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超高速無線LAN規格IEEE 802.11nへの期待




アセロス 大澤智喜代表取締役
 今、最も注目を集めている規格の1つに、無線LANの高速化を目指すIEEE 802.11nが挙げられる。

 現在使われている無線LAN(IEEE 802.11a/g)は、理論上の最大速度こそ54Mbpsであるものの、実効帯域はおおむね20Mbps程度に過ぎない。これはHDの動画を利用するにはギリギリの帯域で、ちょっとでも条件が悪くなるとフレームが落ちてしまう。次世代の無線LANである802.11nでは、現行の802.11a/gに対する上位互換性を保ちながら、HDの動画に余裕を持って対応できるよう、実効帯域を1ケタ引き上げる広帯域化が図られることになっている。

 その802.11nに関するプレス向けの勉強会が、無線LANチップベンダであるAtheros Communicationsで開かれた。もちろん802.11nはまだ正式規格化されておらず、まだドラフトの段階。2007年4月の正式規格化を目指して標準化作業が進められている。とはいえ、今年の1月のIEEEミーティングにおいて全会一致で採用されており、その内容が今後大きく変わることはないと見られている。

●最大600Mbpsの広帯域

 802.11n規格化の目的は、上述したように実効帯域の広帯域化にある。最低でもユーザーに100Mbps級の帯域を与えるため、さまざまな技術的拡張が施される。その中心となるのがMIMOと呼ばれるものだ。Multi-Input Multi-Outputの略であるMIMOをストレートに訳すと、多入力/多出力のシステムということになる。が、無線LANの世界、特に802.11nでは、OFDM(直交周波数分割多重)により、データを並列伝送するMIMO-OFDMを指す。すなわち、データをシリアル/パラレル変換した後、OFDMにして複数の信号系列(ストリーム)にして伝送する技術だ。複数のストリームを送信し、複数のストリームとして受信することが、まさにMIMOに該当する。

 このように、1つのチャンネルで複数のストリームを同時伝送することを、空間多重と呼び、ストリーム数が増えれば増えるほどピーク帯域は向上する。802.11nのドラフトでは、1ストリームから4ストリームが定義されており(1ストリームは「複数」ではないが、便宜上含めておく)、1ストリームでのピーク帯域(理論値)は150Mbps(40MHzチャンネル時、後述)、4ストリームでは600Mbpsに達する。

802.11nにおけるピーク帯域(各種オプション利用時の理論値)
20MHz/ch20MHz/ch40MHz/ch
ストリーム数GI=800nsGI=400nsGI=400ns
802.11a/g1ストリーム54MbpsN/AN/A
802.11n1ストリーム65Mbps72.2Mbps150Mbps
2ストリーム130Mbps144.4Mbps300Mbps
3ストリーム195Mbps216.7Mbps450Mbps
4ストリーム260Mbps288.9Mbps600Mbps
※GIはガードインターバルの略。正確に読み取れるようデータの間に挟みこまれる一種の間隔。狭くすることで効率化が図れるが、802.11a/gでは800nsと定められている

 もちろん、複数のストリームの送受信には、複数のアンテナや無線機(モデム)が必要になる。1ストリームを扱うには、送信側と受信側それぞれに1つの無線機と1つ以上のアンテナ、2ストリームを扱うには同様に2つの無線機と2本以上のアンテナが最低必要だ。無線機が増えれば機器の消費電力は当然増える。複数のストリームを扱うには、チップそのものの処理速度も高くなければならないから、チップ単体での消費電力も増加する。どの程度の消費電力で、どれくらいの性能(ピーク帯域)を狙うか、というのはベンダの製品企画の問題であり、802.11nだからといって一律にこうだと決まるわけではない。

●わかりにくい表記

 802.11n/MIMOをさらにややこしくするのは、必要とされる複数の機器に関して、呼び方が統一されていないことだ。たとえば「3×3のMIMO」というような言い方がよくされるのだが、このn×mが何を示しているのかは、ベンダによって異なる。ある会社の用語では、送信側のアンテナ数×受信側のアンテナ数であるのに対し、別のベンダの用語では無線機の数×アンテナの数だったりする。

 これだけでも十分ややこしいのに、MIMO-OFDMでは無線機やアンテナの構成の自由度が高い。基本的に、1つの無線機には1つ以上のアンテナが必要だが、必ずしも1つである必要はない。1つの無線機で2つのアンテナを切り替えて使う、というのは(MIMOにかかわらず)良く使われている技術であり、たとえばノートPCの液晶部に2つのアンテナを仕込んでおき、感度の良いほうを選択して利用するダイバーシティアンテナは、多くのノートPCで実用化されている。

