IBM社のThinkPadシリーズの開発は、日本アイ・ビー・エムの大和事業所に置いて行なわれている。 今年の半ばまでThinkPad開発グループのとりまとめを行なっていたIBMフェローの内藤在正氏が、ラーレとよばれるノースカロライナのPC事業部本部へ異動になったことをうけ、これまで内藤氏のもとでThinkPadの開発に携わってきた小林正樹氏(日本アイ・ビー・エム ポータブルシステムズ担当 ディスティングイッシュド・エンジニア)が内藤氏に代わり、ThinkPadシリーズの開発をとりまとめていくこととなった。 報道関係者から“ミスターThinkPad”と親しみを込めて呼ばれていた内藤氏に代わり、新たな“ミスターThinkPad”に就任した小林氏に、ThinkPadシリーズ開発の現状と、これからの開発の方向性などについてお話を伺ってきた。 ●開発責任者の仕事は“パズル”を解いて方向性を示し、エンジニアを“ゴール”に導くこと
Q:これまでどのようにThinkPadに携わって来られたのか、教えてください。 【小林氏】私がThinkPadの開発グループに移動になったのは、'93年の8月で、ちょうどThinkPad 755シリーズの開発を行なっていた時期だったと思います。ちょうどその時期に弊社は現在のウルトラベイの先祖とでも言うべき、取り外し可能な内蔵デバイスに取り組んでおりまして、そこにテレビチューナーのような映像系のデバイスを入れていこうという話がでました。私は、ThinkPadグループに来る以前には、CRTや液晶ディスプレイなどの表示装置の責任者をしておりまして、その関係で呼ばれたというのが最初です。ThinkPadグループに移ってきた後では、今で言うマルチメディアのはしりのような機能を持ったドッキングステーションや、MPEG-2ハードウェアアクセラレータ機能のポーティングなどをやったりと、割と映像関係の仕事をすることが多かったですね。 その後、元々表示装置を担当していたこともあり、サードパーティの液晶パネルを調達する仕事などもやっていきました。元々弊社では、弊社の液晶製造部門が製造した液晶パネルを利用していたのですが、ノートPCの需要がどんどん増していくことが予想されていたので、それでは足らないだろうということになり、サードパーティの液晶パネルを調達していく必要がでてきたのです。ただ、サードパーティと弊社では品質の基準なども異なりますので、このあたりのすりあわせなどをやっていました。 その後、ThinkPad 560Zの開発マネージャに異動になり、さらにThinkPad 570シリーズ、ThinkPad T20シリーズ、ThinkPad T30シリーズなどを担当して参りました。 Q:開発マネージャという仕事は具体的にはどのようなことをやられるんですか? 【小林氏】開発マネージャといっても、実際の細かな設計、例えば電気設計や機構設計などに関しては専門のエンジニアがおり、それぞれ担当しています。開発マネージャの仕事というのは、PCを構成する様々なピースを1つのプラットフォームに搭載していくという“パズル”を解くようなものなんです。当然、各専門のエンジニアは自分の希望を通したいと考えますから、ちょっとオーバーな要求をしてくる。だけどそれをすべて聞いていると、製品としてはできあがらないんですね。よくありがちなのは、すべてを新しくしてみたりすると、どこかで問題が発生して予定通り製品がでなくなったり、思ったより性能がでなくなったりします。例えば、私がThinkPad 570の開発マネージャだったときには、とにかく前世代の560シリーズよりも薄くしようという命題があって、それを実現するためにエンジニア達ががんばってくれました。私はそれを調整するのが仕事だったんです。 Q:開発を束ねる責任者となった今も、それが一段階あがったような仕事だと考えていいのでしょうか? 【小林氏】私の前任者である内藤が得意としてきたのは、そういうパッケージングの交通整理、そしてパズルをどう解いていくかとことでした。端的な例でいうと、今年プラットフォームを新しくさせて頂いたThinkPad T40シリーズでは、T30よりも薄くするという命題がありまして、それを実現するためには9.5mmの光学ドライブをどのように間に合わせるかというのがキーだったんですね。そこで、弊社では光学ドライブの業界の方とお話をさせて頂いて、インターフェイスの部分の事実上の標準化という作業を進めてきました。