山田祥平のRe:config.sys

メディアが背負うビジョン



 新しいメディアが、その登場に際して、古くから慣れ親しんだ別のメディアや方法、見かけなどを模倣することは、それを手にする側の新しいものに対する違和感を抑制するきわめて有効な手段だ。

 よく「○○は××をメタファにした」という言い回しをされる。たとえば、Windowsのデスクトップとウィンドウは、机の上の書類をメタファにしている。だったら、デスクトップを飾る壁紙は、本当ならテーブルクロスじゃないかと思うのだが、なぜか、Windowsでは、壁ではなく、机の上に窓が開く。Windowsは、Windowsであるがゆえのアイデンティティとして、窓の後方は壁であり、そこに貼り付けられるのは壁紙でなければならないようだ。

 そもそも、Windowsでは、開くのはあくまでもウィンドウとしてのアプリケーションであり、そのアプリケーションが書類としてのデータファイルを開く。そして、アプリケーションとデータファイルを結びつけるのが、Windows 95登場時にAppleに皮肉られた拡張子である。

●コンピュータラシーとリテラシーのアナロジー

 アラン・ケイは、ダイナブックの構想に際して、印刷物のリテラシーの歴史と、コンピュータのアナロジーを見い出した。ぼくは1839年に登場した写真とコンピュータの類似性を感じているのだが、ケイは、さらにその400年前、今からさかのぼること約550年前に注目している。

 鶴岡雄二翻訳/浜野保樹監修「アラン・ケイ」(アスキー、1992年)には、監修の浜野保樹氏(当時放送教育開発センター助教授)が、「評伝アラン・ケイ―本当の予知能力とは何か」というとても興味深い一文を寄せている。その冒頭部分をここに引用してみよう。

 今から500年前の中世ヨーロッパにでかけていって、グーテンベルグが発明した印刷術を評価することを依頼されたとしよう。たぶん、われわれは自信を持って、印刷術は普及しないと断定するにちがいない。その理由は次のようになる。第一に、印刷はきわめて高価であるから写学生の筆写に価格面で太刀打ちできない。第二に、ほとんどの人が読み書きを知らないのだから、複製を大量に必要とする市場がない。第三に、一五世紀当時は、本当に重要な問題は宗教に限られており、個人のプライベートな内面の思想の問題であったため、これは印刷物によって伝達できる内容ではない。それ故に、印刷術は絶対に普及しない。普通の観察力と判断力を持つ人ならば、かならずやそう断言したであろう。
(原文は縦書き)

 達観だ。まさに、パソコンが登場したときにも、同様のことが思われていなかっただろうか。

 浜野氏は、この結論が間違っていることは歴史が示すとおりであるとし、本当に社会に変革をもたららすものは、印刷術という単なる基盤技術ではなく、そこに込められたビジョンであり、アルダス・マヌティウスとマルティン・ルター(Martin Luther 1483〜1546)によってそれがこめられたのだとする。

 アルダスは前回紹介した八折り本の発明によって印刷物のユーザーインターフェースを改革したし、ルターは標準的なドイツ語を生み出すための重要な役割を果たす翻訳版の新訳聖書を著した宗教改革の指導者だ。そして、印刷術におけるルターとアルダスに相当する人物がコンピュータにおけるアラン・ケイだと浜野氏はいう。

 そして、ケイは、今もなお、シリコンバレーで語り継がれている名言を残す。

The best way to predict the future is to invent it.
(未来を予測する最良の方法は、それを発明してしまうことだ)

 ケイが「発明」したメディアとしてのコンピュータは、今なお、完成してはいないと、ぼくは思うが、未来永劫、ケイはその発明者として敬われ続けるに違いない。

●紙とコンピュータ

 紙とコンピュータの関係に言及する場合には、Adobeの仕事にふれないわけにはいかない。いうまでもなく、それは、電子の紙としてのPDFの軌跡だ。PDFが最初に紹介されたのは、1993年で、Adobe Systemsの共同創設者ジョン・ワーノック(John Warnock)がニューヨークのエクイタブルセンターにおいて、PDFとAcrobat 1.0を発表している。

