IBMフェロー 内藤在正氏インタビュー
[前編]


 IBM ThinkPadシリーズは、’92年10月にThinkPad 700C(日本名はPS/55note C52 486SLC)が発表されてから今月で10周年を迎える。そこで「ThinkPad 10th Anniversary Special」の第一弾として、日本IBM ポータブル・システムズ担当 IBMフェロー・理事の内藤在正氏に、ThinkPadを開発してきた10年間の思い出と現在の取り組み、そして将来のビジョンについてお話を伺った。
 前編となる本日は、ThinkPadがこれまで歩んできた10年間を追っていく。 (2002年9月26日、大和事業所にてインタビュー) [Text by 伊勢雅英]
 
 
ThinkPad 700CがThinkPadの今後をすべて決めた

日本IBM ポータブル・システムズ担当 IBMフェロー・理事の内藤在正氏

「ThinkPad 700Cが成功していなければ、現在のThinkPadは存在しませんでした」

 内藤氏は、ThinkPadが誕生した'92年をこうふり返る。当時、ノートPCがどれくらいの市民権を得ることができるのか、そして企業の一事業としてどれくらいのウェイトを占めるようになるのか、何から何までまったく予測のつかない時代だった。

 もし、ビジネスとして成り立たないのであれば、保守的なラインを選ばざるを得ないし、逆に成長の兆しが見えるようであれば、大きなチャンスととらえて積極的に投資を図れる。これは業種を問わず、どんな事業にも当てはまることだ。

 内藤氏は、当時の様子を「'92年当時、ノートPCを発売していたメーカは、弊社を含めて3社程度でしたが、おそらく3社とも弊社と同様にノートPCの事業に対して本気に取り組むべきかどうか大きな迷いがあったと思いますよ」と話す。

ThinkPad 700C

 そして、このような迷いを見事に払拭してくれたのが、ThinkPad 700C(以下、700C)だった。700Cは、バッテリ駆動型のラップトップPC「PS/2 L40SX」で培ってきたLSIの省電力技術やバッテリ管理技術をベースに、自社開発のMCA(Micro Channel Architecture)チップセットや当時最高クラスの大きさを誇る10.4型のカラー液晶ディスプレイ、そして当時最も先進のコンポーネントを妥協せずに組み合わせたA4サイズの高性能ノートPCである。

 700Cは、デスクトップPCにも匹敵する高い処理性能と操作性、そして何よりもPCを自由に持ち運べるというモビリティの高さが世界中の人々に受け入れられ、大きな成功を収めた。IBMは、700Cの成功によってノートPCの市場に大きな可能性があることを強く認識し、ThinkPadの事業に対する積極的な攻めに転じる。これが、今後のThinkPadの運命を決める大きな第一歩となったのだ。

七五三シリーズの登場でノートPCにバリエーションが生まれる

 700シリーズが登場してからしばらくの間、ThinkPadのプラットフォーム(基本構造)は基本的に1種類だけでまかなってきた。700シリーズに続いてスタンダード・クラスの300シリーズも登場したが、「これは700シリーズで使っていた部品材料をコスト面に配慮したものに置き換えた製品で、基本的な構造すなわちプラットフォーム自体は700シリーズとまったく変わりません」という。

 しかし、ノートPCを使用するユーザが増えるにしたがい、ノートPCに対するバリエーションが求められる時代に突入する。「このあたりから、お客様にもノートPCの色々な使い方が生まれました。そして、価格に対する考え方も必要になり、お求めやすい価格設定も重要になってきます。私たちは、できるかぎり多くの方のご要望に応えられるよう、さまざまな製品のバリエーションをご用意しなければなりませんでした」。

 こうして揃えられたラインナップが、通称「七五三」と呼ばれる700シリーズ、500シリーズ、300シリーズである。正確にいうと、500シリーズは'96年5月に登場した560シリーズ以降、300シリーズは'97年5月に登場した380シリーズ以降の製品を指している。これらの七五三シリーズは、それぞれの用途や価格レンジに最適化するために、独立したプラットフォームが採用された。つまり、プラットフォームの多様化が始まったのだ。