PCの開発というのは、一度出来あがってしまえば、なるほどこうやればできるんだ、という話で終わってしまいますが、作る側とすれば厳しいテストにも耐えうるような筐体の剛性も十分確保し、さらにCPUメーカーが提示する2年レンジの熱設計の仕様にもパスする筐体を作らなければいけないのです。ここが大変な点で、ここを見誤ると、最後の最後で熱が原因で筐体に納めることができないという問題が起きてしまって大騒ぎになります。 また、PCの設計というのはハードウェアだけを見ていればよいというものではありません。例えば、弊社の場合は“ThinkVantegeテクノロジー”と呼んでいるソフトウェア技術があり、そちらとハードウェアをいかに融合させていくかという課題もあります。各エンジニアともその分野の専門家なので、どうしても別の分野とは壁ができてしまうことがあります。そこをいかに相互乗り入れさせていくかが、私の最も大事な視点になります。 誰かがうまいことを言っていて、開発責任者の仕事というのはラグビーで言えば「ハイパント」(筆者注:ラグビーで、キックでボールを相手の陣地に向けて蹴り上げること)のようなものなんですね。バーンとボールを蹴り上げて、それをみんなで追いかけてゴールまで持って行く、と。蹴りすぎると相手に捕られちゃいますし、あんまりあっさりだと何のためにやってるの? ということになりますよね。 ●メッセージは時代に合わせて変化していくが、変えてはいけないこともある
Q:ノートPCの中で、ThinkPadというのは特異なポジションを得ています。決してコンシューマ向けという製品ではないですが、意外とコンシューマユーザーも買っている。他のベンダではあまり見られない傾向だと思います。 【小林氏】基本的には、企業のお客様が中心であることは間違いないと思います。ただ、個人のお客様でも、ThinkPadを愛して頂いたり、そのバリューを理解して頂いているお客様には、ご提供させて頂きたいとも考えています。じゃあ、弊社のバリューって何だろう? と言えば、それは“モビリティ”なんです。個人のお客様でもモビリティを重視している方で、ご自分のツールとしてノートPCを使って頂いているという場合にはスイートスポットになるのではないだろうかと思います。例えば、ThinkVantageツールには、ネットワーク設定だけじゃなくてセキュリティも含めて切り替えられる“Access Connections”、簡単に数日前の環境にリカバリできる“Rapid Restore”などモバイルに適したツールがあります。まだまだ、日本の企業のお客様の中にも、そうしたモビリティをビジネスに取り入れることに積極的ではないお客様もおられますが、そうした皆様も含めて、モバイルをビジネスに取り入れることで国際競争力を高められるんだ、ということを理解していたければ、と思っています。 そのようなお客様が実際に持ち歩くことを始めていただいた時にはじめて、キーボードの使いやすさ、堅牢性、セキュリティなどの価値がわかって頂ける製品になっていきたい、と。 Q:ThinkPadのフィロソフィー(哲学)というのは10年前から一貫して変わっていませんね。 【小林氏】'92年頃だと思いますが、ちょうと弊社のトップがガースナー前会長に代わり、会社としても大きく変わっていきました。そうした中でThinkPadは生まれてきたのですが、常に考えているのは“IBM Corporation”というトータルソリューションという傘の下で、1つの部品、武器として自己主張できる製品でなければならないということで。この点は10年間、もう11年ですが全く変わっておりません。もちろん、IBMのメッセージ自体というのは時代に合わせて変わっています。例えば、昨年弊社のパルミサーノがCEOになってから「e-Business on Demand」となり、そこからオートノミックなどの新しいメッセージも登場してきていますが、そういったことも含めてお客様に常に新しいメッセージを送り続けたいということは考えています。 ただし、基本的には入力しやすいキーボードとか、堅牢性とか、そういったことは根底になければThinkPadではないということは、これは続けていきます。これだけは我々は間違っていないというある種の自信なんだと思います。 ●世界のノートPC市場の中の“日本のモバイルPC”市場
