ThinkPadはIBMの顔、日本の誇り

~ 日本IBM 橋本孝之取締役インタビュー ~

 「ThinkPadは、IBMのブランドイメージを象徴する存在。そして、日本IBMを象徴する製品でもあり、日本人の技術力を誇ることができる製品」。日本アイ・ビー・エム株式会社(日本IBM)の橋本孝之取締役は、IBMにおけるThinkPadの位置付けについてこう話す。
 現在、橋本取締役は、BP&システム・PC製品事業担当として、日本IBMのハードウェア事業全般を担当する。もちろん、ThinkPadも担当事業領域だ。そして、自らも、自宅と会社で7台ものThinkPadを利用するパワーユーザーでもある。橋本取締役に、ThinkPadの10年を、「事業」という側面から語ってもらった。 。(2002年10月8日、箱崎事業所にてインタビュー) [Text by 大河原克行]
 
 
IBMの「顔」としてのThinkPad

日本アイ・ビー・エム株式会社
BP&システム・PC製品事業担当
橋本孝之取締役。手にしているのは10th Anniversary Limited Edition

 冒頭、橋本取締役は、「ThinkPadには、IBMの企業イメージを、より多くの人に知ってもらう役割がある」と切り出した。

 IBMの企業イメージ……'60年代から'80年代のIBMを知る人にとっては、“ビッグブルー”という言葉に代表される大型コンピュータメーカーのイメージや、ネクタイにスーツというかつてのIBMスタイルをイメージする人もいるだろう。最近では、「e-Businees」のキーワードに裏打ちされるように、企業における情報システム構築の最先端ITベンダーとしてのイメージもあるはずだ。

 いずれにも共通しているのは、企業情報システムの構築で培った「堅牢で、信頼性が高い」というイメージと、しっかりとしたコンセプトの上で設計された各種プロダクトを提供している点だろう。

 しかし、これがまさしくThinkPadのイメージと共通する。

 「ThinkPadが一貫して採用してきた黒を基調としたデザインは、信頼性が高いパソコンとしてのイメージとして、すでに定着したのではないだろうか。これは、まさに、IBMが目指したITカンパニーとしての企業イメージと共通である」。

 日本IBMがコンシューマユーザーに対して直接提供するプロダクトは、パソコンや一部コンシューマ向けソフト製品に限定される。それ以外のプロダクトは、企業の情報システム部門などが主要顧客となるからだ。そうした意味でも、IBMにとって、まさに「顔」ともいえる存在がThinkPadだというわけだ。

 ThinkPadが一貫して追求してきたコンセプトに「モバイル」がある。

 当初は、「デスクトップオートメーション」という切り口で、オフィスの机上での作業を自動化することを狙っていた節があるが、それでも、常にモバイルという観点での開発コンセプトは捨てていなかった。

 橋本取締役も、この点においてもIBMのイメージづくりに、ThinkPadが果たした役割は大きいと指摘する。

 「モバイルというテーマに対して、真摯に取り組んできたことは多くのユーザーにも認めていただいている。ネットワークがパソコン通信から、LAN、インターネットに変わり、インフラもブロードバンド、無線LANへと変わってきたにも関わらず、常にモバイル環境でいかに利用するかということを考えてきた。長期間に渡ってコンセプトを変えず、しかも、それに真剣に取り組んでいる。こうしたIBMの基本的な考え方を一般のユーザーの方々に知っていただくという点で、ThinkPadが果たす役割は大きかった」と繰り返す。

低迷に喘ぐ米IBMが苦渋の決断

 日本IBMが、ThinkPadを発売したのは'92年。開発は、その数年前からスタートしていたが、当時、米IBMは、過去最悪の決算に喘ぎ苦しんでいた。

 '91年から赤字に転落した米IBMは、'93年には、80億ドルの赤字という、まさに瀕死ともいえる状況に陥った。その後、ナビスコから転身したルイス・ガースナーCEOによって、大規模なリストラ策が開始され、当時40万人いた社員は22万人まで削減、北米オフィスの半減、サービス事業への転換といった荒療治のまっ最中であった。