 内藤氏は、新しい500シリーズと300シリーズを次のように説明する。「新しい300シリーズは、700シリーズから単にコストダウンを図った従来の300シリーズと異なり、お求めやすい価格でご提供するにはどうすればよいかを徹底的に考えた製品です。このため、700シリーズとはまったく異なるプラットフォーム設計が必要になりました」。

 「一方の500シリーズは、いかに薄く軽くして持ち運びやすくするかを徹底的に考えた製品です。700シリーズの機能をそのままにスリム化を図ることが理想でしたが、何世代かの技術進歩を待たないかぎり、すぐに実現できるものではありません。そこで、ひとつの犠牲といたしまして、FDDを外に出すことにしました。その代わり、12.1型の大型液晶ディスプレイをいち早く搭載し、極限まで薄く軽くしています(伊勢注:560は厚さ31mm、重量1.9kg)。HDDのみを内蔵する1スピンドルの新しいプラットフォームは、ThinkPadにとって大きなブレークスルーとなりました」。

ThinkPad 560 ThinkPad 380 ThinkPad 570
(ウルトラベースに装着した状態)

 そして500シリーズに関して、さらに次のような興味深いコメントが続く。

 「560の次に登場する570シリーズでは、ウルトラベースという新しいアイディアがプラスされています。これは、薄型軽量化によって外に出てしまったものをノートPCに直結するウルトラベースで提供できるようにしたものです。つまり、ノートPC本体をウルトラベースにセットするだけで、即座にフルサイズのノートPCに変身するわけです。FDDやCD-ROMドライブなどをPCカードや専用のケーブルによって接続する必要がありませんので、機器の複雑な設定や繁雑なケーブリングに悩まされないで済みます。当時オンエアされていた丸ノコギリでノートPCを上下2つにスライスするTVコマーシャルが懐かしいですね」。

A、T、X、Rの4本柱による現在のラインナップとなる

 2000年に入ると、ThinkPadのラインナップがノートPCのサイズや重量によって明確に分類されるようになる。まず2000年5月にはAシリーズとTシリーズが登場し、さらに8月にはXシリーズが加わった(いずれも日本の発表日時)。

 Aシリーズは、700シリーズまたは300シリーズの後継にあたるA4フルサイズのオールインワンノートである(HDD+2基のウルトラベイによる3スピンドル)。700シリーズの後継にあたる高性能モデルには、製品名の最後に「p」(performanceの略)が付く。また、300シリーズの後継にあたる普及モデルには何も付かない形となる(初期の製品には、「m」(mainframeの略)や「e」(entryの略)が付いていた)。さらに2001年10月には、A4フルサイズの新たなバリエーションとして価格重視のRシリーズが追加され、現在の4本柱が完成した。

ThinkPad T30

 Tシリーズは、700シリーズの機能をほぼ維持しながら薄型軽量化を図った600シリーズの後継にあたるA4サイズのノートPCだ(HDD+1基のウルトラベイによる2スピンドル)。2002年9月時点では、ThinkPad初のタッチパッド「ウルトラナビ」を装備するThinkPad T30が最新モデルであり、A4フルサイズに匹敵する14.1型の大型液晶ディスプレイを搭載しながらも、2.6kg前後という軽量を達成している。

 Xシリーズは、500シリーズの後継にあたるB5ファイルサイズの薄型軽量ノートPCである(HDDのみの1スピンドル)。XシリーズはA4サイズで13.3型ディスプレイを搭載した570シリーズの後継にあたるが、日本からの要求を優先して設計されている関係で、さらに一回り小さい12.1型ディスプレイを搭載したB5ファイルサイズで定着している。2002年9月時点ではThinkPad X24が最新モデルであり、1.69kg前後の軽量と4時間を超えるバッテリ動作を実現している。なお米国では、すでに次世代のThinkPad X30が発表されており、これがThinkPad10周年記念モデル「 10th Anniversary Limited Edition」のベースにもなる。ThinkPad X30の詳細については後日、本誌でも紹介する予定だ。

