山田祥平のRe:config.sys

オフラインのパソコンが役に立たなくなる日




 Google Calendarのβサービスが始まった。ユーザーインターフェイスも秀逸で、まだ、英語版のみの提供だが、日本語データの入力も特に問題なさそうだし、これなら十分に実用になりそうだ。けれども、1つやっかいな点がある。せっかく入れたスケジュールも、インターネットにパソコンをつながなければ確認できないという当たり前の制限だ。

●インターネットに強く依存するユーセージモデル

 圏外状態の携帯電話がどのくらい役に立つかを考えてみよう。通話はできないし、サイトの参照もできない。でも、過去に受け取ったメールは読めるし、圏内に戻ったときに送りたいメールを書いておくこともできる。さらに、写真も撮れれば、最近なら、音楽や動画なども楽しめる。JRの改札だって通れるし、立ち食いうどんだって食べられる。バッテリ切れを起こさない限りは、通信ができない携帯電話が特に邪魔に感じることはない。そして何よりも、重要なことだが、日常生活の中で圏外になる時間はきわめて短い。

 その一方で、パソコンはどうだろう。多くのユーセージモデルが強くインターネットに依存していることに気がつく。携帯電話が通信機能の付加価値として、オフラインでのユーティリティ価値を高めているのと逆の現象が起こっている。この状況が加速すれば、インターネットにつながっていない状態のパソコンが、バッテリ切れを起こしたパソコンと同じくらいの価値しかなくなるような日が到来するのも、そう遠い未来の話ではない。問題があるとすれば、オフラインの時間を限りなくゼロに近づけられるほどには、インフラが整っていないという点だ。

 もちろん、ワープロやスプレッドシート、プレゼンテーションといった、定番のビジネスソフトウェアは健在だ。だが、これらのアプリケーションが、ずっとスタンドアロンで使い続けられるかどうかだって保証の限りではない。それに業務で使われるパソコンでもなければ、これらのビジネスソフトを使用する機会がパソコンを使う時間全体に占める割合は、どんどん減っているんじゃないだろうか。

 今でこそ、ソフトウェアは代価を支払ってその使用権を購入するものとして認知されているし、そういうビジネスモデルではあるが、将来的には広告モデルが採用され、アプリケーションを使うために広告を見せられるような状況にならないとは限らない。それがいやなら、パソコン本体と同じくらいに高額なコストの負担を求められるとしても、人々はソフトウェアを購入することをためらわないだろうか。

●広告配信スタイルは普遍ではない

 民放のTV番組、そして新聞、雑誌などのメディアは、その制作費の大部分、あるいはほとんど全部を広告収入に頼っている。でなければ、1カ月に数千円で記事満載の新聞が朝夕届けられるはずもない。雑誌の値段だって何千円もの価格になるはずだ。

 これらのコンテンツに挿入される広告は、ある意味では貴重な情報だし、時代を映す鏡でもある。それに、広告のページなら飛ばし読みしたり、TVだったらトイレに立つという逃げ道もある。見たくないから見ないというわけにはいかないけれど、広告に対してある程度の距離感を保つことはできている。

 その一方で、広告主は、自分たちの広告が、少しでも効果的に機能することを求めている。当たり前の話だ。新聞のように何百万部もの発行部数があるメディアでは、あらゆる分野の広告が掲載されるが、女性誌と男性誌、朝のワイドショーと深夜のアニメ番組では、挿入される広告はまったく違う。こうした工夫がうまく機能し、ぼくらは、TV番組を無料で楽しめているし、リーズナブルな対価で新聞や雑誌を購読できている。

 ところが、5年前に録画した番組を今再生すれば、そこには5年前のCMが挿入されているだろう。大掃除の途中に10年前の雑誌が見つかったとして、パラパラとめくれば、10年前の広告が目に入る。資料性は高いかもしれないが、これらは広告としては、もはや意味のないものだ。そこでアピールされている製品が、もはや入手できないものである可能性だって高い。

 でも、オンラインコンテンツではそんなことはありえない。挿入される広告をダイナミックに編成することができるからだ。さらに、コンテンツを受け取る側のプロパティに応じて、提供する広告の種類を変えることができれば、広告効果はさらに高まる。10年前のコンテンツを開いたユーザーにも、最新の広告を提供するなんてカンタンだ。その証拠に、この連載コラムのバックナンバーを開いても、ウィンドウの右側に表示されるのは、最新の広告である。

●ネットワークリッチな時代の広告モデル

 問題は、広告収入に強く依存するコンテンツの送り手が、オフラインで読まれる、あるいは視聴されることを、いつまで許容し続けるかである。今でこそ、各種のコンテンツのコピーをパソコンに保存し、オフラインで参照することもできているが、それがいつまでも続くとは思わないほうがいい。ストリーミングビデオは、パソコンにデータを残さないコンテンツ配信を可能にしたが、静止画や文字だけで構成されたコンテンツが、ストリーミング配信に移行しないとは限らない。無料のコンテンツを楽しむためには、TVにアンテナをつなぎ、コンテンツの一部として広告を受信しなければならないのと同じように、パソコンもインターネットにつながなければ機能しなくなるような時代がくるかもしれない。

 もっともそんな時代が来るころには、オールウェイズコネクトを実現できるインフラが整っているだろうし、今の携帯電話のように1日中オンにしていても、バッテリの心配なく稼働し続けるハードウェアが提供されているだろう。ダウンロード型のコンテンツに、CM挿入のキーフレームを埋め込み、ネットワークに接続しなければ見ることができないようにすることは、今日からだって可能なのだ。そんなネットワークリッチな時代に、コンテンツプロバイダーが、こうした配信スタイルを選択しない理由は見あたらない。

 かくして、パソコンは、オフラインでできることがどんどん少なくなっていく。アプリケーションソフトにさえ、広告モデルが採用されるかもしれない世の中を、ぼくらはドライに受け入れるべきなのか、受け入れるべきではないのか。タダほど高いものはない。今、そのことをじっくりと考えるべきである。

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【4月13日】「Google Calendar」公開、スケジュールの共有機能などを搭載(INTERNET)
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/04/13/11634.html
【2月24日】【山田】インターネットのどこでもドアは、まだ夢のつづき
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0224/config094.htm

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(2006年4月14日)

[Reported by 山田祥平]


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