第134回:.NETでメーカーの独自性は薄まる?



 正月ボケも収まらぬ1月6日、CES取材のために成田へと向かっている車の中のことだ。いつものようにFM番組を車内で流していると、ある女性DJが「実家に帰ってみたら、町工場などが閑散とした空洞化の街が、再開発で広々とした新しいファッショナブルなスポットへと変身していた」と、地元の変化を喜んでいる話をしていた。

 確かに若い女の子にしてみれば、空洞化というキーワードの重さよりも、明るく清潔なイメージがある新しい街へと変化する方がうれしいのだろうが、なんとも少し悲しくなってしまうコメントだった。私のように、何ら新しいものを直接生み出さない職業の者が言うのもおこがましいが、日本の経済基盤を支えてきたと言ってもいい町工場の空洞化が若い世代に歓迎されてしまう事実を複雑な気持ちで受け止めた。

 続いて移動の飛行機の中で新聞を広げてみれば、アルゼンチンに続いて日本でも懸念される経済破綻の話題。さらには……と、延々と気が滅入る話ばかりでいい加減飽き飽きしてくる。

 我々の世代は学生時代、バブル景気の人不足の中で過ごした。就職するのは当たり前で、どこに就職するのか、多くの選択肢の中から選ぶのに悩む完全売り手市場の時代である。日本経済が何で支えられてきたのか。自分たちの国の強さが何によるものなのか。全く考えずに済んだ時代だ。今の若い世代が日本の現状をどのようにとらえているのかを想像できない自分に、年齢を感じざるを得なくなっている。



●最後のあがきではない

 もう少しミクロな視点で、この連載であるモバイル、特にノートPCの現状をとらえてみると、やはり同じような不安を感じてしまう。

 たとえばノートPCのシェア世界一の座に長らく君臨した東芝の強みは、グループ内で優れたキーデバイスを開発し、それを自社製品に先行投入できる総合力だったと思う。Intelとの強い結びつきから、ノートPCに特化したチップセットを自社開発し、新プロセッサのリリースとともに、もっとも先進的な製品を一番最初に市場に送りだしてきた。

 必要とあらば汎用性が高いハードディスクでさえ、ほとんど自社向け専用と言える特殊な薄型製品を開発、投入することさえあった。そうした総合力、系列からの調達でキーコンポーネントをそろえることができる力が、かつてのLibrettoシリーズを生み出した。

 しかし現在、PCに利用されるパーツは平準化し、スタンダード規格のコンポーネントを積み木のように組み合わせることで製品開発を行なうことが当たり前になってきている。A4サイズ以上のノートPCの多くが、日本ではなく台湾や中国、韓国などで生産されているのは、(乱暴に言えば)どこが作っても同じだからである。基板周りを含むほとんどすべての設計まで、製造委託先に丸投げというケースも珍しくはない。

 この連載を読んでいる多くの人が期待している小型で使いやすい、バッテリ持続時間の長いノートPCも、事情は似たり寄ったりだ。12.1インチ液晶パネルを搭載するB5ファイルサイズのノートPCは、かつては日本ベンダーのものだったが、一部の例外を除いて数年前から日本以外のアジア圏のものになってしまった。日本製にアドバンテージがないでもないが、決定的な差があるとは言い難い。コスト下げ圧力の中ではそのアドバンテージさえも、消え失せてしまいそうだ。

 辛うじて日本でミニノートPCと言われる分野では、日本のベンダーの強みを発揮できる場面も、低消費電力プロセッサ登場のおかげで復活したが、これもそう長くは続かないかもしれない。すでに10.4インチクラスのB5サイズノートPCは、設計の一部を日本国内で行ないながらも、製造自体は台湾や韓国に委託するスタイルが主流になりつつある。ライバルのあの製品とあの製品も、実は台湾のあるノートPCベンダーが製造している、なんてことになっているのが現状だ。これがさらに小さなクラスにまで及ぶのは時間の問題だろう。そして、小さくなればなるほど、PCとしての市場は小さくなっていく。

 これから続々と発表される春の新製品たち。この中には、昨年末はすでに諦めたのか? とも思えたPCベンダーが、注目に値する製品を投入している例もある。また、かつて栄華を極めたベンダーが、再び技術力を問う製品もあるようだ。残念ながらドラスティックとまではいかないが、昨年末に比べればずっと楽しませてくれる製品が多い。

 これが一過性の“最後のあがき”であってはならないと思う。このクラスまで平準化されてしまったら、それこそノートPCは、ただの道具になってしまうからだ。単に汎用的な機能があり、要求されるスペックが満たされるだけでいいのであれば、何も技術力で製品を評価しなくても良い。しかし、そんなもののどこに趣味性があるだろうか?