 その頃、時期を前後して、日本IBMから米IBMに対して2つの提案が行なわれた。

 1つは、「DOS/V」である。日本では独自仕様のOSにより、圧倒的なソフト/周辺機器の数を誇ったNECのPC-9800シリーズが独占的ともいえるシェアを獲得しており、IBMのパソコン事業は足下にも及ばない状態だった。この切り崩しを図る刺客として日本IBMが用意したのが、世界共通のOSをベースに日本語対応を図ったDOS/Vであった。

 さらに、この事業を加速させる具体的なプロダクトが、もう1つの提案であるThinkPadであった。

 だが、それまでは日本IBMが、米IBMを差し置いて、独自の事業を展開した例はほとんどなかった。とくにThinkPadに関しては、日本市場に留まらず、世界に向けた展開を、日本から行なおうという狙いすらあった。これまでに前例がないこと、そして、低迷する米IBM側が、簡単に首を縦に振るということは考えにくい状況にあった。

 だが、米IBMは大きな決断をした。

 日本IBMにノートパソコン開発のスキルがあったこと、液晶や高密度実装技術などノートパソコンに採用される数多くの技術が日本の市場にあったこと。そして、日本のユーザーが求める品質基準が高く、この風土がノートパソコンの開発には不可欠であったことなどから、日本でのThinkPad開発にゴーサインを出した。

 当時、米国IBMで勤務していた橋本取締役は、その時の様子を振り返る。

 「事業が低迷する中で、目に見える形の新しいプロダクトが生まれつつある。しかも、それが省スペースで低価格という、これまでのIBMにはなかったプロダクトである。多くのIBM社員に対して、会社が変わるという象徴的な意識を与え、社員を勇気づける役割も果たしたのではないか」。そして、橋本取締役は、こう付け加えた。

 「もし、米IBMでThinkPadを開発していたら、この事業は失敗していたかもしれない」。

 いまや、ThinkPadは日本IBMの象徴的存在となっている。

 「日本IBMの技術力というよりも、むしろ、日本人の技術力が発揮された象徴的プロダクトに位置付けたい」と、橋本取締役は胸を張る。

思い出の1台は異端児

ThinkPad 701C

 ところで、数多くのThinkPad製品の中から、橋本取締役が最も思い出に残るThinkPadを1機種あげてもらったところ、間髪入れずに、バタフライキーホードの「ThinkPad701C」を指名した。

 当時、IBMアジアパシフィックに所属していた現・日本IBM社長の大歳卓麻氏の補佐役として中国に出向いた橋本取締役が、その時に携行したのが、ThinkPad701Cだ。

 「当時は、まだ中国の通信回線が安定していないことから、その接続に大変苦労した思い出がある」と橋本取締役は苦笑するが、「キーボードを広げると、何事が起こったのかと、多くの人が興味深い顔をしたのが面白かった」と振り返る。

 橋本取締役は、敬愛の意味を込めて「ThinkPadシリーズの中では異端児のプロダクト」と称するが、その異端児が、最も忘れられない製品となっているようである。

赤字事業からの脱却が鍵に

 だが、IBMにとって、ThinkPadが全社の収益を大きくドライブする存在になっているかというと、決してそうとは言い切れない。

 日本IBMの大歳卓麻社長は、「日本IBMにおけるパソコン事業は黒字を維持し続けている」と言及、先頃行なわれた社長会見でも、「2002年上期(1~6月)も引き続き、パソコン事業は堅調である」とコメントしているが、その一方で、米IBMの決算書を細かく見るとわかるように、ワールドワイドではパソコン事業は、赤字を脱し切れていないのが実状だ。

 プロダクトごとの詳細は明らかにされていないが、ThinkPadがIBMのパソコン事業の主軸をなしていることを考えると、当然、ThinkPadも赤字だと想像できる。だからこそ、毎年のように、IBMがパソコン事業から撤退するのではないか、との憶測記事が米国で出回ることになる。

