代前のCPUのパフォーマンスで充分に満足するなら、CPUのダイサイズは充分1/8のLPIAのサイズでよくなる。そして、LPIAのパフォーマンスラインが、もしPCユーザーの大多数の充足ラインに達するなら、PC向けCPUを選択する意味が薄れてしまう。
もしパフォーマンス要求が伸びないままなら、伝統的なPC向けCPUがカバーするのは、パフォーマンスPCから上だけになってしまうかもしれない。それ以下の部分は、LPIAのようなローコストCPUが占めるようになり、x86 CPUのボリュームの大半はローコストCPUへと移行することさえ考えられる。その結果、エンドユーザーは、より高価格でマージンの大きいPC CPUを買わなくなり、低価格でマージンの低いローコストCPUに走ることになる。CPUベンダーにとっては、売り上げと利益を減らす危機となってしまう。 これまでは、そうした低コストCPUは、IntelとAMDの2強x86ベンダーからは提供されなかった。ローコストのx86は、組み込み専用で、メインストリームPC向けCPUのフィーチャを網羅してはいないか、VIA Technologiesのように、市場で立場の弱いベンダーの製品しかなかった。だが、PC向けCPUと同列のフィーチャを備えたLPIAのようなCPUの登場で状況は変わった。同じフィーチャで、よりローコストな選択肢ができてしまったからだ。 そう考えると、LPIAの戦略は、Intelにとって諸刃の剣であることがよくわかる。おそらく、AMDのBobcatの戦略も同じ危険をはらむ。もちろん、IntelやAMDも、その危険は充分に承知の上で、この戦略を選んだ。なぜなら、そうしないと、x86 CPUの市場を非PC&サーバーへと再び拡大することができないからだ。両社とも、新興市場を開くチャンスを掴もうとすると、自社の既存の市場を脅かす可能性があるというジレンマに直面している。 ●最新のCPU技術トレンドに沿ったLPIAの設計 ただし、ロングレンジで見ると、IntelとAMDのローコストCPUコアは、大きな可能性とチャンスを秘めている。現在のポジショニングでは、単純に高パフォーマンスかつ高コストのPC&サーバー向けCPUと、低パフォーマンス低コストのLPIAだが、テクノロジ的に見るならそれだけの話ではない。 LPIAのIn-Order実行のシンプルパイプラインで、ハードウェアマルチスレッディングを備えた小さなコアという特徴は、今時のCPUの技術トレンドだからだ。身近なところでは、Cell Broadband Engine(Cell B.E.)のPPU(Power Processor Unit)やXbox 360のCPUコア、またスループットコンピューティングへと走っているSun MicrosystemsのNiagara(ナイアガラ)系CPUも、コンセプトは似ている。つまり、重厚長大な汎用(General Purpose)CPUコアという伝統的な流れがIntel/AMDのPC&サーバー向けCPU、シンプルで小さなCPUコアという最新トレンドの流れにあるのがLPIAだ。
例えば、Intelにやる気があれば、Silverthorneコアを16個載せた、エッジサーバー向けCPUをSunに対抗して作ることもできる。ゲーム機のために、LPIAコアの浮動小数点演算性能を強化し、高パフォーマンスのグラフィックスコアも集積したチップを作ることもできる。実際にIntelやAMDがそうした製品を作るかどうかはわからないが、そのための選択肢となるCPUコアを、両社が手に入れた、または入れつつあることは確かだ。コンピュータ機器の状況がひっくり返り、ハイパフォーマンスな汎用CPUコアが廃れる時が来ても、両社は比較的短期間で対応ができることになる。そういう意味では、LPIAとBobcatは、保険と言えるのかもしれない。 □関連記事 (2008年4月18日) [Reported by 後藤 弘茂(Hiroshige Goto)]
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