IBMフェロー 内藤在正氏インタビュー
[後編]


 IBM ThinkPadシリーズは、’92年10月にThinkPad 700C(日本名はPS/55note C52 486SLC)が発表されてから今月で10周年を迎える。そこで「ThinkPad 10th Anniversary Special」の第一弾として、日本IBM ポータブル・システムズ担当 IBMフェロー・理事の内藤在正氏に、ThinkPadを開発してきた10年間の思い出と現在の取り組み、そして将来のビジョンについてお話を伺った。
 後編となる本日は、ThinkPadにまつわる現在の取り組みと将来のビジョンについて取り上げる。 (2002年9月26日、大和事業所にてインタビュー) [Text by 伊勢雅英]

□インタビュー前編
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2002/1001/tp01.htm

 
 
セキュリティを意識をしなくても常に安全であることが重要

日本IBM ポータブル・システムズ担当 IBMフェロー・理事の内藤在正氏

 現在、IBMが特に力を入れている分野は、セキュリティとワイヤレスである。

 まずセキュリティだが、ひとくちにセキュリティといっても、指し示す範囲は非常に広く、そして多くの人にとって非常に理解しづらい分野のひとつだ。日本IBM ポータブル・システムズ担当 IBMフェロー・理事の内藤在正氏は、こうしたセキュリティの現状に対して「何度聞いてもわかからないものだからこそ、そこに大きな危険が潜んでいるのです」と警笛を鳴らす。

 確かに、十分なセキュリティを確保するには、それ相応の知識が求められる。例えば、データの盗聴や改ざんを防ぐために暗号化の技術が用いられるが、秘密鍵や公開鍵の仕組みを理解していなければ、セキュリティを確保する手法として活用することはできない。「自分の暗号化鍵がどこにあるのか分からない状況は、ちょうど自分の財布がどこにあるのか分からないのと同じようなものです。しかし弊社は、暗号化鍵の場所をご存じでない方に対しても、暗号化鍵を自動的に安全な場所へと保管される仕組みを作ることにより、高いレベルのセキュリティをご提供したいと考えています(内藤氏)」

 もっと身近なセキュリティホールとして、ホットスポットやホテルのインターネット接続サービスの例がある。このようなネットワーク環境で、他人のPCの共有フォルダがいとも簡単に見えてしまったりする。もし、この共有フォルダにパスワードがかかっていなかったり、簡単に推測できるパスワードしか設定されていない場合には、フォルダ内部のデータにもすぐにアクセスできてしまう。運悪く悪意あるユーザにアクセスされたとしたら、それこそひとたまりもない。

 このような問題は、ユーザを教育することにより解決できるというのが世の中の定説だ。しかし、すべてのユーザに対して「ネットワークの技術的な仕組みを学んだ上で、各自きちんとセキュリティの設定を行ないなさい」などと指導することは、やはり無理がある。また、仮にセキュリティの重要性やその設定方法を理解してもらったとしても、当人が実際にそれを実践するかどうかは別問題なのだ。

IBM Access Connections

 内藤氏は、こうした状況に対して次のようなソリューションを提示する。「ThinkPadをお持ちの方には、まず『IBM Access Connections』を活用していただきたいと思います。IBM Access Connectionsをご利用になれば、高度なセキュリティの知識がなくても、高レベルのセキュリティを簡単に確保できます。会社用、自宅用、ホットスポット用など、さまざまな場所ごとにプロファイルを作ることにより、いつでもどこでも安全にPCをお使いいただけます。弊社が目指すセキュリティの姿とは、セキュリティをまったく意識しなくても常に安全なコンピューティング環境をご提供できることなのです」

 このようなセキュアなコンピューティング環境を実現するキーテクノロジのひとつに「Trusted Computing」がある。Trusted Computingは、IBM、インテル、コンパック(現在はヒューレット・パッカードと合併)、ヒューレット・パッカード、マイクロソフトなど、160社余りの企業が参加するTCPA(Trusted Computing Platform Alliance)によって策定されているプラットフォームレベルのセキュリティ標準だ。IBMは、ThinkPad T30とThinkPad R32にTCPA準拠のセキュリティチップをいち早く搭載している。

 IBMは、TCPA以前より自社のPCにセキュリティチップを搭載しているが、他社に先駆けて積極的にセキュリティに取り組んでいる理由を次のように説明する。「プラットフォームレベルでセキュリティを実現するにあたり、その最も初歩にあたる部分を固めなければ、将来登場する強固なセキュリティの仕組みにも対応できません。まずは足場を固めることが大事なのです。もちろんセキュリティチップを搭載したとしても、目指している全ての効果がいちどきにすべて得られるものではありません。しかし、将来的には必ずや重要な役割を果たすものと信じています。TCPAにいち早く準拠した理由もここにあります。今後は、TシリーズやRシリーズだけでなく、色々なシリーズにTCPA準拠のセキュリティチップを搭載していきます。最終目標は、もちろん全モデルへの搭載です(内藤氏)」

無線LANは当初の予測をはるかに上回る勢いで成長している

 次にワイヤレスである。広義には赤外線通信(IrDA)やBluetooth、携帯電話網によるデータ通信などもワイヤレスの技術に含まれるが、今回は特に無線LANについて話を進めていく(以後、ワイヤレスの代わりに無線LANと呼ぶ)。

