世の中の標準となるノートPCを

~ 日本IBMデザイン部門担当部長 山崎和彦氏インタビュー [前編] ~

 PCを自身のビジネスツールとして活用するプロフェッショナルユーザーに絶大な人気を誇るThinkPad。数多くのノートPCが横並びのハードウェアスペックを持つ中で、プロフェッショナルユーザーがあえてThinkPadを選択する理由は、ThinkPadに「道具」としての魅力があるからだと筆者は考える。そして、こうしたThinkPadの魅力を支える大きな柱のひとつが、IBMの一貫したデザイン哲学だ。そこで、同社が考えるデザインの基本理念と将来の方向性について、日本アイ・ビー・エム(日本IBM) デザイン部門担当部長の山崎和彦氏にお話を伺った。
 前編となる本日は、山崎氏とIBMの運命的な出会いに加え、現在のデザイン拠点とそのデザインプロセスについて取り上げていく。(2002年10月3日、日本IBM大和事業所にてインタビュー) [Text by 伊勢雅英]
 
 
ThinkPadは仕事人のためのノートPC

 筆者は、ThinkPadの虜となってしまったユーザーの1人だが、普段ThinkPadを使っていて常に抱いている感想は「とにかくよく働いてくれる」ということだ。IBMフェローの内藤在正氏は、ThinkPadを「顧客の仕事に対する競争力や効率を高めるための道具」(10月2日の記事を参照)と表現しているが、まさにそのとおりだと思う。

 筆者は仕事柄、さまざまなメーカーのノートPCに触れる機会があるが、こうした経験の中からThinkPadが他社のノートPCよりも強く感じられる部分は、仕事道具としての意識の高さ、言いかえれば職人気質のようなものだ。料理の道具にたとえれば、本職の和食料理人が愛用している青二鋼和包丁のような感覚だろうか。見た目はシンプルで実に地味だが、使う者にプロとしての満足感を与える道具、それが筆者の感じるThinkPadの姿だ。

 こうしたThinkPadの道具としての高い完成度は、やはりデザインの負うところが大きい。ThinkPadを支えるハードウェア構成は日々急速に移り変わっているが、ユーザーが見たり、触れたりする部分の基本デザインは10年前から変わっていない。例えば、黒を基調としたシンプルな外観、操作感にとことんこだわったキーボード、指先の小さな操作でマウスカーソルを移動できるトラックポイントなどがその代表例だ。

山崎氏の生い立ちとThinkPadの運命的な関係

日本アイ・ビー・エム株式会社
デザイン部門担当
山崎和彦部長

 実は、ThinkPad(に限らずIBM製品すべて)が仕事道具としての高い意識を持つようになった背景には、ThinkPadのデザインを指揮する山崎氏の生い立ちが大きく関係しているように思われる。山崎氏のご実家はもともと質店で、ご幼少時代の様子を次のように話す。「小さい頃からカメラやラジカセ、テレビなどが身近にあり、これらを片っ端からいじり倒すのが日課でした。そして、色々なものを触りながら“なぜこのような形をしているのか”とか“なぜこの部分だけ色が違うのか”といったデザイン的な部分に強い興味を持っていました」。

 山崎氏は絵を描くことも好きだったため、最終的には工業デザイナーの道を歩むことになったが、日本IBMに入る前の、最初の会社で担当したのはキッチンや風呂などの住宅設備関係のデザインだった。「建築のデザインにも興味があったのですが、多くの人が自分のデザインしたものを使ってくれて、“使いやすいなぁ”とか“きれいだなぁ”と思ってもらえたら嬉しいですよね。だから、“みんなが使うもの”のデザインを始めたのです」。

 そして、ThinkPadの色にも通じる運命的な出来事が、日本IBMに転職する直前に担当した黒いユニットバスのデザインだ。「これは、お風呂全体が黒になっているユニットバスで、当時としては非常に斬新なものでした。黒という色はとても不思議で、黒御影石のような日本人の和空間に結びつく感覚と、FRP(Fiber Reinforced Plastics:繊維強化プラスチック)のようなヨーロッパのモダン性を併せ持っています。黒に対するこのような考え方は、ThinkPadにももちろん活かされています」。

 ThinkPadの黒は、同社のデザイン顧問であるリチャード・サッパー氏が最終的に決めたものだといわれているが、その原動力となったのは山崎氏がデザインを担当した黒のユニットバスなのかもしれない。

世の中の標準となるノートPCをデザインすることが最大の使命

 山崎氏が日本IBMに入社された当時、同社は日本向けの製品を日本国内で本格的に設計、開発、デザインしようと考えていた時期だった。それには有能な工業デザイナーが必要であり、このときに採用されたのが山崎氏だったわけだ。「私が日本IBMに入社したのは'83年12月です。今こそ大きなデザイン部隊が揃っていますが、当時はまだ私以外に1~2人しか工業デザイナーがいない時代でした」。

PS/55 5535-S

 日本IBMに入社後は、銀行用のATM、POSレジスタ、ディスプレイ端末などのデザインを中心に手がけていた。

 '80年代後半、日本IBMはラップトップPCを発売した。これらのうち2番目に登場した液晶ラップトップPC「IBM PS/55 5535-S」('90年10月発表)では、専用の日本語版DOSとしてIBM DOSバージョンJ4.0/Vも一緒に発表された。これが、いわゆるDOS/Vの始まりだ。

 当時、アメリカではIBM以外のPCでもDOSをベースに共通のハードウェアとソフトウェアが作られていたが、日本ではメーカーや機種によってハードウェアもOSも、その上で動作するアプリケーションソフトウェアもすべて異なるという状況だった。そこで、こうした非生産的な状況をDOS/Vによって断ち切ろうと行動を起こしたのが日本IBMだったのだ。

