大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」

マイクロソフト古川氏退任の背景





古川享氏(2004年Office 2004 for Mac発売イベントにて)
 マイクロソフトの執行役最高技術責任者兼米国本社副社長である古川享氏が、6月30日付で退任するとの発表は驚きを持って迎えられた。

 アスキー時代を含め、約25年間に渡り、マイクロソフトの顔として活躍。米本社のビル・ゲイツ会長の信望も厚い。なぜ、いま退任なのか、業界内では憶測が駆けめぐった。

 マイクロソフト広報によると、「50歳という節目の年にあたり、リフレッシュしたいという本人からの申し出があったため」と退任の理由を語る。

 確かに、50歳の節目というのは、古川氏にとっても1つの分岐点だったといえそうだ。

●マイクロソフトの仕事は楽しい

 いま、古川氏は、必要以上のことは語りたくない、といっているようだ。

 だが、昨年、古川氏に単独取材した際に、話が「50歳」という方向に転がったことがあった。

 ちょうど取材現場に、20年前の雑誌が偶然置かれていたこともあって、昔話で盛り上がり、そんな方向に話が転がったのだ。

 その時、古川氏は、「あと10年で定年なんて信じられないよなぁ」と語っていたのを思い出す。

 かつて、古川氏をはじめとするパソコン業界のリーダーたちは、パソコンと密接に関係していた電機業界から見れば、かなり異質の人種の集まりに見えた。いまでいうホリエモンのようなものかもしれない。

 「業界の先輩たちから、『君たち、ちょっとはしゃぎすぎだから、気をつけなさい』とよく言われたしね」と笑う。

 その古川氏が50歳を迎え、定年まであと10年という区切りを迎えたのだから、まさに、時代は変わったといえる。

 当時を振り返り、こう語る。

 「あの頃は、仕事が楽しくてしかたがなかった」。

 古川氏は、マイクロソフトの社員に対して、最近、こんな質問をしたという。

 「会社に、スキップしながら来たくなることってない?」

 聞いた社員は、唖然として、「古川さん、なに言ってるんですか」と答えただけだったという。確かにそうだろう。スキップしながら歩いているサラリーマンは見たことがない。

 しかし、そんな質問をするぐらいに、マイクロソフトの仕事に熱中していたのが当時の古川氏であった。

●あと10年に対する気持ち

 アスキー時代から、その勢いを常に維持し続けた25年間。その間、マイクロソフトへの在籍は20年に及ぶ。では、定年までの残り10年でなにをするのか。

 古川氏は、ここ数年、そのテーマに対して、自ら模索をし続けていたのかもしれない。

 「残りの10年で、自分が思い続けた理念を実現することに力を注ぎたい」というのが古川氏の気持ちの根底にある。

 それは、コンピュータをもっと多くの人に利用してもらいたいということだ。

 コンピュータが単に計算をするとか、記録をするということだけでなく、人と人のコミュニケーションや社会活動に役に立ち、そして、それがコンピュータが前面に出てこない形で、自然と使える社会。

 フォーマットやOS、メディアの差異などをまったく気にせずに使えるという環境だけに留まらず、人が生活をする上で、気がつけばコンピュータを利用していたという環境の実現だ。

 「やりたいことはいろいろある」

 そのためにはマイクロソフトの立場にいることは、実は重要なはずだった。

●古川氏の2つの悪い癖

 昨年の取材の際、相反する2つの質問を投げてみた。

 1つは、なぜ、もう一度日本法人社長をやらないのか、そして、もう1つは、なぜマイクロソフトをやめないのか。

 前者の質問に対して、古川氏は、「もう、僕が社長をやれる規模じゃないし、組織を通じて人を動かすのが得意じゃないから」と笑って答えた。

 古川氏は、「自分には、2つの悪い癖がある」と自己分析する。

 1つは、社員全員と話をしながら経営するという古川流のやり方だ。いまのマイクロソフトの社員は1,000人以上。とても、1人1人と話をしながら経営することは不可能だ。

 「(当時、社長の座を譲った)成毛さんから、だから古川さんには経営は任せられない、と言われた」と笑う。

 もう1つは、何でも自分でやりたがる、という古川氏らしい性格を発端としたものだ。

 「いま、マイクロソフトの社長になったら、サーバーからXboxまで全部自分でやりたがるでしょうね」

 '91年に、古川氏がマイクロソフトの社長を退いた理由は、「自分が収められるキャパシティを、会社の規模が超えたときに、それを束ねられる人に社長を譲りたい」ということだった。