Q:世界の中のThinkPadということと同時に、日本市場におけるThinkPadという議論はあると思います。s30シリーズの後継がでなかったことでしばらく中断していた超低電圧版のCPUを搭載したウルトラポータブルノートPCがX40として新たにデビューしました。このX40は当初は日本だけで販売されるということですが、やはり日本市場は特殊であるということなのでしょうか? 【小林氏】世界の市場を大きく米国、欧州、日本と見た場合、やはり日本はユニークな市場です。そこに大きく影響しているのは、車か電車かという移動形態が大きく異なっていることです。ただ、アジア市場という観点を含めるのであれば、日本は決して特殊ではない。例えば韓国や台湾の移動形態はきわめて日本に近いものがあります。しかし、市場の規模という点では日本をのぞくアジア市場は、日本市場にはまだまだ及ばないというのが現状です。米国の取締役クラスが日本に来て弊社にやってくる時などにはXシリーズを利用していることが多い。彼らも日本では中心街のホテルに宿泊し、電車に乗って移動するのでやっぱりXシリーズがよいというのです。日本では彼らもこうした小さいノートがよいというのは、彼らの行動からも見て取れます。ただ、やはりキーボードのサイズは議論になりますね。例えばX40では、確かにメインのキーはフルサイズとなっていますが、周辺のキーは若干小さくならざるをえないキーがあるからです。 しかし、日本人向けということを考えた場合、特にコンシューマユーザー向けなんですが、7列でなくて6列でも十分受け入れられていることを考えると、必ずしもそれがキーファクタではないなということは認識しているつもりです。 Q:日本市場では、特に「小さい」「薄い」「軽い」ということが重要視される市場でもあります。今年の秋にかけて、ソニーのバイオノート505エクストリームやシャープのMebius MURAMASAなど、薄く、軽いマシンが続々とリリースされています。特にPC市場では“数字”の持つ魔力というのは、かなり大きいのではないかと考えます。このあたり、どうお考えですか? 【小林氏】我々もエンジニア個人として、我々のテクノロジを利用することでこういうことができるんだということを伝えていきたいという気持ちはあります。しかし、PCビジネスの現状を見ていった場合、なかなかそこまでやれる余裕がないというのが現状です。弊社がお客様に製品を提供し続けていくためには、弊社のThinkPadビジネスがある程度利益を出して、ビジネスとして継続し続けていかなければいけません。そのあたりはいかんともしがたいところなのです。 Q:コンポーネントの価格を積み上げていってある程度の価格帯が決定されてしまう現在のPCのビジネスモデルでは厳しいものがありますね。 【小林氏】もし、将来、CPUとOS以外の部分にも付加価値がつけられるようなモデルが構築できるようになれば、状況は大きく変わってくる可能性はあります。ですが、もしコモディティと言われる部品を供給してくださっているベンダ様が自己主張できるようになれば、我々システムベンダの側も新しいビジョンやアプローチができるようになるかもしれない。私としても歯がゆいのは、テクノロジとしては可能なのに、実際の製品として送り出すには乗り越えなければいけない厚い壁があるということです。例えば、現在液晶パネルのガラスには、0.6~0.7mm厚のものを利用しています。ですが、現在の技術を応用すれば、0.3~0.4mm程度の薄さにすることも不可能ではありません。しかし、それをお客様に提供できる価格で、かつ長期間供給していけるのかと言えば、残念ながら弊社のモデルではそれが難しい。ご存じのように、当社の場合はコーポレートのお客様にシリーズとして何千台と導入して頂く必要があり、一過性では出荷できないからです。 ですから、現在の状況を見ていると、Linuxの台頭があったり、AMDやTransmetaなど互換CPUベンダが勢力を伸ばしてきたりしているので、そうした製品に付加価値が認められるようになれば、システムベンダ側も変わることができるようになると思います。 ●2005年には45Wが入るスリム筐体の実現を目指す
