山田祥平のRe:config.sys【IDF特別編】

バーチャルとリアルの狭間で




 リッチな表現とリアリティには、果たして相関関係があるのだろうか。想像を絶する計算機リソースを投入してこしらえれば、新たなリアリティが生まれるのかどうか。今は、なんとなく、そこには、胡散臭さがつきまとう。少なくとも今は。

●3D Webの台頭がもたらすデジャブ

 10周年を迎えるIDFも、会期の最終日を迎えた。春のIDF北京の再放送を見ているようなデジャブに不思議な感覚を覚えながら、あわただしく過ごした3日間だが、これから始まるIntelの新たな展開を、頭の中で整理するにはよい機会だったように思う。

 最終日の基調講演はIntel CTOのジャスティン・ラトナー氏によるものだった。ラトナー氏は、社外と電子メールをやりとりすることなど馬鹿にされていた時代を振り返り、今は、そんな時代のデジャブが起こりつつあると、いつもの厳かな笑顔で語り始めた。

 ラトナー氏は、オンラインゲーム「セカンドライフ」に代表される3DのWebが注目されている今は、'93年頃に2DのWebが登場したころに似ているという。そして、かつてのWebがほぼ10年かけて完成の域に近づいたように、今後、花開くであろう前座の時期にいるのかもしれないとラトナー氏。大きなビジネスチャンスは、コンピュータと人が対峙するスタイルが変わる瞬間に訪れる。だから、今は新しい革命が起こりうる時期なのだ。ラトナー氏はそう明言するし、その考え方には素直に納得できる。

 かつて、AOLやCompuServe、Prodigyが台頭した昔、確かに電子メールには、コンピュータの未来を感じたし、BBSには新たなコミュニケーションのスタイルを予感させる何かがあった。個人的には日本で電気通信事業法が改正され、電電公社が今のNTTになった'85年頃以降の時期が相当する。東京都区内の隣接地域外に仕事場を設けていた当時、最高で10万円を超える1カ月の電話料金を支払った苦い思い出もある。あのころ、すでに、インターネットは世界を結んでいた。たかだか300bpsで流れる文字を眺め読みながら、その向こうにいる人の顔が確かに見えた。

 だが、今、セカンドライフをいくら体験しても、そのワクワクドキドキを感じることができないのは、ぼく自身が古いタイプの人間だからなのだろうか。そして、たとえ、その3Dグラフィックスが、今よりも、格段に高精細でリッチなものになったとしても、そこにリアルな人間の息吹を感じることができるかどうかも心配だ。それとも、そんなことを思っているのはぼくだけで、世の中的には、そうじゃないのだろうか。本当は心のどこかで胡散臭さを感じながらも、みんながすごいというならきっとすごいに違いないという錯覚に陥っているわけではないのだろうか。

 そして、人々は、バーチャルリアリティに、本当にリアルを求めているのだろうかという、素朴な疑問につきあたる。

●足りない計算機資源

 ラトナー氏はいくつもの証拠を挙げながら、今、3D Webが台頭し始めていることをたたみかけていく。そして、デジタルコミュニティとして、クリエイター、コマース、プレイ、ソーシャルといったカテゴリに分類されるコミュニティのいくつかは3D Webに近づいていき、高いレベルの3Dグラフィックスを活用しているものの、セカンドライフなどは、まだ、それを満たしていないともいう。

 WIRED誌によれば、今年(2007年)中に、バーチャルな世界は6,000万人を受け入れるだろうというが、そこに人々を駆り立てる動機はいったい何なのだろうか。しかも、このバーチャルリアリティは、コンシューマの世界のみならず、ビジネスの現場にも浸透する可能性があるといいながら、ラトナー氏はジョークのようなデモを見せる。普通は、ここまで見ると、確か、5年前も同じことを言っていたじゃないかと悲観的な気持ちになるものだと自嘲し、さらに、実際には10年前にもやろうとしていたことだと釘をさす。

 結局、ラトナー氏の基調講演は、ブロードバンドの普及により、テレビやコンピュータディスプレイ、そしてコンテンツのHD化に伴い、人々がクオリティの高いものに慣れ始め、その一方で、バーチャルな経済と、リアルな経済との連結が起き始め、技術的にも、文化的にも、そして、社会的にもバーチャルを許容できる時代になってきたことから、今よりも3倍は高い処理能力を持つプロセッサ、そして、20倍の能力を持つGPU、さらに、少なくとも100倍は広い帯域幅のネットワークが必要になるという、お約束の結論に導かれていく。

●3D Webの中のユニークなイメージ

 YouTubeの画像は、荒く汚いものが少なくない。でも、そこには確かにリアルを感じることができる。ぼく自身はそうだ。でも、最新のグラフィックスを駆使した映画や3Dゲームにリアルを感じることはない。

 ラトナー氏の言葉で聞き逃してはならないのは、3D Webの世界では、それぞれのユーザーがユニークなイメージを見るという点だ。ラトナー氏は、だから、大きな負荷を処理するために、性能の高い計算機が必要だというのだが、これは詭弁であるようにも感じた。

 もちろん、性能の高い計算機によって、よりよいユーザー体験ができるようになることは否定しない。そこでは、大勢の人間が、それぞれの役割を分担することになり、互いの信頼関係を確率する方法が必要になることにまで言及するラトナー氏の論旨には説得力がある。

 だが、本当にそこに人の暮らしの未来があるのかどうかには、やはり胡散臭さがつきまとうのだ。リアルは、本当にリッチな表現の中にしか見いだせないのか。だとすれば、絵の出ないストーリーとしての小説、動かないアニメとしてのコミック、映像のないメディアとしてのラジオが、今なお人々に愛され続けているのはなぜなのか。

 ラトナー氏が言うとおり、人々は、3D Webの世界の中でユニークなイメージを見る。そこで、個々が感じる印象の違いが、今後の課題になるだろう。いくらIDFが開催されているサンフランシスコのダウンタウンであるとはいえ、街を闊歩する女性が羽織っている野球のユニフォームにプリントされた背番号が45番であることが45nmを象徴していることを類推する層は、ほとんどいないはずだ。リアル世界の中で、育まれつつあるバーチャルとは、まだ、そんな段階にあるのかもしれない。

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【2006年9月26日】【山田】【特別編】かけはなれた理論値~IDF Fall 2006 雑感
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0929/config125.htm

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(2007年9月21日)

[Reported by 山田祥平]


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