Click


後藤貴子の 米国ハイテク事情

Microsoft幹部なども次々転身、脚光を浴びるインキュベータとは


●ハイテク企業幹部は次々「インキュベータ」に転身中

 MicrosoftのWebTV担当社長だったSteve Perlman氏、彼はMicrosoftを辞めてインキュベータになった。同じくMicrosoftでWindows部隊を率いたBrad Silverberg氏も、Microsoftを辞めてインキュベータになった。それからAMDの社長だったAtiq Raza氏、Gatewayの上級副社長だったJim Collas氏。彼らも会社を辞めてそれぞれインキュベータになった。

 彼らはほんの一例だ。米国では、ハイテク企業幹部が会社を辞めて次々とインキュベータに転身している。日本ではまだあまり聞き慣れない「インキュベータ」が米国では脚光を浴び、急増しているわけだ。それはいったい何を意味しているのだろうか。


●インキュベータとは

 インキュベータはベンチャー起業家の助っ人だ。もともと英語で卵の孵化器の意味で、文字通り、企業の卵を温めてかえすわけだ。ベンチャー企業に資金を提供するほか、経営のアドバイスを与え、起業にまつわる雑務を代行する。

 資金提供の方法は、銀行などの“融資”と違い、たいていは無利子・無担保の“投資”で、見返りは株。つまり将来上場したときの株の売却益や配当を当てにしている。

 というと、「ベンチャーキャピタリスト(VC)」とどう違うんだと思うかもしれない。

 第一の違いは投資先だ。
 VCは、すでにある程度事業を回してきたベンチャー企業に投資することが多い。それは、VCはほかの投資家から金を集め、巨額のカネを動かす投資プロ集団だからだ。それで、この先どうなるかわからない全くのスタートアップ(新興企業)にチマチマ投資するのは嫌い、回収の可能性がより高い、もう少し大きくなったベンチャーにドンと投資するのを好むのだ。
 それに対し、インキュベータは、これから企業を立ち上げる起業家やごく初期段階のスタートアップに投資する。VCと同じくほかの投資家から集めたカネを原資にすることもあるが、企業の立ち上げ時期に必要な資金は成長期に必要な資金より少ないので、裕福なインキュベータ個人のポケットマネーですむ場合もある。

 第二の違いは、先に書いたように、VCよりも起業家の会社作りをこまごまと手伝ってくれることにある。
 インキュベータは、ベンチャー企業がすぐに入居できるオフィススペースを安く貸し、法務・会計や営業・広報のスタッフを提供したりもする。起業家は安心して、ビジネス上もっと大事なことに集中できるようになるわけだ。
 インキュベータはまた、事業計画の練り上げを手伝ったり、役員や幹部に適任の人物を探したりもする。あとでもっと資金が必要になったとき、VCを紹介することもある。うまいビジネスのアイデアを持つ起業家が必ずしも経営上手とは限らない。インキュベータは自分の経営経験や人脈を提供することで、起業家がひょんなところでつまづくのを防いでくれるわけだ。

 つまり、インキュベータは投資家にとって、コンサルタントやコンシエルジュの役目を兼ね備た存在なのだ。サッカーに例えれば出資もするサポーターとコーチとチームマネジャーを合わせたようなものかもしれない。

 インキュベータと似ている投資家には「エンジェル」と呼ばれる人々もいる。裕福な個人投資家またはその集団で、インキュベータ同様に、起業家やごく初期のスタートアップに、お金のほかアドバイスも含めた支援をする。
 ただ、エンジェルが投資家の“天使”であるのに対し、“孵卵器”インキュベータのほうが、オフィススペースやスタッフといったように、より現実的に起業の面倒をみるイメージが強い。また、インキュベータはほかの投資家から金を集めることもある。


