【コラム】 |
●PCでデジタルTVとぶちあげたMicrosoftの戦略
「PCでデジタルTVをサポートする」
昨年4月に米Microsoft社が開催したハードウェア技術者向けカンファレンス「Windows Hardware Engineering Conference (WinHEC)」で、Microsoftのビル・ゲイツ会長兼CEOはこう宣言した。
ここで言うデジタルTVというのは、米国の地上波TV放送が今年11月からスタートさせる地上波デジタルTV放送のこと。映像データをMPEG2で伝送、高い解像度やノンインタレースもサポートするデジタルTV放送では、現行のTVと違って高速なプロセッサや大量のメモリが必要となる。そのため、フルスペックのデジタルTVの価格は当初は5,000ドル以上になってしまう。そこでゲイツ氏は、PC向けに最適化したデジタルTVなら「非常に高価な(デジタル)TVが登場するのを待たなくても、何千万台ものPCですぐに(デジタルTVを)見られるようになる」と主張する。つまり、デジタルTV時代のリビングルームの主役は、TVではなくPCだとぶちあげたわけだ。
ゲイツ氏は、この構想を推進するために、Microsoftの推進する'98年版PC仕様「PC 98」をデジタルTVレディにすると宣言。また、PC中心のデジタルTVを推進するコンソーシアム「Digital TV Team(DTVチーム)」を米Intel社、米Compaq Computer社とともに結成した。そして、PCに最適なデジタルTVのフォーマットを、放送業界に採用するように働きかけることも明らかにした。
しかし、あれから9ヶ月後の今年1月に開催された家電関連ショウ「ConsumerElectronics Show (CES)」では、家電メーカー各社が一斉にデジタルTVを発表したというのに、そこにMicrosoft構想のデジタルTV対応PCはなかった。MicrosoftはCESに大型ブースを設けたにも関わらず、PCでのデジタルTV再生といったデモは一切行なわず、ゲイツ氏のキーノートスピーチにもその話は登場しなかった。
MicrosoftのDTVチームの野望は、一体どこへ行ってしまったのだろう? MicrosoftのデジタルTV戦略が変わった背景には、あれから9ヶ月のデジタルTVを巡る激動がある。
●PC業界トップ3社でPC向けデジタルTVフォーマットを提案
米国のデジタルTVは、昨年突然火がついた。米国のTV放送を管轄する米連邦通信委員会(FCC)が、WinHEC直前の4月頭に地上波TVのデジタル化のスケジュールを発表したためだ。FCCは、全米の10大都市の大手TV局に'98年11月からデジタルTV放送を始めるように勧告したのだ。2006年にはアナログ方式のTV放送をうち切り(時期は再度見直しがあり)、一気にデジタル化を促進するというTV大変革計画だ。この急展開に、放送局から家電メーカー、そしてPC系企業までが、みなデジタルTVに向けて一斉に走り始めたとういわけだ。
しかし、わずか1年半でデジタルTVを立ち上げるとなると、問題は山積みだった。なかでも最大の問題は、デジタルTVの画像フォーマット。デジタルTVの画像フォーマットはATSC(Advanced Television Systems Comittee)が標準化を進めていたが、現行のTVと同じインタレース方式を支持するTV業界と、ノンインタレース(プログレッシブスキャン)方式を支持するPC業界の間で意見が対立。結局、ATSCは標準化を諦め、解像度や走査方式、リフレッシュレートが異なる18種類のフォーマットを決めて、あとは市場原理にゆだねることに決まった。この18のフォーマットには、大きく分けて、現行のTVと同じ4対3比率の走査線480本×水平640画素、あるいは16対9の480本×704画素といったSDTV(Standard Definition TV)、そして、16対9の720本×1,280画素と1,080本×1,920画素のHDTV(High Definition TV)がある。
