後藤貴子の 米国ハイテク事情

進まない米特許法改革
〜先願主義には当面ならず





●棚上げされた、先願主義への転換

 「先発明主義」が、「先願主義」に変わらない!

 米特許法の大改定が迷走している。米国では2005年、米国独特の特許システムである先発明主義を、“世界標準”の先願主義に転換する特許法改定法案が出されていた。しかし、これが暗礁に乗り上げている。このままいくと、先願主義への転換は立ち消えで終わる可能性もある。

 米国はそんなに先発明主義にこだわっているのか。そうではない。米国にとってそれよりもっと重大な改定ポイントが紛糾しているから、法案が座礁しているのだ。そのために、先願か先発明かという、米国にとって“枝葉”の問題は棚上げされてしまったのだ。

 その、もっと重大なポイントとは、「パテントトロール」問題だ。

 パテントトロールは、特許の権利を“濫用”して、ハイテク(IT)大企業からの特許侵害の和解金や賠償金をねらう中小企業のこと。特許所持者の権利が強いので、ハイテク大企業は弱り果てていた。特許法改定は、パテントトロール封じを目的として、ハイテク大企業が中心となって要求していたものだったのだ。先願主義への転換は、おまけ同然だった。

 改定派にとって誤算だったのは、法案が登場してみると、パテントトロールの側に立つ意見が意外に強かったことだ。トロール封じの法改定は小規模発明家を不利にする、それは米国の発明を損なう、というのがその意見だ。元MicrosoftのCTO(チーフテクノロジーオフィサー)でハイテク業界の有名人、Nathan Myhrvold氏までもが、そちら側に付いた。

 大企業か、小規模発明家&トロールか。米国ハイテク産業が2つに割れて、そこで法案は動けなくなってしまった。

●先願主義の行方はトロール問題次第

 日本をはじめとする各国は長年、米特許法を批判してきた。米特許法だけが、一番先に出願した人に特許を与える先願主義でなく、一番先に発明したと証明できる人に特許を与える先発明主義を採り続けているからだ。

 この先発明主義ゆえに、米特許法にはほかにも他国と違うさまざまな要素が加わり、複雑なシステムとなった。外国企業は、米国で自社の特許を守りたければ、米特許法のもとで特許をとらないといけない。そのため、特異な米国方式と自国方式との両方に対処せねばならず、煩雑な手間が必要になる。また、米国方式では、特許を出願あるいは取得した後も安心できない。じつは先に発明していたのは自分だと他人/他社に言い出されかねないからだ。そこで諸外国は長年、他国特許法との調和、すなわち「ハーモナイゼーション」を米国に要求していた。

 そこへ2005年、ハーモナイゼーションを柱の1つとした包括的な改定法案『Patent Act of 2005』が登場した。提出したのは大物下院議員Lamar Smith氏。これで米国の特許システムも歴史的な転換を果たすかと、各国は期待した。

 ところが、この改定法案はトロール封じを巡り、紛糾してしまう。打開のために米議会の改定派は、別の法案『Patents Depend on Quality Act of 2006』(PDQ法案)を4月初めに出した。この法案の特徴は、前法案と比べて、非常にスリムな点だ。法案を通しやすくするために、枝葉をバッサリ切り落としたのだ。その切り落とされた中に、先願主義への転換も入っていた。

 もともと先願主義への転換は、ハイテク大企業は賛成していたのだが、小規模発明家が反対だった。削ったのは、法案の中で少しでも反対されるポイントを減らしたかったためだろう。いずれにせよ、米国内の特許法改定派にとって、大事はトロール問題、ハーモナイゼーションは小事だったことが、明らかになった。

 これにより、ハーモナイゼーションの行方はまったくわからなくなった。仮にPDQ法案が通っても、先発明主義はそのまま残る。しかしこの法案はあまり注目を集めておらず、前のSmith法案もまだ死んではいない。Smith議員自身はハーモナイゼーションにも注力し、先日もその重要性を訴えるための公聴会を開いたりもしている。だからトロール問題さえ解決するならば、ハーモナイゼーションを切り捨てたPDQ法案より、包括的なSmith法案のほうが復活する可能性もある。あるいは、また新しい打開策として別の法案が出てくる可能性もある。

 わかっているのは、すべてはトロール問題解決後だということだ。

●パテントトロールに怯えるハイテク大企業

 ハイテク大企業がそこまでパテントトロールに怯えるのは無理もない。“いわゆるパテントトロールと呼ばれうる”企業(むろん訴える側は自分たちをパテントトロールとは呼ばない)に苦戦するケースはいくつもあるからだ。

