森山和道の「ヒトと機械の境界面」

NHK技研公開2005レポート
~「人の可能性に学ぶ放送技術」とは?




 2005年5月26日~29日の日程で、NHK放送技術研究所の一般公開が行なわれた。これからの、メタデータ活用やIP化を含めたデジタル放送の未来に関する技術や、電子ホログラフィ、高品質な音声合成技術、フレキシブルディスプレイや次世代のスーパーハイビジョンなど先端技術のほかに、「技研75周年・技研が歩んだ3/4世紀 」としてTV技術のこれまでの歴史や、新しい技研を目指す「NHK技研ビジョン“NEXT”」などが公開された。

 デモ展示を見ていると、単に放送やブロードバンドの未来といった枠に留まらない、今後の技術の潮流が垣間見えたような気がする。逆にNHK技研側の展示を見ていると「放送」という枠に留まって考えることの限界も見えた。

 展示をいくつか紹介しながら、思い浮かんだことを、この場を借りてまとめておきたい。

高柳健次郎博士による有名な「イの字」テレビジョン送受像実験装置。こちらはもちろん受像機側。走査線は40本。'26年に実験された 送像機側。回転する穴と光電管を用いる回転式 「イの字」テレビジョン送受像実験装置に用いられてた「ニポー円盤」。直径50cm。円盤に直径0.7mmの小さな穴を渦巻き状に開け、毎秒30回で回転させることで、像を穴の数と同じ数の走査線に分解する。その明るさの変化を光電管を使って電流の変化に変えて受像器側に送る仕組みだった
そのほか、放送の歴史を作ってきた機器も展示されていた

 まず1Fフロアで歴史を追ったあと、「NHK技研ビジョン“NEXT”~人の可能性に学ぶ放送技術~」に関する説明がビデオとパネルで行なわれた。

 「NEXT」とはNHK EX Technologyの略。放送技術には「見る」、「知る」、「使う」の3つの方向性があるとし、「人のメカニズムに学びながら新しい技術を生み出していきたい」というもの。「見る」についてはより豊かに表現する(Express)、「知る」についてはより人の知識活動に卓越した活動を生み出す(Excel)、「使う」は放送利用場面を拡大する(Expand)という意味が込められているという。

 実際、パネルを見ると、お茶の間でスーパーハイビジョンやフレキシブルディスプレイを使った携帯型TVデバイスなどのほか、製作者や視聴者の行動パターンや知識を自動的に収集したり体系化したり、また脳計測なども含めた研究を行なうといった、人間の認知や学習機構などにも踏み込んだ、いわばインターフェイスとしてのTVを根本から考え直そうといったコンセプトが見られた。

 ここから先は、実際に展示のそばで解説を行なっていた技研の研究者たちの話と、筆者自身による推測を織り交ぜた話としてお読み頂きたい。おそらく技研は、デジタル技術の基礎開発ステージは既に終わった、とみているのだろう。もちろん、これから実用ステージ、普及ステージをにらんだ応用研究は必要だ。だがしかし、「研究所」はもっと先をにらんだ研究を進めておく必要がある。そこで今度は、インターフェイスの中心である「人間」そのものに研究の中心を移そうとしている、あるいは人間のことをもっと知らなければ、人間自身も研究対象として進めなければ、ブレイクスルーがないと考えているのだと思われる。