 自らが「悪い癖」と称する2つのこだわりを知っているからこそ、社長の座を譲ったのだ。そして、だからこそ、これからもマイクロソフトの社長をやることはない、と言い切った。

WebTV('97年、左)、Windows 98('98年)など発表会では自らデモや解説を行なう姿が見られた

●マイクロソフトを退任しなかった理由

 一方、後者の質問に対しては、一転して口調が真剣になったのを覚えている。

 古川氏は、「そろそろマイクロソフトをやめてもいいんじゃないか、という声は多くの人からいただいていた」としながら、「だが、自分の夢を実現するにはマイクロソフトの立場にいることが、いまは一番いいと考えている」と当時話した。

 だが、それは、「マイクロソフトの古川」という立場を利用するものではない。

 最短距離で自分の夢を実現できる手段だと考えていたからだ。

 「例えば、世の中にインパクトを与えるような組織を構築しようとすれば、その体制づくりだけで5年は掛かってしまうだろう。60歳までの定年を考えれば、本当に活動できるのは5年だけ。しかも、その時には、いまのようには走れないかもしれない」

 最短距離にこだわるのには、もう1つ理由がある。

 マイクロソフト社長時代には、その過度のストレスから失明直前にまで至ったこともあり、下血を繰り返していたこともあったという。本人によれば、昨年の定期検診でも異常が見つかったという。

 「医者によると、いまは自然治癒しているというのだが、だいぶ脅かされました」。その時、古川氏はあっけらかんと答える一方で、「ただ、そんな話を聞くと、10年どころか、明日逝ってもおかしくないと考えるようになった」とも語っていた。

 こんな経験もあり、3年間の米国本社勤務を経て、昨年、日本に戻ってきた古川氏は、自分が中心となるのではなく、仕事を他人に任せるようにしていたようだ。

 「自分の葬式に、あいつ全部背負い込んだまま逝きやがって、とは言われたくないですからね」とジョークを飛ばしていたが、「自分はもう主役じゃない、という意識をもって、仕事を任すことにした」とも語る。

●どうやって夢を実現するか

 今回の退任には、いくつかの憶測が流れている。

 以前のマイクロソフトの社長人事は、日本法人の事情を優先して決定されていたが、いまはそれとは異なり、米国本社の人事政策の一貫として日本法人社長が決定し、米国本社の社員にとっては、キャリアアップのステップとも位置づけられている。この点で、古川氏の置かれる立場が大きく変化し、それが退任の引き金になったのではとの見方もある。

 また、マイクロソフトでは、古川氏が描く「自分の夢が達成できない」と判断したとの見方もある。米国本社への勤務時や、日本で会長、社長を歴任していた時に比べると、古川氏が影響する範囲は小さくなったともいえる。以前のように株価がうなぎのぼりであった時代とは異なり、経営そのものに対してもシビアな数値管理などが要求されるようになったことも、今回の退任理由の1つという見方もある。

 だが、本人は、しばらく、本当の理由を語ろうとはしないだろう。

 しかし、確かなのは、古川氏が「自分の夢は捨てていない」ということである。

 もしかしたら、マイクロソフトのなかにいなくても、夢を実現できる手法を見つけたのかもしない。

 だとしたら、それはマイクロソフトの代替にあたる企業に入ることだけで実現する手法ではないだろう。これまで自らがマイクロソフトの立場で普及の一翼を担ってきたパソコン、インターネットの世界が、大きな花となって開いたことで、その環境を利用した新たな実現方法を見いだしたのかもしれない。

 もろちん、水面下では「古川争奪戦」に向けた戦いが始まっているという話は聞いている。どの企業に入ってもおかしくないだろう。

 だが、もともと古川氏のキャラクターは、マイクロソフトの代表でありながら、不思議と、企業のイメージに偏りがない、中立的な立場を取ることができる希有な人物ともいえる。

 その点では、マイクロソフト代表という立場よりも、業界代表という立場での活動の方が、古川氏の魅力をこれまで以上に発揮できるのかもしれない。

 どの企業に入るのか、といったことよりも、むしろ、これからはどんな手法で、自分の夢を実現するのか-個人的には、そちらの方が楽しみである。

□関連記事
【6月10日】マイクロソフト、最高技術責任者の古川氏が退職
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2005/0610/ms.htm
【2004年4月22日】マイクロソフト・古川享最高技術責任者が会見
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2004/0422/ms.htm
【2000年4月19日】マイクロソフト古川会長、米Microsoft副社長に就任
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20000419/ms.htm

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(2005年6月14日)

[Text by 大河原克行]


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