山田祥平のRe:config.sys

そのデータ、捨ててください




 パソコンを使い続けていくうちに、いろいろなところに支障が出てくる。HDDは生き物で、OSは、新たなパッチやアプリケーションを吸い込み、データも蓄積されていく。同じ環境でも、1カ月、別のユーザーが使えば、まったく異なるマシンへと変身する。ある意味では自分の分身であるといってもよいだろう。

●ニューコンピュータ≠マイコンピュータ

 新しいパソコンを手に入れたときには、自分自身で使いやすい環境、すなわち、直近まで使っていたマシンとよく似た環境を作るために、ほぼ一昼夜かけての作業が必要だ。少なくともぼくはそうだ。必要なアプリケーションのインストールや、古い環境から、メールやお気に入りなどの基礎データを移行しなければならない。多くの時間はI/O、すなわち、ファイルのコピーに費やされ、必然的に待ち時間は長くなる。

 これでも、LAN経由でこれらの作業ができるようになったおかげでずいぶんラクになったのだ。昔は似たような作業をフロッピーディスクを使ってやっていた。何十枚にも及ぶとはいえ、今と比べれば微々たるデータ量だったとは思う。でも、かかる時間は似たようなものだったし、何より、作業中、パソコンに張り付いていなければならないのは苦痛だった。

 最近は、パソコンの買い換えに際して、以前のデータにこだわらない方が増えているともきく。携帯電話の機種変更に際しても、移行するデータはブックマークと電話帳データくらいのもので、メールや写真は前の機種に残したままというケースが少なくない。もっとも、携帯電話のメールは多くても直近の1,000通程度しか残らず、古いものから順に消えていく。だからこだわらないということなのかもしれない。

●新しいパソコンが気持ちのいい理由

 パソコンも携帯電話も、工場出荷時状態に戻すための機能、すなわち、リカバリをすることができる。メーカー製パソコンの場合、HDDの隠し領域にOSやユーティリティのインストールイメージが格納されていることが多い。

 再起動時に特定のファンクションキーを押しっぱなしにすることで、この機能が実行され、メイン領域のフォーマットとHDDイメージの復帰が行なわれる。かつては添付CD-ROMやDVDを何枚か差し替えながらということが多かったので、ディスクの入れ替えなどの手間が必要だったが、HDDからのリカバリの場合はその必要がない。1時間ほど放置するだけで、初めて電源を入れたときの、あの、初期画面が立ち上がる。まあ、人間でいうと、人生のやり直しということか。ボタンひとつで生まれ変われるのだから、うらやましくもある。

 けれども、生まれ変わったパソコンも、ユーザーが変わらない限り、ほぼ同じ人生をたどることになるだろう。仕事がら、1年に十数台のパソコンをOSのクリーンインストールや工場出荷初期状態から使うが、ほとんどの場合、末期は、同じような環境に収束する。

 デスクトップの散らかり具合や色合いを含め、自分色に染まってしまう。それだけ自分が染みこんだパソコンでも、不思議と愛着がわくという実感を抱くことはない。使い続けているときには、手放せない愛機ではあっても、新しいマシンを手に入れると、気持ちはそちらに移ってしまう。この淡泊で薄情な感情は、紙の手帳や愛用の筆記用具などを使っていたころではありえなかったと思う。

 これは、相手が機械であることと、作り上げて自分色に染めきった環境は、その気になれば、ほぼ同等のものとして再現できる保証があるからだ。もちろん、パソコンなのだから、それぞれの個体に応じて、キーボードのタッチが違ったり、ポインティングデバイスの使い心地が異なったりはする。それに満足できないなら、ノートパソコンでは難しいけれど、デスクトップパソコンなら、キーボードやポインティングデバイスに関しては古いものを使い続ければいい。実際、ぼく自身も、キーボードだけは、東プレの製品をずっと使い続けている。これに関しては、保証されているわけではないが、壊れたら代わりを買えるという安心感もある。