技研のビジョン「NEXT」が目指す方向 コンセプトビデオから、携帯端末利用シーン

●スーパーハイビジョン、サーバー型放送、電子ホログラフィやスピントロニクスまで

 さて、以上を踏まえて、展示のうち主立ったものをざっと追っていこう。各展示のパネルには技術解説だけではなく、実用までのロードマップが付けられていた。

 まずは次世代の放送システムに関する展示から。

映像制作機器、スタジオ中継システム、制作支援システムのロードマップ。なかでも制作支援システム関連は、実用化されると一般ユーザーへの影響も大きそうなので注目しておきたい 有機撮像デバイスを使った小型カメラ、夜間でも超高感度で撮影できる「冷陰極HARP撮像板」など、次世代カメラの開発が進められている。HARP撮像板は感度が去年の10倍になったという
フレキシブルLEDバックライトを使ったディスプレイ。画素ピッチ2.75mm、ポリマー壁間隔0.25mm 有機TFT駆動のフレキシブル液晶パネル NHKでは標準TV相当、640×480画素程度のものを2010年頃には実用化したいと考えているという。これは実用シーンをイメージしたモックアップ。筒状のケース内に巻き込んで収納される
ネットワークを利用した高度コンテンツ制作システム。将来的には映像もスタジオから現場への送り返し(スタジオからの指示音声など)も全てIPネットワーク上で動くことが予想される。その時代に、アドホックにカメラそのほか制作機器がネットワークを組むことができれば、非常に便利だ。制作側は手近な無線中継端末を使い、スタジオに映像を送ることができる。全て無線で繋がっているのであれば、これまでのように専用ケーブルを引き回す必要もなくなる。実際に技研公開時には使われていた。また、スタジオでもその場でネットワーク上にある機器が見え、それを自在に組み合わせることで自在に番組コンテンツを制作することができる、そんな時代を見据えた研究。一言でいえば、TV映画「マックスヘッドルーム」の世界を実現する技術だ

 7,680×4,320画素、フレームレート60Hz。音響は22.2ch。NHKが誇る次世代TV「スーパーハイビジョンシアター」も公開されていたが、写真撮影禁止だったのでパネルだけ紹介。ちなみにコンテンツは大相撲だった。たしかに土俵の砂粒まで見えるクオリティはすばらしい。

システム構成 スーパーハイビジョンのカメラ 22.2チャンネルの音響システム
ディスプレイと記録装置 TV視聴エージェント。音声認識を使ったTV切り替えや検索など。将来は「なぜ?」、「どのように?」といった質問にも答えられるようにして、もっと「気の利く」TVにしていきたいという

 もちろんデジタル放送、ケータイ向け放送についての技術展示にも力が入れられていた。地上デジタル放送は既に始まっており、今後、ケータイ向けは2006年、サーバー型放送は2007年を予定している。現在のアナログ放送は2011年には放送停止される。

デジタル化へのロードマップ ケータイ向けデジタル放送の端末。全画面表示と、データ放送と一緒に受信する両パターンが展示されていた

 単に端末の展示だけではなく、「愛・地球博(愛知万博)」にて来月6月からオンエアされ、実際に利用できるケータイ端末向けサービスについてもデモンストレーションされていた。

操作方法説明画面。カーソルでデータ放送を選択する 実際の端末。名古屋放送局が作ったデータを受信中。映像はAVC/H.264でエンコードされるが、独自に高画質化技術を加えることで、128kbpsでもそれなりに見られる画像を受信可能 交通機関やパビリオン混雑情報などもリアルタイムのものを見ることができる
こちらはデータ放送部分のBroadcasting Markup Launguage(BML)ブラウザー 放送局側からのキューで画面を書き換えることができる点が最大の特徴。もちろん受信用のチップとチューナがあればケータイのみならずPCでも利用可能。PCへのTV機能内蔵が当たり前になりつつある今、将来の幅広い応用を予感させる

 サーバー型放送に関してもさまざまな展示が行なわれていた。実用のためにはやはり、課金と著作権処理が最大の課題のようだ。サーバー型放送の応用例の1つとして、理科教材としての利用シーンなども紹介されていたが、実際の学校での利用実験などはまだ行なっていないという。

学校教材としての使用例。蓄積された映像を使ってコンテンツを教師が作る 電子すかし技術の展示。エンコードするときに映像に電子すかしを入れる。ただし現状では生放送などには対応できない NTTドコモの試作機「OnQ」もサーバー型放送の例の1つとしてデモ展示されていた。OnQについては本誌バックナンバーをご覧頂きたい
メタデータ制作・活用システムのあらまし。実際のデモも行なわれていたが、撮影禁止のためパネルのみ

 これからのTVの利用のために重要な役割を果たすと考えられるのがメタデータだ。メタデータとは、簡単に言えば映像につけられたタグ情報のようなもののことで、あるタイムコードを持った映像が、何についてのどんな映像か記述したもの。

 メタデータを機械が理解できれば、自動で番組を制作したり、人間の検索に対し、より的確な映像コンテンツを送り返すことができるようになる。

 展示では、映像を処理して、スロー再生、シーン種別検出、カット検出、選手位置検出、音響処理、音声認識などを行ない、それらを組み合わせることで、サッカーの試合ビデオの中から特定選手のシュートシーンだけを自動で切り出す、というデモが行なわれていた。1つ1つの検出結果だけでは尤度推定のレベルも低いが、複数を組み合わせることで検索結果の精度を上げることができる。

