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160年前のニューメディア



山田祥平『初めてのパソコン』 主婦と生活社、'86年

 世界で初めての電子計算機は1946年2月にペンシルベニア大学で運転を開始したENIACであるとされることが多いようだ。この装置は米陸軍の弾道計算のために作られたもので、電子数値積算計算機(Electronic Numerical Integrator and Computer)の頭文字をとってENIACと呼ばれた。

 だが、ジョン・ヴィンセント・アタナソフ(Atanasoft, John Vincent)という人物が、1930年代の後半にアイオワ州立大学で、初期の計算機を設計し、二進法を使っていたという。これが、大学院生クリフォード・ベリー(Berry, Clifford)の助力を得て'42年に完成している。

 ENIACを完成させるための礎は、ここにあったとし、世界最初のコンピュータの称号はアタナソフ・ベリー・コンピュータの頭文字をとり、ABCとするのが妥当なようだ(The Office of Charies and Ray Eames/山本敦子訳、和田英一監訳『コンピュータ・パースペクティブ 計算機創造の軌跡』アスキー、'94年)。

●コンピュータと写真

 ぼくは、コンピュータのことを考えるにあたって、コンピュータ史やコンピュータ評論をひこうとはしなかった。何か別のものにモチーフを借りてみようとしたのだ。

 そして、選んだのは写真だった。昨今のコンピュータを語る上で、イメージングは欠かせない要素でもある。だから、写真のことを調べてみるのは、パソコンのことを考え直す上で、とても有用な示唆を与えてくれると思い、ここ数年、かなりの時間をかけて追いかけてきた。

 ルイ・ダゲールによって発明されたダゲレオタイプと呼ばれる装置は1839年1月7日に発表され公のものとなる。これが写真だ。この装置は、それまで画家の間で写生のために使われてきたカメラ・オブスキュラを元にしたもので、その画像を化学的に記録することができるという画期的なものだった。つまり、写真は19世紀の半ば時点における、まさに、ニューメディアだったのだ。

 今、ニューメディアという言葉は、ほとんど死語に近いものとなっているが、パソコンの黎明期には、ニューメディアというカテゴリに分類されることが多かった。だから、素性的には共通することは多いと考えた。しかも、写真はぼく自身にとっても身近な存在だった。

 たぶん、カメラは人よりもたくさん所持しているにちがいないし、デジタルスチルカメラも仕事の道具として欠かせない存在だ。高校生のころには、暗室で現像や引き伸ばしもやっていた。もっとも、その理由は、印画紙さえ自前で用意すれば、薬品代は学校持ちで写真を焼けるという、きわめてちゃっかりしたものだった。

 だが、写真のことを調べていけばいくほど、そこには、ぼくが知らなかったディープな世界が広がっていることがわかってきた。しかも、写真を追いかけていくと、その向こうにはその父親としての絵画が控えている。

 正直なところ、ぼく自身は、美術やアートといった分野には、ほとんど無関心で門外漢だった。歴史的に何があって、何が起こりつつあるのかを知らない上、いわゆる絵心もない。けれども、写真のことをいろいろと調べていく中で、写真以前と、写真以後で、美術やアートの世界がドラスティックに変わっていったことを知った。

●写真以前と写真以後

 この原稿を書いている時点で、東京では、そのことを証明するような展覧会を見ることができる。

 まず、「写真以前」の美術を垣間見ることができる展覧会として、東京都美術館で開催されている「栄光のオランダ・フランドル絵画展」(2004年4月15日~7月4日、引き続き7月17日~10月11日まで神戸市立博物館 )がある。

 目玉は17世紀にオランダに生きた画家ヨハネス・フェルメール・ファン・デルフトの「画家のアトリエ」(1665年頃)だ。フェルメールは、絵画の遠近法が語られるときには、必ずひかれる画家であるが、遺した作品の少なさなどから、なかなかその作品を見る機会に恵まれない。この展覧会はフェルメールの作品を見られるめったにないチャンスであり、そのほかにも、写真以前のオランダ絵画栄光の時代にふれることができる。

 一方、「写真」の登場により、絵画の世界は、いったん大混乱に陥るわけだが、その後、新たな方向性を見いだす。その様子を時系列で見ることができるのが森美術館で開催されている「モダンってなに?」展(2004年4月28日~8月1日)だ。これは、MoMA(The Museum of Modern Art)、すなわちニューヨーク近代美術館展で、多くのモダンアーティストの作品を見ることができる。