Q:ThinkPadシリーズを技術的に見ていった場合、ノートPCの中でのテクノロジリーダという位置づけにあると思います。例えば、30Wを超えるモバイルPentium 4-Mを、A4スリムに入れたのは確かThinkPad T30が最初だったと思います。特に熱設計はThinkPadのアドバンテージの1つになっていると思います。 【小林氏】熱設計に関してトータルに取り組んでいることが強みだと考えています。最近では水冷技術も注目を集めていますが、当社でも技術の1つとして検討はしています。ただ、どうしてもスペースという点では不利になることがあります。当社が最も重要視しているテーマは、T40のあの薄さを維持したまま、どこまで持たすことができるのかということです。熱設計というのは、単に冷やせばよいというものではなくて、本当にお客様がお使いの環境に合わせて熱量を割り振っていくことが大事なのかなと考えていますし、実際お客様の環境のデータが取れるという意味でシステムベンダだからこそできることではないかと考えています。 コンポーネントベンダの方は、CPUはこれで、GPUはこれで、メモリはDDR2で……とおっしゃるわけですが、それらを足していくととてもじゃないけど入らないし、それを本当にお客様が必要としているかどうかには疑問が残ります。だからこそ、お客様の利用環境を知っている我々システムベンダが、お客様のニーズを理解していくことが大事なんだと思います。 Q:先日行なわれた、大和事業所で行なわれたセミナーで、小林さんが2004年には30Wに、2005年には45WのCPUに対応できるようにしていかなければいけないとおっしゃっていましたが、こうしたTシリーズのようなスリムなPCにもそうしたCPUは入っていくのでしょうか? 【小林氏】最初に申し上げておきたいのは、入れなくて済むものであれば入れたくないということです(苦笑)。しかし、当社は2005年には現在の通常電圧版クラスのCPUを入れていくためには45Wの熱設計消費電力のレンジをクリアする必要があると予測しています。そうなったときでも、低電圧版や超低電圧版を使えば現在の熱設計でそのまま行けるかもしれませんが、同じクロックでの価格ということを考えると、どうしても通常電圧版より高くなってしまう。現在Tシリーズを利用していただいているお客様に、今後も安定してリプレースして頂くためには、どうしてもそうした通常電圧版を採用していかないといけないと考えています。 ですが、ここで疑問として生じてくるのは、“45Wまで回さないといけないアプリケーションってなんだ?”ということです。つまりは、一体どういうシチュエーションで45W必要なの? ということですね。 例えば、モバイルの時にはそこまで回す必要がないとすれば、ドッキングステーションにドッキングした時だけ最大電力で回るようにするとか、そうしたロケーションとシチュエーションに配慮した仕組みを採用しなければならないのでは、と考えています。 あと、付け加えておくとすれば、仮に45Wまでブン回したとしても、今とそんなに大きな差はないのではと考えています。むしろ、それをどのようにお客様に対して提案していくかが大きな課題になるのでないでしょうか。 Q:2003年はBaniasベースになり、プラットフォームも一新したT40、X40がリリースされ、大きな変化の年となりました。内部のコンポーネントで言えば、2004年にはIntelがAlvisoチップセットを投入することで、内部バスがPCI Expressへと変化を遂げる年になると思います。PCI ExpressはPCのアーキテクチャを大きく変えていく可能性を秘めていると思いますが、そうした新しい技術をうけて、ThinkPadはどう変わっていくのでしょうか? 【小林氏】常に我々はクリーンシートという取り組みをしてきました。クリーンシートというのは、既存の考え方を一度捨てて、真っ白なキャンパスにThinkPadのあるべき姿、セグメンテーションをしてみると、どうなるのかを検討する取り組みのことです。今までのものを一度ご破算にして、新しいあるべき姿を考えてみようという意味なんですが、今後もそういうことは確実に起こっていくと考えています。2004年に大きなステップがあるとおっしゃいましたが、2005年にももう1つの大きなステップがあります。では、どちらを優先するんだというのが大事になってきます。将来の話なので、現時点では詳しいことを申し上げることはできませんが、申し上げられることは短期間で大幅に変えるということは、非常に大変だということです。 また、2005年には消費電力の点でもう1つの大きなジャンプがありますから、プラットフォーム全体を見渡すと、2005年の方が大きなステップとなる可能性が高い。開発者にとって悩ましいのは、電気設計も、機構設計も新しくしてしまうというのは大変なチャレンジなんですね。やって出来ないことはないとは思いますが、難しい問題であることは事実です。とにかく、課題というのをもう一度見直してやっていかないといけないと考えています。 全部ブランニューでやるのか、それとも外見を変えずに中身だけ変えるのかというのは今後検討しないといけないでしょう。ただ、ご存じのように、弊社が機構設計を変更した場合には、膨大なテストをやらないといけないですから、まずは中身だけということから入るのも手かな……と今は考えています。 ●エンドユーザーの要求をコンポーネントベンダに伝えるのがシステムベンダの役目