 例えば、米国最大のオークションサイトを経営するeBayは、「Buy It Now」という即決機能の技術をMercExchangeから特許侵害に問われ、下級裁での一勝一敗ののち、最高裁での裁判に命運を賭けている。負けると、売上に大きく貢献している「Buy It Now」機能を差し止められる可能性がある。

 米国で人気の、無線メール機能付きPDA、BlackBerryを製造するResearch In Motionも、この3月、NTPに約6億ドルもの巨額を払って和解した。そうでなければ、やはり差止命令でメールサービスなどの停止を余儀なくされる恐れがあった。

 Microsoft、Apple Computer、Intelなども、“いわゆるパテントトロール”からの攻撃に何度もさらされている。ハイテク大企業で、このような特許侵害訴訟に過去も未来も無関係と言い切れるところはないだろう。

 それは、日本企業にとっても同じことだ。バブルの頃は、日本のハイテク企業も、まるで狙い打ちのように米国の個人発明家や企業から特許侵害訴訟を起こされていた。景気が上向いてきた今は、日本企業がサプライズの大型訴訟を起こされる可能性も、また増えているといえる。

 それにしても、だ。並み居る大企業が、訴訟体力がまるで違うはずの個人や小企業を相手に、なぜ苦戦するのか。

 理由は、(1)特許所持者に強い権利を与える米特許法、(2)身軽なパテントトロール、(3)ネットへのビジネスシフトによる係争の増加、にあるだろう。

(1)特許所持者に強い権利を与える米特許法

 米特許法は、米国の裁判の判例主義とあいまって、特許所持者に非常に強い権利を与える。

 例えば特許侵害製品の差止請求。日本の特許法でも同様の権利はあるのだが、米国では、過去の判例に照らして、差止請求が“半自動的”に認められるケースが多い。被告の侵害企業のリスクは日本の場合より大きい。また、侵害と認定されると、被告は損害賠償金も払う必要がある。米特許法は賠償金を損害額の最高3倍にアップするケースを認めている。これも過去の判例によって、故意の侵害への懲罰として、よく適用される。特許素人の陪審員などに故意の侵害とみなされてしまえば、巨額を払わせられる可能性がある。

 つまり、特許権があれば、個人や小企業も怪物トロール並みの力を持てる。特許侵害訴訟の被告となるのは、たとえ大企業であっても非常に怖いのだ。

(2)身軽なパテントトロール

 パテントトロールにはもう1つ厄介な要素がある。パテントトロールは普通、製品を作らない、身軽な企業だ。それに対し、被告の大企業は製品を作って商売している。株式も上場している。すると、(A)訴訟に負けたときでも(B)訴訟の途中でも、大企業側のほうが失うものが大きい。このため、トロール側が強いカードを持ちやすいのだ。

 (A)まず、負けた場合のコスト。原告のトロール側は、負けた場合は訴訟費用などのコストこそあるが、言ってみればそれだけだ。ところが製品ベンダーの大企業は、特許侵害製品の差止命令を受けると製品を提供できなくなる。あるいは製品提供を続けるためのライセンス料を払わなければならなくなったりする。コストはより大きい。

 (B)訴訟の途中でも大企業側のほうが失うものが大きい。訴訟が長引くと弁護士費用などがかさむ。これは両方同じだが、製品ベンダーのほうはそれに加えて、製品の販売やバージョンアップ等の計画が狂ったり、幹部や研究者が法廷対策に時間を割かれて本業に響いたり、株価に影響したりする。製品を作らないパテントトロール側は、それほど焦る必要がない。大企業側は、訴えてきた相手が競合製品を作っている企業だったなら、クロスライセンシングを条件にするなどの手打ち策もある。だが、クロスライセンスを必要としないパテントトロールには、その策も使えない。だから和解交渉にのぞむ際も、トロール側が優勢になりやすい。

(3)ネットへのビジネスシフトによる係争の増加

 3つめの理由は、ネット時代になってハイテク企業がパテントトロールに訴えられやすい状況が増えたことだ。企業の製品(含サービス)がインターネットにシフトし、ソフトウェアやビジネスメソッドが重要になった。それにより、米国ではソフトウェア特許、ビジネスメソッド特許がひんぱんに認められるようになった。特許の数は増え、企業戦略的な価値も増した。そのぶん、係争も起きやすくなったのだ。

