後藤弘茂のWeekly海外ニュース

iPadにカスタムチップを開発したAppleの戦略



●iP***ビジネスの新ステップとなるiPad
Apple iPad

 Appleは、ついにカスタムチップを開発するところまで行き着いた。Appleが「iP***」系ビジネスがまだまだ伸長すると予想している証拠であり、同社がいかにiP***に注力しているかを示している。単なる音楽プレーヤーiPodから始まった流れは、iPhoneでコンピューティングデバイスとして開花し、うまく行けばiPadでさらにフォームファクタを広げる。

 Appleは、1月末に発表したタブレットコンピュータ「iPad」に、自社ブランドのカスタムSoC(System on a Chip)チップ「Apple A4」を載せた。このチップは話題となっているが、その理由は、CPUコアなど中核部分のIPについては、Appleが自社で開発したと見られるのに、その概要が謎になっていること。そして、AppleがiPadのために、わざわざカスタムチップを起こしたことだ。

 Appleは、iPhoneには、ほぼ“ありもの”のチップを使った。中核は、Samsung SemiconductorのアプリケーションプロセッサSoCであり、アップルロゴはついていても、特殊なカスタマイズはされていなかった。中身は普通のスマートフォンであるiPhoneは、半導体デバイス的には、面白いハードではなかった。しかし、AppleはiPadではその方針を変えて、チップレベルからユニークなハードを作り上げたようだ。

 まだApple A4が、どの程度までカスタムIPを載せているのかわかっていない。しかし、わざわざ名前までつけて謳うところを見ると、カスタム度合いは高いはずだ。もちろん、カスタムチップとIP開発は、iPadだけを考えてのことではなく、今後の世代のiPhoneや将来のiP***系デバイスまでを見込んでのものだろう。自前のチップエンジニアを抱え、自社IPのカスタムチップを起こすのは、iP***に、それだけのボリュームと利益を見込んでのことだ。

●チップ開発者を集める最近のAppleの動き
ARM Cortex-A8の概要

 独自開発IPを中核としたカスタムチップの開発が“重い”ことは、開発コストなどの理由から、フルカスタムチップからありものIPへと移行するメーカーがあることでもわかる。典型的なのはPSP2だ。ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)はPSPには、GPUコアなど独自開発IPを多数載せたSoCのスタックドチップを載せた。ところが、PSP2には、ARM Cortex世代CPUコアに、PowerVR SGX543MPと、既存の他社IPを集めたチップを載せる。モバイルデバイスでは上り調子のAppleと、開発費に苦しむSCEの対照が見える。

 Appleは過去数年に渡ってチップエンジニアを集めてきた。Powerアーキテクチャの低消費電力SoCを開発したチップ設計企業PA Semiを2008年に買収。ATI TechnologiesからAMDと合併後に抜けたGPUアーキテクト達も吸収した。チップ設計者を集めるAppleの動きから、同社が自社チップを開発しているという噂は以前からあった。また、集めた人材が、低消費電力チップとGPUの開発者であったことから、ターゲットはモバイル系のマルチメディアデバイスだろうと言われていた。

 例えば、プロセッサ業界とゲーム業界のウオッチャとして有名なDean Takahashi氏は、VentureBeatで昨年(2009年)7月に、PA SemiのエンジニアチームはARM命令セットアーキテクチャベースのプロセッサを開発することになり、iPhone向けとiPad向けの2チームに分割されたと報じていた。「Look for PA Semi's chip designs in upcoming Apple tablet」(VentureBeat,2009/7/13)。

●高パフォーマンスかつ低消費電力のPA Semiの技術

 PA Semiは、Power系のSoCファミリ「PWRficient」の発表で、2005年に話題をさらったIP企業だった。Power 2.04アーキテクチャで、フルのFPUとVMX SIMDユニットを備えたハイパフォーマンスCPUコアでありながら、1.5GHz時のワーストケースの電力が4Wという極めて高いパフォーマンス/ワットが特徴だった。また、デュアルCPUコアに、DRAMコントローラやシリアルI/Oなどを統合したSoCである点も目を引いた。もし、今、PowerベースのノートPCの市場があれば、フィットしただろうアーキテクチャだ。

PWRficient 1682Mのブロックダイヤグラム PWRficientの仕様
PWRficientのプロセッサパイプライン PWRficientの内部接続の詳細

 Appleは現在のところA4にPA Semiの技術やエンジニアを使っているとは発表していない。また、PA SemiのPWRficient自体は、Powerアーキテクチャで、どちらかと言えば高パフォーマンスチップであり、A4にそのままでは持ち込めない。しかし、Appleがチップエンジニアを集め続けていることと、iPadでカスタムチップが登場したことは無関係ではない。そして、このことは、今後もAppleが、iP***向けにカスタマイズしたチップを発展させ続けるだろうことを示唆している。

 ちなみに、Apple A4はGPUコアも含んでいるはずだが、こちらもコアの中身はまだわかっていない。GPUコアの開発または開発協力を行なっているとしても、A4に間に合うとは思えないので、この部分は他社IPのままと推定される。iPhoneからの継承性を考えれば、PowerVR系となるだろう。しかし、PowerVRを開発するImagination TechnologiesのWebサイトのテクノロジサポートフォーラムでは、同社の関係者が、その質問に対して「今は全くコメントできない」と答えている。Imaginationが1月に発表した新しいPowerVR SGX545は、次期または次々期のiPhoneが採用すると噂になっている。

