大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」

エプソンが取り組んだプリンタ事業再編の成果




 セイコーエプソンは、この1年に渡り、インクジェットプリンタ事業の再編に取り組んできた。

2006年3月の「創造と挑戦1000」の資料から

 同社が昨年(2006年)3月に策定した新中期経営計画『創造と挑戦1000』の重点課題の1つとして、インクジェットプリンタのプラットフォームの見直しを行なうとともに、収益性を重視したマーケティングを実施。プリントボリュームを含めて採算性の低い、低価格モデルを中心に、出荷数量を絞り込む施策に打って出た。

 実際、インクジェットプリンタの出荷台数は、2005年度の1,690万台から、2006年度は1,340万台へと約2割縮小。市場全体の落ち込みよりも大幅な減少となっている。

 同社 経営管理本部長の久保田健二常務取締役は、「この改善施策が、一定の成果を収めることができた」と総括し、1年でインクジェットプリンタ事業の再編が完了したことを示唆する。

 低価格モデルを絞り込み、付加価値戦略を軸とするプリンタ事業再編へとシフトしたというわけだ。

 だが、市場での動向を見る限り、それが、完全な成果になっているとは言い難い部分もありそうだ。

 というのも、量販店店頭での価格帯別の動きを見ると、依然として低価格製品の比率が高いからだ。

 BCNが、家電量販店2,271店舗を対象に調査した結果によると、エプソンの価格帯別販売構成比では、1万円以下の構成比率が、半年間以上に渡って、約15~20%で推移している。対抗するキヤノンが、1万円以下の構成比が5%前後であることと比較すると、その比率は明らかに高い。

 キヤノンマーケティングジャパンでは、「当社は、ユニットシェアを追求することよりも、インクの消費量を含めたビジネスを展開している。エプソンが低価格路線を強力に推進するとは理解していないが、当社の調べでも、確かにエプソンは1万円以下の構成比が高い。ユニットシェアを取りに来ているのではないか」と分析する。

 だが、これに対して、エプソンは別の見解を示す。

 「販売店においては、PCとのセット販売用として、低価格モデルが欲しいという声がある。そうした商材を用意したことも、1万円以下の製品比率が高い理由。また、キヤノンが特定の製品にフォーカスを当てた販売戦略であるのに対して、エプソンは、上から下まで幅広いラインアップを整えており、これが結果として、低価格モデルでの構成比が高いことにつながっている」と説明する。

 実際、BCNランキングを見ても、1万円以下のエプソンの製品は、2005年10月に発売されたPX-V630やPM-G730が中心。プラットフォームの見直しを行なった2006年度以降の商品ではない。外資系プリンタメーカーの低価格戦略に対抗する商材として戦略的に展開しているものともいえるだろう。

 また、「日本の場合、低価格モデルの購入者でも比較的プリントボリュームが多い。一定数量で、こうした製品を投入することも必要」とも語る。

 さらに、エプソンの場合、高価格帯の製品も販売比率が高く、3万円以上の価格帯では、エプソンの構成比率がキヤノンの倍近くなっている。

 その点では、エプソンは、旧型の低価格製品と、新プラットフォームによる付加価値型製品による、ツートップ型ともいえる戦略を推進しているとも判断できる。

 エプソンは、付加価値型製品へと特化する方針を打ち出す一方、実は、低価格製品による戦略も着実に展開しようとしている。低価格製品という意味では、中国などの新興市場向けの製品戦略も必要になるからだ。

 そのエプソンは、インクジェットプリンタ事業で2つの大きな転換に挑んでいる。

 1つは、ビジネス/産業分野への展開だ。

 エプソンはインクジェット技術の活用領域を、ホームプリンティングをはじめとする「コンシューマ」、歴史的、文化的に価値の高い芸術作品などの復元活動の支援および、プロ写真家、写真愛好家の創作活動をサポートする「芸術・文化」、ミニラボへの展開をはじめとする「ビジネス」、製造分野への応用などによる「インダストリー(産業)」という4分野に切り分けるが、今後は、その中でも、ビジネス/産業用途での普及戦略に力を注ぐことになる。