 真新しいパソコンはほぼ確実に、以前のパソコンよりも確実に速く快適だ。HDDの容量も多くなっているだろうし、読み書きも高速に違いない。ここ数年、悲しいことに、使っているOSは同じだし、アプリケーションにも大きな違いはないが、扱うデータの量は数年前に比して激変している。デジカメの画素数は増え、テレビ録画などで、巨大な動画データも扱うようになった。だから、パソコンが高速であることは重要な魅力なのだ。そして、その魅力は、古いマシンへの決別という薄情な気持ちを加速する。

 HDD上のデータの完全な抹消という条件さえ満たしていれば、使い古したパソコンの売却や譲渡にはまったく抵抗がない。同じ機械であっても、なぜか、カメラなどではそういう気になれない。使わなくなったカメラでも、愛着は抱き続けるし、また使うかもしれないと、棚の奥にしまい込んでしまう。

 かくして、何台ものカメラを所持することになるのだが、パソコンで、そういうことはありえない。これはカメラへの愛着の主体が手になじむとか物理的なスリ傷、手あかといったアナログ的な部分ばかりだからなのかもしれない。

 でも、これは、ぼく自身だけの特別な感情かもしれない。かつての愛機をずっと保存しているユーザーは少なくないし、コレクションとして、クラッシックなパソコンを収集しているユーザーもいる。それでも、現在進行形で使い続けている愛機よりも、愛着のある古いパソコンというのはありえないのではないか。どんなに手になじんだパソコンでも、そのことが、デジタル的な部分への愛着に勝ることはない。

●複数のクローンが安心を生む

 これもまた仕事柄ということになるが、同時に複数のパソコンを常用している。自宅でメインに使っているマシンがあり、検証用環境として、工場出荷の素に近いマシン、スキャナなどがつながった入力専業マシン、そして、常に持ち歩くノートパソコン、出張時にホテルの部屋に置きっぱなしにする高パフォーマンスのノートパソコンなどがある。出張は国内外あわせて、年間30泊くらいなので、ちょっともったいないようにも思うが、出張時はトラブルに備えてパソコンを2台携行するので、どうせならと、性格の異なるマシンを選ぶ。

 それでも、これらの常用パソコンの環境は、ほぼ同一に保たれている。十分に広い帯域のネットワークに常時接続できる保証があるなら、データを同期させる必要などないが、残念ながら、まだ、そういう世の中にはなっていない。もしそうなら、近頃話題のHDDレスパソコンで十分かもしれない。

 さすがにHDDレスというわけにはいかないので、必然的にそれぞれのマシンのHDDには、常に同期が行なわれながら、重複してデータが保存されていく。だから、たとえ、常時携帯しているノートパソコンがある日突然クラッシュしてもあまり困らない。復帰にはある程度の時間はかかるが、リカバリと同様に、一昼夜程度だ。

 それよりも気にしなければならないのは、個人情報の漏洩だろう。クラッシュではなく、パソコンが盗難に遭ったり、どこかに置き忘れたような場合の配慮も必要だ。以前も、少しふれたが、OSはパスワード保護されているので、メールなどが漏れる心配はないが、素の状態でHDDに保存されたデータは、HDDを取り外されて別のパソコンに装着されたらおしまいだ。今後は、TPMなどを使った暗号化のシステムなどが、ますます重要になっていくだろう。

 リカバリもカンタンなら自分の色に染めるのもカンタン。身の回りの用事のほとんどをパソコンに頼っている以上、いったん、自分色に染まったパソコンは、自分の分身に近いといえる。いわば記憶のクローンだ。クローンをいくつも持て、しかも、そのデータを自在に移行できてしまうところにデジタルの彩がある。

バックナンバー

(2005年5月27日)

[Reported by 山田祥平]


【PC Watchホームページ】


PC Watch編集部 pc-watch-info@impress.co.jp ご質問に対して、個別にご回答はいたしません

Copyright (c) 2005 Impress Corporation, an Impress Group company. All rights reserved.