日本国内における「iTunes Music Store」の営業が始まった。先行していた国内音楽配信各社は、それにあわせるようにして既存楽曲の価格を下げたようだが、これは、レコード会社側から配信楽曲の料金改定方針が提示されたからのようだ。各社がほぼ横並びの状態だった日本の音楽配信だが、iTMSは、どんな魔法を使って、レコード会社を納得させたのだろうか。いずれにしても、こうして、業界は再編成され音楽の流通は変わっていく。 ●放送と通信を区別するのはもう古い 放送と通信の融合は、20世紀からの大きな課題だが、未だに実現されていないことのひとつでもある。最近の新聞報道などを読んでいると、デジタル放送とアナログ放送、UHF帯とVHF帯、BS帯のそれぞれの特徴を混同したものが目につき、これじゃ、読者は混乱するだけなのにと思ったりもする。 直近の話題のひとつに、放送番組のIPマルチキャストを条件付きで総務省が認可する方針の動きがある。2006年にはSD品質で、2008年にはHD品質での再送信を開始する予定であるというからちょっと驚いた。情報通信審議会14回総会の資料に目を通すと、IPマルチキャストを用いた通信インフラについて詳しく言及されている。条件の整理、公表については本年度中を目処としているようだが、これは放送法が絡む問題でもあるため、調整はたいへんな作業になるだろう。もちろん資料にはその点もしっかりとふれられ、マスメディア集中排除原則の見直しも視野に入っている。 ごく普通に考えれば、日本全国、いや、世界のどこにいても、インターネットにつながり、それなりの帯域さえ確保できれば、均一の放送サービスを受けられるのは、とてもよいことのように感じる。実際にそうなってほしいという願望もある。 何も、電波のような不安定な伝送路に頼らずとも、IPで配信ができるのなら、ゴーストなどの電波障害に悩まされることもなくなるし、アンテナで電波を受信してパススルーで再送信し、かえって画質を悪くするケーブルテレビのような馬鹿げた仕組みも必要なくなる。あのザラザラしたコントラストの低い映像にガマンする必要はなくなるのだ。ケーブルテレビ会社は、そのまま今のインフラを使ってIP配信キャリアになればいい。 だが、災害などで、IP網が絶たれたとき、また、電気通信事業者側の都合で、IP網に支障が出たような場合のことを考えると、やはり、電波は現実的な放送の伝送路なのだろう。 ●あのころ東京はあこがれだった ぼくの世代は、いわゆるラジオの深夜放送を聞いて育った世代である。高校生までを過ごした街では民放AM局が一局だけで、そこでは雑誌などで話題になる深夜放送を聞くことができなかった。ところがよくしたもので、深夜になると、中波に影響する電離層の状態が変わり、東京キー局のニッポン放送やTBS、文化放送などの電波が聞こえるようになるのである。そして、その電波は床の中でウトウトして寝てしまう朝方にはあっさりと消えてしまう。こうして、ぼくは、夜な夜なオールナイトニッポンやパックインミュージック、セイヤングなどを聞き、翌日の教室で居眠りという毎日を繰り返していた。 当時、オールナイトニッポンを聞いていて、とても不思議に思っていたことがある。パーソナリティがしゃべっているコーナーとコーナーの間にはCMが入るのは、民放だから当然なのだが、そのCM入りに使われるジングルが2種類あったのだ。 1つは「ビバ~ヤング」というコーラスで始まるもので、それに引き続いてポッカコーヒーなどのCMが流れた。スポンサー企業はメジャーである。もう1つは、ちょっとゆったりしたテンポで「お~るなぁいとにっぽ~ん」というコーラスで始まり、そのあとに、ちょっとマイナーなCMが続き、それが終わると、ボーカルなしのBGMがしばらく続くというものだ。このBGMの存在理由がわからなかった。しかも、いつも同じ曲が使われているので、曲を聴かせるためとは思えなかった。 のちに、実際に、ラジオの現場に携わるようになって、この謎は解けた。あのBGMは、CMを流すために確保された枠だったのだ。 東京キー局は番組を制作し、それを地方局が購入して、送信するのが放送のネットワークだが、CMの部分は地方局ごとに別のものを流せればいい。その地方の企業のローカルCMを、他の地方で流しても仕方がないからだ。 そこでキー局が番組といっしょに流す全国ネットのCMとは別に、各局用のローカルCM枠を準備した。