後藤貴子の 米国ハイテク事情

米国にiモードライクな携帯が普及しない理由

●携帯電話ではオクれてる米国

 小さな白黒スクリーン。重くて無骨なボディ。米国に行った人だれもがアレッと思うのが、数年前に戻ったような、オクれた携帯電話だ。米国の携帯の機能は貧弱で、調査会社In-Statによれば、メールやWebアクセスできる携帯電話は6台に1台。単なるビジネスマンの通話の道具の域を出ていない。

 一方、米国人のほうも日本の携帯電話に驚いている。米国のメディアは、日本でメールやWebアクセス可能な端末を誰もが持っている様子を珍しそうに報じる。カラー画面、和音とPCM音源、カメラ機能などを持ったスリムな端末や、高校生がプライベートに持って遊びの道具にしている使われ方などを伝える記事には、羨望も感じられる。

 日本は携帯先進国だ、というのが米国が持つイメージらしい。

●米国の携帯は「必需品」

 しかし、もとはといえば、米国のほうが日本より早くから携帯が普及し、ちょっと前までは米国が携帯先進国だった。どうして逆転したのか。じつは、米国の携帯が日本より先に普及した原因も、日本ほど進化しない原因も、同じところにある。

 日本より先に携帯が普及した理由は、それが安全をもたらすからだ。

 まず、米国はクルマ社会だ。それに街と街の間に人家のない地域も広く、そんな場所には公衆電話などほとんどない。だから事故や故障の場合、救援を呼ぶのに使える携帯が唯一の護身具になる。

 また、犯罪が多いから、公衆電話があっても気軽に使えない。街なかの公衆電話はつぶされていることが多いのだ。また、安全な地域を見極めた上でないと、街頭で電話に気を取られるのもNGだ。日本からの観光客がハリウッドの路上の公衆電話を使い、通話が終わって振り向いたら銃を突きつけられていたということもある(本人に直接聞いた話だ)。だから携帯は女性なども持ちたがり、爆発的に普及した。子どもに持たせ、少しでも遅くなったら必ず携帯で連絡させるという親も多い。

●街頭でおしゃべりできない米国の事情

 しかし、携帯が日本のように進化しないのも、安全上の理由からだ。

 クルマで携帯を使うとなると、あまりハンドルから手を離していられない。電車の中でのんびりメールを打てる日本の状況とは違う。

 また、安全な地域以外では、日本のように街角で無造作に携帯を取り出し、立ち止まっておしゃべりするというわけにはいかない。「携帯を持っている→それなりに金がある」ということだから、安全を考えると、外にいる場合は周囲に注意を払いつつ、歩きながら手短に話すのが一番。クルマの中にいても、止めた瞬間から強盗に襲われる心配をしなければならないので、やはり長電話はしていられない。

 そのため、携帯は必需品ではあるがそれだけにとどまり、日本のようにパーソナルな遊び小物の域に達していない。とりあえず使えればいいナベやカマと同じなので、かっこいいもの、高機能なものが特に追い求められないのだ。

●コストを重視しすぎる米国人

 だが、携帯が進化しない理由はまだある。米国人のコスト意識だ。

 米国人がナベ・カマ扱いするものは、じつはエレクトロニクス製品全体に言える。例えばここに、軽く小さく高機能でかっこいいが高いウォークマンやビデオカメラと、安いがそれなりの製品があったら、どちらが売れるか。日本では前者、米国では後者だ。つまり日本人は先進的な電子製品が好きだが、米国人は一般的に、それほどでもないのだ。

 理由として考えられるのは、米国の貧富の差だろう。貧しい人にはかっこいい電子製品は高すぎ、金持ちには住宅関係とかもっと大きなレジャー用品とか、ほかにいくらでも金の使い道がある。チマチマして、高いといっても知れている電子製品は、中流が金を出すのにちょうどいい価格帯なのだ。そしてそんな中流がどちらの国で多いかといえば、それはもう圧倒的に日本だ。

 さて、ではコスト重視の米国市場では、どういうことが起きるだろうか。

 日本の場合は高くても高機能な製品が選ばれることでメーカーやキャリアが潤い、それによりやがて比較的安い価格帯の品にも同様の機能が付けられるようになる、というスパイラルが描かれるのだが、米国ではそれができない。いつまでも安いがとりえの品だけが市場を席巻し、高性能な製品は割高で、店にもあまりないままになってしまうのだ。機能や性能の面から見ると、米国はネガティブスパイラルに陥ってしまっている。

●携帯は英語と米国人には向かない?

 インターネットレディの携帯の普及率が日米でここまで違う理由としては、よく、米国でパソコンと普通の(有線の)電話によるインターネットアクセスが進んでいることがあげられる。だが、これは半分当たっていて、半分違っていると言える。

 よく言われるのは、市内電話が事実上かけ放題でパソコンの普及率が高い米国では、すでに安く、高速で、マルチメディアなインターネット環境がある、だから携帯でのネットアクセスは見劣りするし、あまり必要がない。それに比べ、日本は米国ほどパソコンによるインターネットが普及していないので、携帯のグラフィックスや速度で満足する人が多くなり、有線電話によるアクセスも高いから携帯が特に高く感じられない、というものだ。

 でも、この理由はちょっとおかしい。日本でも、家でパソコンによるネットアクセスをしていて、なおかつ携帯でもネットを使うという人は多いし、また携帯の料金が高いと実感している人も多いだろう。また、ネットをよく利用する米国人だからこそ、多少低速でもグラフィックスリッチでなくても、モバイルのネット環境は欲しいはずだ。

 では、よく言われる理由の中で残るのは何かというと、まず、コスト意識だ。日本人は通話料が高いと思いながらも便利なら使うが、米国人は使わないということだろう。もっとも、これは需要次第で、より市内電話の通話コストに近づくかも知れない。

 もうひとつ、日米のパソコンの普及率も無関係ではない。より正確にいうと、パソコンはより米国人向けで、携帯はより日本人向けなのではないか。

 もともとパソコンは、米国人に使いやすいように作られている。例えばキーボードの配列は最善のものではないにしてもなじみのあるタイプライターと同じ配置であり、同じキーボードで無理矢理ローマ字入力をしている筆者とは比較にもならない。

 ところが携帯電話ではこれが逆転する。キー数の少ない携帯には日本の五十音のように法則性があるほうが向いている。第一、小さなナンバーキーを親指で何度も押すなんて、普通の米国人にはイライラするだけかもしれない。また漢字に変換すれば、日本文は少ない文字数だけで意味が伝わる文を作りやすいが、英文だともっと文字数が必要になる。それに携帯の小さな画面では折り返しが多くなりすぎ、読みにくい。

 米国のコンピューター業界では、今、「ワイヤレス」が注目の的だ。日本の携帯事情が関心を呼ぶのもそのためだ。だが、このように裏にある文化が異なると、米国は日本の携帯事情をマネできない。米国のモバイル通信は今後、どう進化するだろうか。

[Text by 後藤貴子]


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