●インキュベータ急増の理由

 さて、ではなぜインキュベータが急増しているのか。理由は2つある。

 ひとつは、投資家に求められるニーズが変わったことだ。
 VCやエンジェルより細かく起業家の面倒を見、インターネットビジネスに詳しい投資家が必要になったのだ。なぜならドットコムブームで起業家の数が増え、今まで以上に会社作りに対する素人が起業に手を染めるようになった。また競争がインターネットタイムで行なわれるようになり、今まで以上に早く会社を立ち上げないとならなくなった。そこで、起業家にとって、資金のほかに、ビジネスのノウハウを教えてくれ、雑事のケアもしてくれるインキュベータが喜ばれるようになったのだ。
 さらに、これはエンジェルにも共通することだが、有力インキュベータはインターネットビジネスに詳しいから、彼らに手伝ってもらえる起業家はその目利きにかなったということで、信用が上がるメリットもある。

 もうひとつは、インキュベータになりたい金持ちが増えたことだ。
 最近、増えているインキュベータのほとんどは、ハイテク企業の元幹部たち。彼らはストックオプションなどで億万長者になり、自分のポケットマネーでもある程度、スタートアップへの投資ができるようになった。また、ハイテク起業家たちのプランを吟味できる知識と経験もあるし、ハイテク業界でのコネクションも多いから、インキュベータにはうってつけなのだ。元部下が起業家に転身し、話を持ってくることだってある。


●変わってきたインキュベータの定義

 こうした中で、じつはインキュベータの概念も変わってきた。

 もともとは、インキュベータというと、大学が研究施設や学生アルバイトを貸したり、地方公共団体がオフィスや若干の経営サポートを提供する、といった産業振興のための事業を指すことが多かった。多くの場合、投資は伴わず、収入はオフィスの家賃程度。補助金をもらってやるインキュベータもあり、ビジネスのイメージは薄かった。それが、起業ブームの中で、投資家も兼ねた民営企業のインキュベータが増え、今のようにビジネスとして盛んになった。


●インキュベータはベンチャーを助けるベンチャー

 面白いのは、ベンチャー企業を育てるインキュベータ自身もまたベンチャー企業であることだ。インキュベータも、育てた企業がIPO(新規株式公開)まで行き、株が高値をつけてハイリターンとなるのを期待して、ハイリスクを冒しているのだ。

 そして、ベンチャーがベンチャーを育てる--ここに米国経済の活気のカギもまたある。

 かつて補助金頼みの半官半民のようなインキュベータしかなかったときは、インキュベータは盛んでなかった。ところがいったんニーズが高まり出すと、ビジネスチャンスのにおいを嗅いで私企業のインキュベータが現れ、どんどん起業家を助け始める。ベンチャーのインキュベータは自分自身の利益追求のために、起業家が本当に必要なサービスをすばやく提供する。すると、起業側もラクになり、成功しやすくなる。すると、また起業家が増え、インキュベータのビジネスチャンスも増える。米国ではこんな具合に経済が回っている。

 つまり、米国ではベンチャーの起業を助けるビジネス、いわば“起業ビジネス”というものが産業として成り立っており、それが経済の活気を生んでいるわけだ。

 半官半民がダメというわけではないが、インターネットタイムの時代に合ったスピード、柔軟性、真剣さといった点では、やはり起業ビジネスのほうが強力だろう。そして、何事につけお上の介入を避け自分の力で解決したがる米国人の気質に、起業ビジネスはピッタリあてはまるのだ。


●ただし……カネを出す者は口も出す

 もっとも、インキュベータは起業家にとってありがたいばかりではない。やっかいな存在になる場合もある。
 なぜかというと、--これはエンジェルやVCでも同じことだが--彼らの求める見返りは株による利益だから、そのために、少しでも早く、少しでも高く株価が上がるように、経営に口を出すからだ。

 企業が儲かればインキュベータも儲かるのだから、基本的には、彼らの行動は企業経営者の利害と一致する。だが、短期の利益を追求しすぎて経営者のような長期的視野を持たないこともありうる。例えばIPO(新規株式公開)を急いだり、それがかなわないと別の会社への身売りを図ったりということもあるだろう。米国の場合、ほかの会社に買収されることはべつに失敗を意味しない。でも経営者はもう少し自力で努力してみたいのに、そうさせないということもありうる。

 インキュベータは卵をかえしてくれる優しい母鶏。でもヒヨコは、成長してもいつまでも口うるさく鳴かれることも覚悟しないとならないわけだ。

[Text by 後藤貴子]


【PC Watchホームページ】


ウォッチ編集部内PC Watch担当 pc-watch-info@impress.co.jp