マイクロソフトが社会貢献活動に本格的に力を注ぎはじめてから、5年が経過しようとしている。 その成果の1つを、大分県で取材することができた。 この取り組みでは、子育て主婦とシニアが、ITを活用して、新たなコミュニケーション関係を構築し、町自体を発展させることにもつながっている。しかも、特筆すべきは、マイクロソフトが直接支援する期間は、今年6月で終了しているにも関わらず、その後も継続的にこの活動が実施され、さらに近隣地域にも波及しようとしている点だ。 マイクロソフトの大分県での成果を追った。 ●最高の成果を発揮している大分UPプログラム マイクロソフトは、「世界中のすべての人々と、ビジネスの可能性を最大限に引き出すための支援をします」とする企業ミッションを掲げている。これは、いわばデジタルデバイドを解消する取り組みだといっていい。 マイクロソフト自身も、企業市民活動のフォーカスポイントを「デジタルデバイドの解消」と明確に掲げており、現在ITの恩恵を受けていないといわれる全世界約50億人の人々へのITによる便益の提供と、社会的、経済的機会の拡大。そして、このうち10億人に対して、2015年度までにITの便益をもたらすことを目標に掲げている。 マイクロソフトでは、こうした活動を「UP(Unlimited Potencial=無限の可能性)プログラム」として展開してきたが、日本でも2003年にスタートして以来、これまでに12の非営利団体、3つの自治体と連携し、14個の個別プログラムを展開している。全世界を見渡すと、貧富格差を背景にしたデジタルデバイドが発生しているが、日本の場合には、シニア、障害者といった観点でのデジタルデバイドの解消が焦点となる。 その中で、日本で最初の取り組みとなったのが、大分県で行なった「大分UPプログラム」である。
しかも、「大分UPプログラムは、マイクロソフトが支援した中でも、大きな成果があがっているプログラムの1つ」(マイクロソフト法務・政策企画統括本部政策企画本部社会貢献部社会貢献コーディネーター・田仲愛氏)という。 2003年11月から2008年6月までを実施期間として、実施した大分UPプログラムは、財団法人ハイパーネットワーク研究所、特定非営利活動法人パワーウェーブ日出などを実施団体として、大分県が後援。高齢者の方々への生き甲斐づくり、生涯学習の機会提供を行なう「高齢者を対象としたプログラム」、障害者の方々の自立支援、就労の機会拡大を目指す「障害者を対象としたプログラム」、IT講習会を通じて地域活性化の人材育成、子育ての悩みや情報を共有するためのネットワークづくりを目指す「子育て主婦を対象としたプログラム」、プログラム推進の上で課題となる情報セキュリティについて、初心者にもわかりやすく教えられる講師の育成を目指す「情報セキュリティを対象としたプログラム」で構成される。 これまでの受講者実績は、障害者支援で1,086人、子育て支援で955人、高齢者支援で1,404人、情報セキュリティ支援で149人となっている。 だが、このプログラムの成果は、こうした数字によって表される以上の成果となっている点が見逃せない。 ●日出町の子育て主婦支援プログラムの取り組みとは 中でも、大きな成果をあげているのが、「子育て主婦を対象としたプログラム」だといえよう。特定非営利活動法人パワーウェーブ日出(ひじ)が主体となって実施しているこの取り組みは、地域コミュニティの形成に大きく役立っているからだ。
日出町は、大分市から約30分の距離。別府市に隣接し、人口は28,500人。第1次産業はわずか8%。第2次産業が約3割、第3次産業が約6割という、都市型の構成となっているのが特徴だ。 大分市のベッドタウンとしての役割、また国東半島地域へのIT関連企業の進出などを受けて、55~59歳に次いで、30~34歳の人口分布が多いという構成になっている。つまり、若い転入者が多いのが、日出町の特徴ともいえる。 だが、その状況が1つの課題を生んでいた。 子育て世代の主婦たちにとって、周りに知人が少なく、相談する人やコミュニケーションする人がいない。その結果、家のなかにこもりがちになることにつながっていた。転入してきた若い世代と、地域で暮らすシニア層の間をつなぐ環境がなかったのだ。 それを打破するきっかけの1つとなったのが、大分UPプログラムであった。 大分UPプログラムで開始した「子育て主婦を対象としたプログラム」が最初に目指したのは、子育て中の女性がITスキルを身につけることで、子育てをしながらでも働けるように支援することであった。