 だが、橋本取締役は、このあたりの事情を次のように説明する。

 「確かに赤字事業だとすれば、それは改善しなくてはならない。そのために、ヘルシーな体質への改善を常に続けている。米IBMの決算でも、2002年1~6月は、この点がかなりよくなっているはずだ。だが、顧客に対して、IBMは何を提供するのか、今後、IBMは何を目指すのかといったことを考えた場合、ThinkPadは極めて重要なプロダクトである。ThinkPad単体で事業を行なうということも考えていないし、むしろ、ソフト、サービスといったトータルソリューションを提供する上で、IBMにとってThinkPadは欠かすことができないプロダクトだと考えている」。

 赤字体質からの脱却は最重点課題だといえるが、その一方で、IBMの事業をトータルで捉えた場合、ThinkPadは、企業イメージの創出や、クライアントPCとしての役割、そして、ソフト、サービス事業拡大のための重要な役割を担っているというわけだ。

コンシューマから撤退も、パワーユーザーは主要ターゲット

橋本取締役(左)と、橋本取締役のもとでパソコン事業を統括する、PC製品事業部の須崎吾一事業部長PC製品事業部の須崎吾一事業部長。10th Anniversary Limited Editionを持って同席した

 昨年、日本IBMはThinkPad事業で大きな決断をした。それはコンシューマ分野からの撤退だ。具体的には、iシリーズの休止ということになる。

 「もともと、企業向けパソコンと個人向けパソコンには、仕様に大きな差があった。例えば、ネットワーク1つを取ってみても、企業はLAN、個人は電話線というように分かれていた。それが、いずれもLANケーブルを接続するようになるなど、求められるスペックに差がなくなってきた。一方、IBMのコアコンピタンスを考えた場合、AV機能に特化したコンシューマ向けパソコンは、当社の力を発揮できないと考えた。パソコンをよりパソコンらしく使える仕様に特化し、コンシューマの領域に関しても、ビジネスシーンでの利用を重視するユーザーに絞り込んだ製品展開とした」。

 「“コンシューマ分野からの撤退”とする当社だが、決して、個人ユーザーすべてを対象から外したわけではない。むしろ、ThinkPadを支えてきたパワーユーザーなどは、ThinkPadの重要なターゲット層だと捉えている」。

 「ThinkPadのユーザーの多くが、2台目や3台目のパソコンとして購入したり、他社のパソコンから移行してきて、ThinkPadを使い続けるという例が多いことを知っている」と話す。

 国内のあらゆるWeb販売の総計で、最も売れたパソコンはThinkPadだという調査結果があることや、昨年発売したピアノ光沢塗装のs30の購入者の、なんと4分の3以上のユーザーが4台目以降のパソコンとして購入した事実などをあげて、パワーユーザーに高い支持を得ていることを示す。

 「ThinkPadのウイークポイントをあげるとすれば、あらゆるユーザーに受け入れられるような八方美人ではないこと」と橋本取締役は話すが、それはむしろThinkPadの大きな特徴となっているようだ。

パーベイシブコンピューティングの中核的存在に

 事業的な側面から見た今後のThinkPadの位置付けについて、橋本取締役は「パーベイシブコンピューティングの中核的存在になる」と話す。

 現在IBMでは、あらゆる物やシーンに、コンピューティング技術が搭載/浸透する“パーベイシブコンピューティング”を提唱している。その一環として、任天堂のゲームキューブや自動車のカーナビゲーションシステム、腕時計などに、IBMはパーツや技術を供給している。

 これまでのThinkPadの使われ方が、サーバーと接続したクライアントとしての利用が主軸だとすれば、今後は、IBMの技術などが搭載されたパーベイシブコンピューティングを実現した機器を統合管理する役割を果たすようになるという。

 「IBMのテクノロジーは、今後、様々なところに使われていくことになる。IPv6の動きもこれを加速することになる。その際に、ThinkPadは、モバイル環境で使えるという特徴を生かして、これらをコントロールする役割を担うことになるだろう」

 そうした意味でも、次の時代においても、IBMのトータル事業の中でThinkPadは欠かすことができない存在と位置付けられることになりそうだ。

(2002年10月21日)

[Text by 大河原克行]


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