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任天堂 岩田聡社長インタビュー(1)
マンマシンインターフェイスを直感的にすることがカギ




岩田聡氏

 ついに新プラットフォームWiiを発売した任天堂。Wiiは、従来のゲーム機の進化法則から外れることで、これまでゲームをプレイしなかった新ユーザーの開拓を狙う。その下地となっているのは、ニンテンドーDSでの成功。任天堂の岩田聡氏(代表取締役社長)に、同社の戦略とその背景について伺った。


●半導体の法則から外れるためにビジョンを打ち出す

【Q】 あなたのスピーチを、2005年から連続で聞いて来ました。GDC(Game Developers Conference)、E3(Electronic Entertainment Expo)、東京ゲームショウ(TGS)、それから今年(2006年)9月のWii Previewイベント。

【岩田氏】 フルコースでずっと見ていただいていると、ありえないような細い穴を通り抜けて、ようやく、ここまで来たことがおわかりになるでしょう。

【Q】 2005年春のGDCではあいまいだった輪郭が、スピーチの度に形をなして行き、最後にWiiに結実するのを見ました。しかし、あなたのメッセージ自体は、その間も、明快で首尾一貫していました。ゲームとプラットフォーム(ゲーム機)の向かう方向を改革しなければ、ゲーム業界が危機に陥るというビジョンです。ビジョンがあって、その結果、Wiiができたことがよくわかりました。最初に伺いたいのはその点です。なぜ、任天堂は突然ビジョンを強く打ち出すようになったのですか? その姿勢は、以前の任天堂とは大きく違うように見えます。

任天堂が打ち出したビジョン

【岩田氏】 任天堂が、これまでと違う方向へと向かうためです。そのために、メッセージを打ち出す必要がありました。

 かつて、ビデオゲームは1つの方向だけに向かって進歩してきました。半導体は必ず数年たてば線幅が細くなり処理能力が上がり、より多くの回路をチップに詰め込めるようになる。すると、処理性能が上がり、画面の表現がリッチになって行き、お客さんがそれを喜んでくれる。そういう循環が、ファミコン(ファミリーコンピュータ)、スーパーファミコン、そしてNINTENDO 64やPlayStation、ニンテンドーゲームキューブやPlayStation 2へと綿々と続いてきたわけです。ですから従来の成功法則に従うなら、特別メッセージを出さなくても当然、皆さん次は何だとわかるわけです。

 しかし、それと違う方向へ向かう場合には、わかってもらうのが難しい。それが、ビジョンを語り始めたきっかけです。

【Q】 今回のWiiでは、半導体のスケーリング法則に従ったハードの高機能化の流れから外れる。そのために、背後にあるビジョンを説明しなければならなくなったわけですね。なぜ、法則から外れたのですか。

【岩田氏】 私が任天堂の社長になったのは2002年で、ゲームキューブが出た翌年。当事者になってみると、これはエライ時代に社長になってしまったと思いました。'97年から結果的に2004年まで、日本のゲーム産業のソフトウェアの出荷額は下がり続けていたからです。グラフを描くとぞっとするわけです。あと何年でビジネスが成立しなくなるんだと。

 その一方で、今までやって来た、“より豪華で複雑に”路線の結果、ゲームソフト1本あたりの開発費は鰻登りになり、開発期間も長くなってしまいました。私はファミコン時代に、チーム2人で2カ月でゲームを完成させました。'83年頃はそういう体験を、大学出たての若造がやらせてもらえていた。ところが、今は50人のチームの1人として3年奉仕しないと、1本のゲームができない。しかも、ゲームの全体像はちっともわからない世界に変わってしまった。

 この先も同じ方向へただ進んで行くのでは非常に危険だなと感じました。明らかにゲーム産業には、違う方向を目指す役割をするプレイヤーが必要だなと。豪華で複雑から離れた方向へ向かう必要があると。

同じアプローチを続けることの危険性と方向性の転換

●枯れた技術の水平思考を再び応用

【Q】 国内ゲーム市場の縮小と、開発規模の増大によるコストの高騰。この2つは、日本のゲーム業界の課題として多くの方が挙げています。それを打開するために、Wiiでは、枯れたアーキテクチャを使うことを選択としたと。

