日本アイ・ビー・エム(IBM)は半年前、高付加価値のPCにフォーカスするThinkVantage戦略を打ち出した。その後、さらに低価格製品と高付加価値製品の二極化を戦略へと転換したものの、他社製品にはない価値を創造し、提供する戦略も堅持されている。 IntelのCentrinoモバイルテクノロジと同時に登場したThinkPad T40シリーズは、そんなIBMの製品の中でも、もっとも高い品質を狙った製品だ。ThinkVantage戦略に則った製品にはT40シリーズよりも高機能なA31シリーズがあるが、性能、機能、携帯性を追求したTシリーズは、ThinkPadシリーズの中でも特に高付加価値な製品である。 そのTシリーズは昨年、T2xからT30へフルモデルチェンジを果たしたばかりだが、今回はそれから1年足らずで行なわれたフルモデルチェンジ。モバイル向けの新プロセッサをターゲットにした中核製品だけに、開発陣も特に気合いが入ったようだ。開発者への取材では、いつも多くのメンバーが出席していただける日本IBMだが、今回も総勢で6名の方に話を伺った。 T40の機構設計を行なった中村聡伸課長、電子回路設計を担当した湯沢茂氏、開発陣のとりまとめを行なったテクニカルプロジェクトマネージャの木下裕之氏を中心に話を伺ったが、他にもBIOS開発担当の松谷有夏氏、ワイヤレス技術の実装を担当した藤井一男氏、マーケティングサイドの製品企画を担当した後藤史典氏もインタビューに参加していただいている。 文中、発言者の名前がハッキリしない部分も多いが、ご容赦頂きたい。また、他のインタビューは製品を使用してから行なったが、T40に関してはスケジュールの都合上、インタビュー時にはまだ十分T40自体に触れていなかった。このため、僕の疑問に対する答えが必ずしもコメントとして存在しない場合もある。 ●高い付加価値を創造できなければ、我々は生き残れない Tシリーズは、今時のパソコンにはない、コストよりも品質を求めた製品シリーズ。古くからのユーザーの中には、PCが今よりもずっと高価だった時代と比べ、コストダウンが目立つと話す人もいる。しかし、それでも今のPC業界の現状からすると唯一とも言える品質優先主義を貫いている。 その最新作であるT40が(OpenGLアプリケーションとのバリデーションを行なっているワークステーションモデルのT40pを除けば)、SXGA+搭載、デュアルバンド無線LAN、80GB HDD、Pentium M 1.60GHzといった要素を詰め込みつつ約42万円というIBMダイレクト価格。さらにローエンドモデルはXGAながら22万円を切っている。 コンシューマ向けのノートPCからすれば、絶対的な数字は高いと感じるかもしれないが、高付加価値を狙ったTシリーズとしては「かなり低い価格設定」だ。 この点について価格設定を行なった後藤氏は「T30の場合、ローエンド機種でもスタート価格は34万9千円でした。しかし今の情勢を考えれば、いくら高付加価値製品で開発や製造面でコストをかけていると言っても、低価格化の努力は怠れません。そこでスタート価格を13万円引き下げました」と話す。「低価格化はユーザーの要求として存在しますから、製造面や材料面、あるいは流通なども含め、あらゆる面から低価格化の努力は行なっています。また、前回はスペックが高いモデルだけで揃えすぎたという反省もあります。しかし、だからといって品質は落としていません。品質を落とす以外のところでのコストダウンの成果が、T40の価格として反映されました(後藤氏)」。 ただし品質を落としたのでは、ThinkPad、それも最高グレード製品のTシリーズはその存在価値を失ってしまう。確かに実際のT40に触れると、薄く、フットプリントの大きい、強度的には厳しいフォームファクタながら、ちょっとぐらい力を込めてもへこみや歪みを感じさせない“堅さ”がある。以下は中村氏とのやりとりだ。 「T20、T30シリーズよりも低価格ですが、質感は確実に向上しています。正直言って“やり過ぎちゃったなぁ”と。やりたいことを詰め込みすぎて、次のフルモデルチェンジでやることが思いつかない」。 しかし低価格化したとは言え、単純にスペックと価格を並べると「Tは高い」と言う人も多いだろう。より低価格な同等品を選んでも、機能的な面での差はない。品質面を十分に評価してもらえないのは、ノートPCという製品カテゴリは、まだ十分に成熟していないからなのかもしれない。だが、Pentium Mの登場でノートPCのパフォーマンスに対する不満が和らいでくれば、人々の目はスペックから品質へと向いてくる可能性もある。 「我々も、ライバル以上の品質をきちんと出し続けることで、品質に対する要求が高まってくると信じている。IBMという会社でノートPCを作り続けるためには、ハッキリとした差別化が行なえるだけの高品質を実現し、少しでも高い付加価値を創造していかなければ生き残れない。