 セイコーエプソン情報機器事業本部IJP事業部 遠藤鋼一事業部長は、「2010年には、こうしたビジネス/産業用途だけで、IJP事業の約3割にあたる500億円の事業規模を見込んでいる」と語る。

 すでにいくつかの成果が出ている。シャープの液晶パネル生産の基幹工場である亀山第2工場では、液晶パネルに利用されるカラーフィルターの生産に、エプソンのインクジェット技術を採用している。また、イタリアの有名服飾メーカー向けに捺染機を納めているRobustelliでは、エプソンのインクジェット技術を活用した製品を開発。さらに、武藤工業やローランドDGなどでは、屋外で掲示する看板用プリントを可能にする製品を投入。サイン/グラフィック市場でも、エプソンのインクジェット技術を活用しているのだ。エプソンは、こうしたビジネス/産業分野への展開が1つの挑戦なのだ。

セイコーエプソン情報機器事業本部IJP事業部・遠藤鋼一事業部長 シャープの亀山第2工場でも利用されている Robustelliの捺染機で染めたネクタイやスカーフ
インクジェットによるカラーフイルータの例
店舗向けの写真システムもさらに小型化できる

 エプソンが、ビジネス/産業分野に本格的に乗り出す背景には、エプソン独自のマイクロピエゾだからこそ実現できる技術的優位性が見逃せない。

セイコーエプソン生産技術開発本部長の碓井稔取締役

 生産技術開発本部長の碓井稔取締役は、「コンシューマ向けプリンタ領域においては、競合他社と技術的な差をつけることは、ほぼ限界といえる。だが、ビジネス/産業分野に転じた途端、マイクロピエゾ方式の優位性は、圧倒的なものになる」と自信を見せる。

 インクジェット技術には、エプソンなどが採用しているピエゾ方式と、キヤノンなどが利用しているサーマル方式の2つがある。ピエゾ方式は、圧電(ピエゾ)素子を使用し、物理的な圧力を加え、インクを吐出するのに対して、サーマル方式は、ヒーターの熱によって発生した気泡を利用し、インクを吐出するというものだ。

 サーマル方式の特徴は、印字速度の高速化や、高密度化が図りやすい点にあるが、その一方で、吐出できるインクが、熱によってコントロールできるものに限定されることになる。これに対して、ピエゾ方式では、圧力を利用するため、吐出できるインクや液体の選択肢が幅広いという特性を持つ。

 さらに、ピエゾ方式にエプソン独自の技術を採用したマイクロピエゾ方式は、天板振動方式や隔壁振動方式といった他社のピエゾ方式に比べて、ヘッドの小型化や、インクの吐出性能などに優れているという特徴がある。

 吐出できる液体の選択肢が広く、小型化が可能で、吐出性能が高いマイクロピエゾ方式だからこそ、産業用途にも耐えうるというわけだ。

 先に触れた液晶パネルのカラーフィルターの生産や捺染での利用のほか、すでに多層化基板の生産にも活用されているのも、マイクロピエゾ方式だからこそのものだ。

MJ-500に搭載したマイクロピエゾヘッド 新マイクロピエゾヘッドの構造

 「粘土質の液体を吐出すれば、立体造形物の成形にも利用できるし、適切な量を適切な場所に吐出する技術は医療分野への応用も可能になる」(遠藤事業部長)というわけだ。

 この産業利用をさらに促進することになるのが、先頃発表した新世代マイクロピエゾヘッドである。これがもう1つの挑戦である。

 今年(2007年)3月に行なわれた新世代マイクロピエゾヘッドの発表会見では、360dpiという高密度部分がクローズアップされていたが、このヘッドがもたらす革新は、高密度に加え、高速印字、小型化という点にもある。これによって、これまでのプリンタの概念や、インクジェット技術の利用範囲を大きく変える可能性も秘めているのだ。

