●ほかに類を見ない高額なキーボード
2006年10月に発表されたある製品は、その例を見ない価格で話題となった。PFUが発表した「HappyHacking Keyboard Professional HG」と「HappyHacking Keyboard Professional HG JAPAN」がその製品だ。 もともと「HappyHacking Keyboard」(HHKB)は、キーレイアウトと打鍵感にこだわりを持つユーザー向けに製品化されたキーボード。10年前に製品化されたオリジナルモデル(PD-KB01)の価格も3万円近かった。その後、低価格な「Lite」も製品ラインナップに加えられたが、上位モデルは数万円の価格設定がなされており、2006年3月に発表された上位モデルの最新版である「HappyHacking Keyboard Professional2」(PD-KB400)も、その実売価格は2万円台の半ばとなっている。5万円台のデスクトップPCも珍しくない昨今、2万円台のキーボードはかなりの「高額製品」と言って間違いない。 ところが、冒頭で紹介したHGシリーズは、その比ではない価格設定がなされている。下位モデルであるHappyHacking Keyboard Professional HGの価格が262,500円! 上位モデルのHappyHacking Keyboard Professional HG JAPANにいたっては525,000円!! となっているのだノートPCの売れ筋価格でさえ10万円台になっていることを考えると、キーボード単体で20万円を越えるというのは、ちょっと考えられない数字といって良いかもしれない。HGシリーズはHappyHacking Keyboardの発売10周年を記念する製品ではあるものの、市場にはワンコイン(500円)で買えるキーボードさえある。それを考えれば天文学的価格のキーボードと言えるだろう。
これら2種のHGモデルだが、電気的、あるいはスイッチ的にはPD-KB400を継承している。定評ある静電容量無接点方式のキースイッチを採用する点やUSB 2.0 Hubを内蔵する点も変わらない。違いは主に、キーボードの仕上げにある。2種に共通しているのは、キーボードのボディにアルミ削りだしフレームを採用していることだ。ユーザーの目に触れる上部(表側)についてはヘアライン仕上げ、下部(底部)についてはiPodのような鏡面仕上げ(クロムメッキ)が施されている。受注生産品のため、希望すればこの底面に名前を刻んでくれる。
その後部には、取り外し式のレッグケースが取り付けられており、このレッグケースにセットするゴム足(ショートとロングの2種類)とスペーサーの数(最大3個まで)を変えることで、キーボードのチルト角を調整できる。最も低い工場出荷時(ショートレッグにスペーサーなし)で7.8度、最大(ロングレッグにスペーサー3個)で13.9度まで変更することが可能だ。ひんぱんに変えるものではないから良いのだろうが、角度を変えるのに毎回6本のネジを六角レンチで外したり締めたりしなければならないのはちょっと面倒。この面倒さがプレステージの証なのかもしれない。このボディの製造には、東プレが協力したということだ。
●価格差は塗装の占める割合が大部分 さて、ここまでは2種類のHGモデルに共通の仕上げ、ここからが50万円を越えるHG JAPAN固有の仕上げとなる。それは、輪島塗キートップの採用だ(ベースは樹脂製)。PFUの本社が石川県のかほく市であることを考えれば、10周年記念モデルに郷土の誇る輪島塗を使ってみたい、という誘惑に駆られるのもわからないではない。名前のJAPANは、漆器を表す英語でもある。 そもそも漆は、耐久性が高い上、抗菌性と吸湿性を備えた素材であり、キートップに適したコーティング技術だという。キートップに適さない部分があるとしたら、ものすごくコストがかかることで、HGとHG JAPANの差額は、ほぼこの漆塗りのコストが占めている。とはいえ、キートップに輪島塗を施した大徹八井漆器工房は、天日黒目という古来からの方法で漆を自家精製している輪島市で唯一の工房だというから、これくらいコストがかかるのも当然なのかもしれない。
