山田祥平のRe:config.sys

iPhone 6s を入手するも、たった5日でドナドナした6 Plusを取り戻すの巻

 iPhone 6sとiPhone 6s Plusが発売された。予約開始時のWebの混雑をかいくぐり、20分後に予約が完了した。そして手に入れたiPhone 6sだが……。

無印iPhoneは手の延長

 iPhone 6sの発売日当日は、予約を徹底させたことからこれと言った混乱もなく、ぼくは早朝の発売イベントを覗きに有楽町に出かけて、その足で量販店に立ち寄り予約番号を告げて手続きをし、喫茶店で小一時間の待機後、午前中にはiPhone 6sを入手することができた。

 昨年(2014年)は、ちょっと出遅れてしまったが、AppleストアでSIMロックフリーのiPhone 6 Plusを入手、この1年使ってきた。今年(2015年)は、メイン端末に使っていたSamsungのGalaxy Note 3がちょうど2年目を迎え、月々サポートが切れることもあり、ドコモ経由で機種変更してiPhone 6sを入手した。もっとも、Galaxy Note 3はLolipopへのアップデートも表明されているので、まだまだ現役で使うつもりだ。むしろ、ハイエンド機を買っておけばいったい何年使えるのかにもチャレンジしてみたいと思う。それにおサイフケータイは外せない。だから、ドコモでiPhone 6sを契約したあと、自宅に戻ってすぐにSIMをアダプタ装着でNote 3に戻してしまい、iPhone 6 PlusにはIIJ mioのSIMを装着して運用し続けている。そして、1年間使ったiPhone 6 Plusはドナドナし、iPhone 6sと一緒の生活がとりあえず始まった。

 さて、「唯一変わったのは、そのすべて」という触れ込みのiPhoneだが、ぼくの場合、Plusから無印への変更でもあり、結構面食らう。画面サイズが5.5型から4.7型になるというのはまるで別物のように感じる。

 iPhone 6 Plusを1年間使い続けたのに、なぜ、再びPlusを選ばずに、iPhone 6sを選んだのかというと、それはやはり重量増だ。172gだった重量が192gになっている。実に20gだ。10%以上重くなっている。それをためらい143gのiPhone 6sを選んだのだ。

 失われたものとしては、余裕のある画面サイズと、光学式手ぶれ補正程度。

 その代わりに、片手で容易に操作ができるコンパクトな筐体と、当然、6 Plusより高い機動性が手に入った。手の延長としてのサイズ感は無印iPhoneならではだ。

 さらに、3D Touch、Taptic Engine、画素数が向上したカメラ機能と4Kビデオ撮影、高速になったプロセッサ、それにAppleは公式に発表してはいないがメインメモリの倍増もある。通信機的にはFD-LTEのB12と27、そしてTD-SCDMAやTD-LTEが手に入った。さまざまな組み合わせのCA(キャリアアグリゲーション)対応も心強い。

 SIMロックについては、当然ドコモのロックがかかっていたが、ドコモのWebサービス「My docomo」で製造番号としてのIMEIを調べ、同サイトで手続きしたら、直後に解除できた。確認メールには解除の方法については機器のマニュアルを参照しろとあったが、記載されたURLを辿ってもマニュアルは存在せず、何もしなくてもロックは解除された。実際、手元にあったドイツテレコムと米VerizonのSIMを装着してみたところ正常に使えるようだし、IIJ mioのSIMも、同社が提供するプロファイルの適用で問題ない。

新しいiPhoneには新しい何かが満載

 話題の 3D Touchだが、これはまだ未知数だ。画面上のオブジェクトを強めに押す操作でコンテキストメニューを表示したり、PeekやPopといったインテント操作ができるというのも興味深い。ただ、対応アプリがまだまだ少なく、標準アプリ程度なので便利さを実感するには体験が足りなさすぎる。それに、長押しとの違いがいまひとつ不明確なのも気になるところだ。

 処理性能については十分に実感できた。明らかに反応がよくなっていると感じることができる。1年間で、よくぞ、ここまでと思えるくらいに変化は大きかった。でも、やはり、無印iPhoneの画面サイズの小ささには耐えられなかったのだ。

 ぼくが1年前にPlusを選んだのは、やはりその画面サイズが魅力だったからだ。視力の衰えから、結構大きな文字にしないとついていけない。用途に合ったメガネをかければいいとも言われるのだが、デジタルデバイスのいいところは、デバイスに人間が合わせなくても、デバイス側で合わせてくれるところだと思っているので、そうするつもりはない。

 iOSの名誉のために書いておくと、OSとして「標準」に加えて「拡大」というスケーリングモードを用意していること、そして、Dynamic Type機能を用意し、アプリさえ対応していればかなり満足のいくサイズの文字表示ができる。ここはアクセシビリティを本当によく考えていると思う。

 ただ、スケーリングを「拡大」にすると、わずかだがスクロール時の文字表示に遅れが発生し読みづらくなってしまう。言い方が難しいが文字がビビるというイメージだろうか。だからぼくはこの機能は使わなくなってしまった。グラフィックス性能が向上したとされる6sでも、これは同じだった。

 また、アプリがDynamic Typeに対応しているのかどうかはユーザー側では分からない。メールやカレンダーといった標準アプリは、とても読みやすく文字表示されるので、何の問題もない。標準アプリを使うだけなら小さな画面のiPhone 6sでもガマンできたかもしれない。