だから、細かな点も絶対に手を抜かない」。 ●過去最高のThinkPad こう話している中村氏は、T20、T30でも機構設計、つまりメカ部分の設計を担当してきた。いずれも自信を持って送り出した製品だが、市場での評価には多少、悔しい思いもあったようだ。 「T20でキーボードがフカフカになったなんて言われて、T30ではキーボードタッチを改善させることに力を注ぎました。ところが、それでもまだ不満の声がある。ThinkPad 600の方が良かった。あれは超えられないと」。 実は僕自身はThinkPad 600の時代にシングルスピンドルのThinkPad 570を所有していたため、600の品質というのを本当の意味では知らない。600を超えられないと言われてしまう所以は? 「ThinkPad 600の時代は、IBMとしてPCの開発に一番コストをかけていた時代の、一番最後の製品。我々も含め、他社のキーボードを重視するメーカーも、あのキーボードは1つの目標なんです。ただし当時ほどコストのかかる材料や機構は使えない。ローコストで600のキーボードを作らなければならない」。 しかしそのThinkPad 600のキーボードの特性データはすべてIBMにあるハズ。全く同じ特性を持つキーボードもオーダーできるのではないか? 「ところが特性を同じにしてもタッチまで同じにはならないんですよ。たとえばThinkPad 600のキーボードを、そのままTシリーズに登載しても良いタッチになるわけじゃありません。キーボードの取り付け方や弾力、筐体の剛性バランス、ゴム足の形状や柔らかさといった要素を同一にしなければ、同じタッチは実現できない」。 個人的にはタッチの浅いキーボードを、固く留めすぎると底突き感が強く、指が疲れやすいと感じるが、ThinkPadのキーボードにはそれがない。ストロークが深いこともあるが、全体の剛性バランスによるところが大きい? 「そうですね。ちょっとした硬さの違いだけで、タッチの印象は大きく変わりますよ。T40では徹底的に、そのあたりは対策しました。取り付け剛性は非常に高いですし、キーボードのベース部分がフカフカな部分もありません」。 目標とするThinkPad 600のキーボードを超えた? 「いや、どうでしょう。しかし同等品質になったという自負はあります」。 インタビュー後に借り出したT40で原稿を書いてみたが、しっかりとした質感は確かにすばらしい。とくに取り付け剛性は高く、どの場所を押し込んでもベース部が歪むことがない。それでいながら、キーの“底”が急に現れず柔らかく底突きするため、指に伝わるショックはとても少ないのだ。 タッチのタイプは、Xシリーズやsシリーズのような、反発力のピークを越えると軽く抜けるような感覚ではなく、多少多めのフリクションを感じるタイプ。ノートPCとしてはキーが重い方であるため、好みの問題で好きじゃないという人はいるかもしれないが、紛れもない一級品であることは確かだ。 しかしキーボードだけがThinkPadの付加価値というわけではないだろう。「過去最高のThinkPad」と中村氏が自画自賛するT40は、何がそんなにスゴイのか? 「もう全部ですね。たとえばヒンジの質感。膝の上で使っていてキーを叩いていると、液晶パネルが揺れる製品もありますが、僕はあれが許せない。片手できちんと開ける適度な軽さと大サイズの液晶パネルをしっかり支える強さ。さらには剛性の面でも、手で持っていて全く不安のない強さを備えています。ラバーペイントもThinkPadのアイデンティティの1つですが、指紋が残りやすいという意見もあった。そこでT40では同様の質感で指紋が付きにくい、付いてもふき取りやすいように工夫を施しています。今までで一番品質の高いThinkPad。それがT40です」。 ●“薄さ”を前提に組み上げた初めてのThinkPad Tシリーズは何よりも高い品質を義務づけられた製品だが、製品全体の目標やコンセプトはどこに置いていたのか。 「フットプリントは14.1型の液晶パネルに縛られますから、あとは如何に薄くできるか。それも一部分だけを薄く仕上げるのではなく、筐体全体を薄くすることを目標に開発しました。数字としての目標は1インチです。1インチを超えている部分もありますが、筐体の3分の1程度を1インチ以下にできています」。 キーストロークを他社以上に確保しつつ、また高い剛性を持ちつつ、薄くするというのは相当に難しそうな目標だが、これまでと開発のアプローチを変えたのだろうか? 「通常、ThinkPadの開発は足し算でやります。必要とされる強度、空間などを計算して、どのぐらいの厚みと、どのぐらいの重さになるかが決まり、そこにどのように詰め込んでいくか、どんな機構を盛り込むかを考えていきます。しかしT40では、最初に1インチ厚の箱があって、そこに必要な要素を並べました。