これらのフォーマットの中で、TV業界の主流は、機器が揃いやすい1,080本×1,920画素でインタレースの「1080i」と呼ばれる方式を支持した。それに対してMicrosoftなどDTVチームは、3種類の解像度を提案、PCの性能が向上するにつれて段階的に解像度やリフレッシュレートを引き上げることを提案した。「HD0」が480本×704画素、「HD1」が720×1,280、「HD2」が1,080×1,920以上。いずれの方式でも文字や静止画情報が見やすいプログレッシブスキャン。MPUパワーでデコードを行なうことで、チューナーさえ搭載すれば普通のPCでデジタルTV放送を受信できるようにすることでコストを抑えるという構想だ。また、映像だけでなくコンピュータ用データの放送も視野に入れていた。つまり、高い解像度という点には力を入れず、PC用ディスプレイと親和性の高いプログレッシブスキャンで、データ放送を組み合わせた展開をMicrosoftは考えているわけだ。
●とりあえずHDTVでは家電が先行
しかし、DTVチームの提案は、放送業界から十分な支持を得ることに失敗した。米国TV業界の3大ネットワークのひとつCBSは1080iを採用することを表明した。一方、ABCはDTVチームと同様にプログレッシブスキャンを支持、「720P」(720×1,280プログレッシブ)のHDTVを提供すると見られている。NBCの動向はまだ鮮明ではない。また、時間帯によっては480P(480×704プログレッシブ)で複数の番組をひとつの帯域の中で流すマルチチャンネルをやるといったアプローチもありうるという。このように、CESで聞く限りでは米国の放送業界はばらばらな流れになることはほぼ決定したようだ。また、DTVチームの主張に沿ったHD0(480P)だけでのスタートという提案は受け止められていない。
こうした状況で、家電メーカー各社はデジタルTVでは18種類のフォーマットすべてに対応せざるをえなくなった。CESで一斉に登場したHDTVタイプのデジタルTVは、画面解像度などに違いはあっても基本的に18のフォーマットすべてに対応した製品だ。
このように、デジタルTVは家電メーカーのTVタイプ製品が主導ということがCESで明確になったわけだが、これでデジタルTVが盛り上がったかというと、そうでもない。問題はやはり価格。CESに登場したHDTVタイプのデジタルTVは、7,000ドル程度から高い製品では1万ドルを超えると見られている。日本よりさらにサイフのひもが堅い米国で、この価格では、本格普及は夢のまた夢だ。
また、一般的な反応も、冷めたものだ。たとえば、CESの期間中に、米国のTVニュースもデジタルTVを盛んに報道していたが、どれも普及には遠い先の技術といった扱いだった。「デジタルTVが登場しました」「ただし価格は8,000ドルです」とニュースレポーターが言うと、キャスターが笑って「一体誰が買うんでしょう」とコメントをつけるといった感じだ。
当然のことながら、デジタルTVを展示しているメーカーも、HDTVに過剰な期待は抱いていない。すぐに普及するとは思わないと口を揃える。TVメーカーとしてはとりあえず出したが、HDTV放送が本格化するのもまだ先と見ているようだ。
HDTVが高いのはディスプレイのコストのためだ。あるメーカーによると、デジタルTVのデコーダを含めた信号処理部分は量産レベルなら300~400ドルに押さえることが可能という。ところが、HDTVの18のフォーマットすべてに対応したディスプレイは、コストが4,000ドル以上になってしまうという。CRTの低コスト化には限界があるため、プラズマディスプレイが低価格化するまで、HDTVは普及しないと予想するメーカーもあった。
そこで、短期的なソリューションとして2つのパターンが浮上してきた。ひとつは480P表示の低コストのSDTVディスプレイを備え、HDTVのデータはダウンコンバートして表示する廉価版デジタルTV。もうひとつは、現行のTVに接続するSTBで、こちらもデジタルTVのデータはすべてダウンコンバートして表示する。CESでWindows CE搭載インターネットSTBのリファレンスモデルを展示していたIGS Technologiesでは、ダウンコンバートは技術的には簡単なので、そうしたデジタルTV用STBは数百ドルでできるという。実際、同社の顧客でもデジタルTV対応の通常TV用STBを開発しているメーカーが複数あると言っていた。デジタルTVの初期には、こうしたSTBが主流になる可能性も高い。