【岩田氏】 任天堂にはもともとそうした考え方がありました。ゲームボーイを作った横井(横井軍平氏、任天堂に在籍したゲーム機開発者)が、『枯れた技術の水平思考』という言葉を残しています。枯れた技術を使い、アイデアで勝負するんだと。宮本(宮本茂氏、任天堂専務)も、横井が師匠なのでその考えを受け継いでいます。

 たまたま、こういう時代に、自分が社長という役割になってみたら、社内にそういう伝統があった。それなら、そういう社風の任天堂がその役に行くべきだと。

【Q】 しかし、他社はいずれも半導体スケーリングに沿って性能を伸ばします。そのため、同世代機では、性能差が明確についてしまう。アイデアで差別化することを理解してもらうのは難しい。その決断は、かなりリスクがあったのでは。

【岩田氏】 ええ、同時にそれはとんでもなく恐ろしいことでもあるんです。誰も証明していない道に行くわけですから(笑)。そもそも、なかなかわかってもらえない。

 例えば、最初に任天堂が「2画面のゲーム機を出します」というと「え? 任天堂どうかしちゃったの」と感じる方さえいらっしゃった。任天堂が「単なる高性能をも求めません、単なるプロセッサ性能をただ高めることには興味を持っていません」というと「任天堂は競争から降りたの」と言われてしまう。

 だから、私たちが“有言実行”で未来を示す必要があると考えました。何をやろうとしているのかを語りながら、着実に一歩ずつ前進させて、お客様にわかっていただき、その姿が目に見えて行くようにする。恐らく、これ以外に、私たちがやりたいことを、お客様にもメディアにも、それから業界のソフトの作り手にもわかってもらうことはできないだろうと。そこで、徹底して、ていねいに説明しようとなったわけです。

【Q】 そこで過去2年間、繰り返しメッセージを出していた?

【岩田氏】 私は、2005年以前にもGDCに参加していましたし、2001年から毎年E3に出ていました。ただ、2004年のニンテンドーDSを出す頃からですね。はっきりとそういう場で自分たちの目指す方向を語るように意識し始めたのは。

●当初から確信を持っていた方向性

【Q】 DSとWiiは、いずれも枯れた技術をアイデアで活かし、新ユーザーを開拓するという方向で一貫しています。社長になった2002年頃から、すでに現在の方向自体には確信は持っていたのでしょうか。

【岩田氏】 私自身は、こちらに新しい市場があることに、自信がありました。ですが、その市場を創るのにどれだけ時間があるか、率直に言ってわかりませんでした。誰も行ったことがない道なので、市場を開拓して、土壌をよくして肥料を与えて水を撒いて、種を蒔いたときに、どれだけで芽が出て花が咲くのかわからない。すぐできるのか、半年かかるのか、1年か、3年かかるのか、それとも5年以上かかって株主の皆さんに岩田クビだと言われるのか(笑)、それはわからない。

 でも、こっちに新しい市場が作れるということに関しては、非常に強い信念みたいなものがありました。なので、結果があまり出ていないうちに、こっちだと思いますと言い切ることができたんです。また、だからこそ、比較的早いうちに、その兆候を感じることがこともできたと思います。

【Q】 兆候をうまく掴んで育てないと、せっかくの芽がつぶれてしまう。具体的には、いつ兆候を掴んだのです?

【岩田氏】 1つは、『脳トレ(脳を鍛える大人のDSトレーニング)』ができた時です。これを見て、自分は、すごく面白いのができたと思った。ところが、そんなソフトウェアを売った経験が任天堂にもない。だから、任天堂の中でさえ「ううん、面白いと思うんですけど売れますかねー、普通のゲームじゃないし」と言われました。私が「きっとこれ、シニアの人にも売れるよ」と言うんですけど、「シニアですか、ゲーム売り場には来ないんですよねー」というところから始まるわけです。

 脳トレは2005年の5月に発売しました。すると、妙なことが起こり始めた。普通のソフトは発売して売れ行きが下がって下がって1カ月くらいで売れなくなるんですけど、脳トレだけは、1カ月たっても2カ月たっても売れてる。