設計初期の段階では、剛性なんか全く考えていなかった(笑) 最初に薄さありきで、それにどうやって従来と同じThinkPadの強靱さを与えるかを考えたわけです」。 こう話を聞くと、剛性は多少落ちてしまっているのかな? と思うが、実際の製品は実に固い。 「T30とT40は、全く同じ強度テストを行なっています。いや、それどころか、T30よりもテストのパラメータは厳しい値を設定している。薄さを前提に開発しましたが、強度での妥協はしていません」。 材質はこれまでと違って、液晶パネル側がマグネシウム合金でシャシー部分がCFRP素材。これには何か理由があるのか? 「結局、材料は適材適所です。マグネシウムもCFRPも、どちらも軽量で強い素材ですが、それぞれに長所と短所がある。マグネシウムはフラットな形状のものは、安定した品質で生産しやすいが、補強リブをあちこちに立てるのが難しい。一方、CFRPはそうした複雑な形状を作りやすいですし、補強の入れ方をやり直しやすい。複雑なアンダーシャシー部分の開発に関わる問題は、CFRPの方が解決しやすいんですよ」。 薄くても強いというのは、なかなか難しいテーマだ。Tシリーズは企業向けが中心の製品だから、従来のThinkPadの周辺機器との互換性も考えなければならない。T20時代に決めたドッキングステーションとのコネクタ仕様も、今ならもっと小さくできるだろうが、互換性を維持するため巨大なコネクタとして残す必要がある。T40でシリアルポートは本体から削られているものの、パラレルポートは残された。厚さ、重量、両面で不利な条件を受け入れつつ、薄く、軽くしなければならない。 「薄さを実現するため、メイン基板の裏にはほとんど何も電子パーツを配置していません。薄くすると筐体底面と基板が近付きます。すると底面に伝わる熱が増えてしまう。それを防ぐために、基板の底面から部品を取り除いた」。
薄型化に関する話はまだまだ続く。 「今回、取り外し可能なウルトラベイを9.5mm厚の薄型ドライブに変更しましたが、新しいフォームファクタなので、コネクタの仕様が決まっていない。そこでドライブのサプライヤに提案して、新しいコネクタの仕様を決めました。以前の12.5mm厚の時もそうでしたが、このコネクタがスタンダードになって、他社製品にも搭載されるようになるでしょう。薄型の交換可能なドライブベイを機能として入れながら、コストを下げるために標準化の提案も行なっています。あとは音質。これも苦労した」。 T40はステレオスピーカ仕様ですよね。でも見た目にはどこに入っているのかわかりにくいぐらい目立たない。 「パームレスト下の前面にあります。配置するのは簡単ですが、まともな音にするのは結構難しい。サイズは小さいですが、スピーカー背面にはきちんとエンクロージャがあって、バスレフポートも開けています。サイズ的な制限はありますが、これでかなり聞きやすい音になりました」。 ドライブを挿入する右側面は、光学ドライブとハードディスクを取り外すと、何も構造物がなくなって、ペラペラの底面だけになっちゃいますよね。それでいて「固い」のはなぜでしょう? 「リブの入れ方とか、ThinkPadクオリティの強度を出すために、様々なノウハウを使ってます。ただ右側は多少、柔軟性というか“しなる”ように作ってます。その一方で左側面は大きな開口部をなくして、ガチガチに固めてある。これはマザーボードがある左側の強度を特に強くして、基板への応力を減らして故障を少なくする工夫です」。 その後、実物で様々な持ち方をしてみたが、確かに右側は多少の柔軟性がある。ただし、変形してもごくわずかで、すぐに元に戻る弾力性がある。ボッカリと大きな口が開いて下部の折り返しリブも付けられない状態で、この強度。ちょっと驚きだ。 ●他にも満載。より良いノートPCを作るのノウハウ 実は今回のインタビュー。1機種なのに3時間もお相手していただいたおかげで、このままでは全部書ききることが難しいので、順に紹介して締めくくりとしたい。 まず快適性に関して。T30はパームレスト部の温度こそ低かったが、ユーザーからは暑いという意見も寄せられたという。その理由は左右の温度差で、ある程度以上の温度差があると絶対的な温度は低くても暑く感じるのだとか。T40では温度差を揃えるようにレイアウトを工夫した。またタッチパッド部分に温度センサーを仕込んでおき、パームレスト付近の温度が上がると、それを下げるように制御する機能も入れているそうだ。 冷却面や静粛性も、冷却ファンの動作カーブを工夫している。一方、最大負荷時のテストも怠りなく、35度の環境下で最大負荷をかけた時でもパフォーマンスは全く落とさなくても良い設計となっている。高性能なグラフィックチップに合わせて、ヒートパイプでプロセッサ、チップセット、グラフィックチップを繋ぎ、3つを同時に冷やすようになっている。