PowerVR SGXのブロックダイヤグラム
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●Appleがチップ開発へと踏み出した理由
PowerVR SGXの原理

 Appleはなぜチップ開発を目指すのか。モバイル系なら、優れたIPもSoCも手に入るのに、カスタム化へ向かうのはなぜなのか。

 もし、Appleが本腰を入れてCPUコアIPの開発や、もしかするとGPUでも何らかのアクションを考えているとしたら、その理由は、他から手に入らないものを作るためだろう。他社のIPを待っていてはできないチップを作るために、コアの開発を始めたと推測される。それはどのようなものなのか。

 AppleはOpenCLの策定を先導し、GPUを使った汎用性の高いデータ並列型コンピューティングへの傾斜を見せている。まだ全容は見えてこないが、Appleはデータ並列で得られる高いコンピューティングパフォーマンスを利用した何かを考えていると見られる。だとすれば、モバイルでもCPUコアとデータ並列コアが緊密に連携したチップを作ろうとしている可能性がある。ちなみに、Appleが出資するImaginationは、iPhone向けと言われるPowerVR SGX545でOpenCLへの対応を謳っている。

●ARMとPowerVRの時代がやってくる?

 また、Apple A4のCPUコアの命令セットアーキテクチャがARM系で、GPUコアがPowerVRだとすれば、これは、アーキテクチャ競争という側面で捉えることもできる。簡潔に言えば、ARMとPowerVRの時代が近づきつつあるシルシの1つかもしれない。

 携帯機器や組み込みの開発者からすれば、「何を今更」だが、ことPCクラスのコンピューティングデバイスについて言えば、ARMとPowerVRは最近まで縁遠いものだった。しかし、モバイルコンピューティング機器の成長頭のiPhoneが、タブレットへとフォームファクタを広げ、独自拡張MIPS系CPUコア(R4000ベース)と独自GPUだったPSPがARMとPowerVRへ転換するなど、さまざまな場所で流れは変わりつつある。

 PC業界的な視点から見た場合のiPadのポイントは、AppleがこのデバイスにIntel Atom系のプロセッサを選ばなかったことだ。Appleは、PC製品については、Intelに寄りかかっているが、小型デバイスについては、そういう気はないようだ。

 これを図式化すると、AppleはPCでは、「他社と横並びで標準化されたチップを使い、ソフトウェアやフォームファクタやサービスで差を付ける」という、Intelなどが主導する戦略に転向した。しかし、モバイル系では、チップレベルから差別化を図るという、Appleの本来的な戦略に立ち戻る。ただし、前回のPowerPCでは、CPUの開発は3社連合のIBMとMotorolaに頼り、その結果、x86 CPUの進化に後れを取ってしまった。そのため、今回は、自分の力でチップを何とかしようとしている、そう見ることもできる。

●ゲームプラットフォームとしてのiPad

 iPadはゲーム市場に影響も与える。ゲーム業界は、2008年頃からゲームプラットフォームとしてのiPhoneの急伸に直面してきた。単一プラットフォーム(世代の違いはあるが)で大ボリュームが出荷されており、アプリケーションの配布ルートが整っているiPhoneは、ゲームにとっても都合がよかった。多彩な携帯電話の機種毎に細かく対応する必要がなく、ゲームの配信も容易だからだ。しかも、開発に必要なSDK(ソフトウェア開発キット)が安く、従来のゲーム機のようなゲーム機ベンダーとの面倒な契約も必要なかった。そのため、ホリデープログラマや小独立系デベロッパがiPhoneに殺到し、空前のゲームバブルを築いた。

 iPhoneがゲームプラットフォームとして確立したかどうかは、まだ明瞭ではない。iPhoneの上でのゲームビジネスのエコシステムが成立したとは言い難いからだ。iPhoneゲームは、高価格をつけにくく、タイトルの洪水に埋もれやすく、ビジネスは非常に難しい。また、ゲーム自体も、iPhoneの特徴を活かしたコントローラレスの操作体系が確立されておらず、操作しにくいタイトルが多い。試行錯誤の最中であり、本当の意味で大ヒットと言えるiPhoneゲームは、まだ現れていないのが現状だ。

 しかし、難はあっても、iPhoneのゲームコンテンツは増え続けており、流れが急に絶えるとは思えない。そうした、iPhoneショックの続くゲーム業界に、iPhoneと地続きの新しいデバイスとしてiPadが登場する。そのため、ゲームデベロッパにとって、はたしてiPadが新しいゲームプラットフォームとなるのかどうかが関心事となるだろう。

 ここでポイントは、もしiPadがゲーム機になりうるなら、フォームファクタとして、新しいゲーミングデバイスが登場する点だ。ゲームコンソールとモバイルゲーム機の間を埋める新しい形態となるかもしれない。PSP系やDS系のモバイルゲーム機が、実際には家庭の中の“パーソナルゲーム機”として使われている場面が多いことを考えると、サイズ的にこのクラスのデバイスも“あり”かもしれない。画面サイズと解像度の違いだけではなく、ユーセージとして新しい、家庭のパーソナルゲーム機という位置のデバイスになるかもしれない。この場合、iPadがというより、このサイズのデバイスが受け容れられるのかがポイントとなる。