 無線LANは、通信する相手が存在して初めて成り立つ技術だ。このため、ひとつの企業が無線LANを推進するのではなく、業界全体が一丸となって推進しなければ意味がない。内藤氏は「無線LANは、ひとつの技術として一人歩きするものはなく、無線LANのサービスを提供する側と提供される側の設備やサービスなどをすべて含む『インフラ』なのです」と話す。

 IEEE 802.11bの登場により、日本では無線LANの普及が急ピッチで進んでいる。これには、近年のブロードバンド回線の普及が大きく貢献している。とりわけADSLの立ち上がりが順調で、2002年8月末時点でのxDSL総加入者数は実に391万人以上(総務省 総合通信基盤局調べ)にも達している。これに呼応するように、CATVインターネットや光ファイバー接続(FTTH)、無線インターネット(FWA)なども普及が進んでおり、日本の家庭の多くがブロードバンド回線によってインターネットに接続される時代となった。

 ブロードバンド回線の後押しによって爆発的な立ち上がりを見せる無線LANに対し、内藤氏は「私たちは、これまでさまざまな新技術が立ち上がっていく姿を見てきましたが、無線LANは私たちの経験則からははじき出せないほどの加速度で成長を続けています。そして、ThinkPadへの無線LAN機能の搭載とブロードバンド回線の普及が、期待以上にうまく合致しています」と嬉しい感想を漏らす。

 これからはIEEE 802.11bから、より高速なIEEE 802.11aへの移行が進む。「現状のアプリケーションではIEEE 802.11bでもストレスなく使用できますが、MPEG-2クオリティの動画をストリーミング再生するにはIEEE 802.11aが必要です。もちろんすべてのお客様がこうした高品質の動画を楽しむとは限りませんが、時代の流れは確実にIEEE 802.11aへと向かっています。近い将来には、ThinkPadにもIEEE 802.11aの無線LANモジュールを搭載することも検討しています(内藤氏)」。

ThinkPad = プロダクティビティ

 次に、ThinkPadの将来像についてお聞きした。まず手始めに「ThinkPadの真髄を一言で表すと?」という筆者の質問に対し、内藤氏は「プロダクティビティです」と即答された。そして、「ThinkPadが将来に向かって常に目指しているものとは、プロダクティビティをどこまで高められるかということなのです」と言葉を続ける。

 プロダクティビティという言葉は日本語で「生産性」と訳されるが、内藤氏はThinkPadのプロダクティビティの意味を次のように説明する。「ThinkPadはただ単に製品としてお届けするものではありません。お客様のお仕事に対する競争力や効率を高めていただくためのツールなのです。それには、長く使っていたら疲れたとか、外出先でいきなり壊れたというのではお話しになりません。お客様が常にストレスなく使えるPC環境をご提供することが、ThinkPadの最低条件です。そして、場所を選ばずご自身の時間を有効に使っていただくためにもぜひ活用していただきたい。例えば、飛行機や電車で移動している時間にThinkPadでお仕事をされることにより、ご自身の自由な時間をもっと作ることができます。そして、仕事だけでなくプライベートな時間も同時に充実させていただきたい。これこそが、ThinkPadの求める真のプロダクティビティだと考えています」

 さらに、ThinkPadの核心について次のようなコメントが続く。「私たちは、ThinkPadをプロフェッショナルのためのツールであると表現しています。しかし、これは一部の方々に『PCのプロ向けということは素人には使いづらいノートPCなのか?』という誤解を招いているようです。そこで今回はっきりさせたいのですが、私たちがいうところのプロフェッショナルとは、ご自身のお仕事に対するプロフェッショナルを意味しています。ですから、ThinkPadはどんなお客様にとっても『最も使いやすくそして優しいノートPC』であるものと自負しています(内藤氏)」

イマジネーションを働かせてユーザが次に求めるものを見いだす

 次世代のThinkPadを開発するにあたり、常に心がけていることは「イマジネーション」なのだという。「私たちは、お客様と直接接点を持つ最終製品(ThinkPadのこと)をご提供する立場です。最終製品を提供する者だけが、お客様の意見、苦情、要望を日々受け取ることができます。ただし、お客様に対して受け身で接していては進歩がありません。お客様からのフィードバックを頼りにしつつも、そこに私たち作り手のイマジネーションをプラスする必要があるのです。そして、お客様が次にお求めになるものをいち早く見つけ出し、それを現実のものにしなければなりません(内藤氏)」

 ThinkPadに組み込まれるテクノロジは、こうしたユーザのフィードバックと開発者のイマジネーションの結果によって決定される。「テクノロジは望まれなければ現れません(内藤氏)」というとおり、テクノロジありきで優れた製品が出来上がることはない。これから続々と登場する将来のThinkPadも、すべてユーザのフィードバックとIBMのイマジネーションに基づいて作り出されるのだ。

 最後に、内藤氏が心に描くThinkPadの理想像についてお聞きした。「現在のノートPCのように、『ノートPCを持ち歩いています』という意識を与えるようでは、まだまだダメでしょう。皆様が普段何気なくお使いになっている紙やバインダーに、ユーザのプロダクティビティを支えるPCの機能をどんどん詰め込んでみたいですね。こうして出来上がったモバイルPCこそが、私の思い描いている究極のThinkPadです」

□関連記事
【2002年5月8日】ThinkPadの現在と未来(下)
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2002/0508/ibm2.htm
【10月1日】ThinkPad 10th Anniversary Special
IBMフェロー 内藤在正氏インタビュー [前編]
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2002/1001/tp01.htm

(2002年10月2日)

[Text by 伊勢雅英]


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