 色々調べてると、ハードと一緒にお買い求めのお客様が非常に多い。さらに、お盆頃には、発売した時より売れちゃった。お盆休みになぜ売れたのというと、異なる世代の親戚一同がお盆の時に集まって、その場で脳年齢を話題にしていただけたからではと仮説が立つんです。ああ、世代間コミュニケーションがある時に、こういう商品がものすごく広がって行くのかと。

 じゃあ、次はお正月かなと。そこで、正月直前に『もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』を出すという決断を、何とお盆明けにしました。お盆明けから作り始めて、年末には出す、今のゲーム業界では珍しいスピード開発でした。結果として、うまく商品が出来て、あのように広く受け入れていただくことができた。でも、その成功は、爆発の予兆をもう少し手前で感じることで、実現できたことでした。

【Q】 脳トレシリーズは、いずれも300万本前後の爆発的ヒット。その大成功によって、DSの上で「シリアスゲーム(非エンターテイメント系の教育などのゲーム)」が花開き、新ユーザーを開拓しました。

【岩田氏】 もちろん私は神様ではないので、未来はわかりませんから外れるかも知れないんですが(笑)。ただ、ここに鉱脈がありそうだという手応えを感じることができた。それは、きっと人一倍早く、どうやったらゲームをやる人が増えるんだろう、そうしないと我々が立っている位置が危うい状況になった、と考え始めていたから、できたことだと思います。

●マンマシンインターフェイスの改革がカギ

【Q】 DSではマンマシン(人間-機械間)インターフェイスを改革したことが、新ユーザーを引き込む大きな要因でした。マンマシンインターフェイスの改革も、最初から意図していたわけですね。

インターフェイスの改革に着手

【岩田氏】 マンマシンインターフェイスを変えないと、今ゲームをしてない人が触るきっかけができない。これは、最初から強く感じていました。

 昔はファミコンのコントローラを奪い合っていたお客様が、今は「ちょっとやってみる?」とコントローラを渡すと、あとずさりして、「ぼくはできませんから」「私は指先が器用じゃありませんから」とおっしゃる。こうした状況になった時点で、僕らは何かを失ったんです。

 以前持っていた何か、すなわち、誰でもすっと遊べてすぐ面白いという、直感に近い部分での新鮮な驚きを、もう一回取り戻す必要があります。DSの2画面とタッチペンという組み合わせも、Wiiのリモコンと遊びの提案も、どちらもそこに根っこがあったんです。

【Q】 しかし、今のゲーム機のマンマシンインターフェイスこそ、任天堂が創り上げ、守ってきたもの。任天堂ほどマンマシンインターフェイスにこだわったゲーム機ベンダーはありませんでした。意識改革は難しかったのでは。

【岩田氏】 今までの(ゲーム機の)インターフェイスはとてもよくできていて、20年間、熟成されてきました。ですから、ゲームをすでに遊んでいる人には、今のインターフェイスがこの上なく快適です。ゲーム業界にとって一番上得意な客が「これでいい」とおっしゃっているわけです。しかし、そこから、あえて離れないと新しいお客様には届かない。

【Q】 リスクですね。また、リスクを冒してマンマシンインターフェイスを変革しても、それが潜在的なユーザーに理解されなければ、ユーザーの掘り起こしもできませんね。

【岩田氏】 それが非常に難しいのも確かです。私はよく社内で、僕らが今やっていることは“男の人に女性用化粧品を売る”くらい難しいよ、と言うんです。宣伝見ても認知しないし人に、どうやったらモノが届くかを、考えようとしている。

 しかし、そういう話をずっとして来て、実際に成功例が出ると、皆の意識が切り変わって来ました。DSがある時点からお客様に広く受け止められるようになって、かつてゲーム屋さんには来ないとされていた、幅広い年齢と性別の方が来られるようになって、「ああ、やりようによっては不可能と思われていたことが可能なんだと」意識が変わった。今は、会社の中からもアクティブなアイデアがいくつも出ます。

 これは何でもそうです。何百年解けなかった数学の定理を1人が解いたら次々違う解法が見つかる、絶対破られないと思われていたスポーツの記録を1人破ると連続して破る。要は、できないのは、できないに決まっていると思っているからなんです。

