第410回
MIDは携帯電話からユーザーを奪えるか



Silversthoneのウェハを手にAtomに関する基調講演を行なったチャンドラシーカ氏

 上海で開催中のSpring Intel Developers Forum 2008で発表が始まると同時に、日本でもAtomを搭載した製品の発表が行なわれたようだ。

 IntelはAtom搭載製品を「新たに2台目のPCを普及させる可能性」について言及し、従来のIntelプロセッサとは異なる市場を生み出す製品であることを強調している。

 そしてもう1つ、Intelが強調しているのが、Atomを用いたMID(Mobile Internet Device)あるいはNetBookが「インターネットの利用に特化したデバイス(Intel副社長兼ウルトラモビリティ事業部長アナンド・チャンドラシーカ氏)」という点だ。実はここにMIDが市場に定着するか否かの鍵がある。

 Intelの発するそれぞれのメッセージについて考えてみた。

●仕事環境をMacに移行できた理由

 以前、本誌の連載の中で、モバイルノートPC以外はすべてMacへと仕事の環境を移行したと書いた。切っ掛けはMac mini発売時に試しに使ってみたら、そのまま離れられなくなっただけなのだが、Windowsにどっぷりと浸かっていた筆者が比較的簡単にMac環境へと移行できた最大の理由は、アプリケーションの形態が変化してきたからだと自己分析している。

 やや大げさだが、話をマイコン時代まで遡りたい。

 8bitパソコン時代からコンピュータを使っている筆者のような世代は、機械語がどのように機能し、CPUがどのように振る舞い、外部I/Oとどうやって通信しているかを知っている人が多いと思う。これがMS-DOSなどOSが介在する時代になり、外部I/OにはDOSの機能を呼び出してアプリケーションを作るようになったが、リッチなユーザーインターフェイスや動作速度を求めると、どうしてもハードウェアやBIOSに依存したアプリケーション構築を行なわなければならない。

 ここにWindowsという抽象化レイヤが加わったことで、開発者はハードウェアに依存しない方法でアプリケーションを構築できるようになった。それまで独占的地位にあったNEC PC-9801シリーズの威光が失われたのも、ハードウェア依存性が下がったからに他ならない。

 しかしWindowsがデスクトップOSを独占すると、今度はWindows環境(Win32 API)への依存が強まり、WindowsがなくてはPCプラットフォームを維持できなくなった。Windowsはハードウェア依存のパラダイムを打ち破ったが、同時に自身への依存という新しいルールを生み出したことになる。

 その後インターネットが台頭してくると、今度はインターネット上にさまざまな標準が生まれ、インターネット標準の上で動作するアプリケーションが増加。Microsoftが.NETを2000年にブチ上げたのも、Windows基盤の優位性とインターネットの長所を融合した新しいアプリケーション構築の枠組みを作る必要性があったためだ。

 ところが現状を見ると、時代はOSに依存しないインターネット標準のみでアプリケーションを構築する方向へと向かっており、かなりの割合のアプリケーションがOSのAPIに依存しない形で実装できるようになってきた。すべてのアプリケーションがネットワークサービスになり、OSへの依存性がゼロになるのはまだ先のことだろう。またローカルで動作するソフトウェアがなくなるわけでもない。

 だが、Windowsでなくとも困らない程度には、OSの依存度は下がってきている。Webブラウザやマルチプラットフォームに対応した各種のプラグインが、OS機能の抽象化レイヤとして機能しているからだ。WindowsユーザーがMac OSに切り替えても、以前ほど困ることが少なくなったのも、ローカルアプリケーションとして動かさなければ使い物にならないアプリケーションが減ってきたからだ。

●MIDは「SNSユーザー向けのパワフルな端末」とチャンドラシーカ氏

 Webブラウザや各種プラグインを用意し、さらにメールやスケジュールなどの必要な道具を一通り揃えてやれば、コンパクトな情報ツールとしてMIDは携帯電話以上の価値を持つ製品になる。

 とはいえ、何らかのソフトウェアプラットフォームは必要だ。Windows VistaがMIDやNetBook(インターネットアクセスに特化した低価格ノートPC型端末)に向けた、安価でコンパクトな構成のパッケージを用意してくれればいいが、Microsoftは超小型PC向け版Vistaは開発しないと明言している。

 そこでIntelは昨年7月ぐらいからMIDに特化したLinuxの開発を行なう「The Mobile & Internet Linux Project」を立ち上げ、必要なアプリケーションセットやユーザーインターフェイス、省電力機能や各種無線アクセス機能を構築するためのプラットフォームとツールを、オープンソースモデルで開発してきた。

 その成果は製品で評価したいが、話によれば「Asianux」(中国のRedflagを中心に日本や韓国のLinux企業・技術者が協力して開発したモバイル向けLinux)や、「Ubuntu(ウブントゥ)」(デスクトップ環境を充実させたLinuxディストリビューションの1つ。現在、デスクトップ用として最も人気があると言われている)の開発を行なったCanonicalの尽力や、AdobeによるAIRの実装、そのほか多くのLinux開発コミュニティの協力もあって、完成度はかなり高まってきているという。

基調講演で披露されたAtom採用のMID、UMPCたち Lenovoが開発した「ideapad U8」

 Webブラウザやプラグインには事欠かない上、AdobeがAIRを実装したことで、流麗なユーザーインターフェイスの構築も簡単になった。実際、Lenovoの「ideapad U8」など、LinuxベースのMIDのいくつかはAIRを用いて開発されている。

