●堅実路線になったSCEAのカンファレンス ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)は、PlayStationファミリの戦略の軌道修正を進めている。一言で言えば、“ゲーム機+メディアプレーヤー”としてPLAYSTATION 3(PS3)とPSPの付加価値を高め、浸透を図る戦略だ。壮大なビッグビジョンを掲げて夢を追うのは休止して、現実解として、まず目先のパイを獲得しようとしている。 SCEA(Sony Computer Entertainment America Inc.)は、先週米サンタモニカで開催されたE3のカンファレンスで、PS3とPSP、そしてPLAYSTATION Networkの戦略を説明した。今回のカンファレンスで目立ったのは、抽象的なビジョンは排除し、現実の製品や2007年から2008年にかけてのゲームタイトルラインナップを押す、言ってみれば堅実なアプローチだった。2年前のPS3の概要発表のE3で、PS3をエンターテイメントのためのスーパーコンピュータと宣言、ハードウェアスペックとビジョンでカンファレンスを埋め尽くした時とは全く雰囲気が異なる。もちろん、ハードへの期待を高める時期と、ハードが出た後のコンテンツの立ち上げ時期という違いはあるが、それを差し引いても、姿勢の違いは明らかだ。
この違いは、SCEを取り巻く現在の状況を反映している。2年前のSCEは、PS2の圧倒的優位を背景に、PS3でも市場を押し切れるという自信に満ちていた。SCEが敵と見なしていたのは、Xbox 360やWiiではなかった。SCEは、PS3をゲーム機より高次に引き上げることができるかどうかが、チャレンジだと見ていた。 だが、今は違う。予想を超えて強かったXbox 360とWiiに挟まれ、SCEは地に足をつけて目前の敵と戦わなければならなくなっている。Xbox 360とはコアゲーマーの食い合いを戦い抜かなければならず、新市場開拓ではWiiの成功事例を突きつけられている。 ●ゲームタイトルでの差別化が難しいPS3 今回、SCEにとって苦しいのは、ゲームパブリッシャ/デベロッパの流れが他プラットフォームにある程度向いていることだ。例えば、E3のカンファレンスで紹介されたPS3タイトルの大半は、Xbox 360とのクロスプラットフォームタイトル。差別化を図るカギとなるPS3専用タイトルは、前世代と比べるとぐっと少ない。パブリッシャは、PS3とXbox 360の二股で安全を確保して市場に臨んでいる。 そのため、SCEはPS3の付加価値をタイトル以外の部分で強めなければならない。PS3のコストをカバーするために、SCEは簡単にPS3の価格を引き下げることができない。ハードのコストだけでなく、ふくれあがるソフトウェア開発コストも埋める必要がある。SCEとしては、価格引き下げには慎重にならざるを得ない。 こうした事情から、SCEは、Xbox 360やWiiと比べると割高な価格に見合う価値を提供する戦略を強める方向へ向かっている。 実際、PS3発売からこれまでのSCEの動きは、まさにそこにフォーカスしていた。まず、立ち上げではBDドライブによるHDムービーコンテンツを強調。そして、ここへ来て、PS3のシステムアップデート「1.80」で、DLNAクライアント機能を追加した。これによってPS3は、PCやビデオサーバー、HDD、HDDレコーダなどのビデオソースを、ネットワーク経由で再生できるようになった。 SCEの動きは、PS3をゲーム機+汎用メディアプレーヤーとしての色彩を深めさせるように見える。デジタル家電の中心に位置して、家庭内のさまざまなメディアソースを統合するクライアントとしてPS3を成り立たせようという戦略だ。もちろん、TV録画などを再生するタイムシフトでは、PS3のビジネスが成り立たないため、今後は、PS3に対するHD映像コンテンツの配信サービスも組み合わせると推測される。 こうした姿勢から伺える現在のPS3戦略は明瞭だ。それは、PS3を汎用性の強いコンピュータに育てるというビジョンは先送りにし、メディアプレーヤーとしての充実を目指すものだ。 ●エコシステムの立ち上げを目指していたPS3 もともとのPS3のビジョンは、ゲーム機ではなく“エンターテイメントコンピュータ”を目指すというものだった。SCEは、PS3の発売時にもエンターテイメントコンピュータを目指すことを強調したが、実際には、その意味あいが以前とは異なっている。 現在のPS3は、プログラマブルなメディアプレーヤーであることで、エンターテイメントコンピュータであると位置付けられているように見える。固定機能の家電では不可能な柔軟性と機能を持っているからコンピュータである、といったニュアンスだ。しかし、以前のSCEは、サードパーティの非ゲームアプリケーションが花開くプラットフォームとして、コンピュータという言葉を使っていた。 例えば、2005年には、当時SCEを指揮していた久夛良木健氏が、PS3の上でソフトウェアのエコシステムを育てる構想をインタビューで語っている。 DOS/Windows PCやMacintoshといったコンピュータでは、プラットフォームの上に、さまざまなソフトウェアベンダーがアプリケーションソフトウェアを提供。それによって、大きなエコシステムが育っていった。SCEは、PS3に対しては同様のエコシステムの広がりを期待し、エコシステムの育成を支援することを示唆していた。 例えば、PS3/Cell B.E.向けのソフトウェアでビジネスが成り立つように、ある程度のお膳立てをSCEが整える。すると、「サードパーティがアプリを作る→PS3を使う人が増える→PS3ソフトウェアでビジネスが成り立つようになる→より多くのソフトウェアがPS3に登場する」といったポジティブスパイラルが回り始める。SCEが全ての面倒をみなくても、自然発生的にソフトウェアが増えて、PS3の潜在価値が拡大し、ユーザーが拡大するわけだ。 PCやMacintoshは、このスパイラルが回ったため、急速に成長した。PS3の初期構想の基本は、こうしたエコシステムの確立のために、ゲーム機でありながら、ある程度オープンなプログラミング環境も提供する点にあった。そして、それこそがコンピュータであるというビジョンの真の意味だった。 だが、現在のSCEは、このPS3のビッグビジョンを修正。現実解として、まず柔軟なプログラマブルメディアプレーヤーとして、自社で環境を整えようとしている。ゲーム以外のソフトウェアエコシステムの確立は、とりあえず先送りして、まずは、ゲーム+メディアのプラットフォームとして確立させようという戦略に見える。 もっとも、こうした戦略の変化は、実際のPS3のソフトウェア層の作り方からすれば、当然の帰結かもしれない。PS3のシステムソフトウェア層の構造は、非ゲームの汎用的なアプリケーションによる、ソフトウェアエコシステムを育てるのには向いていないからだ。 ●紆余曲折があったPS3のOS開発 PS3のソフトウェア層のプロジェクトには、かなりの変遷が見られる。そもそも、初期の構想時のOSと、現在のOSは、全く別のプロジェクトだという。もともとは、Cell B.E.チップ自体の開発段階から、その上で走る高機能OSの開発も平行して進められていた。しかし、そのOS開発は、何らかの理由で行き詰まり、代わって現在のOSチームがOSの開発を引き継いだと言われている。SCEは、PSPでOS開発の経験を積んでおり、その延長でPS3の現在のOS開発が行なわれたと見られる。 また、PS3のソフトウェアスタックの構造も変わった。SCEのもともとのソフトウェアビジョンは、Cellハイパーバイザ上の仮想マシンで、ゲームOSと汎用OSを同時に走らせるものだった。SCEが、PS3開発のかなり後期まで、この構想を検討していたことは、複数の業界関係者が証言している。久夛良木氏も、以前のインタビューで「PS3ではOSもアプリケーション」という言葉で、この構想を示唆していた。