実は、今この原稿はこのHappyHacking keyboard Professional HG JAPANで書いている(もちろん借り物である)。目の前にすると、漆塗りのキートップはなんだかチョコレートのようにも見える。キートップはツルツルした触感で、ホームポジションを示す突起がある以外、刻印等はなにもない。普段から英語キーボードを使っていることもあって、特に違和感は感じないが、Fnキーを押さないと利用できないキー(DelやPrintScrn、あるいはファンクションキー等)を利用する際は、さすがにとまどう。PrintScrnがFn+Iというのは、相当のHHKB使いじゃないとすぐには指が動かないのではないかと思う。 キートップがちょっとツルツルしていることを除けば、全体的な打鍵感は静電容量無接点方式のキーボードと同じ。このキースイッチは、キー押していきコードが入力された後にスッと軽くなるタッチとキーが戻るレスポンスの良さで、ある種の「キレ」を感じさせるように思っているのだが、それはこのHGモデルでも変わらない。アルミ削りだしのボディによるベースの安定感向上もタッチ感の向上に貢献しているハズなのだが、それを実感するかと言われると、正直良く分からない。ただ打鍵音は、樹脂ベースのキーボードより良くなっている(落ち着いた音に聞こえる)ように感じた。 一方、漆塗りではない通常のHGモデルだが、標準モデル(キートップ刻印あり)と無刻印モデルの2種それぞれに白と墨の2色が用意される。今回、標準モデルの墨を利用してみたが、キートップは梨地のようなちょっとザラッとした感触で、HG JAPANの感触とは明らかに異なる。キータッチ、打鍵音は基本的には同じだが、やはり漆塗りモデルの方がしっとりと、落ち着いた印象がある。
いずれにしても、キーボードという単品の周辺機器に20数万円、あるいは50万円を越える金額を出せる人というのは、かなり限られた特別な人に違いない。実際、各モデル合計100台の限定受注生産となっている。 上で述べたワンコインは極端にしても、1,000円~3,000円も出せば、キーボードは普通に買える。むしろ今ではキーボードに1万円以上を投じるというのは、かなり特別な要求を持ったユーザーだと言えるのかもしれない。だがそれでも、1~2万円クラスの高級キーボードには確かに需要がある。そして、その世界を築き、守ってきた製品がこのHHKBシリーズだ。HHKBが高級キーボードにも一定の市場があることを実証しなければ、東プレの「RealForce」シリーズが市販されることもなかったかもしれない。 同じ入力デバイスでもマウスになると、日本のベンダの影は薄い。マウスの2強とでも言うべきMicrosoftとロジクールも、国内のキーボード市場を考える限り、マウスほどの支配力はないように思う。彼ら米国ベンダ(Logitechはもともとはスイスだが、現在の本社は米国)の製品は、高級になればなるほど機能が向上していく。ホイールがついたり、インターフェイスがワイヤレスになったり、といったカタログでも分かりやすい機能追加が行なわれることが多い。 それに対して、国内市場で高級キーボードとして成立する製品の多くは、打鍵感の良さを訴求するものが大半だ。海外でも昔のIBM純正キーボード(ほとんどは中古)を取引するサイトがあるくらいだから、キータッチにこだわるユーザーも少なからずいるハズだが、なぜかそうしたユーザー向けにキーボード製品を提供する会社を見かけない。現在、かつてのIBM製キーボードに関する知的財産権を継承するのはUnicompという会社だが、残念ながら昔日ほどのクオリティは維持していないように思う。 日本のユーザーが数万円という対価を支払うことで、今でも高品質のキーボードを入手することができるのは、HHKBの功績が大きいのではないかと筆者は思っている。このHGシリーズに手が届くのはごく一部の人だろうが、HHKBの10周年を記念して、こうした趣味性の強いモデルがあっても良い。少なくとも、人間が直接触れるキーボードが数千円の安価なものばかりになるのは、勘弁して欲しいと思う。
□PFUのホームページ (2007年3月20日) [Reported by 元麻布春男]
【PC Watchホームページ】
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