第374回
SCE久夛良木CEO退任がもたらすもの



久夛良木健CEO(2004年、PSP価格発表当時)

 AV Watchなどで既報の通りソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)代表取締役会長兼グループCEOの久夛良木健氏が6月19日までの任期を終えた後、取締役を退任。今後はSCE名誉会長となるほか、ソニーのシニア・テクノロジーアドバイザーを務めていくと発表された。

 プレイステーションの父として長年、製品のビジョンを示してきた同氏だけに、今後、プレイステーションとそれを取り巻くゲーム業界などへの影響もあるだろう。久夛良木氏退任の経緯や今後に関して、思うところをまとめてみた。


●突然、深夜に発表された退任ニュース

 今回の退任ニュースが流れたのは、4月26日の夜、午後10時40分過ぎのことだ。通常、この時間にニュースリリースが流れることは珍しい。役員人事となれば、なおさらのことだ。しかし、この話が何らかの経路で漏れ、翌日の朝刊に推測を含めた記事として掲載されれば、混乱を来すことは間違いない。深夜に急遽配信されたこと自体、退任が突然のものだったことを示している。

 実は4月26日は、SCEの定例取締役会の日。会議にはソニー会長兼CEOのハワード・ストリンガー氏、社長の中鉢良治氏も出席していた。取締役会は夕方4時から始まり、通常の議題に関する決定が行なわれた後、久夛良木氏本人から取締役を退任するとの報告が行なわれた。

 久夛良木氏に近いSCEの関係者によると取締役会に出席したほとんど全員が退任について知らされていなかったという。「もし、辞任の意向を事前に知っていたとしても、ストリンガー氏、中鉢氏ぐらい。少なくともSCE社内では社長の平井も含め、だれも相談を受けていなかったのではないか(SCE関係者)」

 取締役会が終わったのは夕方6時半過ぎ。その後、退任ニュースをその日のうちにアナウンスすることを決め、ニュースリリースを作成、レビューし、配信したのが前述した午後10時40分。4時間の空白が、当時の慌ただしさと予定外のニュースであることを示している

 久夛良木氏は昨年(2006年)12月、代表取締役会長兼グループCEOという役職に就き、代表取締役社長の座はSCEアメリカ社長だった平井一夫氏に譲っていた。このことから、SCEから久夛良木氏を外す路線が確定していると論説する人も少なくなかった。

 こうした意見も、現在のゲーム業界がテクノロジの先進性を競うよりも、ビジネス戦略(あるいはビジネス戦略に基づいた技術開発)の方が重要になってきていたことを考えれば、ある程度以上の説得力がある。しかし、今のタイミングでの久夛良木氏退任は、ソニーやSCE自身にとって、最悪と言ってもいい時期である。このタイミングでの退任発表が、ソニー内部からの退任圧力だったとは考えにくい。

●予想される混乱

 今回の久夛良木氏退任ニュースに関連して、おそらく次のような記事やネット上での憶測が流れることだろう。

PLAYSTATION 3

 「昨年(2006年)12月人事からの既定路線。ソニーの経営立て直しに関連して、ストリンガー会長があまりに技術に傾倒しすぎて足下の経営を見ずSCE内部でも浮いていた久夛良木氏を切ったのだ。負け規格のPS3もこれでオシマイ。負担の大きい負けゲーム規格を整理する第一ステップ。まずは象徴的な存在である久夛良木氏に詰め腹を切らせた」

 しかし、ソニーが久夛良木氏を切ることが、本当にあるのだろうか?

 久夛良木氏に対して、PS3関連での責任を問う声があったのかどうか、そもそもその点についても明確ではない。しかし、現時点でさえソフトウェアの効率的な開発の枠組みを構築できていないPS3のアーキテクチャと、その心臓部であるCell B.E.に対して「このままではゲーム機としての立ち上げは難しい。日本はともかく、ゲーム産業の中心となってきている北米と欧州で、PS3のアーキテクチャは受け入れられない。営業的に異なるアプローチが必要だ」といった意見は、SCE内部からの声としても耳にした。

 実際、現在のままではプログラマが小チームでパズルを紐解くように最適化を行なうような開発アプローチならともかく、効率的にチームでプログラムを作成していくようなやり方にはマッチしないだろう。ある程度、Xbox 360が売れている北米や欧州市場のことを考えれば、従来的なソフトウェア開発のアプローチではパフォーマンスを引き出せないPS3は、その上でゲームを作りたいと思ってもビジネス的にコミットしきれないところも多いはずだ。

 しかし、昨年末からのPS3の売り上げペース、特に年末の売り上げは、決して言われるほど悪いものではなかった。これはゲーム業界紙を発行するメディアクリエイトの細川氏などとも話していたのだが、Wiiの立ち上がりが速すぎるのであって、PS3が売れていないわけではない。ソフトウェア開発のノウハウが蓄積してくるだろう年末から来年(2008年)あたりには、状況は改善するのではないだろうか。

 確かにソフトウェア開発の枠組みを上手に作れず、1年近くも対応ソフトウェア数やヒット作に恵まれない状況を作ったのは、久夛良木氏の見込み違いもあったに違いない。しかし、まだ結果は出ていない。

 厳しい状況の中でも、PS3への求心力をなんとか現状のまま保っていけば、今年(2007年)末まで引っ張ることもできるかもしれないが、久夛良木氏を切ったと世間で評価されば、市場だけでなくデベロッパに対してもPS3への求心力が低下することは免れない。自ら「PS3は負け規格です」とレッテルを貼るようなものだ。