もちろん、現状のPS3のハードウェアリソースは限られているため、メモリ帯域などのリソースをフルに使うゲームタイトルのプレイ中は、汎用OSの仮想マシンを立ち上げることは難しい(リソースを拡張したAVサーバー版PS3などでは可能と見られる)。しかし、非ゲーム時に、仮想マシンで2種のOSをPS3上で同時に立ち上げることで、汎用的なアプリケーションの使用を容易にすることができる。 実際、東芝のCellリファレンスキットでは、ITRONとLv2Linuxと2種の性格の異なるOSをHypervisor「Beat」の上で走らせ、OS機能の分化を可能にしている。こうした構造なら、例えば、OSがプリエンプティブマルチタスキング機能を備えていなくても、Hypervisorがリソースの時分割をハンドルできる。ちなみに、Cell B.E.のHypervisorはSCE、東芝、IBMでそれぞれ異なるが、実際にはベースは共通で、かなり似ているという。 デュアルOS構想のPS3なら、ゲームはゲームOSで走らせ、汎用的なアプリケーションは汎用OS上に持って行くことができた。汎用アプリはOSレベルで分離されるため、ゲームOSはゲームを走らせることに特化し、リアルタイム機能を強化したOSにしても問題はなかった。一方、汎用OSは、例えば、仮想記憶のようにゲームOSには不要だが、汎用アプリには有用な機能を提供することで、ソフトウェア開発を容易にすることができた。 しかし実際のPS3は、ゲームOSだけを載せて出荷し、プラットフォームを半オープンにして他の汎用OSに対して開くアプローチを取った。PS3向けにSCEが提供している汎用的なソフトウェアも、今はゲームOS上で走っている。 ●非ゲームアプリにとってハードルが高いPS3 そのため、現在のPS3の場合、汎用的なアプリの開発はそれなりの苦労を強いられていると推測される。例えばPS3は、アップデートでネットワークからのコンテンツのバックグラウンドダウンロードをサポートした。しかし、PS3のソフトウェア層の構造では、バックグラウンドダウンロード機能の実現のためには、ダウンローダソフトだけでなく、フォアグラウンドで走る各ソフトウェアに対しても、かなりの修正を行なう必要があったはずだ。それだけのアップデートを短期間でやってのける、SCEのソフトウェア開発部隊の馬力は凄まじい。しかし、そうした努力は表からは見えないため、正当に評価されているとは言い難い。 こうした事情から、現状のPS3に向けては、汎用的なアプリの開発はかなり困難を伴う。SCE内部の汎用ソフトウェア開発部門は、困難でもやり遂げるだろうが、サードパーティにとってはハードルが高い。もし、SCEが、非ゲームアプリに対して、現在のOSのAPIを公開したとしても、サードパーティアプリの充実は難しいだろう。 では、PS3上のLinuxでの汎用アプリはどうなのか。問題は、PS3にLinuxをインストールできるとはいえ、全てのPS3が、デフォルトでは汎用OSを載せていない点にある。汎用アプリを走らせることができるオープンなOS環境が、デフォルトで載っているかどうかは、アプリ開発では決定的な違いとなる。SCEが当初構想していたような、汎用OS向けのPS3アプリが花開くという展開は、なかなか想定できない。 こうして見ると、PS3が現在のソフトウェア層になった時点で、すでに軌道は変わっていたことがわかる。しかし、これがネガティブかというと、そうでもない。より現実路線であり、現在のSCEとPS3にはフィットした戦略だろう。PC黎明期と異なり、今の時期に、新しいエコシステムを育てるのは、なかなか難しく時間がかかる。Cell B.E.についても、コンパイラを含めた環境が成熟するには、まだ猶予が必要だ。 しかし、現実路線であるとしても、その方向へ進むことは難しい。SCEは1年前まではビッグビジョンでPS3を推進して来たために、そのブレを修正する必要がある。コンピュータを目指したために、高コストな設計となっているPS3を、ゲーム機の価格体系にある程度フィットさせて行く必要がある。コンピューティングパフォーマンスを重視したために、複雑になったプログラミングモデルを緩和するための、開発環境も急速に整えて行かなくてはならない。しかも、今回のMicrosoftと任天堂は、前世代とは比べものにならないくらい手強い。現在のSCEは、苦しみを味わっている。 ●UMD戦略の仕切り直しを意味する新型PSP