●マイクロソフトがすべてのデバイスに送り込むWindows技術

 以前にも、標準コンポーネントの組み合わせで構成し、すべての製品で同じソフトウェアが動作し、ユーザーインターフェイスもほとんど同じのPCでは、根本的な部分で製品間をハードウェア技術で差別化することが難しいと書いた。実際のところ、いくら日本の経済を支えているのは製造業だと叫んだところで、PCの水平分業パラダイムが変化することは考えられない。

 となれば、多くの日本の製造業者が成長した背景に存在した家電品(この世界はまだまだクローズドで、技術による差別化を行ないやすい)に回帰する他ない。しかし、単なる家電は、すでにコモディティ化が進み、大企業の業績を支えるほどの利潤を確保できる市場ではない。デジタル家電もコンポーネントの低価格化や汎用化が進み、PCに近い状況になっている。たとえばDVD市場が立ち上がった今、DVDプレーヤで大きな利益を得ているのは台湾や中国の企業である。

 例外は精密機械とエレクトロニクスの融合物であるDVカムコーダと、まだこれから市場が立ち上がる記録可能なDVD機器、SDやメモリスティックおよびその周辺デバイス群、といったところだろう。今後の技術開発次第では、これにエンターテインメントロボットが加わる可能性もある。しかし、これらもいつアジア圏の企業に取って代わられるのかわからない。

 かといって、新しいカテゴリが降って沸いたように登場することもやはり考えにくい。これまで日本の家電メーカーは、低価格化や技術開発競争が一段落し、自社の競争力が(海外勢と比較して)失われるようになってくると、新しい分野を開拓することで、次々に成長を繰り返してきたが、すでに隙間はほとんど埋まってしまった、というのが多くのベンダーとの話の中で耳にすることだ。

 これを解決するためには、同じカテゴリの製品を、新しいプラットフォームへと移行することで、より良い、買い換えるに相応しい製品へと変身させなければならない。現在のところ、そのための鍵となる技術として各社が注目しているのが、家電のネットワーク化およびネットワークのワイヤレス化である。あらゆるデジタル家電をネットワーク化することで、新しい付加価値を生もうとしている。

 長年、家電メーカーはこの問題に取り組んでいるが、なかなか前に進まないのは、各社の事情があまりにも異なるからだろう。各社の得意分野が異なるのはもちろんのこと、各社の体力によって標準化してほしいと思う範囲が大きく異なる。

 より力のある家電メーカーは、製品やサービスを提供するために最低限決めるべき部分だけを標準化したい。なるべく独自性を出せる(言い換えればクローズドな)部分を多く残したいためだ。反対に開発力、企画力の弱い家電メーカー(あるいは価格競争力が特に強い家電メーカー)は、可能な限り標準化の範囲を広げたいと考える。他社の標準コンポーネントやサービスを調達することで差別化要因を減らし、メーカー間格差を狭めつつ最低限のコストで最低限の機能をそろえたいと考えるからである。

 Microsoftは.NETで、ネットワークサービスのプラットフォーム制覇に向けて動くだけでなく、.NETに対応したユーザーインターフェイス技術やクライアント技術を、Windows PCはもちろん、家電品にまでその範囲を広げようとしている。CES 2002で、ビル・ゲイツ氏はWindows CE.NETを発表するとともに、「Freestyle」や「Mira」といった新しいコンセプトモデルを発表した。ここに飛び込んでしまえば、将来的に次世代の技術やサービスを自社の製品へと簡単に組み込むことが可能だろう。

 しかし、.NETによる支配が進んでしまったらどうなるのか? 機能やサービスの根本を他社に完全に抑えられたまま、ハードウェアベンダーは自社の優位性をアピールできるだろうか?


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(2002年1月8日)

[Text by 本田雅一]


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