元麻布春男の週刊PCホットライン

IDFで感じるキラーアプリケーション時代の終焉


●キーノートスピーチのキーワードは“コンバージェンス”

 年に2回開かれるIDFでの楽しみの1つは、Intelのエグゼクティブによるキーノートスピーチにある。基本的にオープニングのスピーチを受け持つのは、IDFに参加しているトップエグゼクティブの役割。IDFには必ずしもCEOが参加するとは限らないため、参加しているエグゼクティブ中、最も上位のエグゼクティブが受け持つことになる。今回のIDFでは、社長兼COOのPaul Otellini氏が担当した。

 オープニングのスピーチに期待するのは、その時々でIntelがIT産業全体に対しどのようなビジネスビジョン、あるいは技術ビジョンを持っているのか、ということ。1年前の前々回は、ITバブル崩壊直後ということもあって、今が辛抱のしどころ、不景気だからといって先行投資を怠ってはならない、といった内容だった。半年前の前回も、基本的なトーンは変わらなかった。すでにITバブルが崩壊して1年以上が経過した今回、世界的な株安は回復の兆しを見せず、いまだ経済は厳しい状況にある中、キーノートスピーチのキーワードとなったのはコンバージェンス(Convergence、収束とか融合といった意)であり、コンバージェンスの推進力としてのシリコン技術であった。


●コンピュータと通信/コンシューマ機器との連携

 では、何が融合するのか。それはコンピュータと通信であり、またコンピュータとコンシューマ機器でもある。何と言ってもx86アーキテクチャのCPUという印象が強いIntelだが、ネットワーク機器向け、あるいは通信機器向けの半導体製品でもトップクラスの実力を持つ(Intelによると、この分野でもナンバーワンであるとのこと)。

 両者の融合は、いわばWin-Winの組み合わせであり、それを業界トップのプロセス技術の裏付けをもって推進すれば、必ずや強力な製品が登場する、ということである。たとえば、来年早々に登場する予定となっている次世代のモバイルプロセッサであるBaniasは、プラットフォームとして様々な通信機能(802.11a/b、Gigabit Ethernet)を最初から意識した形で登場する。つまり、CPUとしてどれだけ消費電力が減りました、というのではなく、プラットフォームの上でアプリケーションを走らせて、ネットワークに接続している状態で、トータルとしての性能やバッテリ駆動時間がこれだけ向上しました、という点を訴求しようというわけだ。

 一方、コンシューマとの融合という点では、Digital Homeというコンセプトの元、様々な融合が試みられる。それを象徴するデバイスがDigital Media Adapterと呼ばれるものだ。PCとTVの間に挟む小さな箱のようなデバイスで、PCに蓄積されたデジタルメディア(音楽、動画、写真)を、リモコン1つで簡単にTVで再生し、大勢で楽しむためのもの。接続にはEthernetを用いる。Intelは、Media Adapterに用いるXScale準拠のマイクロプロセッサやフラッシュメモリといったビルディングブロックに加え、リファレンスデザイン(ソフトウェアを含む)を提供し、OEMが最終製品を提供する形をとる。これにより、PCの活用の場が広がり、PCがコンシューマ機器と一体化するというわけである。

 こうしたコンバージェンスを実現するために、やはり欠かせないのがビルディングブロックの高性能化だ。たとえば上のDigital Media AdapterでMP3ファイルを再生中に、PC側でゲームを起動したら、とたんに音が途切れた、というのでは話にならない。今回、Hyper-Threadingテクノロジをサポートした3.06GHz動作のPentium 4プロセッサ(HTテクノロジPentium 4プロセッサ)が年内にリリースされることが正式にアナウンスされたが、こうした高性能なプロセッサであれば、問題は生じないということのようだ。