 碓井取締役が、「マイクロピエゾヘッドの歴史のなかでも、過去に例がないほど、大きな進化といえるもの」と位置づけるのも決して大げさなものではない。

 実は、エプソンの現行ヘッドは、ある意味、技術的な限界に達していた。

 1993年、エプソンは、初のマイクロピエゾ方式を採用したインクジェットプリンタとして、MJ-500を製品化した。その時のプリント解像度は360dpi、インク液滴は90ピコリットル。これが最新製品に搭載されたヘッドでは、5,760dpi、1.5ピコリットルを実現。約15年間に渡り、改良を加えながら劇的な進化を遂げてきたのである。

 だが、ノズル密度の高集積化は、ほぼ限界に達しつつあった。

 その点は、碓井取締役も認める。

 「既存のヘッドでは、高密度化や小型化といった点で技術的な限界を感じていた。それは、コンシューマ利用、ビジネス利用、産業利用といった点での応用範囲の限界にもつながるものだった」

 エプソンは、2003年に「Pプロジェクト」の名称で、新世代マイクロピエゾヘッドの開発に着手。ピエゾを極限まで薄膜化し、歪量、密度をあげるために、従来は他社から調達していた素材を独自開発することから取り組んだのだ。

 エプソンでは、何度も試行錯誤を繰り返し、世界最高といわれる歪量を達成する電材料を開発。アクチュエータとして使用することにより、ノズルの集積度を従来の2倍とする360dpiに高密度化することに成功した。

 また、従来のピエゾ膜厚が25μmの16層構造であったものから、新ピエゾでは、約1μmの1層という圧倒的な薄膜化を達成。加えて、同社の半導体プロセス技術を活用し、アクチュエータや電子部品などを1つの回路部品にまとめたMEMS(マイクロ・エレクトロ・メカニカル・システム)により、高密度インク室構造を実現。これも、大幅な小型化を実現することにつながった。

 素材からの内製化にこだわって開発したのが、新世代マイクロピエゾヘッドともいえ、「エプソンが持つ、開発技術力、薄膜加工技術、精密加工技術があったからこそ実現した」と、碓井取締役は語る。

 エプソンが、インクジェット事業の次のステップとする事業領域拡大のための戦略的技術が、この新マイクロピエゾヘッドなのである。

 この新世代マイクロピエゾヘッドは、高密度のほか、小型化や耐久性にも優れている。これを採用することで、例えば、写真プリントシステムの小型化により、小規模店舗やコンビニのレジカウンター内に設置できるとともに、商業利用にも耐えうる品質を実現。新たな市場を創出することも可能になるのだ。

 また、携帯電話に付属することが可能なプリンタの開発や、ポケットサイズのプリンタといったものも実現できるようになる。

 エプソンのインクジェット事業は、海外戦略などを踏まえると、コンシューマプリンタにおいては、一部低価格製品による展開が必要ともいえるだろう。

 しかし、国内向けのコンシューマ向けプリンタ事業の展開や、新マイクロピエゾヘッドをベースとしたビジネス/産業領域での展開は、付加価値戦略となる。

 つまり、同社が成長戦略という観点で捉えているのは、あくまでも付加価値路線であることがわかる。

 国内コンシューマプリンタ市場においては、競合他社に比べて、低価格路線が目立つが、ここでも軸足は付加価値路線にある。

 BCNの調査でも、1万円以下の価格帯では構成比率が高くとも、インクジェットプリンタ全体の平均単価はエプソンの方が高い。実際、今年4月のデータで、キヤノンの18,385円に対して、エプソンは19,643円と、1,000円以上も高い。高機能モデルが売れていることの証ともいえる。

 これから、この付加価値をどんな形で、実際の製品やソリューションへと結びつけるのか。エプソンにとって、付加価値を軸とした、「プリンタ2.0」ともいえる取り組みが始まることになりそうだ。

□エプソンのホームページ
http://www.epson.co.jp/
□関連記事
【2006年3月17日】エプソン、国内プリンタ事業を高機能路線にシフト
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0317/epson.htm

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(2007年5月18日)

[Text by 大河原克行]


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