 将来はこの技術を使って、家庭内サーバーに蓄積されたデータを検索・ブラウズできるようにすることなども考えているという。

 見てびっくりの放送技術ももちろん展示されていた。まずは最高で1秒に100万コマ撮ることができる驚異の超高速撮影カメラから。

超高速度高感度カメラ。巨大なレンズはF2.0 15万画素のCCDを2枚貼り合わせた30万画素超高感度CCD。CCDから並列高速読み出しを実現することで撮影速度が毎秒1,000枚以下であれば連続読み出し・撮影が可能

 実際のデモを動画でご覧頂きたい。目にもとまらぬ速度で回ってるファンの上に貼り付けられた英字新聞も、この30万画素高感度高速カメラの前では止まって見える。

【動画】肉眼で見るとただ回転している様子しか分からない 【動画】ところがこのカメラの前でははっきり文字を読むことができる。撮影速度は1万枚/秒
【動画】合成音声。まわりの話し声で聞き取りにくいが、気象予報を読み上げているのが合成音声。耳で聞く限り、いたってナチュラルだった

 気象予報を合成音声で読み上げるシステム。これも動画でお聞き頂きたい。音のつなぎ目の類似度を見ることで、できるだけスムーズに繋げるようにして合成している。

 そのほか、地上デジタル放送を目指したハイビジョン移動通信技術などが目立った。NHKでは既存の光通信網を活用した放送波再送信実験などを行なっている。山間部やビル陰などにも対応させるためだ。


昨年、水戸で実施された実験。既存の通信を行なっているCバンドと干渉せずに波長多重伝送を行なうために、Lバンドで伝送する方法を開発。いばらきブロードバンドネットワーク(IBBN)で実験を行なった FTTHの末端をミリ波に置き換える機器 ミリ波モバイルカメラ。高画質なハイビジョン映像を安定して送り出すための研究の1つで、これはMIMO-OFDM方式と呼ばれる手法を採用したカメラ
ハイビジョンカメラ用垂直磁気記録方式1インチHDDの試作機。中央にあるのがHDDコントローラ。左側が垂直磁気ディスクと記録ヘッド ハイビジョン緊急中継パック。災害時など、いざというとき、カメラとこのパックだけあれば、中継車がなくてもヘリコプター等に電波を飛ばすことで中継できる。だがバッテリ駆動なのであくまで中継車が出るまでの繋ぎ用
通信衛星用ハイビジョン送信レンズアンテナ。車両に設置して使うもので、光のように電波を屈折させて放射する ハイビジョン立体視モニター。手術風景などを収めて再生するのに使う

 映像が人間にどんな影響を与えるのかに関する研究についてのパネル展示もあった。現在はまだ映像酔いなど悪い影響に関する研究が主だが、今後は、脳の非侵襲計測技術なども使いながら、感動や臨場感を生み出す、すなわち良い方向に働く映像の構造や本質にも迫っていくそうだ。

映像酔いを引き起こす映像の検出技術の開発に関する研究 番組の受容特性を調べるために、心理、生理、工学、そして番組制作上のノウハウなどを集めて学際的にすすめていくという

 放送は誰にでも楽しめるものであるべきだ。そこで視覚障害者向けの触覚ディスプレイも研究されている。

触覚ディスプレイ。いわゆるピンディスプレイだ。左はデータ放送やEPGなどを素早く探索するための触覚ナビゲータ。メニュー画面など階層化されたものを表に変換して呈示する 評価用の触覚ディスプレイ

 自動的にCGキャラクターを使って番組を作るためのシステムも検討されている。NHK技研では「TV4U」と呼んでいる。キャラクターや証明、舞台設定など従来の台本に書くことは「TVML」と呼ばれるマークアップランゲージで記述される。

TV4U。製作者はワープロ感覚で番組を制作し、ボタン1つで公開できる TV4Uで作られた実際の番組 TVMLソース。スタジオやキャラクターが記述されている。基本的に書き方は従来の脚本と同じ構造になっている
番組はTVML Playerで閲覧できる。TVML Player miniは公開されていてダウンロードできる こちらは任意視点映像システム 実際のデータから取り込まれて生成されたCGによる能楽キャラをジョイパッドでの操作でさまざまな視点で閲覧可能