 なお、A、T、Xが何の略であるかが気になるところだが、これはIBMのプレスリリース(IBM本社が発表する英語版)を調べると発見できたりする。Aは「Alternative to a desktop computer(デスクトップPCの置き換え)」、Tは「thin-and-light notebook(薄型軽量のノートPC)」、Xは「eXtra-light, eXtra-small ultraportable(超軽量、超小型で持ち運びに最適なノートPC)」の略である。Rシリーズについては見つけ出すことができなかったため、内藤氏に直接お聞きしてみたところ、「Rの略は特に決まっていません。ただし、私はあえてReliable(頼りになる)のRにしたいです」とのこと。筆者はReasonable(手ごろな価格)のRと予想していたため、ちょっと意外な結果だった。

特異性を持つ日本のポータブル市場

 仕事のほとんどをPCに依存し、しかもそのPCを世界中のあちこちに持ち出す人をトラベラーと呼ぶ。こうしたトラベラー向けのThinkPadがTシリーズとXシリーズだが、「欧米ではTシリーズがトラベラー向けの代名詞となっているのに対し、日本だけはXシリーズがトラベラー向けとして活躍しています」という。両者の比率については、以前の取材で「アメリカではTとXが8:2の割合なのに対し、日本では逆に2:8でXの方が多くなっている(日本IBM ポータブル・システムズ ポータブル製品担当 技術理事の小林正樹氏)」とお聞きしたが、現在もこの傾向は変わっていないもようだ。

 Xシリーズよりも一回り小さいThinkPad s30が日本で人気を博したことからも分かるように、日本のポータブル市場には他国に見られない「特異性」がある。

 この理由について、内藤氏は次のように語る。「理由は3つあります。1つめは、ノートPCの持ち運び方の違いです。日本人は持ち歩くものをすべて肩で支え、しかも電車であらゆる場所に移動します。しかし、欧米人のほとんどは自動車で移動しますから、ノートPCの重量に対する考え方がまったく異なるのです。2つめは、キーボードの大きさに対する許容範囲の違いです。欧米では、幼少の頃からキーボードをタッチタイプで打鍵している人が多く、キーボードを手に置いたときの“感覚”を重視します。しかし日本は、少し小さいキーボードでも許容できる方が多く、ノートPCの小型化に合わせてキーボードを多少小さくしてもすぐに慣れてくださいます。3つめは、日本人の独特な国民性です。日本では、古くから“小さいものが優れた技術”と考えられてきました。ノートPCも同様で、小さくて高機能なノートPCは、やはり優れた技術として高く評価されます。弊社の製品でいえば、これがs30だったわけですね」。

 しかし、Tシリーズ一辺倒の欧米でも、Xシリーズに対する再評価が少しずつ始まっているという。「これまでXシリーズは、“サイズが小さいぶん何か機能が足りないのでしょう?”と受け取られがちだったのですが、それが払拭されつつあります。外出先ではB5ファイルサイズならではの高いモビリティを体感できますし、会社に帰ればウルトラベイの併用によってA4サイズと変わらない使い勝手と機能性が実現されます。こうした利点が、少しずつ理解されてきているようです」

 明日掲載の後編では、現在の取り組みと将来のビジョンについて取り上げたい。

□A、Tシリーズ発表時のニュースリリース(英文)
http://www-916.ibm.com/press/prnews.nsf/crawler/922DA72E45B20370852568D20059B18D
□Xシリーズ発表時のニュースリリース(英文)
http://www-916.ibm.com/press/prnews.nsf/jan/F8253E166B817C0585256954006820E3
□関連記事
【2002年5月8日】ThinkPadの現在と未来(下)
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2002/0508/ibm2.htm

(2002年10月1日)

[Text by 伊勢雅英]


PC Watch
 


PC Watch編集部 pc-watch-info@impress.co.jp

個別にご回答することはいたしかねます。

Copyright (c) 2002 Impress Corporation All rights reserved.