 単体の製品個別の性能にとどまらず、プラットフォームとしての、あるいはアプリケーションとしての性能や機能に注目する、というコンバージェンスのコンセプトは、実にまっとうなものだと思う。しかし、まっとうであるがゆえに、新味に乏しいようにも感じる。これはコンバージェンスされた結果としての製品を手にとっていないせいかもしれないが、元々コンバージェンスというのは、すでに存在するものを1つに融合させるもの。1つ1つの要素自体は既知のものだから、話だけを聞いていても新味に欠けるのはやむをえないことかもしれない(実際には、既知の要素をまとめた画期的な新製品というのも存在するのだが)。


●キラーアプリケーション時代の終焉

 ただ、どうしてもコンバージェンスというコンセプトから感じてしまうのは、もはや1つの要素で人々に製品の購入を促すようなもの、いわゆるキラーアプリケーションはないのだなぁ、ということだ。ごく初期のPCにおいて、キラーアプリは計算機資源そのものだった。人は、プログラミングができるという、ただそれだけでPCを購入した。次のキラーアプリケーションは、ワードプロセッサや表計算ソフトに代表されるプロダクティビティツールだ。VisiCalcやWordStar、わが国では松やマルチプランの昔から、Microsoft Officeが市場を席巻するまでの間、プロダクティビティツールは、PCを導入する最大の目的であった。そして、'96年前後から2000年くらいまでの間、PCにとって最大のキラーアプリケーションだったのがインターネットだ。人々はインターネットを利用するために、こぞってPCを購入した。

 プログラミング、プロダクティビティツール、そしてインターネットと時代が変わるにつれ、キラーアプリケーションの対象となるユーザーは飛躍的に拡大し、それがPCの普及率を押し上げてきた。しかし、そろそろインターネットを利用するためにPCを買おうと考える人は、みなPCを買ってしまったような気がしている。インターネットは、コンシューマ機器やサーバにおいては、まだキラーアプリケーションなのかもしれないが、クライアントPCにとってはもはやキラーアプリケーションではないように思う。

 もちろん、インターネットがキラーアプリケーションでなくなったからといって、それが不要になったり重要でなくなったりするわけではない。今でもプログラミングやプロダクティビティツールがPCの重要な一部であるように、インターネットは今後もPCの重要なアプリケーションであり続けるだろう。インターネットにアクセスするためにPCを購入する人が絶えてしまうわけでもない。ただ、それが当たり前のことになってしまった、というだけのことであり、PC業界の劇的な成長の起爆剤にはならなくなりつつある、というだけのことである。

 同様に、BaniasにしてもHTテクノロジPentium 4プロセッサにしても、すでにPCを利用しているユーザーに買い替えを促すには十分な魅力を持つ新製品なのかもしれないが、果たして劇的な成長に不可欠な新規ユーザーを獲得するのに十分な新製品なのだろうか、という点に不安を感じる。少なくとも、BaniasやHT自体が新規ユーザーの購入意欲を駆り立てるものでないことは明らかだし、BaniasやHTが提示可能なPCの利用形態が新規ユーザーに分かりやすいものとも思えない(ある程度PCを使いこんでいなければ、その恩恵が分からないのではないだろうか)。それとも、すでに先進国におけるPCの普及率が60%を超えた、といわれていることからすると、買い換え需要を刺激できるだけで良い、ということなのだろうか。

 今回のIDFでコンバージェンスというコンセプトを聞いた時、キラーアプリケーションの時代が終わったようにも感じた。ポストPCの時代ということが言われて久しいが、キラーアプリケーションの消失こそが、ポストPC時代の始まりということなのかもしれない。現在、インターネット上でデジタルコンテンツをどう扱うか、あるいはデジタルコンテンツをとうやって守るか、ということが盛んに議論されている。ここでの対処を誤ると、そう遠くない将来ポストインターネットの時代を考えなければならなくなるかもしれない。

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【9月10日】IDF Fall 2002基調講演レポート
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2002/0910/idf02.htm

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(2002年9月12日)

[Text by 元麻布春男]


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