●本格化するストックオプション経済崩壊
これにより、米ハイテク産業の“ストックオプション経済”は、ついに本格的な崩壊を始めた。ストックオプション報酬制度は米国のハイテク企業の大きな特徴だったが、Microsoftが訣別宣言を出したことで、急速に消える可能性が高まった。
'90年代後半のシリコンバレーの大発展は、自社株購入権=ストックオプションによって優秀な人材が集まるストックオプション経済があって、初めて可能だった。その基盤が崩れることで、人材が集まらなくなり、ハイテク産業の成長にブレーキがかかると考えられる。だが、急成長至上主義だったストックオプション経済を脱却することで、着実で技術重視の、新しいビジネススタイルが生まれる可能性もある。
●Microsoftがストックオプション廃止を宣言 Microsoftのストックオプション廃止は、次の2点を柱とする。
1. この9月以降、ストックオプションは一切発行しない 少し詳しく言うと、それはこういうことだ。 1. Microsoftはこれまで、幹部社員だけでなく、一般社員も含めて、ほとんどの社員にストックオプションを与えてきた。だが9月からは、社員の誰にもストックオプションは与えない。一般の社員も幹部も分け隔てなく、ストックオプションはもらえなくなる。 2. その代わりに社員は株式をもらう。厳密に言うと、もらうのはストックアウォード(株式報賞:stock award)と呼ばれる制限付きの株で、一定期間(Microsoftの場合5年)後に現物の株がもらえる。5年の間に社員が会社を辞めるなどすると権利が消えてしまう点はストックオプションと同じだ。だが、ストックオプションが自社の株を安く“買える”権利なのに対し、ストックアウォードは株をタダでもらえる点が大きく違う。ストックオプションから現物株支給に代わるのと同じことだ。 また併せて次のような改革も行なう。 3. 価値がゼロになっているストックオプションの救済措置。現在、価格が不利になり社員が売るに売れないでいる“アンダーウォーター(後述)”状態のオプションを第三者の金融機関に有料で引き取ってもらう。それにより少額でも、社員が還元を受けられるようにする。移行期の特別措置。 4.新しい会計法式への移行。株式関連の報酬のコストを経費に算入するように変更する。今まではストックオプションの費用を経費算入していなかったのを改める。主に株主向けのための改革点。 まとめると、今回の報酬制度改革で、Microsoftはストックオプションシステムをすっかり精算し、株という別な手段に全面的に切り替えることになる。
●予想されるシリコンバレーへの波及
前々回のこのコラムでもストックオプションは遠からずなくなるだろうと書いたが、そのときは今年末~来年頭あたりから、徐々になくなっていくだろうと予想していた。ストックオプションに関する会計処理の規則改訂が今年末決定されると見られ、それがきっかけになると思われたからだ。だから各企業が次の会計年度に合わせてオプションを減らし、自然消滅に近い形で終焉するのではと予想していた。 だが、かつてストックオプションを積極的に利用した企業のひとつであるMicrosoftが、早い時期に決然とした手段を取ったことで、シリコンバレーの企業でも追従組が出て、ストックオプション経済の完全崩壊が早まる可能性が出てきた。 もっとも、Microsoftは本来けっして、ハイテク産業他社が諾々と従うロールモデル的存在ではない。また、本社がシリコンバレーにないため、人材の移動がそれほど簡単でないという点で、バレーに集中するハイテク産業他社とは条件も違う。実際、Microsoftの改革例には従わないと早々に明言している企業もある。 にもかかわらずなぜ、Microsoftの動きが他に波及するかというと、実際にストックオプションの扱いに今苦労している企業・社員は多いうえに、ストックオプションが最もうまく機能した時代が終わったことには、誰も異論がないはずだからだ。 その意味で、MicrosoftのCEO、スティーブ・バルマー氏の次の発言は、ハイテク企業全体の気持ちを代弁していると言える。 同氏はオプション廃止の記者会見で、オプション報酬がうまく機能しなくなり、その結果、社員の間に「不安や怒り」が高まって、イノベーティブな仕事に向かわない「ムダなエネルギー」になっていた、そのために「もっとスマートな」報酬制度が必要になった、と述べた。
●“ムダなエネルギー”に堕ちたストックオプション なぜ社員の間に「不安や怒り」が高まったのか。なぜストックオプションが「ムダなエネルギー」になったのか。 Microsoft社員がオプションに「不安や怒り」を感じるのは、かつて多くのMicrosoft社員が“マイクロソフト・ミリオネア”と呼ばれるオプション成金(オプショネア)になったからだ。 前のコラムに詳しく書いたが、ストックオプションシステムでは、社員が自社株を、オプション発行時の相場を元に設定した価格で買える。だから、'90年代のMicrosoft株のように、ほとんど一直線で市場価格が上がっていく場合、社員は昔の安い価格で会社から買った株を市場で転売し、差額で大儲けすることができた。だからストックオプションは社員の“希望や喜び”だった。 ただし、オプションは定期預金のように数年間据え置かなければならない。つまり、満期前に会社を辞めたらオプションは無効。だから、その間、社員は会社を辞めないし、株価アップを目指して頑張って働いた。それが企業の成長に役立ち、成長の様子を見てさらに人材が集まり、株価も上がった。 これがストックオプション経済のマジックだった。 