 2004年夏現在、ニューヨーク近代美術館は、2004年11月のリニューアルに向けて改装真っ最中だ。だから、貴重な作品の持ち出しも許容されているようで、これほど多くの作品をまとめて日本で見られる機会はなかなかないだろう。まさに、Very Best of MoMAだ。

 この展覧会を見ると、写真の登場によって大打撃を受け、フランスの画家ポール・ドラローシュにして「今日を限りに絵画は死んだ」といわしめた絵画の世界が立ち直っていく様子が手に取るようにわかる。

 もっとも、MoMAの基本前提は、初代館長アルフレッド・H・バー・ジュニアの思想に基づき、あらゆる分野に及ぶため、そこで見ることができるのは絵画や彫刻以外に、素描、写真、版画、建築、デザイン、電子メディアまで多岐にわたる。「モダン」は、その後、「コンテンポラリー」や「ポストモダン」にとって代わられたとされることが多いようだが、写真以後のアートを知る上で、そして、このシリーズのテーマでもある、パソコンを考える上でも、とても貴重な機会だと感じた。

 ぼくは、この2つの博覧会を上野公園から六本木ヒルズへと1日でハシゴしたのだが、17世紀から20世紀にかけての300年間の絵画の変遷を目の当たりにし、ニューメディアとしてのパソコンも、こんな風になれるのだろうかと考え込んでしまったのだった。

 そしてもうひとつ。作品保護を名目に絵のディティールさえよくわからないほどに薄暗く迷路のような会場の東京都美術館と、明るく整然とした森美術館のアートスペースの対比にも驚いた。

●コンピュータに父はいない

 「写真」というニューメディアの登場によって絵画は変わることができた。もちろん、コンピュータの登場によっても、世界は大きく変わった。だが、コンピュータは今、デジタルアプライアンスなどの機器に、その役割を譲り渡したあと、変貌を遂げることはできるのだろうか。

 写真には絵画という父親がいた。写真研究会のサイトのアーカイブに紹介されている写真史年表によれば、1508年にレオナルド・ダ・ヴィンチがカメラ・オブスキュラと遠近法を記述しているそうだ。カメラは部屋、オブスキュラは暗いという意味で、暗箱に投影された光の痕跡を筆を使って写し取ったのが画家であり、筆を使わずに化学変化によって記録したものが写真だ。

 今、デジタルスチルカメラが写真機の息子とされる論調もあるようだが、それは違うとする論調の方が多い。デジタルスチルカメラは、写真機の息子ではなく、ビデオカメラの息子だとされているようだ。ちなみに、ぼくの予想では、たぶん、コンピュータに父親はいない。そのこともまた、この機械のリアリティに影響を与えているように思えてならない。

●過渡期はいつまで続くのか

筆者が'86年に執筆した『初めてのパソコン』前書き
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 前回のテーマ「サランラップごしのコピー」は、そこから「ラップスキャン」を想像された方が少なくないようで、あちこちのblogで、同様のコメントを拝見した。本来ならここでトラックバックするべきだろうが、残念ながら、Watchのシステムにその仕掛けがない。

 ラップスキャンというのは、手書きイラストや写真などを下絵とし、その上にサランラップをかぶせて、輪郭をマジックやサインペンでなぞり、そのサランラップをディスプレイに貼り付けて、その輪郭をマウスポインタでなぞって、グラフィックスソフトで絵を描く手法だ。イメージスキャナなど高嶺の花だった時代のテクニックだ。

 そういえば、そんなことを書いたことがあったと思って、ぼくが最初に上梓した単行本を本棚の奥から取り出したら、自分でちゃんと説明していた(山田祥平『初めてのパソコン』主婦と生活社、'86年)。それをラップスキャンと呼ぶとは書いてなかったが、方法そのものは同じだった。

 そして、ついでに、その前書きに目を通して驚いた。まるで昨日書いたような内容だったからだ。そんなにパソコンは変わっていないのか。多少長いので引用は避けるが、興味を持っていただける方は参照いただきたい。初版日付は1986年12月。日本では電気通信事業法が改正され、電電公社がNTTとしてスタートしたのがその前年の1985年。パソコン通信サービスがブームの兆しを見せていた。18年前である。ぼくは20代最後の年を謳歌していた。


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(2004年6月4日)

[Reported by 山田祥平]

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