●プッシュモデルがWiiのコンセプトの1つ
任天堂は、2月18日から22日に米サンフランシスコで開催されたGDC(Game Developers Conference)で、Wiiのシステムソフトウェアとネットワークサービスの開発コンセプトと、新しいダウンロードサービスである「WiiWare」の説明を行なった。 その中で印象的だったのは、任天堂が、Wiiのサービスのキーコンセプトの1つを「プッシュ(PUSH)」と表現したことだ。そして、このコンセプトが、Wiiのハードウェア自体の設計やOSとユーザーインターフェイスである「Wii Menu」にも大きく影響している。Wiiのコンセプトでは、Wiiリモコンによるマンマシンインターフェイスの革新が脚光を浴びることが多いが、じつは、このプッシュ型モデルも重要なポイントだ。 プッシュテクノロジは、インターネット業界では一世を風靡した懐かしい言葉だ。10年前の'96~'97年頃にもてはやされ、その後、聞かれなくなった。自体は形を変えて残ったが、言葉は流行らなくなって久しい。黎明期のWebは、Webブラウザでデータを取ってくる「プル(PULL)」型モデルが主体だった。それに対してプッシュ型では、ユーザーが意識しないうちにデータやアプリケーションをユーザーのローカルマシン側に配信(プッシュ)し、自動表示などを行なう。プッシュテクノロジが唱えられた時は、よくTVなどの放送メディアに例えられた。 任天堂はWii本体の起動画面のインターフェイスとそこから選ぶことができるコンテンツを「Wiiチャンネル」と総称しており、そのコンテンツの主体はネットワークと連動するサービスとなっている。ネットワーク経由のWiiチャンネルサービスは、毎日データが更新されるニュースや天気予報、投票、TV番組表(日本でだけ3月4日からスタート)など。これらのサービス形態は、自動配信という面ではプッシュであり、TVのチャンネルに例えられている点もプッシュテクノロジ的だ。ただし、Wiiでは、PC上のプッシュ型サービスにあったような自動表示は行なわない。 Wiiチャンネルがプッシュ的であるため、Wiiのコンセプトがプッシュテクノロジにあるという説明自体は違和感がない。違和感があるのは、コンピュータ屋ではなくゲームカンパニーである任天堂がその言葉を使うことだ。任天堂は、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)とは異なり、ゲーム機がゲームのための機器であることを強調してきたからだ。しかし、実際には、Wiiの開発チームも、かなりコンピュータ的な発想でWiiを開発したことを示している。 ●Wii本体の設計と結びついたプッシュサービス
GDCで講演を行なった任天堂の青山敬氏は、Wiiのコンセプトとその実装を担当する「Wii本体機能具体化プロジェクト(Console Feature Realization Project)」のプロジェクトリーダーを務めたが、前職は電話交換システムの開発だったという。ゲーム畑出身ではなく、通信やコンピュータの側の人物をリーダーに持ってきた点に、任天堂の姿勢が伺える。 コンピュータ的な発想は、Wiiプロジェクトの随所に見て取れる。例えば、任天堂の岩田聡 代表取締役社長はWiiのコンセプトを「技術的にいえばシンクライアント(Thin Client)」と形容した。クライアント側は軽く作り、ネットワーク経由でサーバー側のサービスを利用するシンクライアントモデルがWiiの根底にある。 このように、任天堂は、Wiiの開発に当たって、コンピュータとしてどう作るか、どうあるべきか、をかなり追求した形跡がある。そこが、それまでの任天堂ゲーム機と大きく異なる点だ。Wiiは、ハードウェア的には前世代のGAMECUBEと類似性が高いが、コンセプトは大きく異なり、コンピュータとして性格付けが比較的きっちりとなされている。 プッシュというキーコンセプトは、Wiiハードウェアの設計とも密接に結びついている。Wiiハードの設計コンセプトは、消費電力を最大限抑え、静音化とコンパクト化を追求し、常時稼働できるオールウェイズオン(Always-on)ハードウェアだ。このコンセプトは、ユーザーが非使用時に、コンテンツを配信するプッシュ型モデルに適している。夜中にサーバーからプッシュされたコンテンツをダウンロードしていても、静音であるため、ユーザーの邪魔にならないからだ。 任天堂にとって、プッシュをやりたいから静音低消費電力のオールウェイズオンマシンを作ったのか、オールウェイズオンにできたからプッシュという発想に行き着いたのか、今のところはわからない。しかし、プッシュとオールウェイズオンの両コンセプトが緊密に結びついていることは間違いがない。