 '90年代後半からの特許の出願数、成立数がぐっと増えたのは、いわゆるドットコム企業が、他社との差別化のために特許取得に励んだことも一因だ。特許があることは、VC(ベンチャーキャピタル)などへのアピールとなる。特許は、製品から離れて、それ単体で大事な資産となり始めた。実際、ドットコムバブル崩壊時には、特許込みでの企業の売買が行なわれ、特許を買った企業がパテントトロールとなるケースも現れた。

 特許出願の増加はもう1つ弊害も生んだ。今までの工業的な特許と質の異なるソフトウェア関係の出願が増えて、特許庁が審査に支障を来すようになった。このため、本来なら特許に値しないような発明にも特許が下りるケースが起き出したと言われる。発明を製品に利用しても良い売上を期待できないが、特許という権利だけはあるといった企業が増えたわけだ。これもまた、パテントトロールを生む要因となった。

 一方、高機能ソフトウェアやWeb上のサービスはプログラムやビジネスメソッドの固まりなので、特許数が増えたことで特許侵害に問われやすい箇所も増えることになった。

●小規模発明家擁護論の強い米国

 このように見てくると、ハイテク大企業が特許法改定を要求するのもよくわかる。改定のポイントは簡単に言うと、特許所持者が特許侵害訴訟をやりづらくすることだ。具体的には、他者の特許への訴訟以外の異議申し立て方法の導入、侵害製品の差止請求や三倍賠償請求に対する条件強化などが盛り込まれている。

 ところが上に書いたように、この改定案への反対が相当に強かった。特に根本的問題だったのは、ハイテク業界内からの反対が強かったことだ。

 反対派の急先鋒の1人が、元MicrosoftのCTOのNathan Myhrvold氏だ。同氏は、特許法改正に関する2005年4月の公聴会で証言し、改定におおむね反対の意見を述べた。ハイテク業界の“重鎮”であり、かつては大企業Microsoftでパテントトロールに対峙していた彼が、大企業と対立する立場を取ったのだ。

 もっとも、その理由は、現在のMyhrvold氏の肩書きを知ればわかる。2000年にMicrosoftを離れた彼は、現在、Intellectual Venturesという、発明家にフォーカスしたVCを経営している。Intellectual Venturesは、製品は作らず、出資した発明の特許取得によって儲けている。訴訟こそ起こしていないものの、パテントトロールと紙一重なのだ。

 Myhrvold氏の意見はこうだ。

(1)“トロール脅威説”は誇張だ。いわゆるトロールによる訴訟や、質の悪い発明への特許は、割合で言えば非常に少ない。

(2)米国の発明のためには、小規模発明家を守る必要がある。「米国の特許の45%は個人、学術機関、中小企業などの小規模発明家が所有」しており、米国の発明で主要な役割を果たしている。彼らは「米国経済のエンジン」であり、守る必要がある。

(3)小規模発明家の武器は特許法による権利だけだ。だから小規模発明家を不利にするような法改定はいけない。

 つまり、大企業はトロール対策に金や時間を取られてイノベーションが阻害されると主張する。だが、大企業の主張どおりにトロール封じの改定をすると、小規模発明家が大企業に対して不利となり、それこそイノベーションを阻害する、というわけだ。

 そして、この小規模発明家擁護論を唱える者が、Myhrvold氏以外にもたくさんいたのだ。

 個人発明家というと、日本では知られたり成功している人は数少なく、たまにニュースになることはあっても、やはり特殊な存在だ。主流の声とはあまりつながらない。だが米国はそうでない。「小規模発明家を守れ」という意見は支持を集めやすい。

 第一に、Myhrvold氏が言うように、米国の特許は小規模発明家が占める割合が高い。小規模発明家の数は多く、声が大きい。

 第二に、米国は良くも悪くも個人重視だ。企業に属する個人の発明に対しても、米国ではその個人にスポットライトを当てて報賞することが多い。日本などと比べ、米国のほうが、より個人を“イノベーションの原動力”として見ていると言える。だから個人発明家こそがイノベーターという意見が通りやすい。

 第三に、米国人は“自力で生きる”ことに価値を置く。西部劇で言えば、開拓農民や小規模牧場主のイメージ。その自力で生きる個人のサクセスが、“アメリカンドリーム”となる。やはり、小規模発明家は、大企業よりもこのイメージに近い。