今回のE3では、SCEは新型のPSPの投入も発表した。すでに報じられているように、PSPを薄型軽量化するだけでなく、ビデオアウトを設け、TVに画面出力できるようにする。また、パフォーマンスのネックだったUMDドライブからの転送をカバーするためにキャッシュを設ける。 TVへの出力は、PSPで強く望まれていた機能だ。ゲームだけでなく、UMDビデオを含むPSPのコンテンツをTVに出力できる。これによって、PSPはスタンダード解像度のSDTVのゲーム機兼メディアプレーヤーとしても成り立つようになった。 ビデオアウトポートの追加は、単なる機能追加ではない。重要な点は、SCEのUMD戦略が根本から変化したことを示している点だ。 SCEがこれまでPSPにビデオアウトをつけなかったのは、コンテンツ保護を完全にするためだった。ビデオアウトからのキャプチャも不可能にすることで、コンテンツを万全の態勢で保護。それによって、コンテンツホルダーの支持を集めて、UMDを次期メディアとして普及させるという戦略だ。 SCEは、UMDを次世代のSD解像度のコンテンツの総合メディアとして考えていた。PSPだけでなく、UMDドライブ内蔵のTVなど、据え置き型デバイスにもUMDを浸透させることも視野に入れていた。「PSPが普及する→PSP向けにUMD映像コンテンツが豊富に揃う→UMDドライブを搭載したデバイスが増える→UMD映像コンテンツがさらに増える」というスパイラルを構想していたと推測される。 ●コンテンツ保護のためにビデオ出力を制限
そして、SCEがUMDコンテンツを揃えるためのカギとして重視していたのは、コンテンツ保護だった。PSPとUMDの開発を行なっていた2002~4年当時、映像コンテンツの世界はDVDの売り上げの頭打ち傾向と、DVDコンテンツの吸い出しとコピーが大きな問題としてクローズアップされていた。SCEは、そこに、UMDをDVDよりセキュアなメディアとして売り込むことで、DVDに危機感を高めたコンテンツホルダーの支持を集めようとしていた。 そのために、UMDではライタブル(書き込み可能)ドライブは一切出さず、アナログでもビデオアウトは出さないという方針を貫いていた。 その戦略は、ある程度うまく働き、UMD映像コンテンツを集めることができた。しかし、UMDをPSPから離れて本格的に立ち上げさせるほどには成功しなかった。PSP自身の普及カーブが今一つだったこともあるが、業界の流れがコンテンツ配信で新しいビジネスモデルを確立するという方向へ向かって行ったこともある。結果としてUMDのビッグビジョンも、成り立たないまま来てしまった。 そのため、UMDにコンテンツを牽引するための材料だった閉じたPSP出力は、意味を薄めてしまった。そして、ビデオアウトがないことは、PSP単体で見るとマイナスポイントだ。 今回のPSPの仕様変更が意味するのは、UMD戦略を修正し、PSPのマイナス面を削ることだ。UMDをPSPのためのメディアと割り切り、PSPのメディアプレーヤーとしての魅力を高めて普及を促すためにビデオアウトをつけた。 こうして見るとPSPの機能変更も、PS3戦略の軌道修正と、基本的には同じ方向性の仕切り直しだ。ビッグビジョンを変更して、ゲーム&メディアプレーヤーとしてのPlayStationファミリの魅力を高める。そこに焦点がある。 このほか、SCEAは、PS3のバーチャルコミュニティサービスであるhomeに携帯電話経由でアクセスできるサービスを提供することも発表した。提供するサービスは、Microsoftが「Live Anywhere」でやろうとしていることと非常に似ている。ただし、MicrosoftのLive Anywhereは、.NET Frameworkベースのプログラミングフレームワークを込みで構想している。SCEのサービスが、そうしたプログラミング環境のビジョンも含んでいるのかどうかはわからない。 □関連記事 (2007年7月18日) [Reported by 後藤 弘茂(Hiroshige Goto)]
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