●1時間で電源が切れるマシンを作る 現在の任天堂のハードとソフトの開発における特徴は、まず、明瞭なコンセプトが最初にあり、それに従ってハードとシステムソフト、サービスを開発している点にある。 GDCでは、Wiiの根源のコンセプトについて「家族全員に受け入れられる機械(Fun for entire family)」、「毎日何かが新しい(Something new every day)」であると説明した。つまり、従来ゲームをやらなかった人も含めて全員にエンターテイメントを提供する。毎日、ゲーム機に触ってもらえるように、新しいものを提供する。簡単に言えば、TVのように家族全員が楽しめて、毎日何か新しいものが提供されるものにしようとした。 そのために、誰にでもわかりやすい直観的なマンマシンインターフェイスがあり、邪魔にならない静音小型の24時間稼働ハードがある。ユーザーにコンテンツを配信するプッシュサービスも、このコンセプトの中で、非アクティブなユーザーがハードを毎日立ち上げるきっかけを作るという重要な役割を持つ。ゲームショップでディスクを買わないと、遊べないマシンでは、TVのように浸透できないからだ。Wiiのこれまでの成功は、このコンセプトの具体化がある程度うまく働いたことに起因している。 ただし、具体化への道は平坦ではなかったという。オールウェイズオンマシンにプッシュするコンセプトは見えていても、どんなサービスを提供するのかが決まらない状態が続いたという。そのために、任天堂は、Wii開発に当たって前出の「Wii本体機能具体化プロジェクト」と呼ぶ統合チームで、コンセプト固めとその具体化を追求した。GDCではプロジェクトチームが、Wii本体の開発スタッフを中心に、任天堂内の各部署から人員を集められたことが説明された。そこで、テキスト入力のメソッドやユーザーアカウント制を採用するかどうかの決定や、起動時間の短縮などさまざまな懸案が検討されたという。 興味深い点は、Wii本体機能具体化プロジェクトでの議論が、上記のコンセプトをどうやって実現するかというスタンスで常に進められたことだ。例えば、ゲーム機が家庭に受け容れられにくい理由の1つは、子どもが熱中し過ぎることにある。そのため、それを防ぐためのプランも練られた。岩田氏からは、Wii本体機能具体化プロジェクトに対して、親がゲームを1日1時間と決めたら、Wii本体が1時間で切れるように設定できないかと提案があったという。 具体的にどういう実装が検討されたかはGDCでは明らかにされなかったが、Wiiにとってはこれはかなり難題だったはずだ。PC的な発想では単純にメインメモリを保持したままスリープするのが近道に見えるが、ゲーム機の場合はそう簡単ではない。小型の任天堂ゲーム機の場合は、床置きされたり場所を移されることも多い。バッテリバックアップしない限り、いったん電源を抜かれてしまえば、メモリ内容は保持できない。フラッシュへのメモリ内容の待避も容量面で難しい以上、ソフトウェアで何らかの対策を考えるしかない。結局、この案は、「削除できないプレイ履歴を残して、家族の対話を促す」という実装に変わったが、こうした視点からシステム開発の検討が行なわれた点がWiiの特色を表している。
●矛盾点も見えるWiiのプッシュモデル こうして見ると、Wiiは、根底にゲーム機をどう作れば流れを変えることができるのかを考えたコンセプトがあり、そのコンセプトに従った、ハードとOSとサービスの実現が、コンピュータ的な視点から検討されたことがわかる。PLAYSTATION 3(PS3)とは別な意味で非PC型のコンピュータを作ろうとしている。 ただし、整合性がきちんととれているかというとそうでもない。例えば、Wiiのプッシュのコンセプト自体にも、矛盾する点がある。 オールウェイズオンマシンに対してサーバー・プッシュする最大の利点は、プル型で引っ張っると重くて時間がかかる大きなデータやプログラムも自動配信しやすいことだ。ダウンロードに数分から数十分とかかるようなデータやプログラムを、夜中に自動的に送りつけておくことができる。例えば、数百MBもある最新ゲームのデモプログラムやプロモーションムービーをプッシュするような使い方だ。 ところが、Wiiのストレージは512MBのフラッシュメモリと限られており、その中に、ユーザーのゲームデータからダウンロードしたゲームまでさまざまなファイルをストアしなければならない。そのため、大きなデータを常時プッシュするサービスをキャッシュするには向いていない。 実際、現在の任天堂がプッシュしているのは、ニュースや天気予報、TV番組表、投票ゲームといった、比較的軽いデータだ。ネットワークが細い地域や家庭では、ユーザーが知らない間にプッシュでコンテンツを配信することで、ユーザーの利便性を向上させるという利点はある。ワールドワイドでは、そういった地域も少なくない。しかし、日本のように広帯域ネットが一般的な国では、ニュースや天気予報といったレスポンスが重要なデータを、短いレイテンシで表示できる以上の利点は薄い。 また、Wiiの台数の伸びも問題となる。