元麻布春男の週刊PCホットライン

2001年のPCはどこに行くのか?


●PC業界の縮小を感じた2000年

 いまさら言うまでもなく、2000年はPC世界の縮小を感じる憂鬱な1年だった。PCの機能を担うさまざまなコンポーネントのサプライヤが、どんどん減っていった1年であったからだ。サウンドの分野ではCreative TechnologyによるAurealの買収MaxtorとQuantumのHDD事業の合併VIA TechnologiesによるCyrix、IDTS3の買収と続き、年末にはNVIDIAによる3Dfxの買収のニュースまで飛び込んできた。

 もちろん買収や合併は、PC業界では日常茶飯事。過去にも多くの買収や合併が行なわれてきた。見方によっては、吸収や合併の繰り返しの上に、PC業界そのものの成長が築かれてきた、と言うことさえ可能かもしれない。それからすると、2000年に起こった買収や合併も、次の成長へのステップと受け取ることもできるのではないか、という意見もあることだろう。だが、冒頭で「憂鬱」と表したことでも明らかなように、筆者は上に挙げた買収や合併から、前向きなトーンを感じることができないでいる。

 確かにHDD事業は、需給関係の改善により事業の収支が持ち直したように見える。NVIDIAの好調さは記録的なものであり、VIA Technologiesも好決算を記録した。だが、個々の会社ではなく、それぞれの事業ジャンル全体を見渡した時、それほど喜んでいられるのだろうか、と思うのもまた事実なのである。


●盛り上がりに欠けるPC業界

 たとえばサウンドハードウェア市場だが、果たして盛り上がっていると言えるだろうか。今や大手ベンダが販売するPCの大半は、AC'97 CODECによるソフトウェアオーディオをオンボード搭載する。それで飽き足らないユーザーなど、ほんの一握りに過ぎない。そのほんの一握りのユーザーをターゲットにしたサウンドカード市場は、Creative 1社がメジャーブランドとして君臨するほかは、大半がバルク品で占められる。サウンドカードに用いられるサウンドコントローラチップは、Creativeに加えて、Crystal、ESS、ヤマハなどが供給しているものの、ヤマハは事実上新規開発を止めたと言われている(CreativeにしてももEMU10K1の次のチップの話はまだ聞こえてこない)。そもそも、市場が拡大しているのなら、新規参入するベンダがあるハズだが、そういう話はとんと聞かない。

 同様なことはビデオチップにも言える。かつては、両手では足りないほど多くのベンダがひしめき合っていたビデオチップ市場だが、今やトップを行くNVIDIAと、何とかNVIDIAにくらいついている2位のATI Technologiesのほかは、極めて存在感が薄い。現在、性能競争で主戦場となっている3Dグラフィックスには、まだまだ性能向上の余地があるものの、多くのユーザーがその必要性がないことに気づいてしまったようだ。もちろん必要性がない、というのは言い過ぎだろうが、必要性を感じさせるアプリケーションがない、というのは誰しも感じていることだと思う。


●登場しない次世代キラーアプリケーション

 次世代のハードウェアの需要を高めるアプリケーション、いわゆるキラーアプリケーションの欠如というのは、3Dグラフィックスに限ったことではないし、今に始まった話でもない。キラーアプリケーションの欠如は、PC全体に当てはまることだし、もう数年前から言われ続けてきた。おそらく、キラーアプリケーションが欠けたままでCPU性能が向上し続けたことも、オーディオやビデオCODECのソフトウェア処理が進んだ一因だろう。CPUパワーが有り余っているからこそ、オーディオやビデオをCPUで処理しようということになったのだと思う。

 オーディオを処理するコントローラチップ(DSPチップ)の価格など、CPUの価格に比べればたかがしれている。メインアプリケーションに対しCPUパワーが不足しているのであれば、DSPチップを追加することで、少しでもCPUパワーをメインアプリケーションに回そうとするのが自然な話だ。CPUパワーが余っているからこそソフトウェアオーディオは、システムの低価格化に貢献できるのである。

 キラーアプリケーションが存在すれば、そのアプリケーションを快適に実行するために、より高速なCPUが求められる。また、PCで最も高価なリソースであるCPUを極力キラーアプリケーションに回すために、オーディオやモデムといったI/O処理を実行するプロセッサやDSPに対する需要も高まる。キラーアプリケーションの登場により、重いソフトウェアとハードウェア性能向上というかつての「幸せな循環」が復活するわけだ。

 しかし筆者は、かつてのスプレッドシートやDTPソフトに匹敵するようなキラーアプリケーションは、もう登場しないのではないか、と思うようになってきた。そう思う最大の理由は、数年待ったにもかかわらず、次のキラーアプリケーションの片鱗さえ見えないからだ。Internetに代表されるコミュニケーションアプリケーションは、広く使われるものであることは間違いないし、新たなアプライアンスの台頭を導く「タネ」になる可能性を秘めているものの、PCハードウェアの限界を広げるキラーアプリケーションではないように思う。


●PCはどこへ行くのか?

 キラーアプリケーションを失ったPCはどこへ行くのか。当面は、おそらくどこにも行かない。会社で業務の中心となるのはPC以外に考えられない。ポストPCの時代などと言われても、目に付くのはプレイステーション2やiモードといった、パーソナル製品ばかり。これらで企業の会計処理を行なうことなどあり得ない。企業でPCが使われる以上、すべてのユーザーはいずれPCの使い方を覚えなければならない運命にある。PCは使わざるを得ないものであり、使いやすいとか、使いにくいというのは、二義的な問題にすぎない(だからといってPCの使い勝手の向上を怠って良いというわけではない)。

 となると次の問題は、PCに高性能が必要か、ということになる。キラーアプリケーションがない以上、高性能は必要とされないと思われがちだが、性能が高くて困るわけでもない。どんなにつまらないことでも、たとえば表計算ソフトの起動が速くなるだけでも、キャッシュされているWebページのブラウザによる表示が速くなるだけでも、PCの性能が上がることで、快適になることは存在する。つまり、キラーアプリケーションがないということは、高性能だからといって高い価格を正当化できない、ということであって、高性能を欲しがるユーザーがいなくなるわけではない。ただ、高性能に支払われる対価が低下するだけの話であり、売る側にとってコストと価格の舵取りが難しくなるだけのことだ。実際、この数年間、性能向上のテンポにほとんど変りはないにもかかわらず、価格だけは著しく低下している。おそらく今年も、その傾向は続くだろう。

(2001年1月10日)

[Text by 元麻布春男]


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