 これから放送と通信の融合の流れのなかでは、視聴者が設定した情報をもとに、放送局側がお好みの編成を組んで送り届けることも可能になると思われる。その場合、個人情報の問題が浮上する。その視聴者個人の情報管理に関する展示もあった。

 なお、現時点では受信料支払い有無との関連づけは考えていないとのことだったが、実運用時には当然組み込まれるものと思われる。

視聴者情報管理の考え方 ユーザーが事前に登録したプロファイルに基づいて放送局は番組表を最適化する

 また、未来の映像として今でもときどき目にする電子ホログラフィや、ヒューマントランスポーター「セグウェイ」を使ったロボットカメラの展示もあった。

電子ホログラフィの装置 【動画】映像が見える「視域」は現状では5cm×7cmと非常に限られているので、動画でその様子をご覧頂きたい。ちらっと見える赤い映像がホログラフィ 電子ホログラフィの再生映像。これはカメラごしに見たもの
セグウェイを使ったロボットカメラキャリアー セグウェイの上に5kgのダミーウェイトを載せてそれを前後に動かすことで遠隔操作している 【動画】これから、このカメラを使って初めて撮れる画像を模索するという。ニーズよりもシーズ先行、というよりセグウェイありきの研究のようだ

 これからの研究として期待されているのが「スピントロニクス」だ。電子の性質であるスピンの上向き・下向きを操作し、情報を符号化する。これは「スピン注入磁化反転」という数nmの微小領域を磁化反転するための研究。

スピントロニクス

 さて、以後は雑感である。今回の研究展示のなかに、サーバー型放送利用シーンの1つとして、シングル・サインオンの研究があった。1つのサービスを受けるたびに、1回1回サインオンするのは面倒だ。そこで必要になる技術がシングル・サインオンだ。さまざまなサービスを、一度の本人確認で簡単にできるようにするための技術である。たとえば、1回、TVにサインオンすれば、あとは各局各番組ごとにいちいちサインオンしなくてもよくなる。

 今回はそのための基礎技術が紹介されていたのだが、率直にいって、その実用シーンに疑問を感じざるを得なかった。おそらくこの技術は数年後の未来の応用を想定したものだと考えられる。だとすればその時代には、シングル・サインオンの技術は、単にTVという家電1つだけではなく、ネットワークで繋がれた家電や、それどころか「家」全体に対して必要とされるものになっているはずである。将来は家の鍵をケータイで開けると同時に家庭のネットワークにログイン、という形になっていてもおかしくない。

 NHK技研という限られた研究所の発表、そして数年先の話とはいえ、その程度のことは考えても良いのではなかろうか。TVに限定してしまうと損な技術もある。

 また、これからの応用範囲が広いメタデータ取得に関しても、既に撮影された映像を一生懸命認識させることだけが能ではないだろう。たしかに画像解析で顔を認識させたりするのは大した技術だと思うが、撮影したときのカメラのズームやスイッチャーがどのカメラを選択したかといった情報を番組コンテンツ制作時に取ってしまえば、メタデータ制作はもっと簡単になるはずだ。いわばデジカメにおけるExif(Exchangeable Image File Format)のようなデータを拡張した形で動画に対してつければいい。放送撮影用カメラにGPS等をつけ、細かい位置データを取ることも当たり前になるはずだ。TCに同期した形でデータが取れれば、もっと面白いことができると思う。

 とかく遅れていると言われている放送業界だが、これからは、そういったアプリケーションを想定した研究がもっと必要になってくるのではなかろうか。つまりシーズ先行ではなく、アプリケーションや利用者先行の技術開発である。

 番組を見ているときに人間がどんな反応を示すのかといった研究にも言えることが、より人間を中心とした放送技術が求められるようになりつつある。そうなると、実にさまざまな問題が立ち上がってくる。たとえばリモコン1つとっても、現状のままで良いはずはない。だが操作されるものとしてのTVの研究はほとんど見当たらなかった。

 今回はこれまでの延長としての技術展示が目立った。だが「インターフェイス」としてTVを見直すと、もっと色々な可能性があるはずだ。

 間違いなくTVは、もう一度いろいろなことをチャラにして、ゼロから考え直すべきときに来ている。

□NHK技研公開2005
http://www.nhk.or.jp/strl/open2005/index.html
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【2004年8月5日】【森山】指先でテレビをザッピングする~NTTドコモ「OnQ」が描く未来
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2004/0805/kyokai27.htm

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(2005年5月30日)

[Reported by 森山和道]


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