プッシュ技術の問題は、ムダなデータまで送りつけるために帯域が逼迫する可能性があることで、'97年前後に騒がれたプッシュがあっと言う間に衰退した原因はそこにあった(代表的なPointCastは帯域食いとして企業からはじかれた)。ちなみに、こうした過去があるため、プッシュ技術という言葉には、ネット業界では悪いイメージがついている。任天堂があまりWiiでプッシュという言葉を使わなかったのも、染みついたバッドイメージを考慮してのことだと思われる。GDCでも、プッシュという単語はスピーチには出てきたが、プレゼンテーションには登場しなかった。 この問題があるため、もし、任天堂がストレージの問題を解決したとしても、プッシュで重いデータを配信し始めると、クライアントであるWiiの台数に応じてネットワーク帯域を食ってしまう。Wiiはワールドワイドでは2,000万台を超えており、さらに伸び続けている。任天堂としても、下手に重いサービスはプッシュできない。1,000万単位で増えるクライアントにプッシュするには、ネット帯域に慎重にならなければならない。そこが任天堂のジレンマだ。 こうして見ると、Wiiのオールウェイズオンとプッシュのコンセプトは、現状では100%活かされているとは言い難い。 ●相対するプッシュとシンクライアント 任天堂の岩田氏は、以前のインタビューで、Wiiのビジョンについて次のように示唆した。 「今回のWiiは、HDDにどんどん貯め込んでという構造ではないんです。そういう意味では、ネットの向こうにいくらでも大容量のディスクがある。技術的にいえばシンクライアントですね。 クライアント側はうんと軽くして、UI(ユーザーインターフェイス)をしっかりパワフルに処理できるだけの能力があれば、そこから先はサーバー側でいくらでもできる。そういう考え方で、相当面白いサービスができるんじゃないかと思います。 (ネットワークの)帯域が広がり、サーバーサイドに持てるコンピューティングパワーが広がると、より大それたことがシンクライアントで出来るわけです。実際、AJAX(Asynchronous JavaScript+XML)を使ったページがブラウザの上で動いていますから」 こうした発言からは、クライアントであるWii本体のコンピューティングパワーやストレージをパワフルにするより、サーバー側のサービスを利用する方向への指向が伺える。その点は、Wiiの全体コンセプトと矛盾がない。 しかし、プッシュとシンクライアントは、ある意味で矛盾する。プッシュテクノロジでは、クライアント側のローカルなストレージが、コンテンツやプログラムのプールとなる。もし、任天堂がWiiのオールウェイズオンをプッシュに活かそうとするなら、より多くのストレージにより多くのコンテンツという流れになる。 それに対して、シンクライアントの本質はオンデマンドにある。データもアプリケーションもコンピューティングパワーすらも、基本はサーバー側にあり、クライアントが必要に応じて引き出す。究極的にはクライアントはUIとそれを動かすためのプロセッシングパフォーマンスとメモリしか持たない。矛盾というより、どちらのアプローチを重視するかという違いになるが、このあたりのビジョンは、まだ整理された形では示されていない。 もちろん、ここには現実と理想のバランスもある。ゲーム機をシンクライアント的に活かしてサービスを提供することは、本来的には、ゲーム機を軽くしたい任天堂の思想にかなっていると推測される。しかし、現実問題としては、ワールドワイドでは全ての家庭でゲーム機を広帯域ネットワークにつなぐことができるわけではない。つまり、現状では、世界で均質にシンクライアントとして使えるわけではない。 また、任天堂自身も、シンクライアントに対して、リアルタイムにネットワーク経由でさまざまなサービスを提供できるノウハウを蓄積していない。2,000万台のWiiでは、C10K問題(アクセスするクライアントが万の単位になりサーバーがパンクする問題)が発生しかねないからだ。膨れあがるWiiの台数が、皮肉なことにWiiに提供できるサービスを縛りつつある。 任天堂は、GDCで、今回のWiiのプッシュサービスについても、インフラ構築で壁に当たったと説明した。数千万台が接続するネットワークは、青山氏が手がけてきた公衆通信ネットワーク並の規模。ネットワークの専門家ではない任天堂が簡単に構築・運営するレベルではない。そのため、仕様をかなり割り切って、経済的なシステムにしたという。このあたりは、ネットワークの経験を積み重ねたMicrosoftとはかなりの開きがある。任天堂の今後の最大の課題となりそうだ。 しかし、現在の任天堂のWiiが抱える問題は、もっと手前にある。それは、コンセプトは明快でも、それを具体化するスピードが追いついていない点だ。次回はその点をレポートしたい。 □関連記事 (2008年3月6日) [Reported by 後藤 弘茂(Hiroshige Goto)]
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