 アラン・ケイは山に登れてコンピュータが触れるという単純な理由でユタ大学を選び、開設されたばかりの大学院過程に進んだそうだが、7人の大学院生のうちの一人が、ジョン・ワーノックだった。つまり、ジョン・ワーノックとアラン・ケイは同窓生だったわけだ。しかも、ジョン・ワーノックは、PARCに就職し、のちにPostscriptとなる、原型としてのJaMの研究にいそしむ。

 ケイの暫定版ダイナブックとなったAltoをすぐに商品化しなかったように、Xeroxはまたしても、ワーノックらの研究を商品化して市場に投入しようとはしなかった。XeroxはPARCが次々に生み出すビジョンと新しいメディアの登場によって、旧来のメディアがそれに役割を奪われてしまうことを、ひどくおそれていたのだろう。

 苛立ったワーノックは、チャック・ゲシキ(Chuck Geschke)と共に、PARCを飛び出し、新しい会社を設立する。それが、Adobe Systemsだ。そして、設立から数カ月後に彼らはPostScriptを完成させている。デバイスに依存しないページ記述言語であるPostScriptは、1991年にはInterchange PostScript(IPS)となり、それがPDFの原型となる。Adobeは、PDFの10周年を記念して、その紹介サイトを公開しているので参照してみるといいだろう。その歴史や誕生の経緯が詳しく説明されている。

●PDFは何を目指したか

 Adobeが考えたPDFのコンセプトを、ぼくらは本当に理解しているのかどうか。それは、ちょっと怪しいと思う。というのも、インターネットで流通しているPDFの多くを見ればわかるが、そのほとんどが、まだ、紙の印刷物を電子化したものにすぎないからだ。

 ご存じの通り、ぼくらが目にする印刷物としての書類は、そのほとんどが縦長だ。それに対してパソコンのディスプレイは、ほとんどの場合横長だ。横長のディスプレイで縦長の書類を見ようとするのだから、読みにくいことこのうえない。でも、紙の書類は縦長の方が読みやすい。横長の用紙では、どうしても1行の文字数が長くなってしまい、視線が行末までいったところで、行頭に戻るとき、今、読んでいる部分を見失いやすいのも理由のひとつだろう。

 「紙」と「ディスプレイ」という異なるデバイスでさえ、その特性に依存しない出力ができるのがPDFの特徴だが、その特性のうち、横と縦という、とても単純な部分での相違が違和感を生じさせる。

 けれども、優れたエディトリアルデザイナーの手にかかれば、横長の用紙に、人間が読みやすいレイアウトを作ることはたやすいだろう。にもかかわらず、そんなムーブメントはちっとも起こる兆しがない。それどころか、今のウェブは、読みにくくなる一方だ。DTPが普及するときに、あれだけ、行間や文字間隔を工夫し、版面の体裁や品質にこだわったデザイナーたちが、ことウェブに関しては、どうして、ここまで寛容でいられるのか理解に苦しむ。

●シリコンバレー巡礼

 PARCはパロアルトにあった。Adobe Systemsはマウンテンビューに最初のオフィスを置いた。これらの街が隣接して構成されるシリコンバレーという聖地は人とコンピュータの歴史の中でさまざまなドラマの舞台となった。

 ちなみに、写真の登場からちょうど100年後の1939年、スタンフォード大学のクラスメートだったデビッド・パッカード(Dave Packard )とビル・ヒューレット(Bill Hewlett)が会社を起こした。これが現在の米HPだ。その発祥の地、当時のパッカードの自宅ガレージのある場所(367 Addison Ave. Palo Alto, CA.)には、シリコンバレー発祥の地を示す石碑が置かれている。


□Adobe PDF10周年記念サイト
http://www.adobe.co.jp/products/acrobat/adobepdf.html
□HP History and Facts
http://www.hp.com/hpinfo/abouthp/histnfacts/
□関連記事
【'98年7月18日】DynaBook提唱者のアラン・ケイ氏がアキバでお買い物(AKIBA)
http://www.watch.impress.co.jp/akiba/hotline/980718/alankay.html

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(2004年6月18日)

[Reported by 山田祥平]

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