Q:ThinkPadのラインナップでユニークなのは、40万円を超えるようなT41p、R50pのようなハイエンドGPUを搭載した製品がラインナップされています。特に、最近ではATIのハイエンドGPUを搭載する例が多いですね。 【小林氏】そうした市場をカバーしていくことは弊社としても重視していますし、その意味でもGPUを供給して頂いているベンダ様とはよい関係を築こうと考えています。彼らの新製品が出るタイミングで、熱設計の開発で協力したりと、パートナーとしてやってきています。弊社がコンポーネントベンダ様とよい関係を築こうと考えているのは、エンドユーザー様の要求を彼らに伝えるのが役目だと考えているからです。例えば、GPUベンダ様はどうしても3D機能を重視したがりますが、実際のビジネスシーンではそれほど要求されていません。そうしたリアルなお客様がこういう使い方をしているんだよ、そうしたことをコンポーネントベンダ様に伝えています。 また、液晶ディスプレイには、こういう特性があるので、これこれの解決をしてくれないと困るというのを具体的に提案していきます。例えば、最近のGPUには液晶ディスプレイで画面の解像度を下げて画面を拡大表示するときに、スムージングして綺麗に表示させるという機能があります。この機能1つとっても、いくつかのアルゴリズムがあります。最近だと動画に適したものと、静止画に適したものが代表ですね。 GPUベンダ様はどうしても目立ちますので動画に適したものにしたがるんですが、これを静止画で見たときにはやや心地よくないんですね。実際にお客様が利用する時間が長いのは静止画の場合なので、そちらにあわせて最適化してほしい、などのリクエストを出したりしています。 Q:なるほど、作り手と実際に利用するユーザーニーズで違いがでてくるのですね。 【小林氏】そこで、我々がコンポーネントベンダ様に対して、そういう要求があるんだよということをインプットしていく必要があるのです。だからこそ、弊社ではビジネス上の関係としてだけでなくキーとなるコンポーネントベンダ様と相互にやりとりを行ない、場合によってはリサーチレベルのものを持ち寄ったりして、よりよいものを作っていきたいのです。その結果として、弊社もビジネスで成功するし、コンポーネントベンダ様も成功する、そうしたWinWinの関係に持って行きたいと考えています。Q:PCのビジネスでは、良い意味でも、悪い意味でも、Intel、Microsoftという2大巨頭の影響を排除することは難しい現状になってしまっています。 【小林氏】私が常にコンポーネントベンダ様とお話させて頂いているのは、その製品が標準とならないと難しいということです。テクノロジデモで注目されても、スタンダードとなり投資が生きるような状況にならない限り、あだ花的にぱっと咲いてしぼんでしまって主流になり得ないことになってしまう。そんなことにならないように、スタンダードとなってもらい投資を回収し、弊社もそうした製品を採用させていただくことで、WinWinの関係が作れるのがベストですね。Q:IBMのノートPCでは、IntelやMicrosoftが規定する、このCPUやOSではいくらのレンジで、というビジネスモデルとは若干遊離した価格体系になっています。つまり、その分の付加価値をユーザーが認めているということです。 【小林氏】限られた原資の中で、どこに力点を置いてアピールしていくのかということになると、どうしても今のモデルにならざるを得ません。例えば、Tシリーズというのは、フルファンクションでありながら薄く、軽くを実現した製品なのです。パワーユーザーでも遜色なく利用できる、どうしてもそういう部分にお金を使っているので、現在のような価格体系にならざるを得ません。ただ、1つ述べておきたいことは、本来はお客様のニーズに基づいて価格というのは決定されるべきものです。我々の仕事は、これまでの10年間でお客様が我々に対してインプットしてくれた要求をきっちりと製品と価格帯に盛り込んでお届けすることではないかと考えています。 ●カスタマーの視点が入ったイノベーションを追求していくということ