 このとき山崎氏に課せられた命題は、「DOS/Vをあまねく普及させるために、世の中の標準となるようなDOS/V対応ノートPCをデザインすることでした」と話す。さらに、「ノートPCは、一般の人にもっとPCを使ってもらうための切り口になると考えられていました。IBMはもともと大型コンピュータから始まった会社ですが、会社のイメージをもっと一般の人にも受け入れてもらえる形に変えていく必要があったのです」とIBM全体の事情にも触れる。

 こうして発売されたDOS/V対応ノートPCが、IBM PS/55note 5523-S('91年3月発表)である。その後、'92年10月には初代ThinkPadにあたるThinkPad 700C(日本名はPS/55note C52 486SLC)が登場し、10年の進化を遂げて現在に至る。ThinkPadが登場してからのさまざまな変遷はすでに取り上げているとおりだ。

PS/55note 5523-S ThinkPad 700C

デザイン拠点はアメリカと日本が中心

 次に、現在のデザイン部門の位置付けと実際のデザインプロセスについて、より具体的なお話を伺った。

 まず、デザイン部門の本部の位置づけだが、単独で設けられた部門ではなくマーケティングに所属する一部門なのだという。「セールスの役割は今の製品を売ること、マーケティングの役割は将来の製品とお客様を作っていくことです。この定義に従えば、デザインはいうまでもなくマーケティングに含まれる業務ですよね」。

 デザインの拠点は、アメリカと日本が中心となる。ニューヨークの拠点が本部機能を持ち、各国の現場を指揮する。デザインの現場は、大まかに分けるとソフトウェアを専門に担当するトロントやオースティンなど3~4箇所、ハードウェアを専門に担当するラーレー(デスクトップPC)とロジェスタ(サーバー)、ソフトウェアとハードウェアの両方を担当する大和事業所となる。大和事業所は、ワールドワイド向けのモバイルPC(ThinkPadはこれに含まれる)、アジア地域向けのPCや周辺機器、特定業務向け製品などのデザインを行なっている。

将来のアイデア作りと実際の物作りという2つのデザインプロセス

 デザインのプロセスには、[1]マーケティング主体で将来を考えるプロセスと、[2]実際に物作りを行なうプロセスの2段階がある。

 [1]は、将来的にどんな製品を作ったらいいかを模索するデザインプロセスだ。緻密な調査結果に基づいてアイデア作りが行なわれ、デザイン部門の中で議論が繰り返される。特に可能性があると見込まれたアイデアについては、モックアップという形で「目に見えるもの」に作り替えられる。「ある程度方向性が固まったものや将来的に可能性があると見込まれたものは、単なるイメージ図ではなくモックアップを作ってしまうことがほとんどです」。

 そして、自分たちが考えているコンセプトが本当に正しいのかどうかを確かめるには、社外の人間による客観的な意見が必要だ。そこでIBMは、IAC(Industry Advisory Council)とCAC(Customer Advisory Council)と呼ばれる2つのカウンシルを設けている。

 IACはメディア関係者やPC関連のアナリストなど業界に精通した専門家から、CACはIBM製品を実際に使っている企業顧客のIT担当者から直接意見を聞くための場である。「これらのカウンシルは、アメリカで行なわれたり、ヨーロッパで行なわれたり、日本で行なわれたりとさまざまです。何年か前に日本で行なわれたときには、日本人のメディア関係者の方にもIACの参加をお願いしました」。

 [2]は、実際の製品を開発するデザインプロセスである。内藤氏が率いるポータブル・システムズ部門が加わり、デザインとエンジニアリングが完全に併走しながら開発を進める形となる。「大和事業所には、メカニカル、エレキ、ソフトウェア、テストなど、さまざまな分野の技術者が多数在籍しています。このため、各分野の技術者が同時に同じ部屋に集まって密度の濃い議論をできるのです。大和事業所ならではの強みといえますね」。

 デザイン部門とポータブル・システムズ部門は、紙で実物大の模型(ペーパーモック)を作りながら、各コンポーネントのレイアウト、出来上がった製品の外観やサイズなど、さまざまな箇所について検討を積み重ね、その仕様を詰めていく。

  「図面や3Dモデリングの画面でも検討しますが、やはりペーパーモックが確実です。ペーパモックならば、人間が触ったり、持ったりしたときのリアルな感覚を確認できます。ThinkPadくらいの大きさのものでしたら、2時間ほどでペーパーモックを作れますよ。ペーパーモックを作っては壊し、作っては壊しを毎日繰り返して、最後に1つのデザインが完成するのです」。

 明日掲載の後編では、日本と海外でのデザインの相違点とIBMが掲げる4つのデザインを中心に取り上げていく。

インタビューは大和事業所にある和室で行なわれた ThinkPad X30のモックアップ。発泡剤で作った実物大模型で、ペーパーモックの次の段階で作られるもの。ドックや拡張バッテリなども作られる

□IBM Japan Design
http://www-6.ibm.com/jp/design/
□関連記事
【2002年5月8日】ThinkPadの現在と未来(下)
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2002/0508/ibm2.htm
【2002年10月2日】ThinkPad 10th Anniversary Special 02
IBMフェロー 内藤在正氏インタビュー [後編]
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2002/1002/tp02.htm

(2002年10月29日)

[Text by 伊勢雅英]


PC Watchへ戻る
 


PC Watch編集部 pc-watch-info@impress.co.jp

個別にご回答することはいたしかねます。

Copyright (c) 2002 Impress Corporation All rights reserved.