ワードやエクセルなどの基礎的なITスキルを習得し、PCの講師として、地域で開催するPC講座で教えられるようにするほか、在宅でITスキルを生かしながら仕事ができるような教育支援を行なうことを目指した。 まずは子育て主婦が、自分のスキルを高めることに挑戦しはじめた。 町報である「広報ひじ」を通じて募集したところ、10人の定員に対して、30人の申し込みがあったという。 ただ、決してPCの知識レベルが高い女性ばかりではない。出産前に勤務していた会社では、ワードやエクセルに触れたことがあるといった主婦や、携帯電話の販売店で特定のソフトに必要情報を入力していたという主婦など、むしろ専門知識がある主婦はほとんどいなかった。 PC講座を受講したり、2カ月間の講師養成講座を受講した子育て主婦たちは、その後、講師として、シニアなどにPCの使い方を教えることになった。わずか1年前には、自分がPCを教える立場になるとは思っていなかった女性たちばかりだが、「楽しくPCを教えている」と異口同音に語る。 そして、ここにはシニアもPC講師として参加している。子育て主婦たちに混じって、シニアもスキルを持った講師として参加し、講師の女性たちを支援している。 ●託児施設との連動で社会参加を後押し
子育て主婦たちがこの講座に参加した理由の1つとして見逃せないのが、託児所が完備されていることだった。 主会場となる日出町保健福祉センターには、児童館設備があり、ここで保母の経験があるシニアが、受講の時間や講師をしている時間に、子供の面倒を見てくれるのだ。 1歳半になる双子の子供を持つ女性は、「まだ手がかかる時期であり、私1人で2人を見るのはとても大変。どうしても家のなかにこもりがちになってしまう。しかし、託児をお願いできることで、そうした心配がなく、PC講師という仕事ができる。なにかあれば、すぐに駆けつけられるし、子育てで溜まりがちなストレスも解消できる」と語る。 子育て女性が社会進出するきっかけを作り上げているのである。
●シニアと若い主婦のコミュニティ形成も 一方、シニアにとっても、PCを学習するための機会を得ることになった。 町報で講座の存在を知り、受講しているシニアの男性は、「一般的なPC教室に申し込んでみたが、初心者向けといっても、難しくてついていけない。だが、この教室は、わかるまで何度も教えてくれる。初心者中の初心者には最適な講座」と語る。デジカメで撮影した写真を、「ワードを使って、格好良く、レイアウトして仕上げる」のが目標だ。 また、シニア女性の1人は「受講費用の安さが魅力」と語る。 講座は、PCの基礎やメール、インターネットの操作方法を学ぶ「初級講座」のほか、「初級ワード講座」、「初級エクセル講座」、「応用講座」、「デジカメ講座」など。基本は、毎週1回、全4回の内容で、費用は2,800円。講座によって回数や費用は異なるが、平均した1回の受講あたり700円という安さだ。 「電器店が主催する講座を受けると1万円を超える。1回あたりの費用も2,000円近い。それに対して、2,800円の料金は安すぎるぐらい。しかも、親切に教えてくれるから私には最適な講座」という。来年の年賀状を、PCで作るのが目標だ。 別のシニア女性は、「先生の教え方が親切でわかりやすい。ほかの場所で新たな講座を開始するというので、そっちにも申し込もうと思っている」と、まるで「おっかけ」のような状況も起こっている。 今では、日出町保健福祉センター以外にも、HITコミュニティーセンターなどでも講座が行なわれており、各講座10人の定員は、すぐに埋まってしまう。
「人気の講座はエクセル。簡単な出納帳やおこづかい帳などを作りたいというシニアが多い。ここで開催している講座では、これを教えました、だけで終了する『しました』講座はしない。わかるまで、何度も、ゆっくりと教えることを、講師の方々にお願いしている」とパワーウェーブ日出・小野町子理事長は語る。 わかるまでじっくり教えてくれることも、講座が人気の秘密だ。 日出町の工藤義見町長は、「ITは生活のもとになる手段。だが、かつては、PC教室が、町の中にはなく、PCの操作を勉強したい人が学ぶ場がなかった。シニアの方々にも操作を覚えていただくことで、行政からの情報発信の方法が増える。日出町でも、ホームページを通じて各種の情報を発信しており、これからもネットを使った情報発信や行政サービスを強化していきたい」と語る。 PC講座の開始にあわせて、日出町保健福祉センターに光ケーブルを敷設したのも、工藤町長の強い想いによるものだ。 また、「日出町は、出生率が高く、毎年300人ずつ人口が増加している。住みやすい町という認識が広がりつつある」と工藤町長は語る。 「出生率の上昇には、年齢、性別を越えたコミュニティの存在がある。