先々週に開催されていたElectoric Entertainment Expo、E3の余韻が今だに頭から離れない。何も次世代ゲーム機のグラフィックがすばらしかったからでも、お気に入りのゲームを見つけて興奮しているからでもない。このところ感じていたPCに対する閉塞感にも似た行き詰まりの感覚から、何か解放される糸口が見つかりそうな気がしているからだ。 モバイルPCという視点では、まだまだフォームファクタやバッテリ駆動時間、それに外出先での使い勝手やネットワークへの接続性向上など、さまざまな切り口で前へと進むことができるだろう。やや進みが遅くなっているのは事実だろうが、今年のモバイルPCたちは、困難な状況でも前へと進めることを示している。 しかしながら、PC業界全体を見回すと閉塞感からは逃れられない。これはどんな業界にもあることだが、このままずっと閉塞したままならば、あとは熟成製品への道をひたすらに進むだけだ。もちろん仕事ツールとしての目的がはっきりしているビジネス向けPCならば、それも当然だろう。 この問題に対する答えはさまざまな切り口からいろいろな企業のトップが口にしてきた。だが、はっきりとした回答を耳にしたことは未だかつてない。 ●この10年間
一昨年ぐらいからだろう。PC業界のトップエグゼクティブは「これからの10年」をテーマにした講演を行なうことが多くなってきた。これからの10年はメディアがデジタル化し、PCと家電が融合する。これからの10年は従来のインターネットに代わる新しいネットワークの時代だ。これからの10年は……と、さまざまな切り口でこれからの10年を語る。 しかし“これまでの”10年はどうだっただろうか。 10年前と言えば'95年。Windows 95が発売された年だ。i486からPentiumへの移行が完了しつつあり、メモリは16~32MBが主流で、HDDの容量はやっとGB単位に達した程度。クロック周波数は100MHzそこそこ。あれから10年でパフォーマンスは数10倍になり、メモリは20倍、HDDに至っては数100~1,000倍の容量にまで増えている。 この間に起きた新しいPC関連のムーブメントで目立つモノと言えば、インターネットしかなかった。もちろん、PCが高速化され、さらにさまざまなメディアがデジタル化することでモノになってきたデジタルイメージングや動画編集、HDD録画、デジタル音楽配信といったアプリケーションもあるが、PCの付加価値を決定的に高めるものになっているかというと、少し自信が持てない。 ビジネスという切り口では、すでに活動の基盤として根付いているPCだが、これが家庭の中で生活の基盤になっているかというと、まだまだ努力が不足しているということだろう。では何が足りないのか。 かつて不足しているのは処理速度だと信じられてきた。だが、数10倍の能力を使って何をしているかと言えば、10年前とさほど変わらない用途にPCを使っている。本当に今のままプロセッサの能力を引き上げていくことがPCを発展させることになるのだろうか? PCという商品にこの先がない、PCを持ち歩くことに意味がないとは思わない。だが、今のPC業界は少しだけ進化のベクトルを間違っていたのかも知れない。 ●信号処理の時代から情報処理の時代へ E3も最終日を迎えた日の夜、SCEIの茶谷CTOと食事をしていた。同氏とは、ゲームとはほとんど関係ないところでの知人であったため、PlayStationの話は抜きでざっくばらんに意見交換をすることがある。 茶谷氏は、'90年代以降のテクノロジ業界は、信号処理から情報処理へとビジネスになりうる技術ドメインが変化してきたと話していた。日本のエレクトロニクス産業が'90年代以降に停滞した背景には、得意としていた信号処理の品質向上という付加価値が徐々に薄れ、世の中が情報処理に対して大きな価値を見いだすようになったという意見だ。 個人的には、このほかにもさまざまな要因があるとは思う。たとえばAV家電がメカトロニクスの時代から、純粋なデジタルエレクトロニクスの時代へと変化したことも、日本企業のプレミアムな付加価値を奪うことにつながっているように思える。とはいえ、プロセッシングという部分にフォーカスを当ててみると、茶谷氏の話したことは的を射ている。 情報処理技術の可能性はPCの普及という形で現れている。しかし'95年以降もインターネットが普及してくると、情報処理技術の価値は少しづつPCからネットワークサービスへと移り変わり始めた。PCでは処理しきれない情報、個人では集めきれない情報を、ネットを通じて扱えるようになったからだ。 日常的にGoogleのような検索エンジンを扱えているのは、ネットの向こう側に情報を分析、整理するための巨大なクラスタサーバーが存在するからだろう。またYahoo! が付加価値を持つのも、ネットの向こう側に情報をオーソライズして見やすく、探しやすくする工夫が施されている。だからこそ、そこにユーザーが集まる。 