山田祥平のRe:config.sys

切り取られた未来をロボットは見つけられるか



 What You See is What You Get。いわゆる“WYSIWYG”は、ディスプレイに表示されているそのものが手に入ることをいう。ただ、プリンタデバイスを経由した紙への出力では、そうかもしれないが、ストレージ上のファイルシステムなど、他のデバイスへの出力の場合は、見えている以上の情報がデータの背後に埋め込まれている。いってみれば、

 What You See is not only What You Get

 といったところだろうか。これがメタデータだ。そして、それは、見る側が意図しない限りは見えない。

 少なくとも、今のところ、検索エンジンによるロボットは、インターネットをクロールする中で、そこで発見した情報に対して、意味を見い出そうとはしていない。もちろん、HTMLによって文章の論理構造が明確に記述されている場合は、ある程度の意味構造を抽出することはできるが、文字を大きく表示するためだけにHタグを使っているようなページが少なくない中で、そこに完全を求めるのは難しい。

 ロボットにとってのWebページは、人間にとっての写真、物言わぬ、すなわち、コードなきメッセージであるのと似ている。文字列によって構成された文章は、機械可読ではあっても、機械(ソフトウェアロジックを含めて)がそこにこめられた意味を読み取るのは困難だ。発展途上にある現在の検索エンジンは、タイトルに「これはパソコンに関する文章ではない」とあっても、パソコンをキーワードにした文書として、誇らしげにそれをリストアップするだろう。

●饒舌になった写真

 日本において、物言わぬ写真に意味を与える先駆けとなったのは、写真家の名取洋之助(1910~62)だ。いわゆる報道写真を初めて日本に持ち込んだ写真家であり、1932年に木村伊兵衛(1901~74)らと「日本工房」を結成し、1934年には日本のグラフ誌の元祖ともいえる機関紙「NIPPON」を発行した。

 名取の遺稿としては、その没後、生前に新書用に書いた文章や、カメラ雑誌などに寄稿した文章を、木村伊兵衛らがまとめたものが「写真の読み方」(岩波新書、1963年)として出版されたものが有名だ。すでに版元切れ重版未定で新刊の入手は困難だが、図書館や古書店では比較的容易に手にすることができる。

 その是非はともかく、同書の中で、名取は、写真に対するキャプションのつけ方で写真の読まれ方が変わってくること。さらに、複数枚の写真を組み合わせることでストーリーを生み出すことができることを説いた。たとえば、上海の街路を撮った一枚のスナップに、

 「上海南京西路 競馬場に近いこの大通りのあたりは昔は娼婦や乞食でいっぱいだったが、今は紙くずひとつ落ちていない清潔さ」

 「上海南京西路 道を行く人は、老若男女すべて質素な工人服姿ばかり、かつての国際都市上海のはなやかさは、どこにもない」

 という2種類のキャプションをつけてみせ、同じ写真がまったく違って見えることを示す。これこそが、今でいうところのメタデータだ。キャプションによって、物言わぬ写真が饒舌になり、それを見る人に、共通の認識を与える。正確には、依然として写真は頑なに物を言わないのだが、キャプションによって、写真が口を開いたように見える。名取にとって、写真は素材にすぎなかったのかもしれず、それが写真編集というノウハウを生み出したのだろう。

●カメラだけが見る決定的瞬間

 1950年代の終わりから、報道写真の多くは一眼レフカメラによって撮影されるようになった。それまでは、言うまでもなく、ライカのM3に代表されるレンジファインダーカメラが報道カメラマンの強力な道具だった。ちなみに、今年、2004年はライカM3の生誕50周年でもあるし、モノクロフィルムの定番として使われてきたコダックのTRI-Xも、この年に生産が開始されている。

 いわゆる「決定的瞬間“Images à la sauvette”(イマージ・ア・ラ・ソベット)」という言葉を残したのは、写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson 1908~)だ。

 ブレッソンは1952年に彼の最初の写真集として“Images à la sauvette”を出版している。これはフランス版のタイトルで、日本では「逃げ去るイメージ」と訳されているようだ。そして、アメリカ版のタイトルが"The Decisive Moment"だった。

 これは、アメリカ版の出版にあたり、ブレッソン自身が書いた序文に含まれていた“un moment décisif”(アン・モマ・デシジフ)を英訳したもので、それが「決定的瞬間」と日本語になって現在に至っている。この日本語をあてたのが誰であるかは寡聞にして知らないが、直訳とはいえ名訳だ。なお、ブレッソンのイメージ論や決定的瞬間の伝説に関しては楠本亜紀「逃げ去るイメージ アンリ・カルティエ=ブレッソン」(スカイドア、2001年)に詳しい。

 さて、その決定的瞬間だが、一眼レフカメラがフィルムに捕らえたその瞬間を、実は、その撮影者は見ていない。というのも、一眼レフカメラは、その構造上、レリーズした瞬間、ミラーがはねあがり、ファインダー内がブラックアウトしてしまうからだ。つまり、光がフィルム上にひっかき傷を残す1/125秒とか1/250秒の間、フレームの中で何が起こっているのかを撮影者は見ることができない。

 一眼レフカメラのファインダーをのぞくときには右眼が使われることが多いが、その際には左眼を閉じないのが望ましいとされている。それは、来たるべき未来としての決定的瞬間を捕らえ損なわないためであり、まさに、光がフィルム上に痕跡を残す瞬間を、見るためでもあるのだろう。

 かくして、ぼくらが、過去に見てきた決定的瞬間としての報道写真の多くは、撮影者がその瞬間を目撃したものではなく、いってみれば偶然写ってしまったものだったということになる。もちろん、その偶然に立ち会う運の良さこそが、優れた写真家の条件ではあるが、再び、ロラン・バルトの言葉を借りて言えば、それは、やはり人為によるものではない手に負えない現実が写真であるということを意味する。

●未来を写せるR-D1

 2004年春、セイコーエプソンがレンジファインダーデジタルカメラR-D1を発表したときに、同社は「未来を写せるカメラ」というフレーズを使った。

 これは、レンジファインダーカメラでは、シャッターを切ってもファインダー内がブラックアウトすることがなく、また、光学ファインダーをのぞいたときに、レンズの画角視野がブライトフレームとして表示されるため、フレームの外側も確認できる点。さらには、完全等倍ファインダーの装備によって、左目で空間全体を感じながら、右目で見える空間を切り取れるからだというふれこみによるものだった。

 もっとも、現在の報道写真の中には、コンパクトデジタルカメラを使い、専門のカメラマンではなく、取材記者自身の手によって撮られるものが少なくない。その場合、光学ファインダーが使われることはあまりなく、カメラを顔から離し、液晶モニタでフレーミングされているデジカメ特有の撮影スタイルが一般的だ。もちろん、決定的瞬間はちゃんと撮影者の視野に入っているだろう。エプソン流に言えば、コンパクトデジタルカメラもまた、未来を写せるカメラであるということになる。

●検索エンジンの幻想

 フィルムに定着した人為によるものではない手に負えない現実。さらに、文章やイメージに含まれるメタデータ。インターネットをクロールする検索エンジンのロボットは、今のところ、そのどちらも嗅ぎ取ろうとしない。メタデータに関しては希望もあるが、写真のプンクトゥムをロボットが見つけることは、未来永劫ないだろう。

 検索サイトを使えば、インターネットに散在する膨大な情報の中から、的確に探している情報をピックアップできる。やはり、それは幻想にすぎない。


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(2004年7月9日)

[Reported by 山田祥平]

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