もう1つ忘れてはならないのが、HDD内蔵型のショックアブソーバだ。T30ではドーム型のショックアブソーバが本体底面に取り付けられていたが、T40ではHDDの取り付けコネクタを2つに分割してラバーを配置。リムーバブルにするためのホルダー部も同様にラバーマウントにすることで、T30と同等の衝撃吸収性能を実現しているという。 ハードディスクを挿入するときのレールに乗っている時にはしっかりとホールドし、奥までカチッと入ったところでフローティングされるところが、工夫を施したポイントだそうだ。 他にも起動時に「Access IBM」ボタンを押すことで利用できるバックアップやリストアなどのユーティリティ類。これまではOSから見えるパーティションに置かれていたが、T40ではハードディスクのセキュリティ機能を使い、通常のソフトウェアからは見えない領域に移動させているという。 無線LANに関しては、Fn+F5でRFモジュールのオン/オフをキーボードから切り替え可能になった。また内蔵アンテナは液晶パネル上部と右側面に配置されており、全機種に2.4GHzと5GHzのデュアルバンドアンテナが取り付けられている。5GHzアンテナのカバーする範囲は、ワールドワイド向けと日本向けの両方の帯域をすべて。ただし、FCCの規定で5GHz帯の無線装置をパーツレベルで販売することができないため、オプションとして5GHzをサポートした無線LANミニPCIカードはラインナップできないそうだ。
●1.6kgのTシリーズ? 挑戦しますよ インタビューの中で、もっとも強く想いを吐露してくれたのは中村氏。冒頭でもヒンジへのコダワリについて話していたが、実はバイオノートZが採用したようなラッチレスのメカも、やってみたいテーマだったそうだ。 「これまでThinkPadでは、液晶パネルをしっかりと閉じるために、ラッチを2つ取り付けてきた。T40ではそのスタンスはそのままに、1つのレバーで2つのラッチを動かすメカにしました。でも、メカ屋としてはラッチそのものをなくしてしまうことにも挑戦したいですね。携帯電話のように」。 実はバイオノートZが採用してますよと話すと……。 「そうですか。僕もいろいろ考えたんですが、メカ屋としては完璧なThinkPadクオリティのラッチレスメカを組み込んでみたい。本当にお客さまに評価していただけるようなものにするにはブレイクスルーをしなければならないポイントがいくつかあります。ヒンジ周りの空間も今より大きく必要ですし、重量面でもコスト面でも不利になります。現在の携帯電話用のラッチレスメカをそのままノートPCに搭載しても、お客様のメリットはあまりないので、お客様は認めてくれるかどうか……」。 同じようなスペックなら安ければ安い方がいいというのが、世の中の流れではある。しかし、安さばかりの製品というのも、一方で悲しいものだ。 「えぇ、だから今後もリーディングエッジの製品を出してきますよ。より良いモノを追求します」。 次はできれば軽さに挑戦して欲しいですね。かつてB5ノートPCが流行した時、重量は10.4型SVGAで1.6kg前後が主流だった。その後、12.1型XGAの1.6kgが主流になり、今では12.1型は1.3kg以下が中心になってきている。1.6kgという数字が、電車通勤の多い都会暮らしのサラリーマンにとってマジックナンバーなのだとすれば、その次、より多くの情報量を求めて14.1型SXGA+、1.6kgでバッテリも5時間以上の製品が登場してくればビジネス向けモバイルノートPCの中心はそちらへと動くかもしれない。 「大きいほどキーボードも画面も使いやすくなる。その中で軽くするのは本当に難しい。T40はThinkPadが必要とする強度を実現しつつ軽量化する、1つの完成された到達点だと思ってます。でも1.6kg、無理じゃないですよ。やろうと思えばできる。バッテリを減らすなど、機能性を落とせばできるはず。今のテクノロジでは機能性を落とさなければならないけれど、将来は機能性を落とさなくても良いかもしれない」とは中村氏。 では次のTシリーズは、ウェイトセーバベゼル時に1.6kgが目標ってことでいいですか? 「僕の口から今後のThinkPadの方針を申し上げることはできませんが……でも、日々テクノロジは進化しているし、まだまだやりたいと思いつつ、やり残しているアイディアはたくさんある。やってやれないことはない。現時点で次のTシリーズがどうなるかを想像することはできないけれど、挑戦はしますよ。常に最高の製品を作るためにね」。 □関連記事【3月12日】日本IBM、Centrino準拠のThinkPad X31とT40/T40p http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2003/0312/ibm.htm (2003年3月20日) [Text by 本田雅一]
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