そして、そのCM枠に入るときに、CM開始のキュー信号が送出される。そのキュー信号を受けて、自動CM送出機が、あらかじめ設定しておいたCMを流すのである。 地方局ごとに、入るCMの本数などが異なるため、CM送出後、本線に戻ってきたときに、無音になってしまうと放送事故になってしまう。だから、BGMを流しておき、いつ、本線に復帰しても大丈夫なようにしてあったのだ。 キー局から全国ネットのCMを流す部分を黒ネット、BGMを流しておき、その内側は各ネット局が自由にCM枠として販売できる部分を白ネットと呼ぶ、賢い仕掛けだ。当然、ローカルCMが1本も入らない局も少なくないわけで、その場合は、延々とBGMを聞かされることになる。いずれにしても、こうして在京キー局と地方局は、うまくその役割を棲み分け共存していたわけだ。 放送の伝送路がIPマルチキャストになったとしても、こうした仕掛けを作ることは技術的に難しくないはずだ。だが、審議会が懸念しているように、当該放送対象地域内に限定されていることの技術的担保が得られていなければ、地方局の意味がなくなってしまう。 かつてぼくが東京キー局の電波を強引に聞いていたような苦労もなく、別の地域の放送を簡単に聴いたり見たりできるようになってしまうと、対象地域の限定されている局の聴取率、視聴率は下がってしまう。その結果、CM枠販売の営業にも影響が出てきて、最悪の場合、その地方局はつぶれてしまうかもしれない。 地方局の1つや2つつぶれても、東京キー局の放送が楽しめれば、何の問題もないと思うだろうが、決してそうではない。隣町のどこそこで交通事故があったとかいうようなローカルニュース、県議会で暮らしに関する大きな方針が決まったといった情報が得られなくなるかもしれない。あるいは、その地方ならではのドキュメンタリー番組などがなくなってしまうかもしれない。 新聞は自社で各地に支局などを置き、ニュースを収集、全国版に挟み込まれる地方版としてローカル情報の編集内容を提供している。だが、放送の場合、キー局が自身で地方ごとに支局を置いて、各地で独自編成番組を制作するような体力があるかどうか。 だからこそ、地方局は、地方ごとにそこを利用せざるをえない状況を作っておかなければ、結局は、その地域に住む人々の不利益を誘因する。そうしておかないと、早晩、地方局は経営が成り立たなくなり、放送事業撤退といった結果を招く。そうなってからでは遅いのだ。 もちろん、対象地域に効率的に商業情報を流せない地元企業は、その製品やサービスをアピールする方法が限定されてしまい、結果的にビジネスそのものがシュリンクし、やはり倒産という流れも考えられる。こうして、地方の活性化がおきにくい状況が生まれるのだ。 距離という物理的な束縛を避けることができない地上波放送局のネットワークが、容易に再構築できないのには、こうした理由もあることを頭においておくべきだろう。 ●「iTunes Music Store」が放送に与える影響 インターネットは既存の業界を再編成するための多くの要素を備えている。だからこそ、あれだけ頑固だった音楽ビジネスも大きく変わろうとしている。ビジネスである以上、より多くのカネが儲かる方向に業界が動いていくのは当たり前だ。 けれども、放送が同じような道をたどってしまうことを容認していいのかどうかは、難しい問題だ。これは、書籍の値引き販売が良書を駆逐してしまうような現象に似ているところがある。 地方に住んでいたころは、地上波だけでたくさんのチャンネルが楽しめる東京の環境がうらやましくて仕方がなかった。同じ値段でテレビを買っても、地方に住んでいるというだけで、半分くらいの価値しか得られなかったのだから当然だ。 でも、いつか、ある東京キー局が、ある日突然放送免許を返上し、IPマルチキャストのみの営業に切り替えるという日がくるかもしれない。あるいは、IPマルチキャスト伝送どころか、オンデマンド放送を目的に新たな放送局が起業し、アッという間に放送業界の再編成を促すような可能性だってある。 そのときには、もしかしたら、テレビ視聴は普通有料ということになっているかもしれない。音楽業界ではこれに匹敵するような大きな変化が起こりつつあるのだ。放送だって何が起こっても不思議ではない。 □関連記事
(2005年8月5日)
[Reported by 山田祥平]
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