ではアプリケーションがネットワークの中に溢れ出し、その端末たるPCには何の付加価値も残らないか? と言えば、そんなことはない。しかし、単純に情報処理のためのツールをPC上で実装していけばいい時代は終わり、異なる視点を持つ必要が出てきているのかもしれない。 ●プロセッサ進化の方向性 茶谷氏が信号処理ドメイン、情報処理ドメインといった話をした背景には、おそらくSCEI自身の事業方針が関係している。SCEIは信号処理を得意分野としていたソニーから、情報処理技術をエンターテイメントに応用して新しいビジネスを構築しようとスピンアウトした会社とも言えるからだ。 そのSCEIが現在取り組んでいるのは、情報を深く分析したり、さまざまな自然現象をシミュレーションしたり、分析結果を利用して新しい別の情報(音や映像)を創造するといったスーパーコンピュータを用いて研究機関などが行なってきた処理メソッドを、いかに家庭のエンターテイメントに持ち込むかだ。 もちろん、3Dゲームの品質を上げるには、グラフィック機能の強化が必要ではあるが、単にグラフィック品質を上げるだけでは、従来ゲームの延長線にあるソフトウェアしか生まれない。3Dグラフィックスの品質が十分に高くなったその後、別の切り口での能力、品質を上げようというのがPlayStation 3のコンセプトだ。 だからこそCellのメインプロセッサは、PowerPCコアのシンプル版であり、そこに特定処理に特化した高速エンジンを8個並べるというアーキテクチャを採用したわけだ。メインプロセッサの能力を上げるだけでは問題の解決にならないからだ。解決すべき問題があらかじめわかっているのであれば、汎用性の高いプロセッサコアにシリコンリソースを投入しすぎるのは効率が悪い。 食事に同席していた後藤弘茂氏は「Intelもおそらく、メニーコアでは複雑なx86コアを無数に並べるのではなく、用途に特化したシンプルコアを何種類か組み合わせて搭載するのではないか」と話した。僕も全く同じように予想している。古いx86命令セットアーキテクチャを高速に実行するための付加機能を、すべてのコアに搭載するのはあまりに効率が悪い。 またx86命令セットをひたすらに高速実行するだけでは、なかなか処理のドメインを分析や解析といった領域に進めることができない。もちろん、いずれ高速化が進めば(かつてのDSP処理をx86命令で実装しているように)汎用コアでも処理可能になるだろうが、いち早くPCの応用範囲を広げるには、やはりアプリケーションターゲットを絞ったマルチコア化が必要だ。 消費電力といった視点も、最近の半導体製品では決して外すことができないポイントだが、ターゲットとする進化の方向が従来の情報処理ドメインとは異なるのであれば、x86コアを10個にするよりも数個のx86コアに異なるアーキテクチャのプロセッサを並べて行く方が効率は良い。 ●イネイブラーはどこに 何か大きな発展、方向転換を行なうには、何らかのきっかけが必要だろう。PCに汎用機で処理していた情報処理アプリケーションをもたらしたのは、VisiCalcだったと言われる。VisiCalcにインスパイアされた技術者が、その可能性に気付いてデータベースをはじめさまざまな汎用機のアプリケーションをPCに実装しようとした。 では今の閉塞状況を抜け出すきっかけは、どこの誰がもたらすのだろうか? ゲーム機の世界ではPS3がそのきっかけを作ろうとしている。実際にPS3が従来のゲーム機の枠を超えて発展できるかどうかは、そのコンセプトに多くの共感を生むアプリケーションをSCEI自身(およびそのパートナー)が生み出せるかにかかっている。世界中で研究開発を行なっている技術者たちが、自分のやっていることをエンターテイメントに利用できるのでは? と気付かせることができれば、あとは自然に周りがPS3の世界を広げていってくれるだろう。 PS3の場合、プロセッサ、ハードウェア、ソフトウェアすべてをSCEIが開発しているからこそ、コンピュータによるエンターテイメントのパラダイムをシフトさせるという野望に挑戦できる。 PCの場合も、まずはプロセッサとPC自身のアーキテクチャの変化が必要になるだろう。それはおそらくIntelの仕事だが、汎用プロセッサとしての性能を引き上げながら、どのように新しい発展へとつなげていくかは難しい課題となる。そして新しいプラットフォームができあがる頃には、その可能性を示す事例としてのソフトウェアが必要になるだろう。 果たしてIntelはPCを変化させるイネイブラーの役割を果たせるのだろうか? Microsoftはどうか? 今はまだよくわからない。だが変化しなければ前へとは進みにくい時期にさしかかっていることだけは確かだ。 □関連記事 (2005年6月2日) [Text by 本田雅一]
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