 同様に、1つのストリームの伝送を行なうのに、無線機が1つである必要もない。むしろストリームの数より無線機やアンテナの数が多い方が、通信の安定度が高まり、また伝達距離が伸びたりすることが少なくない(選択ダイバーシティ、合成ダイバーシティ)。理論上のピーク帯域は同じでも、実効帯域は違ってくるだろうし、実効帯域が同じなら、より離れた距離で通信できる、ということにもなる。

 したがって、2台の無線機に2本のアンテナでストリームの伝送を行なうことも可能なら、3台の無線機に6本のアンテナを搭載し、2ストリームの伝送を行なう、というのも可能であり、おそらく後者の方が消費電力は増えるものの、実効帯域は高いのではないか、と期待できるわけだ(ストリーム数が同じである以上ピーク帯域はもちろん同じ)。現時点での半導体製造技術では2ストリームをサポートするのが最も効率が良いと考えられているようだが、無線機やアンテナの構成については、ベンダー毎にさまざまなアイデアがあるようだ。

 だが、こうした構成の違いをどう呼ぶか、という標準は今のところ定められていない(少なくとも802.11nでは)。802.11nが定めるのは、ストリームの数とその伝送方法であり、無線機の構成は規定しない(だから呼び方も定めない)。

●多様な技術的オプション

 逆に言うとサポート可能なストリームの数さえ一致すれば、無線機の構成にかかわらず接続性を保証する(帯域は保証できない)のが802.11nだ。実際には、ストリームの数はネゴシエーションにより少ない方に合わせることになるため、802.11nに準拠した機器同士であれば、常に接続はできるハズである。

 たとえばA社の2×3のMIMO(2本の送信アンテナと3本の受信アンテナをサポートしたMIMO)機器と、異なる呼称を採用するB社の2×2のMIMO(2台の無線機に2本のアンテナを接続したMIMO)機器は、802.11nに準拠さえしていれば必ず接続できる。その接続の理論上のピーク帯域は、それぞれがサポートするストリーム数の最小値で決まる。

 802.11nをさらにややこしくするのは、この時の実効帯域がどれくらいになるのか、良く分からないことだ。すでに述べたように、同じストリーム数であっても、無線機やアンテナの数が多い方が有利だが、それだけではない。802.11nには非常に多くの技術オプションがあり、たとえば200Mbps前後のピーク帯域を得るために考えられる伝送方式は、実に28通りが考えられるという。受信側、送信側ともに200Mbps以上のピーク帯域を持つ機器同士であっても、サポートするオプションが合致しなければ、今の802.11a/gと大差ないデータ転送速度しか得られない可能性もある。

 こうしたオプションの多い複雑なものになってしまった理由の1つは、802.11nの標準化に際して、複数のベンダによる提案競争が繰り広げられたことだと思われる。最終的にはTGnSyncとWWiSEの2陣営に収斂したが、この2陣営の対立は膠着状態になり、なかなか妥協できなかった。冒頭で述べたように802.11nのドラフト案は、全会一致で採用されたわけだが、全会一致が実現した理由は両陣営の主張する技術的な差異をすべてオプションとして採用したから、とも考えられる。要するに、実質的な標準化作業はIEEEでは行なわない、ということである。実際の製品間での相互接続性や接続時の実効帯域を確保するため、どのようなオプションを実装するか、という実質的な標準化作業は、Wi-Fiアライアンスのような業界団体の場、あるいは市場で行なわれることになるものと思われる(このような形であれ、IEEEにおける標準化作業自体を断念せざるを得なかったUWBよりはマシなのだろうが)。

 802.11nのオプションは非常に多岐にわたるが、中でも重要なのは40MHzチャンネルのオプションだ。現在使われている802.11a/gはもちろん、802.11nにおいても必須規格としては、1チャンネルは20MHzだが、802.11nではこれを40MHzに拡張するオプションが用意される。40MHz化により、ピーク帯域も約2倍(実際にはサブキャリアの数が若干上乗せされるため、2倍強となる)となる。

 この40MHzチャンネルは、米国など一部で実用化が始まっているものの、わが国では利用できない。つまり、このままではわが国の無線LANは、米国の半分の帯域しか利用できないことになってしまうわけだが、将来的にはわが国でも40MHzチャンネルが認められる見込みだという。昨年、5GHz帯の無線LANについて、周波数割り当ての見直しが行なわれたが、これは40MHzチャンネル認可に向けての地ならしの1つだと考えられる。

□関連記事
【3月28日】「IEEE 802.11nはなぜ速い?」アセロスが技術説明会を開催(BB)
http://bb.watch.impress.co.jp/cda/news/13337.html
【2005年10月11日】次世代無線LAN規格「IEEE 802.11n」推進団体「EWC」
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2005/1011/ewc.htm

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(2006年4月3日)

[Reported by 元麻布春男]


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