 世論だけでなく、現在、難しい状況の中でも、共に市場を作っていこうとしてくれるデベロッパーさえも失ってしまう。そんな危険をソニー自身が負い、投資してきた市場での混乱を招こうと考えるとは思えない。もし本当に追い出すつもりならば、もっと状況が落ち着いてからだ。

●“楽しみ”を創出し辛くなっているゲーム業界

 ゲーム機、あるいは久夛良木氏がかつて話していた「エンターテイメントコンピュータ」という括りでもいいが、コンシューマに対してコンピュータを用いて“楽しいこと”を提供したい。これこそが、久夛良木氏に会うと毎回話していた、同氏のモチベーションの源泉である。

 プレイステーションが生み出した市場規模は、年間数千億円に達しているが、当初からこれほど大きな市場に成長するとは考えていなかったと、久夛良木氏だけでなく初期のSCE幹部全員が話している。

 ビジネスとして成功すること。お金持ちになることなどがモチベーションの源泉ならば、全く新規の市場を生み出すという確率の低いリスクを冒す必要はない。わざわざ困難な仕事を選んでソニーを飛び出たりはしなかったはずだし、お金が目的ならば、ソニーがSCEをグループに編入した段階で辞めても良かった。

 しかし、最近は米欧でのゲームバブルの膨張や、ゲーム機ビジネスそのものへの投資増大などもあり、久夛良木氏自身の“新しいエンターテイメントを、より高い能力のコンピュータで創出することでビジネスを生み出す”というビジョンよりも、“既存のゲーム市場からどれだけの利益を生むか”あるいは“規格としての勝ち負け論”に注目が集まる傾向が強まっていた。周囲には「楽しい製品を作ろう。楽しみを作る市場を産みだそうという話をしているのに、そういう視点で物事を見ない人が多い」と話すこともあったという。

 ゲーム産業で成功するための掛け金が大きくなれば、純粋に優れたゲームを産みだそうというアーティストも、現実に戻らざるを得ない。企業としてゲーム産業に参加しているならばなおさらだ。

 そうした考え方の乖離が、久夛良木氏のゲーム業界におけるモチベーションを奪ったのではないだろうか。経営者としてはまだ若い久夛良木氏だけに、別の分野において楽しみを創出する事業に取り組みたいと考えてもおかしくはない。いずれにしろ、自身が退任する方向で昨年から考えをまとめていたのではないだろうか。

●小さくないソニー本社への影響

 真実はしばらくの間、語られることはないだろう。

 しかし退任に向けての経緯の真実が何であれ、SCEのビジネスへの影響は避けられない。前述したように、これをきっかけにPS3へのレッテル張りやデベロッパー離れが起きる可能性があるからだ。一度、PS3に悪いレッテルが貼られれば、少なからずPS3向けソフトウェアの発売に影響はある。一度、流れが起きてしまえば、それを人為的に止めることは難しい。

 そして小さくないのが、ソニー本社への影響だ。

 ソニーという会社は、全体のバジェットの中で、比較的自由に技術開発や製品企画/開発を泳がせ、自由な発想の“欲しい”と思わせる製品が生まれて来やすい環境を作るのが上手な会社だった。その背景として、自由に社内で競わせながらも、将来を期待できる技術や商品アイディアと、期待できないものを的確に判断し不要な枝は剪定してしまう、技術を評価する目が経営の中にあった。

 しかし、ある時期から“剪定”を上手に行なって枝振りを整える人材がいなくなったように思う。経営の効率化を進める中で、以前よりも遊べない会社になったということもあるだろうが、ソニーが不調に陥る最大の原因は有望な技術と無謀な技術の判断を見誤ったためだ。

 以前、ソニーのある商品開発者が「ソニーには経営陣に至るまで、AVやホームエンターテイメントの本質について理解できる人がいる。そのことが変な製品が生まれてくることを防ぎ、良い製品のためにコストや製造現場での作りやすさなどを無視したような製品を投入できる最大の要因になっている」と話していたが、その時代は実はずっと以前に失われている。

 そんな中、ソニー社内の技術評価の場で、突っ込んで画質や音質、製品のビジョンや将来の発展性、応用分野などについて、数多く質問し、的確な指摘を語る役員は、近年において久夛良木氏だけだったという。ソニーでAV機器を担当していた時期には、賛否さまざまな評価が外部からなされたが、実際に現場の人間に聞くと、技術の将来性を見る目に関してはすこぶる評判が良かった。そして、実に他に同様のセンスをもって質問をしてくる人物はいないというのである。

 ソニーという会社は、大胆に、そして的確に有望技術を発見し、見込みのない技術をつみ取っていく人物がいなければ発展しない構造を持つ。久夛良木氏はソニーのアドバイザーとして、ソニー本社との関係を保つとニュースリリースでは発表されているが、ソニー本社が失ったものは、SCEと同じぐらいに大きい。

□SCEのホームページ
http://www.scei.co.jp/
□ニュースリリース(PDF)
http://www.scei.co.jp/corporate/release/pdf/070426.pdf
□関連記事
【4月27日】SCE、久夛良木CEOが取締役を退任。名誉会長へ(AV)
http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20070427/sce.htm
【4月26日】SCEI、久夛良木健氏が6月19日付で取締役を退任(GAME)
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20070426/scei.htm
【2006年12月4日】【海外】SCEIの社長交代がPS3に与える影響
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/1204/kaigai323.htm

バックナンバー

(2007年4月27日)

[Text by 本田雅一]


【PC Watchホームページ】


PC Watch編集部 pc-watch-info@impress.co.jp ご質問に対して、個別にご回答はいたしません

Copyright (c) 2007 Impress Watch Corporation, an Impress Group company. All rights reserved.