●ターゲットをCATVに変更したMicrosoft
さて、こうした混沌とした状況で、MicrosoftはデジタルTVにどんな戦略で挑もうとしているのだろう。
じつは、昨年後半からMicrosoftは、地上波TVにDTVチームの仕様をサポートさせるというアプローチは弱め、その代わり、CATVをターゲットにし始めた。これについてはこのコーナーでも「デジタルSTBで激突! Microsoft対Sun」というタイトルで書いたが、CESでMicrosoftはCATV最大手のTCIと提携、TCIの次世代デジタルSTBのOSを提供するという発表を行なった。STBメーカートップのNextLevel Systems社(STB最大手のGeneral Instrumentから分離)と組んでの展開で、CATV業界への影響力は非常に大きい。
そして、MicrosoftのこのCATV用デジタルSTB戦略は、じつはDTVチーム構想とも密接に絡んでいる。CESのキーノートスピーチに登場したゲイツ氏は、TCIのSTBについて「非常に重要なポイントは、このアドバンスSTBが、高い解像度のフォーマット、とくにHD0フォーマット、つまり480Pを表示できることだ」と強調した。つまり、現時点の構想では、TCIのSTBはATSCの18のフォーマットすべてに対応するのではなく、480Pにしか対応しないわけだ。
一体、これはMicrosoftにとってどういう意味がある戦略なのか。ここから先は完全に想像だが、DTVチームの構想を実現するのにはCATV業界を陥落させた方が近道と見たのではないのだろうか。
じつは米国では家庭の3分の2はCATV経由でTVを見ている。つまり、地上波がいくらデジタル化しても、CATVがデジタル化しないと、本格的には受け入れられない。そこで、直接放送業界に挑戦するのではなく、まずCATV業界を落として480Pを事実上の標準フォーマットにしてしまおうと考えたのではないだろうか。そうすると、地上波TVがいくらHDTVをしても、CATVだけを見ている人には関係がない。おそらくCATV業者は、HDTVデータはCATVの局側で変換して480Pにして流すカタチにするだろう。つまり、HDTVの高い解像度などは、全米の視聴者の2/3にとって意味をなさなくなるわけだ。
となると、3大ネットワークにしてもHDTVを無理に進める意味が薄くなる。実際には、デジタルTVを始めると言っても、各ネットのHDTVに対する本気さはあやしいところがあるので、事情が許せば480Pだけという放送形態にするネットも出てくるかも知れない。いずれにせよ、CATVのフォーマットを先導できれば、地上波TVをPCにとって有利なフォーマットに誘導するのも容易になるはずだ。
また、これはCATV側にも利点がある。それは、CATV業者がHDTVにそれほど乗り気でないように見えるからだ。その大きな理由は、STBのコストとネットワークの帯域だろう。STBはCATVの場合は業者が提供するので低コストに抑えたいし、帯域も貴重だ。しかし、もしFCCに、CATVもHDTVに対応しなければならないと決められてしまうと重大な問題が発生する。実際、このあたりはまだFCCも決定していないらしい。もしかすると、TCIの発表は、FCCとの駆け引きの中での戦術的なものなのかも知れない。
デジタルTVの登場で見えてきた家電とPCの「収れん(Convergence、コンバージェンス=米国で家電とコンピュータの融合のトレンドを指すキーワードとして最近よく使われる)」。これは、Microsoftを始めとするコンピュータ系企業にとって、家庭に浸透するまたとないチャンスと映っているのだろう。だからこそ、各社がここまで必死になってデジタルTVレースに加わろうとしているのだ。
('98/1/23)
[Reported by 後藤 弘茂 ]