Q:数年前にニューヨークで開催されたPC EXPOに、IBMはCrusoeを搭載したThinkPad 240を参考出展しましたが、その後超低電圧版Pentium IIIを採用することになりました。あれから数年が経過し、IntelもBaniasを出荷し、Transmetaも先日Efficeonという新世代のCPUを発表しました。こうしたIntel以外のCPUについての可能性はどうでしょう? 【小林氏】IBMはシステムベンダであって、Intel様のOEMサプライヤーではないので、常にあらゆる選択肢を検討しています。ですが、実際にビジネスとして他の選択肢がお客様にとってメリットがあるところになっているかと言えば、なかなか難しい。弊社のお客様、特にコーポレートのお客様は大きな変化を望みません。そうしたコーポレートのお客様にとって“Intel”というのはブランドネームであって、そこを大きくはずして、というのはそれをカバーする何かがないといけないような気はしています。ただ、我々も技術者ですから、そうした他の選択肢がどういうもので、どういうメリットをもたらすのかというのは常に理解していないといけないとは考えています。例えば、サーバー向けのCPUでは、IntelがIA32からIA64に行ったことで、AMDが64bitをやるチャンスがでてきて実際そこで先行している。そうしたことが今後も起こらないとは限りませんから、それによりお客様に対してメリットが大きいのだとすれば、視野に入ってくるのではないかと思います。 Q:ズバリ聞きます、あのとき試作機までできていたCrusoeをやらなかったのはなぜですか? 【小林氏】非常にお答えしにくい質問ですね(苦笑)。基本的にはビジネス上の決断だったと思います。どちらに行った方が、弊社のお客様にとってメリットが大きいのかを慎重に検討したのです。実際、Crusoeが登場したことで、Intelは超低電圧版というカードを切ってきました。その時に、じゃあCrusoeと超低電圧版を比べてどっちがよいのよと考えていくと、前者にはチップセットも含めてアーキテクチャを変更しないといけない。そこまでして前者にするメリット、デメリットを慎重に検討した結果、超低電圧版を選択しました。 しかし、今後超低電圧版の値段が上がっていったりということがあったりすれば、揺り返しはまた起こるでしょうね。 Q:確かにそういう背景があって、日本のPCベンダもCrusoeから超低電圧版に乗り換えていったという歴史となったのは否めないと思います。 ただ、1つ忘れてはいけないのは、イノベーション(革新)って大事じゃないのか、ということです。私も今後は通常電圧版の消費電力はあがっていく方向だと予測していますが、仮にあがらずに25Wのレンジを守ることができ、45Wを許容できる技術を応用すれば、もっと薄いノートPCが作れるんじゃないか、あるいは今までに考えたことがないノートPCが作れるんじゃないか、つまりイノベーションが実現できるのではないか、という思いがあるのですがどうでしょうか? 【小林氏】おっしゃる通りですね。我々としてはあらゆるジャンルで競争が起きて欲しい。そうした競争があればこそ、お客様にPCの良さをより理解して頂き、PC市場はこれまでよりもおもしろくなると思います。今“イノベーション”という言葉をお使いになりましたが、今まさに弊社のパルミサーノもイノベーションという言葉を使い始めています。どういう定義かと言えば、“インベンション”(発明、創案)と、“カスタマーインサイト(顧客の視点)”が交わるところにあるのが“イノベーション(革新)”だと。つまり、お客様なしにはイノベーションというのはあり得ないんだということです。 現在コンポーネントベンダ様がやっているのは、彼らのテクノロジロードマップ、例えばムーアの法則などがそうですが、そうしたテクノロジの成長カーブに彼らの戦略(インベンション)を載せてロードマップを提示しています。しかし、そこにカスタマーインサイトがあるのかと言えば、残念ながらそうではない、と。 それは、彼らが悪いという問題ではなく、彼らの顧客は我々であって、エンドユーザーではないからなのです。 Q:確かにムーアの法則は半導体業界が成長していくパワーの源であるのは事実です、そこに顧客の視点があるのかと言えば、それもおっしゃる通りだと思います。 【小林氏】最終的にはシステムとしてお客様に喜んで買っていただかないと、彼らの業界の成長が止まりますから。 ●ユーザーが妥協しないThinkPadを目指していきたい