 ところが、Twitter公式アプリではフォントサイズを変えられて、Dynamic Typeに対応しているようにも見えるのだが、それでもまだ足りない。もう一回り大きなサイズでの文字表示ができないと、読み進めるのがとても遅くなる。今の最大文字サイズではスクロールしながら読むのは無理で、ちょっとずつ止めながらしかTwitterのタイムラインを追うことができない。

 さらにFacebook公式アプリに至っては文字サイズの変更ができないどころか、表示そのものがいやがらせかと思うくらいに小さい。これは大きな画面のPlusでも同様だ。Plusでは画面が大きい分、たくさんの情報量を表示できるのだが、これだけ文字が小さいとタイムラインを読む気になれない。Dynamic Typeが実装されたのはiOS 7からだが、2年間が経過した今、それほど積極的に使われていないのはちょっともったいないように思う。

デジタルリテラシーと文字サイズ

 表示される文字のサイズについては、個人差もあるだろうし、若い層には何の問題もないかもしれないが、われわれのような中高年にとっては死活問題だ。この文句をAppleに言っても仕方がないのだが、アプリの開発者の方は、ちょっと真剣に考えてほしいと思う。老害と言われようがなんだろうが、間違いなくこれからは高齢者が増えていき、その人たちも当たり前のようにデジタルデバイスを使う。その人たちがみんならくらくホン的なデバイスを好むとは限らないのだ。デジタルリテラシー的には若年層よりも高いかもしれない層が、表示の問題だけで、選べるデバイスが限定されるというのは、あまりいいことではないと思う。

 Plusの画面は無印iPhoneより大きいが、画面サイズに比例して表示されるオブジェクトが大きくなるわけではない。設定が同じなら文字サイズはほぼ同じだ。でも、文字を大きくすれば画面に表示できる情報量は少なくなる。大きな画面サイズはそれを補完することができるというわけだ。画面が小さければ何度も何度もスクロールしなければならないが、画面が大きければその回数を減らすことができる。

 結局、無印iPhoneは利用続行無理と判断し、ドナドナしたお古のiPhone 6 Plusを取り返し、新しく買ったiPhone 6sを泣く泣く代わりに差し出した。こんなことなら20gをガマンしてPlusにしておけばよかった……。

 PCのiTunesで暗号化したバックアップさえとっておけば、iPhone同士の乗り換えは、実に簡単だ。世代が違ってもOSのバージョンが同じなら何もかもが復元される。「ねこあつめ」だって「LINE」だって既存データの全てが復元される。そりゃ、次の機種変更にもiPhone以外は考えられないというのもよく分かる。これについてはAndroidスマートフォンが見習わなければならないことだと思う。

 そんなわけで、今、手元にあるのは、1年使い続けたiPhone 6 Plusだ。これを手放して、iPhone 6s Plusを購入するという手もあるのだが、先に書いたように、20gの重量増は得られるメリットに見合わないと今は判断している。なーに、見かけは同じだ。ただ、来年(2016年)の今頃には、全く別のことを言っているかもしれない。

同じであることも大切

 今週は、ちょうどドコモの冬春モデルの発表会があり、そこで、Googleが発表したばかりのNexus 5Xのドコモからの発売が表明された。追いかけるようにソフトバンクもワイモバイルからの発売を表明している。今回のドコモの新製品はバリエーションも豊富で、言わばより取り見取りだ。それぞれの端末の個性は豊富な選択肢としての魅力にもなっている。2つしか選択肢のないiPhoneに対する大きなアドバンテージかもしれない。

 発表会後、加藤薫社長の囲み取材に立ち会えたので、Androidの操作性のフラグメンテーションについて意見を聞いてみた。Androidのバージョンはもちろんだが、ホーム画面操作ひとつとっても機種ごとに異なり、それがAndroidスマートフォンの分断化を招き、機種選択時のハードルを上げているのではないかと思っているからだ。Xperiaのユーザーに、AQUOSやarrowsの操作についてきいても、今ひとつ的確な答えを出せない可能性をそのままにしておくのがいいことだとは思えない。Windows PCがそうであったように、どのメーカーのどのPCを買っても、基本的な操作性は同じというのが「陣営」のよさだ。

 ところが、ドコモが音頭をとって操作性の統一を図るようなことは考えてはいないというのが加藤社長の見解だった。それがハードウェアの個性をダメにすることになる可能性があるからだという。基本的なことについてはできるだけ統一しながらも、それ以外については、各機種のベンダーに任せることにしているという。つまり、ドコモのスマートフォンはメニュー体系から、機能名まで統一され、全機種が同じように操作できるというふうにはならないということだ。

 離れて暮らす両親に、次の端末としてスマートフォンを与えようとしている方も少なくないだろう。双方がiPhoneなら、相手の手元が見えなくても、電話だけで問題が解決できる可能性は高い。だが、Androidでは、同じメーカーの同じ世代の機種を使っていない限りそれが難しい。

 個人的には、Nexusシリーズこそが、リファレンスとならなければならないんじゃないかと思う。Androidスマートフォンのベンダーは、そろそろ、そういうことも視野にいれた製品戦略を考えるべきではないか。ぼくは、今のiPhoneは、PCで言うならかつての国民機PC-9800シリーズのようなものだと思っている。誰もが使っているから安心だった。今のiPhoneがそうであるように、Androidも群れとしてそうあってほしい。ほかに差異化できる面はいくらでもあるはずだ。

(山田 祥平)