 もともとはIntel社内で開発していたプロジェクトを外部に出したものだが、この取り組みはかなりうまくいっているようで、今後はさらに多くの恩恵をMIDにもたらすだろう。日本ではWindows VistaインストールのUMPCもいくつか展示されたが、Intelとしては携帯電話のインターネットアクセス機能に不満を持つユーザーなどがLinuxベースのMIDへと移行してくれることを期待しているようだ。

 チャンドラシーカ氏は「ここ2年でアクセス数上位に新たにランキングされたサイトの多くはソーシャルネットワーキングの要素を持つものばかり。よりインタラクティブにWebアプリケーションを活用する例が増えている」と話し、LinuxベースのMIDが備えるWebブラウザでも、その多くはエラーなしに実行できるとして、高機能携帯電話やスマートフォンからMIDへの移行が起きるだろうと予測した。

ideapad U8のユーザーインターフェイス画面。操作はiPod touchに近い感覚のタッチパネルデバイスを用いて行なう。ユーザーインターフェイスの構築はAdobeのAIRを用いており、流麗なアニメーションを駆使した画面構成。写真のプレビューでは3Dグラフィックスを用いていた

同日、RealnetworksがMID向けLinux対応のReal Playerをリリースすると発表した 次のAtomプラットフォームでは、さらに小さなシステム基板へ実装できるとチャンドラシーカ氏

●MIDは携帯電話からユーザーを奪えるのか

ユーザーは携帯電話端末に不満? 日本での市場調査によると、9割近い人が携帯電話からのインターネットアクセスに不満があると言うが……

 チャンドラシーカ氏は今回の基調講演、そしてその後の記者インタビューでも繰り返し「日本では7割の人が携帯電話からインターネットを利用しているが、その日本における調査によると、87%以上のユーザーが携帯電話からのインターネット利用に不満を持っている。米国でも同じような数字が出た」と話していた。

 Intelが言いたいのは、それだけAtomベースのMIDが伸びるスペースが存在するということだが、果たして日本で調査したというこの数字、本当にリアリティがあるものだろうか? 調査結果の数字に文句を付けようというのではない。しかし、携帯電話からのインターネット利用に不満を持っている人というのが、通常の端末よりも高価なMIDを購入してまで、その不満を解消しようとするだろうか、と疑問に思うのだ。

 もちろん、スマートフォンに通常の携帯電話よりも高い金額を払う人ならば、高価なMIDでも購入するかもしれない。携帯電話のインターネットアクセス機能に不満を持っているユーザーの多くは、より優れた携帯電話を望んでいるだけではないか。

 MIDはむしろ、PCを携帯して活用していた人の一部から、確実にユーザーを奪うだろう。PC的な機能を携帯したいと思いつつ、PCは大きく重いからとモバイルコンピューティングというスタイルに躊躇していたユーザーも、MIDを選ぶケースが増えると思う。

 IntelはMIDを「これまでの小型ノートPCとは違う、PCプラットフォームの新しい市場を生み出す製品」と紹介するが、実際には小型・軽量ノートPCの市場を奪うだけではないのだろうか。

 この点に関してチャンドラシーカ氏は「そうは思わない。小型・軽量のノートPCが欲しい人は、PCならではのリッチな体験や機能を求めていて、PCでしか動かないソフトウェアを使っている。これはこれで、別にこれからも性能・市場ともに成長をしていく。Atomが生み出すのは、小型・軽量ノートPCとは全く異なる市場だ。両者は全く別のもので、異なるセグメントで成長していくものだ」と答えた。

 個人的には、前述したようにインターネット上に構築されたアプリケーション、サービスを利用することが主目的というモバイルPCユーザーは、今後、MIDに流れていくだろうと考えている。WiFi、WiMAX、3.5Gといった高速な無線アクセスと組み合わせれば、たとえWindowsベースでなくとも、MIDは“PCを使う必要があった人”のうちの何割かを獲得すると思う。Atomが目指すMIDによるモバイル端末革命は、ユーザーにとっても選択肢が増えるという意味で悪い話ではない。

 しかし携帯電話ユーザーの一部を奪うことが可能かどうかは、実際のところ携帯電話会社の方針に関わっている。たとえばウィルコムは安価な無線WANインフラを活かすために、積極的にMIDに投資をするだろうが、NTTドコモやauなどが、どこまで本気でMIDという分野に力を入れるかは未知数なところがある(もちろん、NTTドコモがAtomの発表会に出席したことを考えれば、一部にMIDに期待する向きがあることは理解できるが、会社全体の方針との判断はまだできない)。

 携帯電話契約数が頭打ちになり、音声通信の収入も大きな伸びは見込めない中で、収入を増やすにはデータ通信を活発化させる方向に向かうならば、携帯電話会社自身が積極的にMIDを売るようになるかもしれない。このあたりの見極めは、実際にAtom搭載製品が出てこなければハッキリとした答えは出てこない。これは「王者Intelが市場を変えていく」話ではなく、「新たなる市場創出に向けたIntelの挑戦」という話なのだ。

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【4月2日】【本田】周辺デバイスをネットワーク経由で使えばMIDの価値は高まる
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/0402/mobile409.htm
【1月11日】【CES】MenlowプラットフォームのUMPCやMIDが多数展示
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/0111/ces19.htm

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(2008年4月3日)

[Text by 本田雅一]


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