Q:じゃあ、お客様が喜ぶのはなんなんだろう? という素朴な疑問がでてきます。PCもだんだんと車のような製品になってきています。ほとんどの人に行き渡って、今後は買い換え需要を見込んでモデルチェンジを繰り返していく……。 【小林氏】現在のPCは、まだまだある意味でのコンプロマイズ(妥協)の延長上にあるんですね。例えば、映像として見るにはまだ不十分ですし、サクサク使うにはいろいろな障害があってサクサク使えない、堅牢と言いながら本当に厳しい環境ではまだまだ壊れる、便利になったと言いながら専門家しか調整できない。要するに、お客様がやりたいことをやるために、まだ多大なる労力を払っている状況です。最近の市場を見ていると、コンシューマ向けPCというのは本当に厳しい状況です。というのも、HDDレコーダやフラットディスプレイなんかがでてきているからなんですね。あれって単機能かもしれないけど、それが故に簡単に使えてお客様が欲しいところをうまく満たしているのです。 残念ながらPCはまだまだその領域には達していない。例えば、弊社のAccess Connectionsでも、まだまだお客様に設定していただく部分というのが少なくない。お客様にとっては、ある定義だけしておけば、勝手にユーザーに変わってやってくれるというのがよくて、理想は変えるというのを意識しない環境なんです。ウィルス検出ソフトだって、走っているのがわからないのが理想です。ダイアログが出てメッセージを読んだって、「だからなんなの?」と思うのが普通の人だと思うんです。 だからこそ、そういうところにオートノミックなどの技術を生かしていくことで、お客様が自分のビジネスややりたいこと以外で煩わされることのない、そういうPCを作っていきたいですね。 Q:そうですね。そこは携帯電話にできていて、PCにできていない部分です。 【小林氏】そうなんですね。携帯電話というのはOSやCPUはなんだということはなくて、カメラの画素数がとか液晶ディスプレイの美しさだとか、お客様にアピールする機能で売ってるじゃないですか。それが本当のあるべき競争だと思うんですね。Q:PCも携帯電話と競争している傾向はありますね。特に、日本ではその傾向が強い。 【小林氏】そうですね。携帯電話のオンタイムと便利性というのはだいぶ違う。携帯電話というのは、今すごい額の投資がされていて、お客様もそれだけついているという意味では追いつくのは難しいですね。そこには数社の競争原理が働いています。結局競争するというのは、ある時にはA社が飛び出るかもしれないが、結局B社も、C社も追いついて、D社が新しいことをする……これが成長するモデルなんですね。ところが、PCのつらいところは、なかなかそうはなっていなくて、お客様の欲しいところに持って行くことが難しい。 Q:最後に、2004年に向けて、ThinkPadの開発方針などあれば教えてください 【小林氏】来年は内部バスのアーキテクチャが大きく代わる点もありますが、それに関しては粛々と進めていく。先ほど申し上げましたが、第1段階として電気設計を進めていくことになる可能性が高いですね。今年は新しいプラットフォームを2つ出しましたが、来年は見えないところで、例えば将来のパワーマネジメントの技術、ワイヤレス技術、あるいはクオリティを高めていくための技術などに注力していきたいです。 ワイヤレスの技術にしても、いろいろなワイヤレスのポーティングがでてますね、例えばGPSをどうするのかなどですね。GPSを統合するとなると大変で、FCCの基準よりも厳しいものでやっていく必要があるなど、そういった部分の技術的な蓄積をしていかないといけないと考えています。 そういったものが大きく開花するのは2005年になると思いますが、来年はそれらをカバーするための基礎となる部分で、もう一回ThinkPadの強みを見つめてみたいし、エンジニアにも様々な発明をしていってもらいたいですね。 □関連記事
(2003年12月26日) [Reported by 笠原一輝]
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