だが、世の中のハイテク株買いが過熱し、株価が企業の実際の収益などから乖離するまでになると、ストックオプショ ン経済も過熱しすぎてしまった。そして破綻した。 バブルがはじけた今、Microsoftの株価は5年前とほぼ同じ状態に落ちている。これは様々なハイテク企業の中ではましな方とはいえ、2000年初めのピークの半分以下だ。そのため、ある報道によれば、今ではMicrosoftの約9割のストックオプションが、設定価格のほうが相場より高いか同じで、儲けが全くない状態(これを“アンダーウォーター”という)に陥っているという。 こうして、かつてはみんな仲良く大金持ちで、いわば“勝ち組”ばかりだったMicrosoft社内に、入社のタイミングが悪かった“負け組”が大量に発生した。負け組にしてみれば、自分のオプションが価値を持つ日はいつとも知れず、ただ毎日、勝ち組の隣で働かなければならない。これがバルマー氏の言うMicrosoft社内の「不安や怒り」だ。そして、そのために、士気の低下や社内のあつれきといった「ムダなエネルギー」が生じて、もっといい報酬制度が必要になったというわけだ。
●ストックアウォードではオプションの代わりにならない では、Microsoftの次の手“ストックアウォード”は、はたしてかつてのストックオプションのようなマジックを生み出すのだろうか。 ストックアウォードは株を報酬にするという点で、ストックオプションと変わりないようにも見える。だが、実際は大きな違いが出るだろう。ストックオプションはハイリスクハイリターンだったが、恐らくストックアウォードは、それに比べてローリスクローリターンになるからだ。そして、たとえローリスクという長所があっても、ローリターンでは、人材を集めたりとどめたりするマジックは弱くなる。 相似点と相違点はこうだ。 相似点:ストックオプションもストックアウォードも、株価と報酬が連動する。また、両方とも株を手にするまで据え置き期間がある。 相違点1. オプションは設定価格と満期時の市場価格の差額が儲けなので、相場が上がらない限り価値はない。だが、アウォードは株そのものをタダでもらうので、満期時の相場が低くても、必ずある程度の価値はある。つまりローリスクだ。 相違点2. ただし、ストックアウォードはローリターンにならざるをえない。それは、同じレベルの給料としてもらうなら、ストックオプションよりストックアウォードの方が、もらう株の量が減ると思われるからだ。 その理由はこうだ。会社側から見ると、まず一番単純に言って、アウォードの場合、自社株を社員に売るのでなく、無償供与する分の持ち出しがある。次に、社員に株を与えるということは新規株が増えるわけだから、一株当たりの価値を押し下げ、既存の株主からは歓迎されない。オプションは、将来株が増える可能性に過ぎなかったが、今度は確実に株が増える。株価が低いときも一定の価値があるから市場にも出やすい。既存の大口株主たちはすでにこれまでのオプション制度に対しても非常に批判的なので、アウォードにも厳しく口を挟むだろう。 以上の理由から、会社はこれまでのオプションのようにはアウォードをばらまけなくなり、社員各人がもらう株の量が減り、オプションよりローリターンになると思われる。 ということは、ストックアウォード時代には、ハイリスクハイリターンで成長を促したストックオプション経済の基盤は失われるだろう。
●ハイテク産業は衰退するのか再生するのか さて、このようにしてハイテク産業がストックオプション経済と決別するとどうなるか。まず一番に考えられるのはネガティブな影響だ。 業界全体で働くモチベーションが低下し、他のもっと儲かる業界に逃げ出す人が増え、新たな流入も減る。バブル時代のような成長産業に戻る、経済上の仕組みが失われるため、かなり長期的にハイテク産業の成長のペースが落ちることが考えられる。以前にも書いたこのような将来像が、いよいよ身近に迫ってきたと言えそうだ。 だが、ストックオプション経済の終焉が、逆に、いい結果を生むこともあるかもしれない。今回は、ポジティブな可能性を検討してみよう。 まず、ハイテク産業が、バブル時のマーケティング重視路線から、草創期のような技術重視路線に回帰するかもしれない。儲からないからと業界から遠ざかるのは主にエンジニア以外の人々(いわゆる“マーケティング・ガイ”)、コアのエンジニアはハイテク業関連以外に行く場所はないから、ここに居残る。つまり、エンジニア中心だった時代へと再び戻る可能性がある。そうすれば、これまでのような急成長はないが、革新性はかえって強まるかもしれない。ストックオプションをやめるMicrosoftが先日のアナリストミーティングでR&Dの大幅増額を発表したのも、技術回帰を目指す一環かもしれない。 さらに、ハイテク産業に、草創期のような起業ブームが再び起きるかもしれない。オプション制度がなくなって、会社にしがみついていても大金持ちになる道が閉ざされることで、スピンアウトが増える可能性があるからだ。かつてと違うのは、今度は起業家の身近に投資家の卵がたくさんいることだ。なにしろ以前の同僚などがオプショネアになっているのだから、起業資金は集まりやすい。すると、新起業ブームは、このところ行き詰まっているハイテク業界の再活性化をもたらすかもしれない。 もちろん、このようにハイテク産業にとって都合よく事が運ぶとは限らない。ハイテク産業は、活力を失って、そのまま元に戻らないかもしれない。だがしかし、プラス材料もないわけではない。
□ニュースリリース(英文) (2003年7月29日) [Text by 後藤貴子]
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