山田祥平のRe:config.sys

メディアリッチの領分



 欲しいときに欲しいコンテンツが手に入る。今となっては誰も疑わないような当たり前の環境だが、オリジナルコンテンツのリッチさによっては、似たものは手に入っても、そのリッチさが抑制される可能性がある。複製技術時代のコンテンツには避けて通れない話だ。それは間違ってはいないけれど、リッチさが失われているにもかかわらず、得られるもうひとつの別のリッチさもある。

●フルデジタルの映画館

 見損ねていた邦画を立て続けに2本見てきた。内容についてここで言及することはしないが、一本は「ハウルの動く城」。いわずとしれた宮崎アニメである。この映画は東京・日比谷のスカラ座で見た。この映画館にはDLPの設備があり、フィルムを使わず、オールデジタルで映画を上映する。前作の「千と千尋の神隠し」もここで見た。

 リリースによれば、デジタル上映映画館数は、前作当時より2倍以上に増え、全国12館になったらしい。リリース本文中にある、「ロングラン上映でも初日と変わらない安定した画質を提供します」というコメントが興味深い。逆にいうと、通常のフィルムを使って上映する映画は、公開直後に見た方が画質がいいということである。

 フィルムというもろい素材に熱を持つ光を当て、リールを回転させる以上、ロングラン上映では、次第にフィルムが劣化したり傷がついたりする。そして、それはスクリーン上の雨や嵐となって画質を損なっていくというわけだ。

 ぼく自身は日比谷のスカラ座しか見ていないが、現在、DLPの設備を持った映画館は、全国に21館あるそうだ。T・ジョイのように、積極的にデジタル上映をアピールし、上映スケジュールにフィルム上映かデジタル上映かを明記しているような映画館があるというのも目新しい。

 ここは、シネマコンプレックスとして複数のスクリーンがあり、タイトルによっては、フィルムとDLPの両方で同時期に上映している。フィルムで作られた作品の場合、DLP上映のためには、フィルムをスキャンしてデジタル化する必要がある。それを好ましくないという判断をするならフィルムでの上映を選ぶことができるのだ。

 デジタル制作された作品はデジタル上映で、フィルム制作された作品はフィルム上映でという鑑賞の方法選択ができる時代がやってきたわけだが、作品の制作素性や、上映の方法などが、今ひとつわかりにくいのは、配給興業というのが、一種特殊なビジネスであることに起因しているのかもしれない。

 オリジナルコンテンツのリッチさの抑制を最小限にしたい。フルデジタル映画館は、そんなニーズに応えてくれる。

●小さな小屋の大きな体験

 一方、もう1本見た映画は「いま、会いにゆきます」。市川拓司作の同名小説を映画化したものだ。原作小説は読んでいないが、高田靖彦によってコミック化されたものが、ビックコミックスペリオールに連載されていたのを読んでいた。

 でかけた映画館は東京・新宿の新宿ピカデリーだった。開演時刻の40分ほど前に、入り口付近の松竹プレイガイドで、まだ残っていた特別鑑賞券を1,300円でゲットしたところ、販売窓口の人が、すぐに整理券をもらいに行くようにと勧めてくれた。

 平日の真っ昼間にそんな馬鹿なと思ったが、彼女の話は本当だった。劇場に行ってみると完全入れ替え制とあって、整理券を受け取り、階段に番号順に並ぶように指示された。ちょうどレディースデーということもあったのだが、ぼくがもらった券は26番目。普通なら余裕だと考える。ところが甘かった。

 この映画館には4つのスクリーンがあるが、「いま、会いにゆきます」は、今週いっぱいの上映ということで、ぼくがでかけた日には、急遽「ピカデリー4」での上映に切り替わっていた。実に、このスクリーンには座席が44席しかない。結局、座れたのは、この座席表の中の32番の席だった。座席そのものは快適だったが、床には傾斜もなく、前席に座る観客の頭が気になる。

 しかも、スクリーンのサイズはビスタの場合、1.1m×1.8mだ。周りの観客も、同じことを思っていたのだろう。座席につくやいなや、あちこちから「小さ〜」、「笑っちゃうね〜」という声が聞こえてきた。なにしろ、今、普通に購入できる大画面プラズマテレビ、たとえば、パナソニックのVIERAの65V型ハイビジョンプラズマTVでも、そのスクリーンサイズは0.806m×1.434mある。200万円を超える受注生産とはいえ、購入できない金額ではない。もっと上を望むなら、102型のプラズマディスプレイだって発表されている。

 けれども、そのとき座席についたぼくの前方にあったのは、80〜90型クラスのスクリーンなのだ。ホームシアターに凝っているような方なら、100型超クラスのプロジェクタスクリーンを特別大きなものとは思わないに違いない。それをさしひいても、このスクリーンは小さく感じた。

 劇場は満席だった。リアプロジェクターによる予告編の上映が始まると、最初のうちはスクリーンの小ささに対する不満の声が聞こえはしたものの、いざ、本編が始まると、そこに偶然居合わせることになった44名の観客は固唾を飲んで、こじんまりとしたスクリーンに投影される純愛ストーリーに集中した。ぼくも、最前列に座っている、ちょっと背の高い男性の頭でスクリーンの左下がケラレるのを気にしながらも、スクリーンを注視し続けた。あちこちからすすり泣きがきたりもする。そこに居合わせた観客の息づかいを体で感じるのだ。

●メディアの未来とレガシーコンテンツ

 ホームシアターなら、この劇場よりも、もっとリッチな環境で映画を楽しむことができるかもしれない。けれども、そこに偶然居合わせた観客の一体感のようなものは得られるかどうか。トイレのために席をたつのも自由なら、携帯電話が鳴れば一時停止ができる。しかも、スクリーンやオーディオは劇場よりも立派とくれば、そっちで見る方がよさそうなものだが、実際にはどうだろう。

 ぼくは、この日払った1,300円で、けっこう多くのものを学んだように思う。映画館は空間を売る商売だとは思うが、その空間は、設備だけではなく、そこに居合わせた観客がいっしょに作るものなのかもしれない。その一蓮托生の共同体意識は、800座席の大劇場で得られるものとは異質だった。毎回というのは正直なところちょっと躊躇するが、たまにはこういうのも悪くはないと感じたのだ。

 コンテンツのリッチ度は高まる一方だし、その再生環境も民生業務問わずに日々向上している。けれども、以前、このコラムで書いたように、ぼくらは、心の中のどこかで、シーケンシャルでスタティックなコンテンツを求めている。まさにマゾ。これじゃ咳払い1つできやしないと思わせるような、きわめて不自由で制限された特殊な空間で見るレガシーなコンテンツは、メディアの未来をどう方向づけるのだろうか。


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(2005年1月28日)

[Reported by 山田祥平]

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