 第四に、これもイメージだが、二元論的には、米国では個人や小規模自営業者は善で、大企業だの政府だのは悪になりやすい。パテントトロールvsハイテク大企業というとトロールが悪玉のように聞こえても、“小規模発明家vsハイテク大企業”としてみれば、善玉/悪玉はひっくり返る。

 特許訴訟を起こされた大企業(の弁護士など)が相手企業をトロールだと言いたがるのも、相手に怪物のイメージを割り振ることで、“小企業(善)vs大企業(悪)”のイメージをかわしたいからかもしれない。また、相手が製品を作っていないことを強調するのも同様に、“製造者=自ら汗する(善)vs非製造者=搾取(悪)”を演出したいという理由があるように思われる。

●大企業と小規模発明家は鶏と卵

 だが特許法改定が進まない最大の理由は、米ハイテク業界にとって、大企業擁護と小規模発明家擁護は、きっちり白黒をつけられないということだろう。この2つは、鶏を保護するか、卵を保護するかという話になってしまうからだ。

 米国のハイテク企業の中には、大学の研究者や企業の研究開発者が、自分の発明を元に独立し、企業を興した例が少なくない。そうした新興企業は、VCに認められてそのまま大企業への道を進んだり、企業を特許権ごと他社に売ったりして、ハイテク産業繁栄のサイクルにしっかり組み入れられている。つまり、小規模発明家は“傍流”ではない。米国ハイテク産業の“源流”となっている。源流なくしては、産業が成り立たないかもしれない。

 Myhrvold氏の経歴を見れば、それがわかる。彼はMicrosoftがまだ1つも特許を持っていなかった頃に入社して同社の特許取得を推進し、自身も17個の特許を持ち、Microsoftが訴えられた特許訴訟ではパテントトロールなどと戦った。そして今はVCとしてパテントトロールの側にいる。同じ人物が、時によって、小規模発明家の立場から大企業の立場まで、縦横に立ち回っている。変わらないのは特許重視の姿勢だけ。それをどう保護するかの論は立場によって変わりそうだ。

 そこからわかるのは、小規模発明家と大企業は、会社が大きくなったかどうかで違うステージにあるだけということだ。上に書いたように、米ハイテク産業では、個人発明家も会社を興し、会社を大きくしたり他社に売ったりすることが簡単にできる。個人発明家vs大企業という対立構造が固定してあるのではなく、両方とも同じ流れの中にあり、スイッチも可能。そこに米ハイテク産業の強さがある。だから、どちらを守るかの白黒がつきにくいのだろう。

 発明に関しても同様だ。ハイテク大企業自身も、ビジネスの核としているのはアイデアで、製品を作っているかどうかはじつは二の次だ。米国のハイテク企業の成功パターンを見れば、製品の組み立てやサービスの運営は外国企業などにアウトソーシングしたり、ライセンシングで儲けたりしているところが非常に多い。アイデアを売っているという点で、パテントトロールと他のハイテク企業を線引きはできない。

●製薬業界も反対

 さらに特許法改定派にとって困ったことには、ハイテク(IT)業界の外部、製薬業界からも、強い反対がある。

 特許ライセンスに社運がかかる製薬業界は、侵害製品の差止命令などを請求しづらくなるのは困るのだ。イノベーションの担い手という意味では、バイオテクノロジーを擁する製薬産業はハイテク産業と互角であり、その論は強い。また、製薬業界は政治献金の額が多く、政治家への影響も大きいと見られる。

 包括法案を提出したSmith議員は、2006年中の議会通過は無理だろうと語ったと言われる(IPO DAILY NEWS)。その弱気も、無理はないかもしれない。

【5月8日付け お詫びと訂正】初掲載時に、米国の特許取得要件に関して誤解を生じる記述があったため、削除しました。米国では発明の“非自明性”が特許取得要件となっていますが、これが日本でいう発明の“進歩性”とほぼ同じとみなされているようです。出願発明に関する特許庁の判断や訴訟時の裁判所の判断によって、日米で解釈に差が生じることはありますが、米国では「発明の“進歩性”が特許取得の要件とならない」と断定的に書いたのは誤りでした。変更した旨、お断りすると同時に深くお詫びいたします。

□関連記事
【2000年9月25日】【後藤】そして誰もいなくなったMicrosoft
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20000929/high15.htm
【2005年3月27日】【後藤】米Eコマースサイトがビジネスモデル特許の取得競争
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20000327/high08.htm

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(2006年5月2日)

[Text by 後藤貴子]


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