ITを活用した子育て主婦の支援も、その一助になっているのではないか」と小野理事長も語る。 そして、若い主婦と地元のシニアとのコミュニケーションが活発化し、子育てがしやすい町としても発展しつつある。ITによる社会貢献活動が町全体の活性化につながっているのだ。 ●自立した運営体制を確立 子育て支援事業が継続している理由の1つに、無償ボランティアに終始していないことがあげられる。 シニアは、1回あたり約700円となるPC講座の受講料を支払い、講師となる子育て女性は1時間あたり約1,000円を講師料として受け取る。また、託児については、やはり約800円を支払ってお願いする。託児を請け負ったシニア女性も約800円を受け取ることができる。 「わずかなお金でも流通させることで、自立して事業が運営できる環境が整う。講師となる女性は収入を得られるのはもちろん、託児をしているシニアも、孫が来たときにお小遣いをあげられる程度の収入を得ることが可能」(小野理事長)。 PC講座を受講しているシニアが、空いた時間を使って託児を行なえば、受講料の負担を軽減することができる。また、小野理事長は、講師の子育て女性に、「見合い託児」を進めており、これも負担費用の削減につながっている。 見合い託児とは、子育て女性同士が、講師を行っていない時間に、お互いの子供の託児を行なうというものだ。800円を支払って、800円を得るという仕組みとなり、費用は相殺される。 「託児を外注しようと思って見積もりをとったら、予想を大きく上回る金額だった。これは無理だと思い、知恵を絞った結果が、有償ボランティアによる託児制度。すでに30人のシニアが登録しており、登録者には、20時間の託児専門教育も受講してもらっている」(小野理事長)。 無償のボランティアでは、継続性に問題が発生しやすい。あえて、有償ボランティアでの仕組みを構築した点に、5年間に渡る継続性の秘密がある。 マイクロソフトは、2008年6月で、ひとまず支援体制を終了した。だが、これがそのまま継続されているのは、こうした自立した仕組みが構築されているからだ。そして、この仕組みは近隣の自治体などにも波及しようとしている。 また、パワーウェーブ日出が、2006年度および2007年度に国の「在宅就業支援モデル事業」として、大分県から委託を受けて実施した在宅就業支援も、その成果が注目され、今後、大分、中津、日田、豊後大野、佐伯を結んだネットワーク化を進める予定となっている。 「これは、日出町だからできたことではない。どこの地域でもできること。ただ、1人でやろうと思うと不可能。マイクロソフトの支援、行政の支援、地域の方々や関連団体の協力があったからこそできるもの。多くの支えによって、継続的な運営ができている」と、小野理事長は語る。 ●支援終了後も継続的にプログラムを実施 先に触れたように、大分UPプログラムは、4つの支援プログラムで構成されている。これらを取りまとめているのが、財団法人ハイパーネットワーク社会研究所だ。
'93年に発足した同研究所は、当初は、大分県でスタートしたPC通信「コアラ」を中心とした地域情報化に関する調査研究などでスタート。未来のネットワーク社会などに関して専門家が参加して議論する「別府湾会議」の主催、地域防災ネットワークの調査研究、地方自治体の情報化コンサルティングなどの活動を行なっている。 ハイパーネットワーク研究所の青木栄二事務局長は、「子育て主婦支援以外にも、成果はあがってきている。シニアネットを通じた活動によって、県全体におけるシニアの情報スキルの向上のほか、障害者支援プログラムでは、大分県が全国でも障害者の雇用率が全国2番目という状況であり、これを下支えしている。そして、情報セキュリティプログラムでは、シニアネット大分のなかから、情報セキュリティに詳しい5人を、牽引役を務めるスーパーマスターとして育成。さらに、初心者向けに情報セキュリティ講習を行なえるマスターを30人育成できた。地域の情報セキュリティレベルを引き上げ、情報弱者、そして情報セキュリティ弱者を作らない環境確立に取り組んでいる」という。 このように、大分におけるマイクロソフトの社会貢献プログラムは、支援期間が終了したあとも着実に広がりを見せている。マイクロソフトの支援プログラムの実施をきっかけに、地域に密着した施策として位置づけられていることが体感できた取材だった。 □マイクロソフトのホームページ (2008年10月7日) [Text by 大河原克行]
【PC Watchホームページ】
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