 僕らも、一例ができるまでは、できないって決まっていると足がすくんでいた。ところが、できたとわかった途端、あ、できるのかと腕をまくって助走する人が現れる。そうすると、飛んだら届いちゃったということが起きる。これが今のDSの状況です。

●リモコンに至るまでに試行錯誤を重ねる

【Q】 Wiiのマンマシンインターフェイスの改革も、DSと同じ路線ですね。

Wiiリモコン

【岩田氏】 はい、Wiiのリモコンも、コンセプトはDSのペンと非常に近いです。どうしたらお客様の数が増えるのかを考えたという意味では共通。そしてお客さんを増やすキーは、お客さんと機械の間の距離をいかに近づけるかにある。それは、マンマシンインターフェイスをより直感的にすること。これが共通のコンセプトです。

 DSの場合、回答は2画面とペンでした。字を書かない人はいないので、そのメタファを借りたインターフェイスなら、わかりやすくて直感的なはずと考えました。Wiiの場合も同じで、リモコンだったら直感的だと。でも、実はリモコンに行き着くまではけっこう一筋縄でいかなかったんです。

【Q】 リモコン型ができるまで、試行錯誤があったんですね?

【岩田氏】 アイデアが、ラクラクと出たわけじゃなくて、色々苦しみがありました。一直線にスコーンと、リモコンの形に落ちていたら、もっとはやくWiiもできたかも知れない(笑)。でも、実際には、すごい悪戦苦闘があって、最初はやっぱり悩むわけです。

 インターフェイスがカギだとはわかっていても、これだ、というものに出会えない。多くの方が予想したように、コントローラにタッチ機能を付けたものも試さなかったわけじゃない。すごい妙ちくりんなコントローラも一杯作りました。

 うちはハードとソフトのチームが同じ建物内にあるので、ハードウェアチームが試作を作ると、それを使ってソフトを動かしたソフトチームのアウトプットが1週間後に上がってきて、品評会をやるわけです。そのサイクルをくるくる回して、何十種類とプロトタイプを作って、試作ソフトを作り、実際に触ってみて……、これは一発芸だねとか、これは汎用性がないねとか、これは最初はいいと思ったけどこのゲームには全然向かないねとか。そういうことをさんざんやって悩んだあとに、リモコンのコンセプトに落ち着いたんです。

【Q】 リモコンは簡単に思いつきそうに見えますが。

【岩田氏】 ええ、実際、初期の段階でリモコンという話が出ました。TVのリモコンには家族全員が触るし、出しっぱなしにしていても怒られない。それなのに、ゲーム機のコントローラは邪魔者にされてすぐ片付けられるし、ゲームをしない人は絶対に触らない。まるで目の敵のように(笑)。この差は何なんだと議論したことがあったんです。

 それが後になって、色々な試作結果から、いっそ棒にして片手で持つというのはどうだという話が出た時に、「ああそれはリモコンだよ」という形で結びつきました。そして、この形が出た時に、私はこれはどうしてもリモコンと呼びたいと強く社内で主張して、Wiiリモコンという名になったんです。

【Q】 実際にできてみるとリモコンのメタファはしっくり来ます。

【岩田氏】 はい。いいメタファがパンと入った時って、それを使って何ができるかという展開案がグワッと広がるんですね。ポンと形が出て、アイデアがグワッと広がって、あ、筋のいいアイデアだとわかるんですよ。

 DSの2画面にタッチペンがまさにそうでした。コンセプトが出てきた時に、あれができる、これができるとバーッと広がりました。リモコンの時も同じです。リモコンがあってここに拡張性を持たせればいろんなことができると、ガーッと広がりました。広がった瞬間に「ああできた」となるんですね。

 コンセプトの基本方針が決まった後は、詰めに行きます。当然、この最終形になるまでに、粘土をコネコネして山のようにものを作ってしまいますが、それは、フェイズが違います。最初のコンセプトを生み出すのは発明ですけど、形をコネコネして仕上げて行くのは改良なので。コンセプトが、やはり難しかったですね。

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(2006年12月6日)

[Reported by 後藤 弘茂(Hiroshige Goto)]


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